第91話 ジークリンデ、先生になる
魔法の勉強は大きく分けて「座学」と「実技」の二つに分かれる。立派な魔法使いになるにはそのどちらも疎かにしてはいけないのだが、どうやらリリィは「座学」にはあまり興味がないようだった。まあ子供の頃から「勉強大好き!」なんて奴はそういないよな。俺もいくつになっても嫌いなままだったし気持ちは分かる。
「きょーは〜、くまたんとあそんだ〜」
リリィはソファに座りながら絵日記を書いていた。どうやら魔法学校の宿題……というか日課らしい。俺の時代はそんなのなかった気がするが、俺の記憶ほど当てにならないものもないからな。後でジークリンデに聞いてみるか。
「どれどれ…………?」
ソファの後ろからリリィの手元を覗いてみる。絵と文字のスペースが半々になった専用の紙には、水色のお化けと茶色のお化けが奇妙なポーズを取って絡み合っていた。あれは…………リリィとくまたんだろうか。どうやら今の所リリィに絵のセンスはないようだった。
「こんなもんかな〜」
リリィは絵日記を見て満足そうに頷く。その横顔には一端の絵描きのような風格すら感じられたが、描かれているのは謎のお化け。下に書かれている「くまたんとあそんだよ」という言葉もいい味を出していた。
「あとは…………いったんきゅーけーしよ」
他にも宿題があるみたいだったが、余程やりたくないのかそれらはテーブルの隅っこに押しやられていた。リリィはだらんとソファに寝転ぶと、ゆっくりと目を閉じて寝る態勢に入った。学校から帰ってきてからさっきまで庭でくまたんと遊んでいたから疲れてしまったんだろうな。
「一年生ってどんなんやるんだっけな」
宿題のプリントを手に取ってみると、あまりの懐かしさにノスタルジックな気持ちに包まれる。懐かしすぎて涙が出そうだった。
「火魔法の魔法陣の色は?」
「魔法陣は何の為にある?」
今なら考えるまでもなく答えられる問題だが、当時の俺は結構苦戦していたのを思い出す。中級生辺りである程度真面目に勉強するようになったものの、それまでの俺は完全にバカだったからな。授業も全然聞いてなかったし。その辺りを考えるとリリィと血が繋がっていなくて本当に良かったと思う。俺の血を継いでいたら確実にそっち方面は終了していただろう。
「────何を見ているんだ?」
背後から突然声を掛けられる。
が、入ってきたことには気配で気が付いていたから驚きはない。振り向くと、ジークリンデが物珍しそうな視線をプリントに送っていた。
「リリィの宿題だ。悪いが勉強方面は頼んだぞ」
「なるほど…………」
プリントを手渡すと、ジークリンデは真剣な眼差しで紙面に視線を滑らせる。そこまで真面目になるような難易度でもないと思うけどな。
◆
「まず、魔法陣というのはその意味によっていくつかのセクションに分解することが可能だ。更に、用途に応じて特定のセクションのみを記述することも出来る。例えば魔法の速度を上げたい場合、加速の記述のみの魔法陣を重ねることで通常では到達不可能な速度まで達することが可能になるんだ。ここまでは大丈夫だろうか?」
「????」
「そうか。ならば次に魔法陣の内容について、その特徴を踏まえた上でセクション毎に解説する。今から話す内容は私が持参した魔法書『魔法陣組成概論』の364ページから詳しく書いてあるので、そこを見ながらだとより理解が深まると思う。ではまず属性セクションについてだが────」
「????????」
…………ジークリンデに先生を任せた過去の俺に言ってやりたい。
お前、人選を間違えてるぞ────と。
「ジークリンデ、待て。リリィの頭から煙が出てる。あと何言ってるか俺ですら分からん」
リリィはジークリンデが持ってきたアホみたいに分厚い魔法書に突っ伏しながら目を回していた。いきなり魔法学問の一番濃い部分を浴びせられてショックを受けているようだ。因みに俺も聞いているだけで頭がおかしくなりそうだった。俺は生粋の実践派だからな。
「まほー…………むずかし…………」
「大丈夫だぞリリィ。コイツがおかしいだけで、別にこんなこと覚えなくても立派な魔法使いになれるからな」
「何を言う、知識は力だぞ。何事もその仕組みを理解しているのといないのでは成果に大きな開きがあるからな」
「そうかもしれないが限度っていうものがあるだろ。とりあえずこれに従って教えてやってくれよ」
俺はジークリンデが持ってきた分厚い魔法書を隅に押しやり、代わりにリリィの教科書をジークリンデに手渡した。ジークリンデはぱら、とページを捲ると「情報が足りていない……」と不満を漏らす。そりゃ初級編だからな。
「ぱぱ、りりーあそびたい」
「宿題を終わらせたら遊んでいいぞ」
「ぶー…………」
リリィは頬を膨らませてテーブルに墜落する。
…………こりゃ、学校に通わせるには少し早かったかなあ。リリィの年齢が分からないから何とも言えないが、周りとの体格差を見るに同い年とも思えないし。もう一年ゼニスでまったりとしてても良かったのかもしれん。
俺が思い悩んでいると、教科書とにらめっこしていたジークリンデが自信満々な様子で顔を上げた。
「────教えるべき内容は理解した。リリィちゃん、楽しい勉強を再開しよう」
「たのしー?」
「ああ、絶対楽しいぞ」
リリィはその言葉に釣られて顔をあげると、ジークリンデの傍に移動して教科書を覗き込むようにする。こうして並んでいる所を見ると母と子に見えなくもない。そうなれるように俺も頑張らないとな。