第78話 その頃、昼寝から目覚めたリリィはおやつを食べていた
諸々の事情から出来ればやり逃げしたかった俺だったが、流石に魔法省長官補佐のジークリンデ的にはそうもいかないらしく、大通りで魔法省の職員を捕まえるとあれこれと指示を出していた。その横顔は完全に仕事モードに切り替わっていて、真っ赤になっていた頬は雪のような白さを取り戻している。さっきまで俺にしがみついていた癖に……切り替えの早い奴だ。
万が一にも関係者だと思われないように少し離れた場所からそれを眺めていると、職員たちはビシッと敬礼をして路地裏に走っていく。その横顔は少しホッとしているように見えた。気絶しているとはいえ、今から暴力事件の犯人を捕まえに行くのに顔が緩むとは、ジークリンデは普段どれだけ怖がられているんだろうか。少し目つきが悪いだけで別に怖い奴じゃないんだけどな。
ジークリンデは視線を彷徨わせ俺を見つけると、群衆の合間を抜けるようにこちらに歩いてくる。路地裏への入り口は魔法省によって封鎖されているから野次馬は既にいなくなっていたが、それでも商業通りは真っすぐ歩けないほどの賑わいを見せていた。
…………こんな栄えた大通り沿いで事件が起きるとはな。何か引っ掛かる気もする。だが、それについて考える暇はなさそうだった。ジークリンデが手を上げながら俺の横に並んだからだ。
「済まない、待たせたな」
「もういいのか? 俺のことは気にしなくてもいいが」
「いや、あとはあいつらに任せていれば大丈夫だろう。犯人も無力化しているしな」
ジークリンデは今一度路地裏に視線を向けた。その真っ直ぐな視線からはどんな感情も読み取ることは出来なかった。職員への心配や自らの失敗への悔いなどは何も。そういや昔から感情が顔に出ない奴だったな。
「…………んで、どうなったんだ?」
漠然とした俺の質問の意図を、ジークリンデは瞬時に汲み取ったようだった。
「…………私が見つけて鎮圧したことにしてあるさ。取り調べは私の力で何とでもなるからな。心配しなくていい」
「そうか、助かるよ」
そこで、ジークリンデは少し悲しい……いや、寂しい…………?
とにかく少し下を向いて、表情を曇らせた。
「…………ヴァイス。お前…………何か使ってたな?」
「────ああ」
屋上から飛び降りても無傷だったり、ナイフを素手で掴むなんて、何かしてないとおかしいからな。ジークリンデがそう考えるのも当然のことだった。
「何かって…………分かってるんだろ?」
ジークリンデは俺に闇魔法の適性があることを知っている。魔法省の上層部には闇魔法の適性を持っている者のリストがあるはずだし、それ以前にジークリンデにだけは直接教えた記憶がある。普通は関係を断ちたくなりそうなもんだが、ジークリンデの反応が予想外に淡白だったんでよく覚えていた。
ジークリンデは諦めたように溜息をつき空を見上げた。青く澄んだ空は、端っこを赤く染め始めていた。
…………もうそろそろ帰らないとリリィが起きちまうかもな。
「…………まさか闇魔法に助けられる日が来るとはな」
「意外と悪いもんじゃねえだろ? 使い方さえ間違えなきゃ普通の魔法と変わらねえさ」
まあ中には人を攻撃する以外使い道が思い浮かばない魔法もあるけどな…………使うことはきっとないだろう。
「物騒な話は終わりにしようぜ。俺の用事に付き合ってくれよ」
「用事? どこに行くんだ?」
「ちょっとばかりローブ屋に用があってな」
少しわざとらしすぎた俺の話題そらしにジークリンデは乗ってくれた。
良い奴だな、ホント。
◆
そんな訳で、俺たちはローブ屋を訪れていた。
先生の店ではなく、先日エンジェルベアの毛皮を引き渡した所だ。実は毛皮を引き渡すついでに一つ依頼をしていたんだが、それが完成したと連絡があったのだ。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、店員のエルフが俺たちに気付き近寄ってくる。そのままジークリンデの前に立つと、丁寧に頭を下げた。
「ジークリンデ様、先日は本当に有難う御座いました。フローレンシア家のご令嬢のローブを手掛けることが出来、非常に光栄で御座います」
「こちらこそ素晴らしいローブを作って頂き感謝している。先方も満足していたよ」
そのままジークリンデと店員は当たり障りのない世間話を始めた。一人輪の外に弾き出された俺はタイミングを見計らって会話に割り込むことにした。
「それで、頼んでいた物はどこにあるんだ?」
「こちらに御座います」
エルフが店の奥に歩いていく。後をついていくと、テーブルの上に毛皮の敷物が丸められていた。リリィが寝そべったらギリギリはみ出すくらいのサイズ。まあローブの余りではこれくらいの大きさになってしまうか。
「なんなんだ、それは?」
ジークリンデが俺の背後から覗き込んでくる。
「くまたんの寝床にしようと思ってな。余った毛皮で敷物を作れないか頼んでたんだ」
────この思い付きが、果たしてどう転ぶのか。実物を目の前にしてもまだ結論は出ていなかった。
「…………この毛皮は、くまたんの親のものだ。ジークリンデ……お前はどう思う? どっちが嬉しい? もう二度と親に会えないのと、こういう形でも再会出来るのと」
俺の脳裏には、初めてくまたんと出会った時の情景が浮かんでいた。もう既に事切れていた親の身体を必死に舐めるくまたん。それを見て俺は今回のことを思いついたんだ。良いか悪いかは分からない。ただ、そうしたいと思ったんだ。
「最近のくまたんは幸せそうにしている。エンジェルベアの知能を考えれば、既に親のことを忘れている可能性もある。俺の行為はくまたんに悲しみを思い出させるだけかもしれないんだ。なあ、俺はどうすればいいと思う?」
俺の問いにジークリンデは押し黙った。
しかし、静寂は少しの間だけだった。
「…………分からない。それを決めるのはお前や私ではなくあのエンジェルベアだ。結局の所、私達は起こした行動の責任を取ることしか出来ない。もしお前の行為がエンジェルベアを悲しませてしまったなら、また幸せにしてやるしかないだろうな」
下手に肯定しない所がコイツらしい。だが、おかげで聞きたい言葉を聞けた気がした。
「…………ありがとな。お陰で決心がついたよ」
敷物を受け取り店の外に出ると、空はすっかり赤く染まっていた。そろそろお開きの時間だな。
「…………なあ、今日楽しかったか?」
我ながら、いまいち夫婦らしいことは出来なかった気がする。色々あったせいでジークリンデも半分くらいは仕事モードだったしな。
「お前はどうなんだ、ヴァイス」
ジークリンデは俺を置いて歩き出す。俺は慌てて隣に並んだ。仕事モードのジークリンデは相変わらずの無表情で感情が読み取れない。
「俺は…………そうだな」
思い返すまでもなく答えは決まっていた。学生時代から、なんだかんだコイツの隣はしっくりくるんだ。
「楽しかった。学生時代に戻ったみたいでな」
それが俺の本心だった。夫婦になったからとか、リリィの母親が必要だとか、そういう事情は抜きにして単純に楽しかった。
「…………」
折角追いついたというのに、ジークリンデはスピードを上げ俺を少しだけ引き離した。赤毛の三編みがジークリンデに合わせてぱたぱたと揺れる。
「…………私も、同じ気持ちだ」
俺がスピードを上げたのか、それともジークリンデが歩を緩めたのか。分からないが、気付けば俺はジークリンデの隣を歩いていた。
そんな感じで初デートは終わりを告げたのだった。