第70話 リリィ、ハイエルフの生き残り
夜が来た、と錯覚してしまうような一縷の光もない暗闇に身構えずにいられたのは────心のどこかでこうなることを想像していたからかもしれない。
「どうしたの!?」
「わわっ、まっくら!」
「なにも見えないんだけど!?」
突然光が失われた室内はざわめく子供達の声で一杯になる。雑踏の中で驚いているリリィの声も聞こえてきた。
「…………」
見上げれば、先程まで室内をぼんやりと照らしていた天井の発光石は完全に役割を放棄し、俺達から視界を奪っていた。夜より暗い漆黒の闇が目の前に横たわり、鼻先すら見通せない。暗闇の中で子供達の騒ぎ声がどんどん大きくなっていく。
「…………いや」
正確にはその説明は間違っていた。
あの発光石は、役割を放棄していない。今も変わらず、自身に溜め込んだ魔力を光という形で放出し続けているはずだ。では何故俺たちは暗闇の中にいるのか。
それは────
「わっ!?」
────大きな星が目の前に現れた。
そんな錯覚に陥ってしまうような強い光が俺たちを襲う。光に慣れた目を凝らせば、リリィの直ぐ側で白く輝く水晶が室内を煌々と照らし出していた。あの白い光は『光』の適性があることを示している。本来は五大元素と一緒に現れるはずの色だ。
上に目を向ければ、天井の発光石はいつの間にかその輝きを取り戻していた。やはり壊れた訳ではない。
あの石の光は────吸収されていたんだ。俺の時と同じ様に。
「…………白の光。お前さんは『光』の適性を持っているみたいだねえ」
「ひかり?」
「ああ、そうだ。優しい魔法使いの色だよ」
「やさしー? ぱぱたすけれる?」
「勿論さ」
「やった! りりー、ひかりのまほーつかいになる!」
リリィは段差から降りると嬉しそうに飛び跳ねた。一瞬暗闇に包まれたことに一切触れなかった先生に不信感を抱く様子はなく、他の生徒もちょっとしたアクシデントだと思っているのか、騒ぎ立てる奴はいない。
「……そういうことかよ」
俺が昔見たハイエルフの説明には『あらゆる魔法を行使出来た』と書かれていた。そして特殊元素は適性がなければ行使することが出来ない。全ての魔法を行使するには当然どちらの適性も必要であり、そう考えれば、この結果は必然だったのかもしれない。
────リリィが『光』と『闇』の適性を持っていることは。
◆
「困ったことになったねえ……何となく、そんな気はしていたけれどね」
「ああ。魔法書に記載されている説明が本当なら、そうでないとおかしいからな」
子供達が教室に帰った後、観測室に残った俺と先生は困り顔を突き合わせていた。リリィが持つ『闇』の適性について話し合う為だ。
「まあ、問題はないと思うがねえ……闇の魔法を教えられる奴なんて学校に一人もいないんだから」
特殊元素である闇の魔法は適性がないと扱うことが出来ないが、そもそも闇の適性を持つ者など長い帝都の歴史でも殆どいないはず。となれば当然それを教える先生など存在するはずもない。もし闇の適性を持つ生徒が現れたとしても、実際に闇の魔法を覚えることは不可能なんだ。それは俺が一番良く知っている。
「……そもそも、リリィは自分に闇の適性があると知らないだろうからな。誰かが態々教えなければ気付くことはないさ」
「教えなければ…………ね」
先生の鋭い視線が俺を射抜く。
……俺を呼び止めた理由はやはりこれだったか。
「…………ヴァイス。お前、闇の魔法をどこまで知っているんだい」
「何のことだ?」
「とぼけるんじゃあないよ。私くらいになるとね、見ただけで大体分かっちまうのさ。お前の魔力は酷く濁っている……闇の魔法使いの特徴さね」
「…………見抜かれていたとは。全く、先生には敵わないな」
「おべんちゃらはよしな。いいかいヴァイス……お前がどういう経緯で闇の魔法を覚えたのかはこの際聞かないけれどね、絶対にあの子に闇の魔法を教えるんじゃあないよ。闇の魔法使いが帝都でどう思われているか、知らないわけじゃないだろう」
「分かってる。俺はリリィに平和に暮らして欲しいだけだからな」
俺は踵を返す。
観測室から出る俺の背中を先生は止めなかった。だから、俺の嘘が見破られたかは分からず終いだった。
観測室から出ると、長い廊下は窓から差し込んだ日差しによって明るく照らされていて、ぽかぽかと温かい空気が俺を包む。暗闇に慣れた身体にはそれは少し刺激的で、俺は思わず目を閉じた。陽だまりより暗夜が心地良い時もある。
「…………平和に暮らす為には、力が必要なんだよ」
ゼニスで暮らす者にとって、それは『昼の次は夜が来る』くらい常識だ。
ハイエルフの生き残りであるリリィが平和に暮す為には、強大な力が必要になる。だから俺はリリィを魔法学校に入学させた。リリィには自分を守るだけの力を身に着けて貰わなければならない。
────いずれ、それは今ではないかもしれないが、俺はリリィに闇の魔法を教えるだろう。そんな確信があった。リリィに適性がなければそうならずに済んだ。だからそれを祈った。しかし、適性があるのなら俺がやることは一つだった。
「………リリィなら心配はいらないさ」
闇の魔法使いが、全員悪い奴という訳ではない。
……いや、今はそうかもしれないが、その悪しき歴史はリリィで終止符を打つだろう。
闇の魔法は教える。
だが、悪い魔法使いにはさせない。
それが『親』の役目だと思うんだよ。