第65話 ジークリンデ、覚悟を決める
書籍が発売して一週間が経ちました!
皆様の応援の力もあり、中々悪くない滑り出しのようです。本当にありがとうございます!
あとカヤについて、私の実力不足で想定通りの書き方が出来てないのかなあと感じたので、色々考えながら調整します!
既に特典SSで彼女は痛い目を見ているのですが、本編でもしばしば痛い目をみながら成長していくと思いますので、温かい目で見守って頂ければ嬉しいです。
帝都を表と裏から牛耳るフロイド家。
そのフロイド家が秘密裏に作っている幻の酒────その味はいかに。
「……見た目は普通だな」
「あまり期待しないでくれよ、ただ市場に出回っていないというだけだからな」
「ねえ、これってもしかしてとっても高いお酒なの?」
俺たちはグラスに注いだ幻の酒を前にして、妙な緊張に包まれていた。フロイド印の幻の酒は異様な程透明で、パッと見では水のようにしか見えない。けれどグラスから立ち上る芳醇なフルーツの香りは、自らが幻の酒なのだと強烈に主張してくる。小さなグラスから湧き出る香りは既にリビングを支配していた。思えば、あの野ざらしでホコリだらけのロメロの家ですらフルーツの香りを感じたような気がする。
「飲んでみるか……」
俺の言葉を皮切りに、俺達は軽くグラスをぶつけ幻の酒に口をつけた。
「────ッ!?」
口の中に広がるのは、グラスから香っていた匂いを更に凝縮させたような濃厚なフルーツの甘み。だが甘い一辺倒という訳ではなく、嚥下すると喉の奥に爽やかな酸味を残していく。果実屋の店先に立っているような錯覚すら受ける程の多種のフルーツの面影に、思わず目を見開く。ジークリンデもカヤも同じような反応を見せていた。
「何これ!? 美味しすぎない!?」
「これは……ああ。飲みやすいな……」
ジークリンデはゆら、とグラスを僅かに揺らし、カヤは早くも空になったグラスに二杯目を注いでいる。ラベルがないから分からないが、この酒は結構強そうだ。そんなペースで飲んで大丈夫なのか。
「どうやって作ってるんだ、これ」
驚くべきは、酒の苦味を上手くフルーツの陰に隠している所だ。その結果としてフルーツジュースのようなのにしっかりと酒っぽさも感じるという素晴らしいバランスに仕上がっている。
ジークリンデの父親はツマミ塩を欲しがっているし、これをロレットに飲ませてやれば奴もこの酒を店に置きたがるに違いない。その契約を仲介するついでに手数料で数本頂けば、安定してこの酒を手に入れることが出来そうだな。
「うう……気持ち悪い……」
恐らく多数の人間を使って製造しているこの酒と違い、完全手作業で作っているツマミ塩は数に限りがある。俺が頭の中でどうツマミ塩一瓶に対してのレートを釣り上げるか考えていると、苦しそうな声が耳朶を叩く。見れば、三杯目を飲み干したカヤが眉間にシワを寄せてソファで酔い潰れていた。そもそも、コイツは酒を飲める年齢なのか?
「ったくコイツは……」
肩を揺するが起きる気配はない。もう夜だし、泊めるしかないか……
「…………なあ。私は今日ちゃんと母親を出来ていただろうか」
「ん?」
邪魔にならないようカヤをソファの隅っこに追いやっていると、ずっと静かだったジークリンデが口を開く。
「お前から見て、今日の私はどうだっただろうか。迷惑をかけてはいなかったか?」
ジークリンデは不安そうな瞳を俺に向ける。妙に静かだと思ったらそんな事を気にしてたのか?
「迷惑な訳ないだろ。寧ろ感謝してる。リリィも楽しそうにしてたしな」
「……そうか」
ジークリンデの隣に座りグラスを煽ると、俺の言葉にジークリンデはホッとした表情を浮かべた。コイツはいつでも物事を心配しすぎる。勢いだけで行動する俺と足して二で割ればいい感じになりそうなんだけどな。
「…………」
昔より大人びたジークリンデの横顔を眺め思い出に耽りつつグラスを傾けていると、ジークリンデは一向に目を合わせてこようとせず、不自然なほど正面を見つめ続けていた。そっちにはドアがあるだけで特に見ていて面白い物などないはずだが……。
不審に思い観察を続けていると、ジークリンデは次第に顔を赤く染め、半分以上残ったグラスの中身を一気に飲み干した。おい、そんなに飲んだらカヤの二の舞になるぞ。
「…………はあ、はあ……ヴァイス、お前一体どういうつもりなんだ……?」
「? 何がだ」
ジークリンデは顔を真っ赤にしてこっちを睨みつけてくるが、その瞳には何故か涙が滲んでいた。やっと目が合ったな。
「そんな……じっと見られていたら……緊張するだろうが!」
バン、と思い切りテーブルを叩くジークリンデ。その音に反応してカヤがううんと苦しそうに呻いた。ジークリンデは幻の酒をグラスに勢いよく注ぐと、そのまま飲み干す。みるみるうちに酒はジークリンデの中に飲み込まれていき、フルーツの強い香りが俺まで届く。
「お、おい……大丈夫か?」
「これが大丈夫な訳あるか! ああ────もういい! あのなヴァイス、私はお前にずっっっっっと昔から言いたいことがあったんだ!」
まるで親の仇かというくらいの形相で睨みつけてくるジークリンデに、少し背筋が寒くなる。ジークリンデには昔から迷惑をかけ続けてきた。溜め込んでいた恨み言は数え切れないだろう。一体俺は何を言われるんだ……?
「酒が足りん!」
ジークリンデは瓶を乱暴に掴むと、直接口をつけて飲み始めた。僅かに残っていた幻の酒がジークリンデの体内に取り込まれる。事が終わると、そこには恐ろしいほどに目の座ったジークリンデがいた。あまりの迫力に、俺は蛇に睨まれた蛙のように動くことが出来ない。
「ふぅー……! ふぅー……! い、言うぞ…………!」
「あ、ああ……」
まさかジークリンデがこんなに酒癖が悪かったとは。それとも、こうさせてしまうくらい俺に不満があったのか。何だかんだコイツとは上手くやっていると思っていたんだが、それは俺の勝手な考えだったのかもしれない。何にせよこの様子では酷いお叱りを受けるのは間違いない。俺は首をすぼめ身を固くしてその時を待った。
「ヴァ、ヴァイス…………私は…………私は、お前がな…………」
────ずっと前から嫌いだったんだ。
「…………?」
「…………ぐう」
降ってきた言葉はどうやら俺の想像だったようで、目を開けてみるとジークリンデはテーブルに突っ伏して寝息を立てていた。あれだけ一気に酒を飲んだらそりゃそうなるよな。
「…………散々な入学式だな」
言葉とは裏腹に、不思議なことにこんな日常を楽しいと感じている自分がいた。カヤとジークリンデに毛布をかけてやり、テーブルの上を片付けると、俺は寝室に引き上げた。