第49話 フウカ、守りたい場所
「ぱぱっ!!」
カウンターから飛び出してきたリリィが胸に飛び込んでくる。リリィは俺にしがみつくと、胸元にぎゅうと顔を埋めた。不安にさせて悪かった。
何度か上半身を揺すって抱っこの体勢を整えていると、心配そうに瞳を細めたフウカが声を掛けてきた。
「あ、あの…………大丈夫でしたか…………?」
「問題ない。それと、あいつらはもう来ないと思うぞ」
「えっ」
意外だったんだろう。フウカは驚きの声をあげた。
「それなりに痛めつけてやったからな。馬鹿じゃなければもう来ないはずだ」
まあ、世の中には想像を遥かに超える馬鹿というのは存在する。報復に来ないとも限らないが…………そこはもうアンヘイムの自治機能に任せるしかない。俺が滞在している約三日間のうちなら相手してやるんだけどな。
「えっ、えっ…………? どういう…………?」
フウカは困ったような声をあげながらも、その瞳の奥には小さな煌めきが生まれていた。けれど破顔することはない。
自分の想像が間違っていた時のショックを軽減するために、喜ぶのを我慢しているように見えた。
「不安なら外を見に行けばいい。恐らくまだ地面に転がってると思うぞ」
背中から人間砲弾の直撃を喰らったんだ。しばらくは動けないはず。
フウカはしばらく困惑顔をキープしていたが、やっと自らに突然訪れた幸運を享受する体制が整ったんだろう。胸に手を当てて小さく笑顔を作った。俺はそれを目線だけで確認しながらカウンター沿いの椅子に腰かけた。
「…………動いたら喉が渇いちまった。フウカ、悪いんだが酒をくれないか?」
俺の注文にフウカは、今度こそ思いっきり顔を綻ばせた。
「はい、かしこまりました!」
◆
「────なるほど。つまりあいつらは父親の代からの常連だったのか」
「そうなんです…………昔は楽しく飲んでくれていたんですが、店主が私に変わると途端に暴れるようになってしまって…………」
フウカの話を聞きながら、俺は酒を喉の奥に流し込んだ。リリィは美味しそうに牛乳を飲んでいる。フウカも俺に付き合ってボトルを開けていた。あまり酒に強くないのか、頬がうっすらと赤く染まっている。
聞いた話を総合すると、フウカが嫌々ながらも酒場を営んでいた理由はこうだ。
まず、この店はフウカの父親が経営していた。
フウカの父親は優秀な魔法使いで、その腕を恐れてか、暴れる客はいなかった。今はボロボロのこの酒場も当時は綺麗で、それなりに繁盛していたらしい。
しかし、ある日突然父親は消えてしまった。
残されたフウカは酒場をどうするか悩んだ末、続けることを選んだ。父親の知り合いを中心とした常連たちも、フウカを助けるために足繫く酒場に通ってくれていた。しかし、父親が居なくなった事でタチの悪い常連たちが気を大きくし、店を私物化し始めた。そのうち常連たちも寄り付かなくなり、フウカはそいつらに脅され店を畳む事も出来なくなっていた…………と。
「…………なあ」
「なんですか、ヴァイスさん?」
フウカは両手でグラスを抱えながら、まるで花が折れるように、こてっと首を傾げた。
そして、にへらっと笑顔を作る。意外とよく笑う奴なのかもしれない。
「…………この国は、無法地帯なのか? 普通、そんな事になったら国の機関が何とかしてくれそうな気がするが」
帝都で言えば、魔法省が街のトラブル全般を治めている。他の街や国でも騎士団などが助けてくれるだろう。
しかしフウカが俺に聞かせた話は、まるでゼニスの出来事だった。勿論ゼニスには自治機関など存在しない。自分の身は自分で守るのがゼニスの唯一のルールだ。
「それがですね…………実は私には保安室に駆け込めない理由があるんです」
「理由?」
保安室、というのが街の安全を守っている機関なんだろうか。
俺たちを転送してくれた妖精のジニアも「永住希望なら別の奴が担当」と言っていたし、きっとアンヘイムは国の機関が役割ごとに細分化されているんだろうな。何から何まで魔法省が担当している帝都とは真逆と言っていい。帝都ではジークリンデのような帝都の運営を行う官僚から魔法学校の新米教師まで、全員が魔法省の所属だ。
フウカは誰もいない店内をきょろきょろと見回してから、意を決したように口を開いた。
「実はこのお店────父のものじゃなかったんです。店の権利書を確認したら、そこに書いてあったのは知らない人の名前でした」
「…………どういう事だ?」
フウカは悲しそうに首を振る。
「分かりません…………でも、この事がバレたら私はこのお店を手放さないといけなくなるんです。権利書の人から店を借りていたのは父ですから。今はまだ保安室にも権利書の人にもバレていないと思うんですが…………」
「そういうものなのか」
アンヘイムの法律には詳しくないが、とにかくフウカには後ろ暗い事情があるらしい。
だが、それなら────
「────お前は店を閉めたかったんだろ? なら、その保安室とやらで全部ぶちまけちまったら良かったんだ。いくらあいつらが店を開けろと騒いでも、国に止められたらどうしようもないだろ」
何もかも全て上手くいく方法なんてこの世にはなくて、何かを得たいなら何かを捨てなければならない。フウカの場合は、日々の平穏と店の権利が天秤に乗っていた。両方を得られるほど世の中は甘くない。それでも両方を欲するなら…………力をつけるしかない。何物にも屈さない力を。
「確かにその通りだったかもしれません…………でも、このお店は父との大切な想い出の場所なんです」
フウカは胸に手を当て、どこか遠い場所に想いを馳せるように目を閉じた。時間というものは、時として距離よりも遠い。
「今はもうボロボロになってしまいましたけれど、それでも…………私はこの場所が大好きなんです」
俺はフウカを羨ましく思った。
俺にはそこまで大切に想える場所が無い。帝都にも、ゼニスにも、そしてその他のどこにも、愛着というものを持ったことはない。
俺にもそんな場所が出来る日が来るんだろうか。
「…………それなら、権利書の問題も解決した方がいいな。いつまでも逃げられる訳ないんだ」
あくまで一般論として吐いた俺の言葉に、背後から予想外の回答が降ってきた。
「フォッフォッ、その必要はないぞい────この店の持ち主はワシじゃからな」
振り向くと、店の入り口に長いひげをもっさりと蓄えた白髪のエルフが立っていた。
フウカが目を丸くして言葉を零す。
「常連のおじいちゃん…………?」