第46話 リリィ、酒場が大好き
次回更新は火曜日12時になります。
申し訳ありません。
どんな国でもどんな街でも、酒場の雰囲気だけは変わらない。アンヘイムもそうだった。
彼女の店は俺達が出会った場所からほど近い大通り沿いの隅っこにひっそりと建っていた。
一切の装飾を排したその外観は、まるで虹色の毛色を持つ鳥の群れに一羽だけ汚れた茶色の鳥が混ざっているようで、カラフルに飾り立てた街並みから圧倒的に浮いていた。。毛色の違う鳥は自然と群れからはじき出されてしまうが、彼女の店が目立たないように通りの隅にあることは果たして偶然だろうか。
少なくとも、通りを歩いていてこの店にふらっと立ち寄ろうという気にはならない。魔石が輝きだす夜になればなおさらだ。そういう意味では彼女に声を掛けられたのはラッキーだった。
店の中は外観の雰囲気そのままの武骨な作りだった。開店前で客の姿はなく、木造のフロアの奥には長いバーカウンターがあり、各所に乱雑に配置された大きなラウンドテーブルには数多の傷が刻まれている。アンヘイムにも酔って暴れる輩はいるらしい。汚いとは言わないが、まあ、綺麗とも言えない店だった。唯一ここがアンヘイムだと実感できるのは、天井から吊るされている灯りに使われている魔石が小さいことだ。質のいい魔石は小さくても強い光を放つ。
「立派な店だな」
皮肉ではなく、正直な感想だった。ゼニス暮らしが長かった俺にはこういう雰囲気が一番しっくりくる。酒場は荒れているほどいい。ロレットの酒場を思い出し、俺は懐かしい気持ちになった。
「あっ!」
リリィはゼニス時代からバーカウンターの背の高い椅子が大好きで、今回も発見するや否や一目散に走っていった。さて、ひとりで登れるかな。
「あはは…………ボロボロですけどね」
よじよじと椅子に登ろうとするリリィに優し気な視線を向けながら、彼女は苦笑いを浮かべた。
どうやら好きで荒れた雰囲気にしている訳ではないらしい。確かに今の所の印象では、穏やかな彼女がこんな場末染みた酒場のマスターになりたがるとは思えない。何か事情がありそうだった。
「どうしてこんなにボロボロなんだ?」
エルフは基本的に温厚な種族で、犯罪者の割合は主要種族の中で最も低い。はっきり言って酒を飲んで暴れるイメージはないし、ゼニスですらそういうエルフは少なかった。それに悪いエルフは暴力に頼るのではなく、奴隷商売等の頭を使った犯罪を得意としていて、見た目や外面だけは上等な奴が多い。
彼女は提げていたバッグを置いてカウンターの中に入っていく。丁度リリィが椅子によじ登ることに成功し、下からひょっこりと顔を出す。彼女はカウンター越しにリリィと視線を合わせ、にっこりと微笑んだ。夜空にしっとりと輝く月のようなその笑顔は、やはり寂れた酒場は似合っていなかった。
リリィの隣の席に腰を降ろすと、彼女はバッグから数本酒瓶を取り出しながら話し出す。
「────このお店は元々父がやっていたんです。けれど、ある日突然父は出ていってしまって。閉めるか迷ったんですが、結局こうして私が続けているんです。幸い客は常連さんばかりでしたから、経営に困ることはありませんでした」
「なるほど。じゃあその常連達が暴れん坊なんだな」
「あはは…………そうかもしれません」
諦めたように彼女は笑みをこぼした。微笑みというよりは苦笑と呼ぶ方が正確な気はしたが。グラスを手に取ると、慣れた手付きで拭いていく。ぎゅ、ぎゅ、と鈍い音が広いフロアにこだました。
「…………閉めたいのか? この店」
「え────?」
彼女はグラスを拭いていた手を止め、驚いたように顔を上げた。
「俺の知り合いにも酒場を営んでいる奴がいるんだ。言っちゃ悪いが治安は最悪の場所でさ、客は頭のネジがひとつも残ってないような奴ばかり。殴り合いの喧嘩なんてしょっちゅうで、見た目もここより遥かに荒れてた」
俺の言葉に彼女は僅かに顔を引きつらせた。なまじ自分も荒れた酒場を経営している分、その雰囲気を想像出来てしまったのかもしれない。
「まあ、はっきり言って終わってる場所だ。だけど…………マスターはそれを楽しんでいるように見えた。客が殴り合ってるのを、カウンターの奥で微笑ましく眺めているような、そんな奴だった」
ゼニスにいるような奴は、誰もがどこか狂っている。
一見紳士に見えるロレットだってそうだ。狂ってなければゼニスで酒場を開こうと思わないだろう。
「だが、お前は楽しんでいるようには見えない。だから閉めたいのかと思ってな」
俺は彼女に目を合わせ言葉を待った。しかし、彼女は手を止めたまま何も話さなかった。リリィも珍しく大人しくしていた。
結果として、静寂が訪れた。
「…………やはりな」
否定しない、というのが何よりの証拠だった。
この目の前の優しそうなエルフは、何らかの理由で酒場を続けさせられている。
きっとロクでもない理由だろう。誰かが悲しい顔をしている時は、得てして他の誰かが邪悪な笑みを浮かべているものだ。それが弱肉強食のこの世の摂理。残念ながら彼女はこの残酷な世界で食われる側に回ってしまった。
だがしかし、見ず知らずの他人が不幸になろうと俺の心は傷まない。俺は善人ではないからだ。
────そんな時。
「てめえら今日は大漁だぁ! 思いっきり飲んで騒ぐぞッ!!!」
ドゴンッ、という大きな音と共に、下卑た声が背後から飛んでくる。
振り向けば、見るからにガラの悪そうな長身痩躯のエルフを先頭に、数人のエルフがぞろぞろと店内になだれ込んできた。
「…………っ」
彼女はバレない程度に顔を強張らせた。
裏腹に、俺の心は少し安らぎを感じていた。久しぶりにゼニスに似た雰囲気に触れたからだ。ゼニスでは酒場での喧嘩は日常茶飯事で咎められることはなかったが、ここではどうなんだろうか。