第45話 おっきなき、ユグドラシル
目を開くと、信じられないものが目に入った。
「なんだありゃ…………!?」
それは────巨木だった。
それもただの巨木じゃない。それなりに遠くにあるのに、首を動かさなければその全容を確認出来ないほどの、天を衝く巨木だ。
小さな町や村よりも直径が大きいんじゃないか。おまけに薄っすら光っている。
当り前だが、こんな樹は知らない。
「────驚いたかい? あれはユグドラシル。妖精王が守護する、アンヘイムの『全て』さ」
傍にいたジニアが得意げな表情で言う。
「ユグドラシル…………?」
残念ながら、その名に聞き覚えは無かった。
「魔法樹、と言うのが適切かな。あのユグドラシルの力を使って僕たちは生活しているのさ。アンヘイムを覆っている壁もそうだし、今君たちを転送した魔法もそう。壁の外からユグドラシルが見えないのも、全てユグドラシルの力だよ」
「…………なるほど」
転送魔法は魔法の中でもかなり上位に位置する魔法だ。通常、生物一個体で履行する事は出来ないし、それなりの時間や仕組みが必要になる。
しかしジニアはそれを一瞬で、それもなんの前準備も無しに行ったように見えた。魔法生物の妖精でもそんな事は不可能だ。だが、あの巨大な樹の力だとすればまだ納得がいく。
「ここ、どこ…………? わ、おっきなき!」
リリィはごしごしと目を擦り────ユグドラシルを見て驚きの声をあげる。それを見てジニアが嬉しそうに微笑んだ。
「いい反応、どうもありがとう────さて、僕の役目はこれで終わり。帰る時は僕の名前を呼んでよね、すぐに駆けつけるからさ」
じゃあね、と言葉を残してジニアは消えてしまった。現れる時も去る時も嵐のように突然な妖精だった。
「よし…………行くか!」
「おー!」
ユグドラシルの麓には樹に寄り添うように街が広がっていて、俺たちは丁度街の入り口にいるようだった。
走り出すリリィの背中を追いかけ、俺のアンヘイム生活が始まった。
◆
初めて見るアンヘイムの街並みは、数々の国や街を旅してきた俺の目にも異様に映った。
石造りの建物が多い帝都とは違い、アンヘイムの建物はどれも木造だった。
しかし流石は魔法に特化したアンヘイムというべきか、道や建物と言った街並みのありとあらゆる所に魔石が使用されていて木造なのに素朴な印象は殆どない。寧ろ帝都より大通りの見栄えは良いと言ってもいいだろう。
商業通りの一等地にあるビットネやフランシェといったお洒落な魔法具店は、外装に魔石が使用されている事もあって帝都ではとても目を惹く外観をしているが、アンヘイムにはそんな店しかなかった。魔法国家なのは知っていたが、まさかここまでとはな。
しかし、それだけで異様と表現することはない。
アンヘイムの街並みのおかしさは────所々にある小さな建物が原因だった。
それも普通の建物のように地面に建っている訳じゃない。あるものは建物の屋上に、あるものは街路樹の上に、またあるものは宙に浮いている。最早何でもありといった様子のそのミニチュア建築物は、きっと妖精用のものなんだろう。高い所にあるのが多いのは、空を飛んで生活している妖精が入りやすいからかもしれない。
…………サイズの違うエルフと妖精がどうやって共生しているのか気になってはいたが、まさかごちゃごちゃに混ざり合って生活しているなんてな。てっきり居住スペースが完全に分かれているのかと思っていた。
────それにしても。
「本当にエルフと妖精ばっかだな…………」
大通りを歩いていると、多くの住人とすれ違う。しかし未だにエルフと妖精以外の種族を一度も見かけていなかった。
妖精はかなり個体数の少ない種族なんだが、流石に妖精の国と呼ばれるだけあって当たり前にそこかしこに浮かんでいる。おかげで空飛ぶ妖精と何度も顔面がぶつかりそうになった。この国の住人はどうやって「妖精ぶつかり問題」を回避しているんだろうか。
「…………」
すらっとした高身長の男性エルフが、すれ違いざまに俺にちら、と視線を向けてくる。けれど特に絡んでくることもなくそのまま通り過ぎていった。
住人から奇異の視線を向けられている事には、街に入ってすぐに気が付いた。
はじめはハイエルフのリリィを連れているからだと思っていた。水色髪のエルフのリリィは帝都でもそれなりに人目に付くし、こんな感じの視線を向けられる事は少なくない。大人ならまだしも、子供の時から髪を染めるエルフはそういないだろうしな。アンヘイムにおいても今の所ハイエルフの姿は見当たらない。
しかし、よく観察すれば周りの視線はリリィではなく俺に向けられていた。何か変な所があるのかと自分の服装をチェックしてみるが…………特におかしな所は見当たらず俺は途方に暮れた。
そんな時だった。
「────あの」
背後から声を掛けられ振り向くと、優しそうなたれ目が特徴的な若いエルフの女性が、緊張交じりの表情で目の前に立っていた。勿論知り合いではない。
「何だ?」
もしかして俺は、いつのまにかアンヘイムのタブーを犯してしまっていたのだろうか。さっきから注目されていたのはそれが原因だったのか?
そんな不安に駆られていると、女性は言葉を続けた。
「もしかして、何かお困りですか? キョロキョロしていらっしゃったので……」
「────ああ」
身体からふっと力が抜けていく。
どうやら目の前の優しそうなエルフは、視線を集めている理由を探していた俺を、道に迷っているか何かと勘違いしたようだった。
何かをやらかしている訳じゃなかったのは安心だが、チラチラ見られている理由が分からず残念な気持ちもある。
「別に困っては────いや」
知らない土地でまずやる事と言えば…………そう、情報収集だ。
そして、情報収集に最も適した場所と言えば────
「────実は酒場を探してるんだ。この辺りで賑わっている酒場を知ってたら教えて欲しいんだが」
俺の言葉に、彼女は目を細めて微笑んだ。
笑顔の理由は分からないが、それはとてもチャーミングな笑顔だった。
やはり女性の笑顔はいいな────そんな事を思いながらも、頭の中には何故かこの世で最も笑顔と対局に位置する存在であるジークリンデの仏頂面があった。
…………アイツ、顔は整っているんだから、もっと笑えばいいのにな。十年振りに帝都に帰ってきてアイツがまだ独身だと知った時は、意外な気もしたし、やっぱりなという気もした。
ああ見えてアイツは実は結構優しいし、面倒見もいいし、可愛い所もあるんだ。いい女だと俺は思うんだけどな。どうにも世の男は、笑顔が素敵な女性を好きになりがちだ。
「それなら────うちに来ますか? 生憎、まだ開店前なんですけど」
「うち?」
「私、酒場のオーナーなんです。賑わってるかは…………ちょっと自信がないですけど」
自嘲気味に、彼女は笑った。