第41話 ジークリンデの懊悩
大変お待たせ致しました。
書籍化に際してタイトルを変更しました。よろしくお願い致します。
更新に関しましては、毎週月木12時の週2更新になる予定です。
コンコン。
コンコン。
重厚な木製のドアがノックされ、乾いた音が部屋に響く。
「────お嬢様。ジークリンデお嬢様。起きていらっしゃいますか?」
まだ少女らしさを多分に残した、硬い敬語に違和感を覚えてしまうような瑞々しい声が耳朶を打ち、ジークリンデ・フロイドは目を覚ました。寝起きの気分は優れない。それはいつもの事だった。
(…………)
ジークリンデはぼやけた頭の中で上半身を起こすと、もう毎朝恒例となってしまった小さな罪悪感を嚙み潰してドアの向こうに声を掛ける。
「…………起きている。下がっていいぞ」
────ジークリンデは魔法学校を卒業して10年が経つ。今年で28歳の身空だ。
「おはようございます、ジークリンデお嬢様」
もぎたての果実のような、甘酸っぱい声がドア越しにジークリンデを刺激する。彼女が慣れない敬語を使えば使うほど、その似合わなさにジークリンデは過ぎていった月日を感じるのだった。
────声で全員を判別出来るほどジークリンデはメイドの事を把握していなかったし、フロイド家で働くメイドの数は片手間で覚えるにはいささか多すぎた。それでも、今自分に声を掛けているメイドが自分より遥かに年下な事は知っていた。
何故なら、ジークリンデを起こしに行くのは決まって新人の仕事だからだ。声と顔をお嬢様に覚えて貰おうという、メイド長の思いつきがそうさせている。
(…………慣れないものだな、この感覚は)
年下のメイドに起こされる、というのはジークリンデにとって恥ずかしいやら申し訳ないやらでとても居心地が悪く、そもそも「お嬢様」と呼ばれる事すらむず痒い。かといって、辞退しようにも彼女たちには仕事を全うする義務がある。
いくらジークリンデが「必要ない」と言ったところで、もしジークリンデが寝坊をしたらその日担当のメイドは解雇されてしまうだろう。板挟みにあう辛さは、若くして魔法省長官補佐の座に収まっているジークリンデにはよく理解できた。
そんな訳でジークリンデは毎朝少しの居心地の悪さに起こされながらも、そんな毎日を受け入れている。メイド連中もジークリンデのそういった微妙な心持ちは理解しているようで、自らの仕事を終えると足早に去っていく。
それがフロイド家の朝。
────しかし、この日は違った。
「お嬢様。朝早くから申し訳ありません。応接室でお客様がお待ちになっております」
「客……だと?」
メイドの言葉に、まだ寝起きのまどろみにあったジークリンデの頭脳が一瞬でクリアになる。天蓋付きの豪奢なベッドから這い出ながら、仕事モードになった頭は自分を訪ねてくる可能性のある人物を想起し始める。
────まず思いつくのは仕事関係。
しかし今日は休日で、わざわざ休日の早朝に自宅まで訪ねてくるような緊急の仕事はなかったはず。
そして次に可能性があるのはフロイド家関係。
だが、こちらも来客の予定は入っていなかった。
最後に残った私生活関係は…………残念ながら考えるまでもない。
ジークリンデの交友関係は寂しさを極めている。唯一交流があるのがヴァイスだが、彼が訪ねてくるとは思えなかった。
…………なにせ仲が良かったはずの学生時代にすら、一度も訪ねてこなかった男だ。こちらは何度も彼の自宅に足を運んでいるというのに。
「一体誰なんだ?」
早朝から訪ねてきたという客に全く見当がつかず、ジークリンデはわずかに身体を緊張させながら分厚いドアの向こうに言葉を投げる。
────もし下らない用件であれば、取り次いだメイド共々叱責してやろうと考えながら。
そんなジークリンデの脳内は、一瞬で真っ白になった。
「ヴァイス様です。あとはリリィちゃんとペットの魔物? も一緒です」
「ヴァイスッ!?」
完璧に予想外の来客に、ジークリンデは跳び上がりその細い身体を無意識に抱き締めた。しかしその後すぐに我に返ると、姿見に走って全身をくまなくチェックする。そこには寝起きでぼんやりした顔付きの自分がいた。当り前だが、大好きな彼の前に出られるような有様ではない。
ジークリンデは慌ててドアの向こうに言葉を飛ばす。眠気はすっかりどこかに飛んで行っていた。
「お、おい! 絶対にこの部屋に入れるなよ! 応接室に閉じ込めておけ!」
「かしこまりました────少し時間がかかる、と伝えて参ります」
「頼むぞ!」
ジークリンデの言葉を受け、ドアの前で控えていた若いメイドは踵を返した。
◇
応接室へ向かいながら、若いメイドの脳内にはメイド長から教えられた一つの噂が浮かんでいた。
曰く────
『お嬢様には、学生時代からの想い人がいるのさ。お嬢様は10年経った今でもその人の事を想い続けてるんだよ。な、可愛い所あるだろ?』
────と。
モーニングコール係に任命された彼女の緊張を和らげる為に伝えられたその噂を、彼女は話半分に聞いていた。まだ20歳にも満たない彼女には、人生の半分の間も同じ人を想い続ける事などとても不可能に感じられたのだ。
…………しかし。
「…………あの噂は、本当だったんだわ」
ドア越しでも分かる。
さっきのお嬢様の慌てっぷりは────紛れもなく恋する乙女のそれだった。
「…………ふふっ」
先輩メイド達が、どうして冷徹なジークリンデに対し真っすぐな親愛の情を向けているのか。
実のところ彼女には謎だったのだが、今なら何となく分かる気がした。
一見冷徹な印象を受けるお嬢様だけれど、その心のうちには乙女も唸ってしまうような、熱い恋心を秘めているのだ。それが分かれば、普段の冷めた対応も不器用な親愛表現に感じられるというもの。
口の端を僅かに緩めながら、メイドは応接室のドアをノックした。