第114話 ジークリンデ、家出した
──親と喧嘩してな。
ジークリンデが口にしたその言葉の意味は、帝都に住む人間なら瞬時に理解出来る。これは只の親子喧嘩とは訳が違うと。帝都でも指折りの歴史を持つフロイド家の親子喧嘩となれば、下手したら帝都全体に影響が出かねない。
ジークリンデをソファに座らせてキッチンに移動する。温かいコーヒーを用意して戻ってくると、ジークリンデの顔には疲れが滲んでいた。
……あのジークリンデが家出するくらいだ、きっと凄まじい舌戦を繰り広げてきたんだろう。
「済まないな……いきなり押しかけて」
ジークリンデはマグカップを手に取り、じっと湯気を眺めながら呟いた。
「気にするなって。それよりどうしたんだよ。お前が親と喧嘩したことなんて今まであったか?」
少なくとも学生時代にジークリンデが親と喧嘩したという話は聞いたことがない。もしそんなことがあったら、あの頃の俺たちの関係なら迷わず打ち明けてくれた気がするんだよな。
「いや……ちょっとな」
ジークリンデは言葉を濁し、コーヒーに口をつける。
「……熱いな。だが、ホッとする味だ」
ジークリンデがテーブルの上に視線を落とす。事情が気になったが、何も言わずに見守ることにした。元々コイツに何かを言えるような立場じゃないんだ、俺は。迷惑と心配ばかりかけている。
「はあ……」
どれくらい時間が経っただろうか。ジークリンデが大きく溜息をついた。「流石に何か言った方がいいか……?」と思ったその時──
「……勝手に結婚した事が父にバレてな。こっぴどく怒られたよ。あんなに感情を露わにする父を見たのは生まれて初めてだ」
「…………は?」
思考がフリーズした。身体中から嫌な汗が噴き出す。いやいや待て待て、これはどういう事なんだ!?
「ちょ、ちょっと待て。お前、親の許可を得てなかったのか!?」
ジークリンデの家の事を考えれば、結婚相手など勝手に決められる訳がない。だからこそ俺は「リリィの母親になってやろうか?」というジークリンデの提案は、当然、親の許可を得ているものだと思っていた。
「許可など得られるものか……お前との結婚など」
ジークリンデが吐き捨てるように言う。それは自分の家柄を呪っているようにも見えた。自分のことを自分で決められないというのは、俺が考えている以上にストレスなのかもしれない。
……俺がじたばたしている場合じゃないな、こりゃ。
「父にその男を連れてこいと言われてな。お前を巻き込む訳にもいかず家を飛び出してしまったよ。結局、ここに来てしまった以上巻き込む事にはなってしまうだろうが……」
「それでいいさ。ここで別の場所にでも行かれたら、それこそ気分が悪い。助け合うのが家族ってもんだろ?」
自嘲気味なジークリンデの言葉を遮るように俺は言った。これ以上、ジークリンデの口から他人行儀な言葉は聞きなくなかった。
……が、それはそれとしてだ。
「それで、実際これからどうなるんだ?」
本格的にフロイド家と事を構えるってんなら、俺にも準備が必要になる。最悪の場合は帝都を出ることになるかもしれないしな。
「母が間に立ってくれているから、すぐに何かがある訳ではないと思う」
「母親は味方なのか?」
「それは分からない。父があまりにも激怒していたので宥めていただけかもしれない。だが、うちは意外に母の発言力が強くてな。とりあえずは大丈夫なはずだ」
「そうか……それなら安心だが」
まあ、楽観視は出来ないだろうな。俺は俺で色々準備しておくか。
「とりあえず今日は寝ろよ。疲れてるだろ?」
「……そうだな。そうさせて貰う」
大荷物を最低限だけ荷解きすると、ジークリンデは寝室(に今決めた)に引っ込んでいく。再び静かになったリビングで、俺はいつの間にか冷めていたコーヒーを喉に流し込んだ。




