第112話 リリィ、燃やした
まばゆい閃光から視界が帰ってくれば、鬱蒼とした木々はリリィの魔法によって遥か向こうまで焼き飛ばされていて、抜けるような青空から柔らかな陽光が降り注いでいた。おっきなぽよぽよがいなくなっていたので、リリィはほっと一息つく。
「…………悪い夢みたい。なんなのよ、これ」
レインは森(と言っていいのかは分からないが)に視線を向け呟いた。リリィの魔法の威力はレインの想像を遥かに超えていて、そんなものが自分のすぐ横を奔っていったのでレインは思い切り腰を抜かしていた。あと少しズレていたら、間違いなく命はなかっただろう。
「…………れいん!」
リリィは今度こそレインに駆け寄った。レインは腰を抜かしていることがバレないよう、せめてもの抵抗として背筋をピンと伸ばすことにした。そんなことリリィは全く気にしていなかったが。
「れいん、だいじょーぶ!?」
「え、ええ。問題ないわ…………あやうくあなたに殺されかけたけれど」
そんなことが言いたいわけではないのに、つい強がりが口をついで出る。気が動転していて思い通りに口が動いてくれない。
「ご、ごめん…………やりすぎちゃったかも……」
リリィはちらと燃え焦げた木々に目をやり、しゅんとする。森を焼き払った魔法使いとは思えない子供らしい態度に、レインの口からつい笑みが漏れた。
「ふっ、うふふ……っ! …………うそよ、助けてくれてありがとう。それと…………今朝はごめんなさい。あなたにひどいことを言ってしまったわ」
「ひどいこと?」
リリィは首を傾げる。朝はレインが単独行動すると言い出しびっくりしてしまったので、自分が何を言われたかあまり覚えていなかった。
「ほら、足手まといって言ってしまったでしょう……?」
「うーん…………ん〜…………あっ!」
リリィは必死に今朝の記憶を引っ張り出し、確かにレインがそう言っていたことを思い出す。
「え、ちょっと、忘れていたの!? 私、とっても気にしてたのに」
「いまおもいだしたよ! …………あしでまといって、なに?」
リリィにとってそれは初めて聞く言葉だった。言葉の意味が分からなかったので印象が薄く、それで忘れてしまっていたのだ。
首を傾げるリリィを見て、レインは大きな溜息をついた。
…………結局、何から何まで私の空回りだったと気が付いて。
「なんでもないわ…………ところで、リリィは私を追いかけてきたの?」
「うん! せんせーがいっしょにいないとだめっていってたから」
さも当然かのように、リリィは言う。
しかしその行動がリリィにとってどれだけ大変だったか、レインは手に取るように分かった。リリィの服はところどころ土で汚れていて、長い水色の髪にはいくつもの草が絡まっていた。
…………私のせいで、リリィを大変な目に合わせてしまった。
己の自分勝手な行動が引き起こした結果をまざまざと見せつけられたレインは、力なく頭を落とす。
「…………ごめんね、わがまま言っちゃって」
「んーん、ぼーけんできておもしろかった!」
リリィはふるふると首を振り、興奮した様子で頬を紅潮させる。森の探検はとても楽しくて、遊び盛りのリリィはまだまだ遊び足りないくらいだった。魔力こそ使い果たしたものの、それを補って余りある元気が身体に満ちている。
やっとレインと合流出来たリリィにとって、ここからが本当の冒険。レインと一緒に森を歩くのを想像して…………レインが怪我をしているんじゃないかと思い出す。合流してからまだ、レインが立っている姿を見ていなかった。
「れいん…………たてる?」
リリィが小さな手のひらをレインに差し出す。
レインは差し出された手を少しの間眺め…………手を伸ばし、自分にはそんな資格なんてないとやっぱり引っ込めて────
「…………あ、あれ…………私、どうしちゃったんだろ……」
────気付けば、涙が溢れていた。
「わっ、えっとえと、どっかいたいの!?」
リリィは慌ててレインのそばにしゃがみ込むと、当てずっぽうで肩をさする。その優しさに、更に涙が溢れてくる。
「あはは、おかしいな…………なんで泣いてるのよ、わたし…………」
「うう〜…………しなないで〜、れいんー……」
そんなレインの様子を見て、リリィは肩をさする手を強める。レインが羽織っているエンジェルベアの毛皮で出来たローブはふかふかで、リリィの手は滑らかな触感に包まれた。
リリィが触れている肩の辺りから、心地良くて少しむず痒い、太陽のような暖かさが全身に伝う。それはレインがずっと見ないふりをして、心の奥深くに閉まっていた感情を溶かしていく。
(…………そういうこと、だったのね)
一人で気を張って生きてきたレインは、今まで誰にも手を差し伸べられたことがなかった。リリィの優しさに触れ、レインはやっと自分の本当の気持ちが分かった気がした。
私はずっと────この手が欲しかったんだ。
「…………ありがとう、リリィ」
いつの間にか、涙は収まっていた。
「もう一度、手を貸してもらえるかしら?」
今度は、レインから手を伸ばす。
不安で僅かに震えるその手を、リリィはしっかりと握りしめた。