第105話 ジークリンデ、奇声を発する
「んん…………?」
目を覚ましてすぐに気が付いたのは、いつもよりベッドが硬いということだった。背中に感じる息苦しさがいつもの比ではない。私は昨日どこで寝たんだったか…………思考がぼやけて直ぐに思い出せない。
次に分かったのは…………枕の高さ。
いつもより高く、そして硬い。まるで誰かに膝枕されているような────
「お、やっと目ぇ覚ましたか」
「!?」
聞こえるはずのない声が聞こえて跳ね起きると────目の前にはおかしな景色が広がっていた。ここは自宅ではなく、目の前にはヴァイスの顔があった。そしてその背後には…………大きなコーラル・クリスタルの結晶が岩肌から顔を覗かせている。
────意識が覚醒し、全てを思い出す。
私は何者かに襲われて…………そこからの記憶がない。
「ヴァイスッ、私は────痛ッ」
耐え難い痛みが頭を襲い、私の頭は再び柔らかな地表に着地した。普段より少し硬いこの枕は一体何なんだろうか。頭痛が酷く、思考がまとまらない。
「何か薬品を嗅がされたみたいだな。膝を貸してやるからもう少し休んでろよ」
「膝…………?」
ぐるんと身体を回転させ、自分が頭を乗せているものを確かめる。どうやら私はヴァイスに膝枕されているらしい。
ほうほうなるほど、ヴァイスの膝か────
「────$●♪◎△×¥?!!??」
「だから安静にしてろって。どこか痛む所はないのか?」
堪らず暴れる私をヴァイスの大きい両手が押さえつける。暫く抵抗した後、私は何とか冷静さを取り戻した。
「あ、ああ…………今のところは問題ない。頭が少し痛むくらいだ」
現在進行形で心臓が悲鳴をあげていたが、それはまた別の話。
「私を襲った奴はどうなった?」
この状況から察するにヴァイスが追い払ってくれたんだろうが。
「少し脅かしたら逃げていった。コイツを落としてな」
言って、ヴァイスは紙束を私の眼前に晒す。それはこの洞窟の地図だった。
それも────恐らくは私が持っているものと全く同じ。
「…………その地図は、魔法省の人間しか持ち出せないものだ。それを所持していたということは……魔法省の関係者である可能性が高い」
「なるほど。つまりお前は狙われたって訳だ」
言いにくかったことを、ヴァイスはいとも簡単に口にした。
「…………そうだろうな。それを持っていたということは、まず間違いないだろう」
命を狙われる、という体験をした私だったが、意外と心は乱れていなかった。表に出ていないだけで、魔法省高官が狙われるというのは聞かない話ではないからだ。
「帝都から出るタイミングを狙ってきたか…………私がここにいることを知っている人間は魔法省でも極僅かだ。私が死んで喜ぶ者となると、かなり限られてくるだろうな」
魔法省長官補佐の地位を狙っている者か、フロイド家が魔法省に関わっているのが邪魔な者か。いくつか顔が思い浮かぶが、これという人物はいない。
「…………犯人を逃したのが痛かったな。話を聞ければ良かったんだが」
「今から追いかけても無駄だろうな。もう遠い所に行ってるだろう」
「そうか…………残念だが仕方ない。帝都に戻ったら色々探ってみるさ」
「そんな呑気な対応で大丈夫なのか? 命を狙われてるんだぞ」
「問題ない。帝都で私に手を出せる人間はまずいないからな────ああ、ヴァイス」
「なんだ?」
「まだ礼を言っていなかった。助けてくれてありがとう。お前がいなかったら私は今頃どうなっていたか」
「気にするな。今日の俺はお前の護衛だからな。自分の仕事をしただけだ」
そう言ってヴァイスは私から視線を外した。それを確認して、私は目を閉じる。ヴァイスの膝の上は妙に安心出来て、起きたばかりなのにこのまま眠れてしまいそうだった。
────どれくらいの間そうしていただろうか。
ふと目を開くと、ヴァイスが哀しげな顔で私を見つめていた。ヴァイスには珍しい表情でドキリと胸が跳ねる。
「どうしたんだ?」
「…………何でもない。そろそろ立てるか? 実はコーラル・クリスタルを発見したんだ」
「ああ、そこに見えている奴か…………待て、今立つ」
最後にヴァイスの膝の暖かさを噛み締めて、私はゆっくりと立ち上がる。軽く身体を動かして異常がないかを確認する。
…………怪我はなさそうだな。
「これは相当大きいんじゃないか? 掘るのも大変そうだが」
「そうだな…………割らずに掘れれば一億ゼニー以上にはなるだろうな」
私達の視線の先にあるのは、岩壁を縦に裂くような赤い稲妻。きっとこの奥には、今見えている何倍も大きなコーラル・クリスタルが眠っている。他の壁も確認してみると、そのような箇所がいくつもあるようだった。
「どうだ? ここは使えそうか?」
「ああ。何者かに掘り進められていたのは驚いたが、この様子ならまだまだ枯れてはいないだろう。こっちの道はここで行き止まりのようだし、さっさと記録してもう片方の道も見てみることにするか」
それから私達は速やかに調査を終え、久しぶりに太陽の下に帰ってきた。結果としてあの広場の他にも沢山のコーラル・クリスタルが眠っていることが分かり、今回の視察の成果は上々と言えた。
「うっし…………じゃあ帰るか」
ヴァイスは身体を伸ばしながら二輪車に歩いていく。私は慌ててその背中を呼び止めた。
「ヴァ、ヴァイス!」
「どうした?」
ヴァイスがこちらを振り返る。その後ろでは、太陽がいつの間にか夕日色に染まっていた。
「…………帰り道なんだがな、少しゆっくり走ってはくれないか」
色々なことがあってすっかり後回しになってしまったが────このまま流される訳にはいかない。私は絶対にヴァイスに甘えてみせるぞ。