第102話 ジークリンデ、ピンチ
「まさかここまで変わっているとはな…………」
誰かが聞いている訳でもないのに思っていることを口にしてしまうのは、きっと一人の孤独を何かで埋めてしまいたいからだ。
「…………一体誰が、何の為に…………?」
別段、暗闇に恐怖を覚える性質ではない。だがそれでも、流石に地表から遠く離れた暗黒に一人というのは────身体の芯が浮くような恐怖を感じるには十分な状況で。
「…………さっさと記録して合流してしまおう。そうしたらだな────」
────少しばかり、ヴァイスに甘えてみようかな。
「…………何を考えているんだ、私は。甘えるなどと……私らしくもない」
塗りつぶしたような暗闇に押され、つい弱気な自分が顔を覗かせる。
「…………」
…………確かに、私らしくはない。
ジークリンデ・フロイドという女は、きっとアイツにとってそういう存在ではないだろう。
────退屈で、面白みがなくて、融通が利かない。
────可愛げもなければ、子供の世話すら満足に出来ない。
アイツが思う私の印象なんて、そんな所だろう。
自分で言って悲しくもなるが、これでも三十年近くジークリンデ・フロイドをやっている。自分のことはある程度分かっているつもりだ。
甘えるなんて…………私らしくはない。それは間違いない。
「…………それでも、だ」
このまま自分らしく生きていたら────私は満足するのだろうか。
アイツに堅物女だと思われて。お洒落すれば可愛いのになんて言われ続けて。
それで私は満足するのか?
「…………そんなわけ、ないだろう」
私がアイツのことを格好いいと思っているように、私だってアイツに可愛いと思われたいんだ。その為には──やはり私が変わるしかないんだよ。自分らしくなかったとしても、似合っていなくても、一歩踏み出さなければ何も変わらない。一歩踏み出せなかったから、まだ私はこうして狭苦しい自分の殻に縮こまっている。
いくら探しても影さえ掴ませてくれなかったアイツが、十年振りに私の前に姿を現したあの時────私はどう思ったんだ。
もう二度と離したくないと、そう思ったんじゃないのか。
こんなチャンスは、きっともう二度とない。私が今何気なく過ごしている毎日は、アイツが私の前から消えてからの十年間、ずっと夢見ていた毎日なんだ。
「…………よし」
丁度、ここは帝都から遠く離れた洞窟の中。周りには誰もいない。私が少し柄にもないことをしたとしても、アイツ以外の誰に見られる訳でもない。状況はこれ以上ないと言えた。
「決めたぞ────私はアイツに」
ヴァイスに────
「────こんにちは、お嬢さん」
「ッ!?」
眼の前が突然真っ暗になる。その影が人の形をしていると、かろうじて認識したその瞬間────私の意識は既に現実から断絶していた。
◆
「────ッ!!?」
俺は飛び跳ねた。
比喩でも何でもなく、超久しぶりに飛び上がった。こんな衝撃はリリィが初めて言葉を話した時以来だ。
そして────驚いてばかりもいられない。俺は反転し、来た道を力の限り駆け戻る。
二手に別れる前に俺がジークリンデにかけた闇の魔法────それは『隷属』の魔法だ。文字通り対象の人物を自分の支配下に置く魔法だが、この魔法には浅めにかけておくと対象者の監視に使えるという特徴があった。潜り込ませた魔力で相手を操るのがこの魔法の本質だが、操るに足らない程度の魔力を仕込んでおくことで何となく相手の状態を知ることが出来るんだ。
そして今、ジークリンデに潜り込ませた俺の魔力の感覚が────途切れた。
「クソっ……アイツ、一体何に巻き込まれたんだよ!」
走りながら、頭をフル回転させる。
考えられるのは…………まず洞窟の崩壊。だがこの線はすぐに否定出来る。押し潰され意識が途切れるほどの崩壊が起きたのなら、間違いなくその衝撃は俺にも届いているはず。だがしかし、そのような音や振動はなかった。
となれば次は…………危険生物や自然発生した有毒物質の類。だがこれも考えにくい。危険生物が生息するにはこの洞窟は余りにも栄養源が不足しているし、有毒物質は大抵の場合強烈な臭いを伴う。もろに吸い込んだり触れてしまうほど、アイツが鈍いとは考えられない。
「…………それだけはやめてくれよ」
最後に残ったのは…………誰かに襲われたという線。これについて否定出来る要素は残念ながら何一つない。こんな洞窟の奥深くに一体誰がいるんだとも思うが、ジークリンデを狙いに来た場合は話が変わってくるし、狙われるだけの理由もわんさかあった。アイツは普段行使しないだけで、金も権力も持ち合わせているんだ。
「────ッ」
嫌な想像が、頭の中にチラつく。視界が真っ赤にフラッシュする。
「無事でいてくれよ…………頼むから」
そうして────自分でも驚くほどに心臓が熱いことに気が付く。燃えるような痛みに呼吸が苦しくなる。俺を衝動的に突き動かしているこの抗いようのない感情にあえて名前をつけるなら────それはたった一つ。最もシンプルな原初の感情。
「────ブチ殺してやる」
今まで感じたことのないほどの『怒り』が、今、俺を支配していた。