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悪魔のアウラは恋をした

「笑わねぇのかよ。つまんねぇ」


 落胆の込もった眼差しと、不服を訴えるように曲げた唇から放たれた言葉。


 初めて出逢った日、彼はアウラにそう言った。

 そしてアウラは、彼に初めての恋をした。


* * *


 跪いたアウラが青年の足首に手をかざすと、柔らかい光が生まれた。

 狩りの途中でくじいたというが、これでもう治っただろう。治癒が終わったことを伝えると、青年はつまらなそうに鼻を鳴らした。


「相も変わらず無愛想だな。君のその冷たい錫色の目を見ていると、悪魔かはたまた死神の姿が思い浮かぶぞ。少しはフロース嬢を見習ったらどうだ」

「申し訳ございません、王太子殿下」


 深々と頭を下げると、王太子カエレスティスはにまりと笑った。

 王太子の趣味は、アウラに身の程をわきまえさせて屈服させることだ。倨傲な態度はいつものことで、さすが天上におわす神カエレスティスという名は伊達ではない。


「笑ってみろ、アウラ。この私の命令だ、聞けるだろう?」


 伸びてきたカエレスティスの手がアウラの顎を掴んで顔を上げさせる。それでもアウラが表情を変えないとわかると、王太子は少し乱暴にアウラから手を離した。体勢を崩し、アウラは後ろに倒れ込む。


「不気味な奴だ。いいか、君のような薄気味悪い女、目をかけてやれるのは私だけだぞ。せいぜい飽きられないようにするんだな」

「……はい、王太子殿下」

 

 身体を支えた時に擦りむいた手のひらが、少しだけ痛かった。 



 アウラ・フェリニカは名門フェリニカ家の息女だ。

 後付けで叩き込まれた “貴族の血を引いている”という自覚と、父親譲りの整ってはいるが気位の高そうな顔立ちが、アウラを貴族令嬢たらしめていた。


 アウラがフェリニカ家にやってきたのは四歳の時。昼も夜もなく働く女工の母が、過労で倒れて帰らぬ人となった時だ。そこに現れた男こそがアウラの父、フェリニカ家の当主たる侯爵だった。


 顔も名前も知らなかったその男には、確かにアウラの面影があった。

 同じ黒檀の髪と、同じ錫色の瞳。険しい表情をしているせいで、色彩のないその男はずいぶん冷酷そうに見えた。


「お前が彼女に寄生し、その生き血を啜って生き延びてきたのか。まるで悪魔だな」


 男の話は、幼いアウラにはよくわからなかった。

 それでも、この男が侯爵という地位にあり、そんな男に愛されたせいで母が不幸になった、ということだけは理解できた。


 愛した女がすでに亡くなっていたことに、侯爵はひどく絶望したようだった。

 迎えに来るのが遅すぎた自分を恨み、愛を引き裂いた神を呪いながら、彼はアウラを見つめた。


 値踏みされているかのようなその時間は果てしなく長いようにも、まばたき程度に短いようにも思えた。

 品定めを終えた時、侯爵は確かに落胆を浮かべていた。しかし彼は、アウラを己の娘として引き取った。


 フェリニカ家には侯爵夫人と、アウラより年下の男女の双子がいた。

 夫が連れ帰ってきた小さな女の子を、女は余裕をもって受け入れた。使用人達は、憐憫か好奇、あるいは無関心でもって当主夫妻の意向に従った。


 以降、アウラは貧しい下町の娘ではなく、高貴な貴族の娘として生きていくことを余儀なくされた。


 生活の質は一気に向上した。母が生きていたころのように、隙間風に震えることはなかったし、カビの生えた小さなパンを数日かけてゆっくり食べる必要もなかった。


 けれど。


「いいか、お前の母親は──」


 侯爵はアウラを見るたびに、アウラの知らない母を語った。恍惚としたその目にアウラは映っていない。


「それに比べてお前はちっとも母親に似ず、可愛げのないことだ。お前ごときを養うために、何故我が最愛は命をなげうってしまったのか……」

「もうしわけございません、おとうさま」


 追懐という名の責め苦が、アウラの心をすり潰していく。


「曲がりなりにもフェリニカの名を名乗るのですから──」


 侯爵夫人はアウラを見るたびに、アウラに淑女の心構えを説いた。偽善に満ちたその目にも、アウラのことは映らない。


「どうしてこんな簡単なこともできないのかしら。生まれ持った卑しい血は、どうあっても覆せないというの?」

「もうしわけございません、おかあさま」


 教育という名の束縛が、アウラの心を重く沈めていく。


 栄養のある食事、暖かい寝床、上等なドレス、一流の教育。

 過去の自分とはかけ離れたそれらを与えられるたびに、アウラの中で何かが壊れていった。

 否定。比較。抑圧。搾取。それだけで、人は簡単に歪んでいく。

 委縮。恐怖。諦観。絶望。母と一緒に暮らしていたころには知ることのなかった感情が、アウラの傷を埋めていく。


 侯爵夫人が施す、立派な淑女になるためのしつけ。アウラは生まれが卑しいので、その差を覆すためにも普通よりもっと厳しいものでなければいけなかった。

 アウラはそれについていけなかった。すべてが窮屈で、息苦しかった。

 不出来なアウラに、夫人はいつも呆れていた。家庭教師が教鞭を振るうのも、馬鹿なアウラが悪いのだから仕方ない。


 ゆらめく小さなろうそくの灯りを頼りにして母と身を寄せ合っていたころが、結局一番幸せだったのに。


 鏡を見たアウラは、自分が笑えなくなったことに気づいた。

 それどころか、泣くことも、怒ることもできなくなっていた。

 けれど無彩色の自分を見ても、もう何も思えなかった。


 感情を失ったアウラを、侯爵夫妻はいっそう責めた。無能な落ちこぼれはフェリニカ家にふさわしくない。当然だ。

 それでも一度は拾った体面がある。慈善事業の一環として、二人はアウラを見捨てなかった。


 それに、理由はもうひとつある。彼らはアウラの価値に気づいていたのだ。

 魔術というその才能は、自分達に逆らわない者が持っているほうが都合がよかった。だから二人はアウラを貴族令嬢として、そして王族のための未来の切り札として育て続けた。



「社交の場には恥ずかしくてまだ連れていけないけれど、あそこなら貴方が白痴だと気づかれないでしょう」


 六歳の夏、侯爵夫人はにっこり笑ってアウラを外に連れ出した。それは寄付している孤児院への慰問だった。アウラを己の慈善活動の証人にしつつ、アウラに己の背中を学ばせたいのだろう。アウラはおとなしく従った。


 孤児院には大勢の子供がいた。骨の浮いた子供達はぎらついた目でアウラ達を睨み、すぐさま散っていった。


 侯爵夫人は扇子の下で鼻をつまみ、うわべだけの言葉で孤児達を可愛がった。孤児院の職員達も、偽善で美しく飾った侯爵夫人と暗い顔をしたアウラをうわべだけの言葉で褒めた。


 夫人が職員達と話している間、アウラは護衛とともに園庭にたたずんでいた。

 引き取られる前のアウラなら、孤児達と一緒に遊ぼうと思ったかもしれない。けれど無彩色のアウラは、それが許されないと知っていた。だから何もしなかった。


 そんなアウラを、誰も気にしていないはずだった。それなのに一人だけ、孤児の輪から外れてアウラに声をかけた少年がいた。


「なあ、おい! お前、ほんとにおきぞくさまのおじょーさま?」

「……」


 鳥の巣みたいにぼさぼさの、くすんだ金の髪の少年だ。服も肌も薄汚れているが、空色の瞳だけは好奇心に輝いていた。瘦せっぽっちで背も低い彼のことを、護衛は警戒していなかった。

 アウラはじっと少年を見つめた。五歳か六歳か、はっきりとはわからないが、アウラと同い年ぐらいだろう。アウラの冷徹な眼差しに少年はたじろいだようだが、負けじとアウラを睨んだ。


「ナマイキだぞ、アクマ女!」


 アウラは小さく首をかしげた。侯爵夫人が言う淑女なら、こういう時にどう振る舞うのが正しいのだろうか。

 間違えてしまわないように、考えてから話す癖がアウラにはあったから、すぐに返事をすることができなかった。


「俺がチビだからってバカにしてんのか? だったらそいつがおおまちがいだって教えてやるよ。カクゴしろ、アクマ女め!」


 少年はどこかに走って行ったが、すぐに戻ってきた。広げられたその手には、ぴかぴか輝く小さな石ころがいくつか載せられていた。


「どうだ! クラルスさまのすごさにおそれいったか!」

「……?」


 自慢げに見せられたこの石に、どれだけの価値があるのだろう。アウラには、拾ってきた石を磨いただけのようにしか見えなかった。


「うそだろ、俺のおたからだぞ……!? くっ、まだまだ! こっち来い!」


 少年はポケットに石を詰め込み、アウラの手を引いた。護衛は興味もないようで、退屈そうにあくびをしていたから、アウラは少年のされるがままに連れていかれた。


 太くて長い木の枝、つやつやのどんぐり、大きな羽根、何か生き物の抜け殻、古びたコイン……どこで見つけたのか、いつ見つけたのかを、少年は自信たっぷりに説明する。けれどアウラには、そのすごさはちっともわからなかった。


「これでも笑わねぇのかよ。つまんねぇ」


(あ。わたし、また失敗しちゃったんだ)


 反応の芳しくないアウラに、少年は気分を害したらしかった。

 これが屋敷なら、お叱りかお仕置きの時間だ。だから少年からの罰が下るのを、アウラはおとなしく待っていた。だって、うまくできないアウラが全部悪いのだから。


「俺のおたからがお前にとってはくだらねぇってんなら、お前もみとめるおたからを探さねぇとな。覚えてろよアクマ女! もっとすごいおたからを見つけて、ぜったいお前を笑わせてやるからな!」

「え……」

「このクラルスさまがお前を笑わせて、たおしてやる! だから俺の名前、わすれんな!」


 けれど、彼はアウラを罰さない。


 少年────クラルスの悔しげな宣言で、この日の慰問は幕を閉じた。


 彼がやろうとしていたのが、 “いつも恐ろしい顔をしていないといけない悪魔を、知恵者が笑わせることで倒した”という有名なお伽噺の再演だと気づいたのは、屋敷に帰ってからだった。


* * *


「フロース、たまには姉上をお茶会にでも連れて行けよ。屋敷にいられると、辛気臭くて仕方ない」

「いやよインベル。こんな愚図をお姉様だと紹介しないといけないわたくしの身にもなってちょうだい」


 顔のよく似た双子が、アウラを見て嗤っている。

 十八歳になったアウラは、感情の欠落のせいで貴族の令嬢としていまだ不完全だった。


 十六歳を迎えて社交界の花として華々しくデビューした双子とは異なり、アウラは社交界に出たことはほとんどない。

 異母妹フロースのように愛嬌があるわけでも、異母弟インベルのように利口なわけでもないアウラのとりえは、冷めきった美貌と治癒の魔術の腕だけだ。このふたつがなければ、アウラはとっくにフェリニカ家を追い出されていたかもしれない。


 嫡男たるインベルの立場をおびやかさず、フロースの引き立て役にもちょうどいいアウラは、都合よく足蹴にできる存在として居場所を確立していた。アウラがその扱いに不満を訴えることはなかったので、使用人達もアウラを体のいい憂さ晴らしに使っていた。


(母さんが生きていたら、きっと母さんも同じ目に遭っていただろうから、これでよかったのかも)


 アウラが持つ治癒の力は、疲れまで癒すことはできない。もしアウラにそれができたら、あるいは幼いころから治癒の魔術の扱いに秀でていたら。母を助けられたのかもしれないが……それでも母は、幸せにはならなかっただろう。


 侯爵と母は、身分違いの恋人だったそうだ。母はアウラを身ごもりながらも、結婚について周囲の反対を押し切れなかった侯爵の元を去ったらしい。

 仕方なく侯爵は今の夫人を妻として迎え、実子をもうけたことを機に母を探して妾に据えようとしたという。


 侯爵夫人からすれば面白い話ではないだろうが、高位貴族ともなれば妾の一人や二人、囲うのは普通のことのようだ。

 アウラが父によく似た娘だったことが功を奏し、夫人はアウラを養女にすることに同意したとか。政略の手駒は多いほうがいいし、養子なら実子よりも粗雑に扱えるからだろう。


「ああ、でも、今度のカエレスティス殿下のお茶会には、お姉様もいらっしゃるんでしたっけ? せいぜい恥をさらさないよう、気をつけてくださいまし」

「姉上が行くのは、招待客としてじゃないだろう? フロースの言う通りですよ、姉上。招待客のフロースでは、給仕に過ぎない姉上を庇うのも限度がありますからね」

「……」


 アウラは唇を引き結んだまま小さく頷いた。確かに二人の言う通り、何かへまをやらかしてフェリニカ家の名に傷をつけてはいけない。ただでさえアウラは、カエレスティスに嫌われているのだから。


 アウラは社交界に出ない代わりに、王太子カエレスティス付のメイドとして王宮で奉公していた。アウラが社交界に出向かないのは、この王太子の命令でもあった。


 貴族の子供が行儀見習いとして王宮に勤めるのは、そう珍しいことではない。

 特に王族の側仕えは、明確な身分がなければ主人に侍ることもままならないので、高貴な家の出ながら他人に傅くことに慣れている、アウラのような庶出の養子が重宝された。生まれも育ちも上等な側仕え達の代わりにせっせと働く手足として、という意味でだが。




 王太子のお茶会の日を迎え、アウラはいつものように無表情で主人の傍にたたずんでいた。

 招待客の間を回る他の給仕達とは違い、そこがアウラの定位置であり、そこから動くことは許されなかった。


「私以外の者に給仕はしなくていい。君のような女の淹れたお茶など出せば、気分を害されかねないからな」


 お茶会が始まる前、カエレスティスはそう言った。その命令に、アウラはいつものように応えた。「申し訳ございません、王太子殿下。仰せの通りにいたします」と。


 カエレスティスはいつもこうだ。私の傍から離れるな、私以外に話しかけるな、私以外とは目を合わせるな。陰鬱な君を使ってやれるのは私しかいない────それが彼の口癖だ。

 そこまで不満があるならアウラを外せばいいと思わなくもないが、それができない事情がある。カエレスティスもそれをわかっているからこそ、どうにもならない鬱憤をアウラにぶつけるのだろう。


「ねえ、聞こえていらっしゃって、お姉様?」


 はっとする。お茶会の邪魔にならないよううつむいていたためわからなかったが、いつの間にか視線がアウラに集中していた。

 このお茶会の招待客は、王太子の婚約者になるべく己を売り込みに来た令嬢達だ。美しく華やかな空間で、陰気なアウラだけが取り残されているようだった。


(何の話かわからないけど……わたしが発言するなら、殿下に許可を取らないと)


 アウラはちらりとカエレスティスを見た。「どうした、アウラ。何か言いたいことはないのか」彼は整った顔をしかめてアウラを見ている。鈍いアウラに怒っているようだ。


 権力者の不興を買えば、普通の少女なら怯えるのだろう。

 けれど心が麻痺しきったアウラは、それを事実と受け止めてその後にもたらされるものに思いをはせることはあっても、結果そのものに何かを感じることはできなかった。


 黙ったまま、アウラは少女達に視線を移した。

 彼女達は鼻白んだようだったが、その中の一人だったフロースが場を取りなした。「お姉様のような役立たずではなく、もっと優秀な者を側仕えとして置いたらどうかと進言しましたの」フロースの言葉に、他の少女も頷いた。


「お姉様も、そう思いませんこと? いくら殿下がお優しいからといって、いつまでもそのご厚意に甘えていてはいけませんわ」

「……それは、わたしの決めることではないから」


 アウラの奉公先を決めたのは侯爵夫妻だ。それに貴重な治癒魔術の使い手であるアウラは、王命で王太子に仕えている。フロース達に何を言われても、アウラにできることはなかった。


 治癒魔術の使い手は、その希少な才能を巡って危険にさらされることが多い。そのため、治癒士を抱える者は、他人にそうと知られないよう雇うのが常だった。

 もしも堂々と治癒士として過ごしていれば、王太子を害したい者はまずアウラから狙うだろう。あるいは純粋に、アウラの能力を欲するあまり蛮行に走るか。しかしメイドに扮していれば、王太子の傍にいても不自然ではないし、アウラの本当の役割を知られることもない。


 アウラが治癒魔術の使い手であることは、フロースも知っているはずなのに。きっとカエレスティスの側仕えを辞退できないアウラを追い込むことで、困らせて楽しみたいのだろう。

 その目論見通り、事情を知らない令嬢達がアウラを傲慢だなんだのと嘲笑う。事情を明かせないアウラは、無言のまま時が過ぎるのを待った。その程度の野次でアウラは動揺しないし、できない。


「君達の気持ちはよくわかった。申し訳ないが、私はアウラを側仕えにし続けるつもりだ。私付としてフェリニカ侯爵から預かったのに、外すようなことがあれば侯爵の名に泥を塗ってしまいかねない。……だがアウラ、私に解雇されないからと思い上がって、仕事に手を抜くことは許さないからな」

「心得ております、王太子殿下」


 何をいまさら。アウラが治癒士であることは、当然王太子も知っている。早くこの茶番が終わってほしいと思いながら、アウラはまた下を向いた。


*


 窓に何かがぶつかる音がする。アウラは音を立てないように細心の注意を払ってバルコニーに出た。先の音が聞き間違いでなかったことは、バルコニーのすぐそばの木の枝に腰掛ける青年が教えてくれた。


「帰ってきたのね、クラルスさま」

「当たり前だろ?」


 短く切り揃えられた金の髪には鳥の巣頭の面影はない。月に照らされてまばゆく輝くその髪に惹かれて、誰かが彼に気づいてしまわないように。アウラが手招きすると、クラルスは立ち上がって軽やかに跳び、バルコニーに降り立った。


「無事でよかった。心配したのよ」

「心配? お前が俺を?」


 顔色ひとつ変えないアウラを、クラルスは鼻で笑いながら力こぶを作った。


「そんなもん、しなくていいに決まってるだろ。お前に心配されるほど、俺は弱くないっての」

「そうね」


 アウラはクラルスを見上げる。クラルスはすっかりたくましくなった。背はぐんと高くなったし、筋肉のおかげで体格もずいぶんがっしりしている。三か月前に見た時より、顔つきに精悍さが増した気がした。同じ十八歳なのに、彼だけがずいぶん大人になったようだ。


「それじゃ、三か月ぶりにクラルス様の武勇伝を聞かせてやろう!」

「うん」


 爽やかな水色の瞳を見つめ、アウラはクラルスの言葉に耳を傾けた。


 クラルスは数年前から傭兵稼業に身をやつしている。危険はあるが、そのぶん実入りがいいらしい。才能と努力の賜物だろう、まだ若いが優秀な戦士として国内ではちょっとした有名人だった。


 どこかで魔獣や盗賊が暴れればそれを退治しに、逆賊が現れればそれを治めに。国中を自由に渡り歩く彼は、時々思い出したようにアウラのもとにやってきては土産物や武勇伝を披露する。


 深夜の訪問は、かれこれ十年近くは続いているだろう。孤児院に慰問に行くたびにクラルスはアウラに勝負を挑んだが、だんだんアウラが淑女教育や治癒士の勉強で忙しくなり慰問が絶えたことで、クラルスのほうから会いに来るようになったのだ。


 警備の目を盗んでまでここに来るほどクラルスが勝負に固執しているのが意外だったが、アウラにとってはつらくもあった。

 それだけ執着しているのなら、きっとアウラが負けてしまえば彼はもうここには来なくなる。あのお伽噺では、倒された悪魔のその後は語られない。勝利を収めた知恵者しゅじんこうが、悪魔への興味を失ったからに違いない。


 どうして勝負を続けたいのか、自分でもわからなかったが……クラルスが来てくれると、不思議と息ができるような気がした。呼吸なんて、できていて当然のことなのに。


 大蛇の魔獣との決闘や、大盗賊団との大立ち回り。花の都で見たお祭りのパレードと、道中で食らった妖精達のおちゃめないたずら。クラルスは話がうまい。臨場感たっぷりの話しぶりに、アウラもすっかり惹き込まれていた。


「お前、今日も笑わなかったな」

「……」


 アウラは頬に手を当てる。今夜の勝負も、また悪魔アウラの勝ちだった。


「次は絶対笑わせてやっから、震えて待ってろよ!」


 不満をあらわにするクラルスは、思い出したようにポケットを漁った。目当てのものを取り出してアウラに持たせる。それは髪飾りだった。

 空色の布地で造られた、可愛らしい薔薇が飾られている。土産と称して珍妙な置物やら何やらを渡されたことは数あれど、装飾品を渡されたのは初めてだった。


「これ……」

「やるよ。祭りの景品でもらったんだけど、クラルス様コレクションにはふさわしくねぇからな。でも、捨てるのももったいねぇだろ?」


 クラルスはそっぽを向き、「じゃあな!」と軽々しく去っていく。髪飾りを手にしたまま、アウラは彼の背中を目で追った。


*


 鏡の向こうの自分に、初めて色彩が添えられた。黒檀の髪を飾った可愛らしい空色の薔薇を、アウラはうっとりと見つめた。


「やだ、お姉様ったら。浮かれる気持ちはわかりますけれど、さすがに厚かましいのではなくって?」


 急に声をかけられて、アウラはようやく鏡にフロースが映っていることに気づいた。


「瞳の色のアクセサリーを勝手に用意するだなんて。しかもあえて色を外して、ほのめかすにとどめるなんてはしたないこと。その色ならば、誰かに見咎められてもどうとでも言い訳できますものね?」


 フロースは、苦々しげにアウラを睨みつけている。クラルスのことで頭がいっぱいになっていたアウラは、異母妹の入室に気づかなかったうかつさを呪った。


 この髪飾りは、クラルスの双眸と同じ色をしている。“色を外す”という意味はよくわからないが……普段遣いに申し分のない落ち着いた色だから、侯爵夫人達にとやかく言われることはないと思っていた。

 クラルスの突然の贈り物は、フロースからすれば疎ましいのだろうか。けれどもらったのはアウラだから、フロースの意見は関係ない。


「お姉様のためを思って申し上げますけれど、身分が違うのですから。どうせ実らぬ恋なのです、本気にするのはほどほどになさったら?」

「……」


 冷水を浴びせられたような気分だった。


 けれど、フロースの言うことはもっともだ。確かにクラルスは平民の孤児で、アウラは庶子とはいえ侯爵の娘。この関係は、いつまでも続くようなものではない。


 けれど四歳の時までは、アウラだって平民だったはずなのに。それがどうして、引き裂かれなければならないのだろうか。


(ああ、そうか。この感情こそが、恋だというのなら──わたしはやっぱり、お父様似の娘なのね)


 母と侯爵が結ばれることはなかった。身分違いの恋は母を不幸にし、アウラも不幸になった。


 けれど、もしもそれが成就していたのなら、一体どうなっていたのだろう。


 とくん、と。


 ────止まっていた何かが、小さく胎動するのを感じた。


*


「その髪飾りはどうした? ずいぶん地味で安っぽいな。まるで子供のおもちゃだ」

「……申し訳ございません、王太子殿下」


 カエレスティスに見咎められ、アウラはその小さな髪飾りを手でさっとで隠した。


 職務の邪魔にならない程度であれば、貴族出身の側仕え達は着飾ることを許されている。未婚の者にとって宮廷は未来の結婚相手を探す場でもあるため、身なりに気を遣うのは当然とされていた。

 仕事中にアウラが装飾品をつけてきたのはこれが初めてだが、前例達のおかげで指摘されることはないと思っていたのに。見通しが甘かったようだ。


「ふん。この程度のアクセサリーで、君の陰気さをごまかせると思うなよ」

「あっ」


 酷薄な笑みを浮かべたカエレスティスはあっさりとアウラの手を払いのけ、髪飾りに手を伸ばす。無理に取られたせいで、黒い髪が一房垂れた。


「立場をわきまえろ、アウラ。君は私の側仕えだ。その君が安物を身に着けていては、私の沽券にかかわる」

「……おっしゃる通りです、王太子殿下。以後気をつけますので、髪飾りを返していただけませんか」


 返事が長かったことに驚いたのか、カエレスティスは意外そうにアウラを見た。

 クラルスの淡い青の瞳を澄み切った空とするなら、カエレスティスの濃い青の瞳は深い海のようだった。同じ青という単語でも、まったく違うものに見えた。


「君は薔薇が好きなのか?」

「……いえ、そういうわけでは……」


 花は花だ。好きも嫌いもない。カエレスティスは少し考えたものの、「なら、これはいらないだろう」髪飾りを持ち去ってしまった。

 答えを間違ったと気づいてももう遅い。ざわめく心が何を意味するかをわからないまま、アウラは茫然と立ち尽くした。


 それから数日経ち、カエレスティスはアウラに小さい箱を渡した。

 開けてみろと命じられたので従うと、深い青色の宝石がついたブローチが入っていた。そのブローチは、カエレスティスの目とよく似た色をしていた。


「王太子殿下、こちらは?」

「私の側仕えならば、この程度の品は身に着けなければな。これからは、常にそれを着けておけよ」


 カエレスティスはアウラの胸元にそのブローチを飾った。クラルスがくれた髪飾りよりよっぽど派手だ。だが、主人の命令であるなら従うほかあるまい。


「この私が贈り物をしてやったというのに、その態度はなんだ?」

「……申し訳ございません、王太子殿下」

「笑顔を浮かべることすらもできないのか。相変わらずつまらない女だな。君に物など贈るべきではなかったか」


 それならとブローチを返そうとしたアウラだが、「私からの贈り物が受け取れないと言うのか!」とカエレスティスに怒鳴られてしまったので諦めた。ブローチを贈られるより、髪飾りを返してほしかった。


 この時アウラがするべきだったのは、「滅相もありません。いただけてとても嬉しいです」とか「この幸運は忘れません。殿下からの贈り物、一生大切にさせていただきます」とか言うことで、それを言わせようとしていたからこその王太子の言葉だったのだが、アウラがそれに気づくことはなかった。


 他のメイドや令嬢達に見咎めらてやっかみの対象にならないよう、アウラはそれをカエレスティスの前でだけ着けることにした。

 しかし王太子付きの側仕えとしてカエレスティスと共に人目にさらされるたびに、人々の視線がブローチに注がれる。傍にカエレスティスがいれば、「華のない彼女に、私の側仕えとしてふさわしい彩りを与えてやっただけさ」と答えてくれるが、問題はアウラ一人の時に詰め寄られた時だ。

 事情をどう説明したらいいか手間取ったアウラは結局「王太子殿下のご命令ですので」で押し通して後は沈黙し、説明に時間を浪費するのを避けた。



 ある日、王太子の寝室を片付けていると、枕元にあの髪飾りが置いてあるのが見えた。

 元はアウラの髪飾りなのだから窃盗には当たらないだろうと、アウラはそれを取り戻した。


 それからしばらくの間、カエレスティスはいやに機嫌が悪かったが、まさかあの髪飾りをなくしたからではないだろう。彼にとっては、何の意味もないものなのだから。



*


 クラルスの再訪は、アウラが思っていた時よりも早かった。普段と違ってクラルスは、どこかこわばったような顔をしていた。


「クラルスさま、今日は勝負はしないの?」

「……」


 クラルスは、いつものようにアウラを笑わせようとしなかった。勝負のためでないのなら、どうして彼は来たのだろう。短い逡巡ののち、クラルスは重々しく口を開いた。


「お前さ、最近変わったこととかないか? 危ない目に遭ったとか、家の様子がヘンだとか」

「特にはないけれど……」

「ならいい。……お前は知らないと思うけど、お貴族様が嫌いな奴は多いんだ。そういう連中が何かしてきてないかって思っただけだから、気にすんな」


 クラルスは胸を張る。何かがおかしいことぐらい、アウラにだってわかった。けれどそれを指摘するのが正しいことかわからなかったので、結局アウラは何も言えなかった。


「俺、しばらく王都にいることにしたから。これまで結構稼いだし、ちょっと休めるぐらいの蓄えはあるんだ。だからもしお前に何かあったら、すぐ来てやる。明日もここに来るから、待ってろよ」

「うん」


 クラルスが帰ろうとしたので、アウラは慌てて声をかけた。


「クラルスさま、何か欲しいものはある? 髪飾りのお礼がしたいけど、わたしじゃわからなくて」

「いらねぇよ! クラルス様は、欲しいものは自分で手に入れる主義だからな!」


 にかっと笑い、クラルスは夜の闇へと消えていく。アウラも、彼のように自然に笑ってみたかった。


*


 クラルスの様子がおかしかった理由は、耳ざとい下働きの者達が教えてくれた。貴族であって貴族でないアウラのような庶子は、彼らと着かず離れずの距離だったので、仕事の合間に他愛のない雑談程度なら興じる程度の関係があった。


 いわく、最近反乱軍の動きが活発になっているらしい。


 この国の王侯貴族が横暴なのは、今に始まったことではない。

 たびたび反乱が起きては、現地の統治者に鎮圧されるのが常だ。政治的に声を上げる者がいても、国の中枢からの圧力で抑えつけられてなかったことにされていた。

 だから今回もすぐ治められるだろうが、今回騒ぎがあったのが王都だったことで庶民の間に緊迫とも期待とも言えない空気が生まれているという。もっとも、肝心の王侯貴族は問題にもしていないようだが。


 なんでも、悪政を訴えるビラが撒かれて蜂起を訴えられ、その声に呼応して武装した市民が集まっていたとか。

 警官が来る前に解散したそうだが、摘発も時間の問題だろうとアウラにその話をした下女は言っていた。


(王都に反乱軍がいる……? その蜂起が成功したら、何が起きるのかしら)


 アウラは少し考えた。休憩の時間が終わったので、アウラは青いブローチを着けて王太子の執務室に向かった。


 アウラは王太子付きのメイドなので、王宮のどこにいても怪しまれることはなかった。

 「王太子殿下のご命令です」と言えば、大抵はごまかせるということをアウラはこの数年で知っていた。たとえ命令など下っていなかろうと、その言葉には力がある。



 カエレスティスは愉悦に満ちた眼差しをアウラに向けた。アウラはすっと目をそらしてうつむいた。


「アウラ。今度の舞踏会だが、君も出てもいいぞ」

「わたしが?」


 アウラが社交界に出入りすることを禁じたのはカエレスティスなのに。一体どういう風の吹き回しだろう。


「せっかくのパーティーなのに、喪服めいた格好で来られたら敵わない。私がドレスを用意するから、それを着てくるように」

「……かしこまりました、王太子殿下」


「今度の舞踏会では、私とフロース嬢の婚約を発表する。だが、私は彼女を愛してはいない──私が愛しているのは君だけなんだ、アウラ」


 愛している。誰が、誰を?


「しかし君は庶子だろう? だからどうあっても妾妃としてしか迎えられないが、仕方ないことだ。フェリニカ侯爵夫妻の許しはすでに得ているし、フロース嬢もそれについて理解しているから、安心してくれていい」


 安心。何に対して? 


「君をただのメイドで終わらせはしない。私の妾妃として、何不自由ない生活を約束しよう。アウラ、今日こそ私のために笑みを見せてくれるな?」


 何を言われたのか、よくわからなかった。

 アウラは何も聞かされていない。何も、何も知らない。

 目の前が真っ暗になって、アウラはその場に倒れ込んだ。



 目を覚ました時、アウラはフェリニカ家の自分の寝室にいた。王宮で倒れたので、急遽フェリニカ家に送り届けられたらしい。

 どうやらアウラは、感極まるあまり気絶したと思われているようだ。フロースだけは苛立たしげな様子で、嫌味たっぷりにアウラの体調を気遣っていたので、「理解している」というのはカエレスティスの方便だとすぐにわかった。


 夜になって、クラルスが来た。迎え入れたアウラの様子がおかしいことに気づいたのか、クラルスは険しい目つきで理由を問うた。


「王太子殿下が……わたしに殿下の愛人になれ、と」


 実らぬ恋に溺れた母は、妾になることもなく淪落の道を辿った。その娘のアウラが貴人の妾になるよう迫られるとは、これも因果なのだろうか。


「……すげぇな、それ。やっぱりお前、本当にお貴族様のお嬢様じゃねぇか。王太子の愛人……ははっ、ほんとかよ」


 きっとお互い、これまではその事実から目をそらせていたのに。

 わかりきっていたことを、クラルスは初めて声に出す────住む世界が違った、と。


「王太子がお前を幸せにできるってんならそれでいい。どうやったって、俺じゃ城暮らしなんてさせてやれねぇしな。だから最後に、これだけ訊かせろ。……お前の気持ちはどうなんだ、アウラ」


 それでも、クラルスは諦めていなかった。挫折を知らない彼の姿が、あまりにもまぶしかった。


 アウラは何も答えられないまま、クラルスを見上げた。

 思えばアウラが彼に惹かれたのは、無彩色のアウラに構わず己の輝きをわけてくれるからだ。色を失くしたアウラの世界で、彼だけがいつまでも鮮やかだった。


「……俺が絶対笑わせてやるって思ったのに。なんで泣いてんだよ。俺は、そんな顔が見たいわけじゃねぇ」


(そう。わたしは今、泣いてるのね。まさか笑うより先に、泣くことを思い出すなんて)


 目元を拭う。十年以上も前に枯れたと思った涙が、確かにアウラの頬を濡らしていた。


「俺は、欲しいものは自分で手に入れる主義だ──だからお前のことも、力づくで手に入れる」


 クラルスの目に覚悟が灯る。この時のために、今まで生きていたのかもしれなかった。


 これ以上の言葉はいらない。だって言質は取ったのだから。

 さあ、叶わぬこの恋を、今こそ成就させてみせよう。


*


「最近、王都が何やら騒がしいと聞いています。大丈夫でしょうか、王太子殿下。わたし、心配で」

「君が心配? 冗談はほどほどにしておけ。そんな嘘をつくなら、もっとそれらしい表情を見せたらどうだ」


 嘘をついたつもりはないが、アウラの憂いをカエレスティスは一笑に付した。この調子なら、計画に問題はなさそうだ。


 王城のどこにでも忍び込める立場を活かし、アウラは城内の地図を手配して警備の情報も調べた。王都の軍備もだ。王族の一日のスケジュールだって、王太子付メイドのアウラなら難なく事前に入手できる。

 クラルスはまだ若輩ながらも腕の立つ傭兵だ。革命を起こそうと蜂起した血気盛んな集団が、戦力を求めて人を募るのはわかりきっていた。


 金で武力を買えるなら、反乱軍は必ずクラルスを受け入れる。腕の立つクラルスと、クラルスが携えた密書は、反乱軍の背中を大きく押すことだろう。


 決行は今日。王太子とフロースの婚約を発表する舞踏会。国内の要人達がいっせいに集う、絶好の機会だ。

 

 アウラは誰のことも恨んでいない。恨み方がわからない。

 けれど、これまで王侯貴族に虐げられ、搾取されてきた民は違う。

 だからアウラは、彼らを利用しようと思いついただけだ。アウラの恋を叶えるために。



 平民の犠牲の上で成り立つ、上流階級が享受してきた栄華。その象徴たる華やかな舞踏会は、乱入してきた反乱軍の手によってたちまち制圧され、重鎮達は拘束された。この間、王都のいたるところで軍と市民が衝突しただろうが、それも終息に向かうだろう。


 そんな混乱の中で、カエレスティスはアウラの手を引いて王宮からの逃亡を図った。

 フロースを選んでいれば、あるいは潔く残って混沌とした場をまとめていればよかったのに。そう呟くアウラの声は、カエレスティスに届かない。


「アウラ、アウラぁ……! 何をしている……!? 早く、治癒を……」


 今、カエレスティスは床の上を這っている。後を追ってきた剣士に切り捨てられたからだ。剣士の手を取り、アウラは青年を見下ろした。


「王太子殿下。貴方はわたしを愛していると言ったけど……わたしには、貴方の気持ちはよくわからない」


 行こう、クラルスさま。

 クラルスの手を引くと、彼はすぐさま頷いてアウラを横抱きに抱えた。


「私を見捨てるというのか……!? この、悪魔め……!」


 カエレスティスの呪詛が聞こえた。今ではそれすら祝福として響く。

 クラルスの胸に抱かれ、心地よいその鼓動に耳を澄ませることで、アウラはようやく微笑むことができた。



「もうこの国にはいられねぇなぁ。ほとぼりが冷めるまで、どこか遠くの国に行くか」


 混沌に包まれた王城からメイドと反乱軍に雇われた傭兵が一人消えたところで、気に留める者はいない。王太子の亡骸が見つかればそれで終わりだ。どうせ、他にも逃亡を果たした者はいる。


「うん。……わたし、人の怪我が治せるから、クラルスさまのお荷物にはならないと思うわ。仕事だって手伝えるはずよ」

「そりゃいいな。頼りにしてるぜ、アウラ」

「……本当に信じてる?」


 すべては王侯貴族の傲慢と怠慢が招いたことだ。

 これから祖国がどうなろうと、アウラはちっとも興味がない。

 民衆の力で国が再建されるか、あるいはさらなる恐慌が国全体を包み込むか。どうなったって構わなかった。フェリニカ家の行く末すらも、アウラの意識の外にある。


 今日、アウラを縛る身分という枷は失われた。

 アウラに半分流れる尊い貴族の血の価値は堕ちた。

 アウラにとって大事なのは、それだけだ。


 身分違いの恋だから叶わない、不幸になるなどとは言わせない。


「そういやお前、なんで俺のこと様付けで呼ぶんだ?」

「クラルスさまが、自分のことをそう呼んでたから」


 思い出したばかりの笑みを浮かべると、クラルスは頬を赤らめた。

 ああ、ほら。ちょっとしたことで表情を変えられる彼のことが、こんなにも愛おしい。


「どこまでも一緒に行こうね、クラルスさま。すごいお宝、たくさん見せてくれるんでしょう?」


 横抱きにされたままのアウラは、クラルスにより強く抱きついた。クラルスは明るく応え、アウラを安心させてくれる。


 そのあまりの心地よさにアウラは目を閉じて、これから二人で歩む未来に思いをはせた。


 クラルスと一緒なら、きっと何があっても大丈夫。


 アウラは心の中で嗤う────この恋のためだけに国を傾けた自分は、まさしく悪魔であるのだと。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ナイス悪魔! [一言] 悪魔達に囲まれてずっと育てば、そりゃあ悪魔になっても仕方ないですよね。
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