土砂降りの中で
土砂降りの中で
閃光が走り、轟音と共に黒ずくめの人間が屋根から転がり落ちる。状況を理解できぬまま、しかし、漠然とした危機感を感じ、俺はすぐに駆け寄って聖隷術を行使する。
「頼む! 治ってくれ! 戻ってくれ! 息をしてくれ!」
俺は何度も叫び、目の前の黒に手を掲げる。右手が白い光に包まれ、強さを増し、黒を包み込み……。
そのまま、晴れた空へと昇って行った。ゆっくりと、不可逆の事実を突きつけるかのように。
「嘘……だろ……?」
「……」
死んだのだ。そうとしか言いようがない。言いようがないが、俺はその事実を認めるわけにはいかなかった。
「俺が、やったのか……?」
寺では経験したことのない、人間の死という現実を認識し膝をつく。そして、傍らに立ち尽くすハクに視線を向けずに問いかける。
「俺が何に見える? 俺は……なんだ?」
「シオンは、シオンだよ」
違う。こんなのは俺じゃない。こんな人殺しが俺だというのなら、俺というやつは。
「でも俺は、覚悟も無しに人を「覚悟があれば、人を殺していいの?」
俺の声を遮ってハクは言う。そして、空を見つめて続ける。
「君がやらなきゃ、僕たちが死んでた」
ハクが仮定の話をするが、親父の教えが、聖職者として培ってきたものが崩れ去っていくのを感じる。俺は十五年間の自分を、自分で否定したのだ。
「でも、あいつは死んで、俺たちは生きて……「死んだよ」
服が濡れることも構わずにハクが膝をつく。そして、俺の手を握り締めて言った。
そのまま、こちらを向いて続ける。
「死んだよ。キミも、ボクも」
「でも、お前は生きて……」
「今キミに、命をもらったんだ。昨日は名前ももらったしね」
こんな状況にも関わらず、クスリと笑ってハクが言う。そんな大層な事をした自覚はない俺は、なおも滑稽じみたことを続ける。
「でもあれは、呼びやすくするために適当に付けて……」
どんな顔でしゃべってるのかは分からない。たぶん間抜けな顔だろう。ハクは少しだけ暗い顔で言う。
「それでも、ボクはすごくうれしかった。今までの自分は嫌いだったし」
「でも、人殺しは間違った事で……存在理由を問うためにここまで来たのに、親方の教えを自分で否定して……」
いろいろな感情がないまぜになった言葉が零れる。そんなまとまり言ってない言葉に、ハクは眉を顰めもせずに答える。
「でもでもうるさいな。キミはボクたち二人が生きるために原因である一人を排除した。合理的で、冒険者としては正しい事でしょ?」
「正しい……?」
「そう。キミは自分の判断で、正しい行動をしたんだ」
確かに、冒険者としては正しいかもしれない。しかし、俺は聖職者だ。生まれてから、人殺しは禁忌とされてきた。
少し冷静さを取り戻し始めた頭に、疑問が浮かぶ。
「合理的に行動することは、本当に正しいのか?」
「……じゃあ、ボクを助けたのは間違った行動だったの?」
「……」
俺はその言葉を反芻する。俺はなぜこいつを助けたのだろうか。運命に逆らって間違った行動をするくらいなら、最初から聖職者として一生を終えた方が良かったのだろうか。
――もしかしたら、逃げていただけなのかもな……
今思えば親方の教えや、聖職者であることを盾にして殺すことの責任や、殺されることから逃げてきただけなのかもしれない。こいつを助けたのも、身の回りの人間が死んだっていう事実を作りたく無かっただけなのかもしれない。助けたのがこんな自分でよかったのだろうかといった考えが脳内を埋め尽くしていく。
「ボクの言えることは一つだよ」
――ああ、どうせ察しのいいこいつの事だ。俺の内心にはとっくに気づいていて、心底軽蔑してるんだろうな……
どんな罵倒が飛び出してくることやらと、せめてそれを受け入れようと身構える俺だったが、耳元でささやかれた言葉は、俺の予想を裏切るものだった。
「助けてくれて……ありがとうっ」
「……っ!」
俺はその言葉に、罵倒を受ける以上の衝撃を受けて顔を上げる。
その無理に作ったような笑顔に、自分を肯定してくれたような気がしたからだ。
「助けられたのか?」
「そう。キミのおかげで今ボクが生きてる。そのことに自信を持ってよ」
俺が事実を認識できずにいると、ハクが立ち上がって続ける。
「それに、覚悟ならこれからすればいい。『法衣』を脱いで、合理的に行動する冒険者として生まれ変わるんだ」
「生まれ……変わる……」
死んだとはそういう事かと思い至る。さっき、俺は死んだのだ。覚悟から逃げていた弱い俺は。
「そうと決まったらこんな所に居られないよ。早く組合に行かないと。追手があれで全部とは限らないし」
そういって手が差し伸べられる。その手を取って立ち上がろうとしたところで……。
「……転生中のところ悪いけど、ちょっといい?」