生きるという非合理
生きるという非合理
「朝……?」
窓から日が差し始めたころ。僕は上体を起こし、体にかかっていた布きれをどける。そして、小さく欠伸を一つ。
体についたものを落とすような仕草をして、自分が見覚えのない空間にいることに気付く。
「ここは……そっか。寝てたんだ」
しかし、ここ数日の事を思い出して呟く。未だに、あの邂逅が絵空事だったのではないかと、
今この瞬間が死ぬ間際の泡沫の夢なのではないかと、そう思う時がある。今がまさにそうだ。
「起きたか。おはよう」
「……! お、おはよう……シオン」
唐突に掛けられた声に、思わず身を強ばらせる。そんな僕にかまわず、彼はこちらに鈍色の肌着のようなものを放る。
「……これは?」
「鎖帷子ってやつだ。おとぎ話とかで最初の冒険の前に買うだろ? 願掛けの意味もあるが、あるのとないのとじゃ大違い……らしい」
「ふーん。どうやってつけるの?」
――おとぎ話、ね
ついそっけない反応をしてしまった。しかし、実のところ僕はおとぎ話や小説などの「創作物」に目がない。暇なときはいつも自室にこもってページを捲っていたほどには。
それが憧憬なのか、はたまた逃避なのかは分からない。ただ一つだけ言えることは、創作の世界は例外なく自由で、決められたシナリオにもかかわらずみんなが生き生きとしていた。
少なくとも現実に生きて、それぞれの人生を決まった役割に縛られている人間よりは。
――その役割から逃げ出した人間はどっちの世界の住人なのかな
今の自分たちの状況を簡潔に整理してみる。方や居場所を見つけられずに広い家を飛び出した少女。方や自分の存在価値を問うために世界を救う旅に出た自称聖職者の少年。
僕たちがどうなるかは分からない。目的を成し遂げるのか。夢半ばで散りゆくのか。あるいは、身近な幸せに気付くのか。
現実をに生きていながらも僕たちの状況はまさに、おとぎ話のようだ。
「何にやにやしてんだ? 話聞いてたか?」
「ご、ごめん。それで、どうやってつけるの?」
どうやら、少し浮かれていたようだ。おとぎ話なら重要な局面。場面が変わり、現地で出会った仲間と冒険の準備をする。意味もない話で、意味もなく笑いながら。
「普通は服の中に着るんだが……大きさが合わないな。上から来て、そこから外套を羽織れば問題はないと思う」
「……」
浮かれていた思考が、冷や水をかけられたように切り替わる。何にとは言わないが、配慮というものを知らないのだろうか。精一杯シオンを睨みつけてみる。
「今日やることは覚えてるな?」
「……組合に行く。試験を受ける。冒険者になる」
特に気づいた様子もなく彼は続ける。なんだか自分が馬鹿みたいではないかとは、思っても口に出さないが、そっけない返事をするくらいは許してもらいたい。
「仮にではあるが、冒険者登録はされてるんだけどな」
「そうなの?」
「ああ。もう試験後からは序列十位の冒険者として活動ができる。じゃあなんで試験をするかっていうと、結果次第である程度の序列から始めることができるからだ」
「ふうん。自信はあるの?」
「自身しかないな」
「……」
彼は時々、こういうところを見せる。聖職者だというのに冒険者になると言ったり。力を持たないはずなのに、やけに自信たっぷりだったり。根拠のない自信というやつだろうか。
「まったく。その自信はどこから来るんだろうね」
嫌味っぽく言ってみるが、返答を期待してのものではない。もしその自身が失われるようなことがあったら、自分を見失うようなことがあったら、誰かに頼ればいい。僕みたいなやつは少数派だ。
「さあな。そんな事より、準備ができたら行くぞ」
「ちょっと! 待ってよ!」
話はそこまでと言わんばかりの背を見失わないように、僕はその後を追うのだった。
「……それでな、みんなして親方の説教を聞いてたんだが、頭のてっぺんが光りだしてな。もうみんな笑いをこらえるのに必死で……」
「……」
僕たちは道中の賑やかな広場で、噴水に腰かけながらパンをかじっていた。さっさと話を切り上げようと出て言ったシオンだったが、案の定まだ早かったらしい。追及するつもりはないが、どこか抜けているように感じる。
――ほんとに分かんないなあ……
とは、最近よく思うことの一つだ。その行動や発言、性格やしぐさ、人となりすら。
言ってみれば未知の存在だ。少なくとも、今まで出会った人達とは乖離しているように思える。
――知りたいんだろうか……
そう思うのはひとえに、不平等さを感じたからだ。僕は目の前の少年については知らないことばかりだ。そのうえ、彼は見透かしたような、すべてを知っているといわんばかりの態度で接してくる。こちらは何も話した覚えがないのにもかかわらず、だ。
「それより、試験って具体的に何をするの?」
「現役冒険者との立会いだな。決められた範囲内で戦い、どちらかが地面に手をつくか、一定時間の経過で終了らしい」
「……」
どうやら、戦闘能力を試される試験らしい。その割にシオンが特に緊張して様子もないのが気がかりだが。
――大丈夫。きっと何か策があるはず
やけに考えが回る彼のことだ。きっと自分では考え付かないような作戦があるのだろうと結論づけ、パンをひとかじりしようとしたところで……。
「なっ!」
突如、全身が浮遊感に襲われる。そして、至近距離にシオンの横顔。
――こんな人の往来で……
とは、彼の行動に向けられたものではない。彼の視線の先には何の変哲もない商店。そして、その屋根の上に見覚えのある黒い影。その指先に収束する光。
一瞬の間を置いて、周囲に閃光が走る。そして轟音と共に、つい先ほどまで座っていた噴水が砕け、狂ったように辺りに水をまき散らす。
絶叫。それをきっかけに方々で悲鳴が起こり、蜘蛛の子を散らすように逃げる人々。
「シオン!」
「……」
二人、体勢を立て直す。考える暇はない。この場を乗り切ることだけに意識を傾ける。
僕たちに逃げるという選択肢はない。明らかにこちらを狙った襲撃であり、背中を見せたらどうなるかは火を見るより明らかだ。
影は再度こちらに手をかざし、徐々に殺意を強める。比例してこちらに向けた指先が光を放ち始め、稲妻を纏い、それらがこちらを指向する。
そして、目の前に影が差し、その右手をかざし……
轟音の後、ごとりという音と共に、一人の人間が命を落とした。
それを最後に、つい先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように周囲から声が消え、壊れた噴水の奏でる人工的な雨音が、少年だったものの周囲を洗い流していく。
「何が……あったの?」
その声は雨にかき消されて響かない。わかることは、今日の空は晴れていて、世界はとても残酷だという事くらいだ。
――おお神よ。死んでしまうとは情けない
誰かがいった。