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交錯する非日常

交錯する非日常



「ボクの方かもね……」

 僕は独り、部屋の片隅でつぶやく。歴史を感じさせる宿屋の、角部屋の一室だ。

 いやな夢だ。きっとそうだ。今すぐにでも忘れたい、忘れてしまえば二度と思い出せないような。

――自由っていうのは意外とままならないみたいだね。皮肉なことに、根っこのところで貧乏性なのかも

 四方には何もなく、中央に敷かれたクロスに、丸テーブル。それを挟むようにして二脚の木椅子。その片方がきしと音を立てる。

「ハク……」

 僕はお湯――厳密にはそれを含ませた白い手拭いで上半身を清めていた。そして、顔をうずめつつ呟く。

 半ば見込みのない賭けだったが、どうやらこの国――少なくともこの宿屋では頼めばお湯を使わせてもらえるらしい。僕は女将さんに感謝する。逃亡中――二週間以上も入浴できていなかったからだ。

 逃亡中も雨に打たれたり、 川に流されたりしたので汚くはない――と、思いたい。

 しかし、お湯で体を拭き清めるという行為は断じて、そんな原始的かつ危険な行為とは違う。

「ハク……」

 自分の名前を呟く。忘れないように。胸に刻みつけるように。

「ハク」というのは、今僕を匿っている――少なくともそう認識している、軽薄で俗っぽい、謎多き聖職者の少年が呼び始めた名だ。

 普通なら情報量の多さを差し引いたとしても、眉を顰められることは必至だろう。

しかし僕には彼の、他の聖職者とは対照的な姿勢や立ち居振る舞いが快く映った。

「ホントに分からない」

 僕の家は公国でもかなりの実力者で、精霊術師の家系だった。それ故に、末子だった僕のところにも度々縁談が舞い込んできた。しかし、みんな僕ではなく家の調度品やら美術品。それらを持っている両親を見ていたことを知っている。

つまるところ僕ではなく、家柄や名前にひかれてきた人たちだ。そしてそれらは例外なく、優秀と言われている聖職者の人間だった。

 それが嫌で、いつも遠まわしに断り続けていた。遠回りして、逃げ続けていた。

「ボクはハク。それでいいじゃないか。逃げてることから逃げても変わらない。なら、逃げたいことから好きなように逃げよう。張りぼてでも、自由だ!」

 精一杯の虚勢を吐いて立ち上がる。たとえ逃げることには変わらないとしても。非合理と謗られようとも。

――一緒に逃げようなんて、身勝手かな

 苦笑してシャツを手に取り……

「わぷっ!」

 再び、視界が暗転する。

――――

――


「わぷっ!」

  部屋の扉を開けた瞬間、俺は先ほど道具屋から持ち出した薄茶色の布きれを、目の前の肌色に投げつけた。それはひとえに、連れがあられもない姿――上半身に何も纏わない状態で佇んでいたからだ。

 普段なら素通りしているだろう、おそらく。しかし、俺は先ほど買ったばかりの外套を手放す羽目になってしまった。


――女の子だったのか……

 それは目の前でうずくまる茶色い物体の、その身体的特徴ゆえだ。「よく考えれば当たり前の事」なのだが、口調や言動から少年と認識してしまっていた。

 子供相手に絹のような髪がどうとか、白磁のような肌がどうとか考えるのは癪なので俺は雑念を振り払うことにする。

――これは肉の塊、これは肉の塊……

「……」

 俺が失礼なことを考えていると、外套を着終えたハクが顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけ、外へと駈け出そうとする。

「こっ、このヘンタイっ! バカあ!」

「……その格好で行くのか?」

 目の前の子どもとは対象的に冷静な俺は、まず浮かんでくるであろう問題点を指摘する。上半身に外套のみというのは、少なくとも外出には適さないだろう。というか、俺だったら絶対恥ずかしい。そう思っての発言だった。

 扉から手を放し、ちょこんと椅子に腰かけるハク。どうやら、ようやく対話をする気になったようだ。俺はそう判断して対面の椅子に腰かけようとするが……

「……」

 左手で窓を指さし、ハクはこちらを睨みつける。いやな予感を覚えつつも、俺は尋ねる。

「ど、どうした? 知り合いでも見つけたか?」

「……」

 少しの間を置いた後、落ち着いた様子で、しかし残酷に、続く言葉が放たれる。

「……でてって」

――ここ、二階なんだが……



酒場にて。

「まったく、もう少し他人に興味を持っておけばよかった」

 酒場は賑わっている。女給がカウンターとテーブル、厨房内を行き来し、耳に入るのは話声。

 やれ勝った負けただの、やれホレたハレただの。世界は思ったより複雑で、人は思ったより単純らしい。

――ま、俺がいなくてもまわるんだろうけどな

 ひどく作為的な喧騒に身を任せ、カウンターによりかかる。世間は自分がいなくてもまわる。

 なら、身の周りはどうだろうか。俺は思案する。世界は複雑にまわっている。自分の周りに目を向けると、意外に危ういところで仮初の平穏を保っているように思う。

 すこし時間が進めば、この平穏は崩れ去ってしまうのではないか。そんなことを思いながら饅頭を食む。

――冒険が俺を呼んでいる……

「なんてな」

「……独り言?」

 隣から声がかけられ、振り向く。

「隣、いいかな」

「もう座ってるだろ」

 ぶっきらぼうな返答に、ハクはクスリと笑う。それから、こちらに向き直って言う。

「……どうかな?」

 どうかな、とはどういう事だろうか。少し思案し、俺はあることに思い至る。

――そういえば、服も置いてったんだっけか

 俺は道具屋から服も持ち出していた。他にも水薬やナイフ、片手険などに加えて、情報まで提供してくれたのだ。今思えば礼の一つでも言っておけばよかった。そう思いつつ、俺はハクの服装についての所感を述べる。

「一番小さいのを買ってきたんだが、少し大きいな。今度服屋にでも行くか」

「……はあ」

 なぜだか微妙な――怒ってるのか呆れているのか判別のつかない表情でため息をつくハク。

 そして俺と同じものを、と一言。ハクはあらかじめ用意されていたかのように差し出された饅頭をかじって言う。

「君はそんなやつなんだね」

「買うって言ってないぞ」

「買ってくれるんでしょ?」

 これまた、ずいぶんと信頼されたものだ。苦笑して俺は立ち上がり、二人分の代金をカウンターに残して去った……。



酒場に独り。

「明日で最後か……」

 一人残された僕はゆっくりとお饅頭を、果物の皮をむくようにちびちびと食べていた。辺りを見渡すと、賭け事に興じる人や、猥談をしている人。一昔前なら考えられなかった光景だが、その気取らない姿が心地いい。みんな一様に本音で話しているし、特に気にする必要がないような事でも一喜一憂している。

――ボクも生きていていいんだろうか。この等身大の世界に

 そう思い、胸に手を当てる。もう少しだけ、ゆっくりしていくとしよう。

――思ったより浮かれてるみたいだ

 喧騒にまみれた非日常。食事をして、騒ぐだけの時間を過ごす人々。そんな非合理を抱えて、みんなが笑っている。

 どうやら人は思ったより複雑で、世界は思ったより単純らしい。思わず笑みがこぼれる。

――それにしても、あの反応はもう少しどうにかならなかったんだろうか……

 どうにか、とは漠然としているけど言葉にするのは、考えるのは躊躇われる。しかし本当に。

「どうにかならなかったのかな……」

 微笑が苦笑に変わる。

「やっぱり、複雑だ」

 ちびり、とそんなことを零し、口元に手を当てる。明日は早い。そして、明日で終わる。終われば、始まる。

 そう自分に言いきかせ、決意と共に立ちあがったのだった。


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