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克明の夜明け

克命の夜明け



ありふれた日常において一際特別な日。いつもと変わらない旅立ちの日だ。


「一四九四……」

 暗然たる境内で、俺は規則的に木剣を振り、それに合わせて数える。しかし、行為に対してその声は事務的で密かに、淡々としている。

 理由は簡単。皆――毎日神仏に祈っている割には、ろくな聖隷術を覚えない自称聖隷術師の卵達を起こしたくないからだ。そしてこれが一番の理由だが、彼が親方と呼んでいるこの寺院の当主に見つかってしまえば、比喩ではなく朝まで説教が続く。

 曰く、寺に入ったからには一生を祈りとともに過ごすことになるため、鍛練は不要で、非合理的だとか。

「一四九五……」

 彼ら――同期の聖隷術師見習いのせいで、神を信じないのにもかかわらず高度な術を扱える自分が親方に目をつけられ、無益な説教に時間が費やされることに俺は不満を感じていた。

「一四九六……」

 聖隷術とは信仰をささげることで超常の存在――この場合は神の力を借りて行う行為の総称で、この世界では聖隷術、もしくは精霊術と呼ばれている。

 これらを行使するには精神を集中させて信仰をささげる必要があるが、そもそも何年かかってもできない人間もいる。要は、適性を試される試練の段階で躓いた場合だ。

 そして、試練を突破しても行使するごとに途轍もない集中力と信仰心を必要とする。

「一四九七……」

 俺が親方の話を無益な時間だと思っているのには理由がある。

 俺の師匠であり育ての親であるところの親方は、厳格な性格で強面だ。その言葉にはいちいち含蓄があり、寺院の教えに対して不真面目な俺には本来学ぶべきものが沢山あるはずなのだが。

「一四九八……」

 この寺院、姦淫の類が禁止されている。

 俺は、それが煩悩や邪心を生まないための処置だということは心得ている。

「一四九九……」

しかし、俺とって最も重要なことはそれに付随する事実だ。俺の認識だと寺院の教え上、親方は今までも、そしていつまでもこの寺院にいることになる。

実際のところは知らないが、このような認識から、親方がいくらそれっぽいことを怒鳴っても俺には剥げた童貞が拗らせたことを喚いているようにしか思えないのだ。

「一五〇〇……っ!」

 会心の一振りともいえる風切音を認識した俺は、愛用する木剣を腰に携える。頭上を覆う雲の切れ間から星空が広がり始める。

――頃合いだな

 まだ皆が寝ているので大きな声が出せないが、その内心を表現する必要はない。

 俺は火照った頭を冷やすべく、近くの池の前に屈みこみむ。

 月明かりが薄らと照らす水面に映っていたのは、自分の相貌だった。

 自分でいうのもなんだが割かし整った、端正という形容が当てはまりそうな顔つき。男にしては若干長い。少なくとも聖職者には見えない黒髪と大きめな眼に浮かぶ意志の強そうな黒い瞳。その口元には無邪気な笑みが浮かんでいる。

「しかし、日本人みたいな顔だよな…」

と、自嘲気味な声が響く。

 

 ま、借り物の力で自分の存在価値を見いだせるんなら苦労しないんだけどな

そんなことを考えつつ雑に顔を清め、「支度」を整える。水面が揺らめき、それに同期して揺蕩う月。

――さあ、出発だ


「……見事な太刀筋だな」

「っ!」

一歩を踏み出そうとしたところで掛けられた渋みのある声に、俺は思わず振り向く。そこには所々が煤けた法衣を纏った壮年の男が腕を組んで立っていた。

「お、親方? き、今日はいい満月ですね……」

 あははと笑いつつ俺は獲物を背後に隠す。「うむ」とうなずき親方は続ける。

「……行くのか?」

「……いつから見てたんですか?」

端的な質問に、俺はいつもの調子で言い訳をしようとする。無意識に打開策を模索しての質問だった。

「質問に質問で返すな」

「……」

 しかし、正論で返されてしまった。観念して日の出を境内で迎えることにする。

「はい……本当は、誰も見ていない時に行きたかったんですが」

 さてげんこつか説教か。俺は肩をすくめるが、返る言葉は俺の想定にはないものだった。

「なら、早く支度をするといい。ただ、境内は掃除していけ。立つ鳥、跡を濁さずだ」

「……なんて?」

 つい、素で聞き返してしまう。何かしらの形での制裁を覚悟していただけに、内心困惑する。

「先ほどの質問に答えるとしよう」

「……」

「拾った時から見ているからな。貴様は神よりも自分を信じている。そのような者にここの教えは意味がない」

 呆れ交じりに放たれた発言の意図は良く分からない。ただ、そこには俺の自立を促す意図が感じられる。

「本日を以て貴様を破門とし、この寺の敷居をまたぐことを禁ずる。掃除が済み次第、速やかに失せるがいい」

「……ありがとう。親父」

 厳格な表情から発せられた定型文に、俺は生まれて初めての素直な感謝を口にする。親方は何も言わずに法衣を翻し、立ち止まり一言。

「間違った事だけはするなよ、シオン」

「ああ」

――満月の夜は、親方のことを思い出すことにしよう

 心なしかいつもより若干震えた声を背後に、間違った事だけはすまいと、俺は決意したのだった。

 十四の月が沈み、十五の日が昇る……。


「うっし……いくか!」

 明るくなり始めた境内。その中央で、俺は星空を見上げて言う。趣を感じさせる境内には今や塵芥などといった無粋なものは存在しない。最後に俺は一度だけ振り返り、昇る太陽に向かって歩き出した……。



「つ、疲れた……」  

王都への道を十分の一ほど。時間で表すと実に五時間ほど歩いたところで、俺は冒険開始早々に挫折を味わっていた。

いくら鍛錬を積んだところで、俺は待たざる者。走れば疲れるし、長時間歩いても疲れる。生きてるだけで疲れる。

これは決して聖職者だからというわけではなく、そう決まっているのだ。

――決まっている、か……

 俺は、その「ごく当たり前の事実」に疑問を抱いていた。全知全能の唯一神とやらがいるのに、なぜこんな不平等な世界が出来上がってしまうのか。

――それが正しい在り方なのかもな

 そう結論づけ、前へ進む。変えられないことに憤っても意味はない。

 しかし、再びその足は止まることになる。


「いって!」

 後頭部に走る衝撃。それによろめきつつも、咄嗟に愛用する木刀を構える。

魔物――魔力によって本能を失い、狂暴化した生物が現れたのなら俺に抗う術は少ない。単純な悪あがきとしての行動だった。

 しかし、特に戦闘が起こるという事もなく衝撃の主が地面に降り立った。

「こいつは……親方の聖隷? 何でこんなところに」

 足元の存在を認識し、俺は矛を収める。

目の前に現れたのは純白の禽鳥だった。その佇まいは凛としていて、どこか神聖さを感じさせる。

 しかしその首回りには小ばかにしたように唐草模様の小包が括り付けられており、元が美しいだけに神聖さよりも滑稽さの方が際立ってしまっている。

 目の前で首を垂れることを荷物を受け取るよう促していると解釈し、俺は足元に佇む神の眷属を枷から解き放つ。

「餞別? どういう風の吹き回しだ?」

 受け取った小包を開封してまず目に入ったものは、流麗な筆致でただ一言「餞別」と書かれた、手紙が入っていると思しき封筒だ。

「まあもらえるもんをもらわない理由はないが……口封じとかじゃないよな……」

 俺が懸念するのは、宗教上の理由で主教活動の内訳などが世間に漏れるのを防ぐための処置だ。寺院では聞いたことがないが、公国――王国と隣接する宗教国家。王国とは数千年間の友好的な関係を築いている――では厳しい情報規制が行われているといわれている。

例えば聖職者やそれに準ずる存在がそれ以外の道を歩もうとした場合には、文字通り地獄の底まで追いかけ回されるとか……。

「まあ、親方に限ってそんなことはないか」

 特に警戒することもなく、俺は内容物を検分する。なんだかんだ俺の中では親方や、その教えは大きな存在だ。

――生まれた時から世話になってたからな

 とは、口が裂けても言わないが。

 不気味な黄色の光を放つ小瓶が三本。パンが数片。数枚の紙束。そして、さらに小さな小包が一つ。

 再度小包を開封して首をかしげる。中には、金属製と思しき指の先ほどの円盤状の物体が数十枚封入されていた。

「これは……もしかして金か? 何でこんなもんが……」

 近頃俗世で流通している通貨というやつだろうか。

「そういえば、町ではこれがないと生活できないんだったか」

 実際に寺院の運営には少なくない金額が使われているらしいが、基本的に神の恵みという名の自給自足で生活していた俺とは無縁の存在だったのだ。

世界中が唯一神を信仰しており、宗教活動には基本的に税金の類が適用されず質も問われないため聖職者が金に困ることが少ない事も一つの要因だが、俺には関係のない話だ。

 そんな事よりも今の俺にとって重要なのは、ひときわ大きな存在感を放つ小瓶の存在だ。

「これは……うわさに聞く精水ってやつか?」

 その怪しさが上限まで達したような見た目の液体はおそらく、飲むと不自然なまでに体力が回復されると評判の「精水」と呼ばれるものだろう。原材料に体力が回復する効果は認められていないが、なぜか飲むと体力が回復する。これもまた、多くの人が気にも留めない「ごく当たり前の事実」だ。

「見た目よりはうまいな……」

 俺は空になった小瓶を放り投げる。熱い吐息とともに苦笑が漏れる。

 そして、不自然という以外に良いようがない高揚感が全身を襲う。急に軽くなった体に違和感を覚えつつも、疲労感がなくなるのであれば関係ないと結論付け、再び歩きだすことにしたのだった。

「これがホントの、立つ鳥跡を濁さずってやつか」

 俺は親方が召喚したであろう聖隷に感謝の意を告げようとしたが、そこにはただ一本の羽根が残るだけだった……。



「別れ道か」

 少し進んだところで、俺は森に差しかった。迂回する選択肢もあるが、正直少しでも長く歩きたくないので、俺は森へと続く獣道に足を踏み入れることにする。

「…骨?」

 しかしほんの少し進んだところで、普通に暮らしていればまず出会うはずのないものに遭遇して立ち止まる。

 そこには、白骨化した人間の遺体と思しき物体が転がっていたのだ。

「体までそろってるな」

近寄ってその状態を調べると殆ど欠けた部位のない、こう言うと不謹慎だが綺麗な状態の遺体だった。魔物の存在を警戒したが、捕食目的ならこれほど揃っているのは不自然だ。頭蓋骨にひびが入っていることから、何者かに殴打されたのだろうか。

――何も身に着けていないってことは、略奪目的の山賊あたりか。森の中は危険かもな

そう結論付けた俺は十字を切って不幸な被害者を弔い、別れ道まで引き返すことにする。

「もしも生まれるのがあと少し早かったら、あの死体は俺のだったかもな」

 そう言って俺は苦笑した。



「王都までで宜しいので?」

 引き返した先で見つけた集落で、俺は小太りの男と話をしていた。

「ああ、頼む」

俺は寺を出て最初にたどり着いた集落で、目的地の手前まで馬車で送ってもらうことにしたのだった。

寺を出たばかりで土地勘もなく、一人で旅をする上での知識もない。そこで護衛という名目で、現地に滞在していた商人の足を借りることにしたのである。

御者台にまたがりながら商人は問う。

「しかし、冒険者様がこんな辺境まで出向くとは、世も末ですなあ」

冒険者とは、主に戦闘能力が必要になる仕事を請け負って生活している、一応正式な職業だ。

大きい街ごとに支部がある冒険者組合を拠点としていて、有事には戦力として無償で駆けつける。余談だが、規則として「何が起こっても合理的に考え、行動しなければいけない」らしい。

「ハハ……」

護衛とはいうが、俺にそのような事をするつもりはない。できることと言えば、自衛くらいのものである。

では、なぜ馬車に積載されているかというと、護衛をすると言った俺の事を商人が、冒険者の類だと勘違いしたからだ。護衛とは言ったが、冒険者であるとは一言も言っていない。勘違いした商人は嫌味ったらしく続ける。

「序列はどれくらいなので?」

「……貴様に知る必要はないってやつだ」

「ああ、いつものですか。まったく、これだから力あるものってやつは。ずいぶんと仕事熱心なことで」

 俺の定型文に、商人は目に見えて態度を変えた対応をとる。これは実際に力あるものが詮索を避けるための言い回しで、要はこれ以上の詮索は命に関わるという告知である。

これに露骨に機嫌を悪くする商人。なぜなら俺の発言は「もう話すことなどない」と言うのと同義だからだ。規則的な轍の音がよく響く。

――滑稽だな

 俺は苦笑して、しばらくの間轍の音に身を委ねることにしたのだった。



 一週間ほどが過ぎたころ。俺は商人から割増料金で買い取った食料で腹を満たしつつ馬車に揺られていた。

「そろそろですよ」

「本当か?」

「ええ、信用にかけてね。商人と旅人では窓口が違うので、森を抜けた辺りで」

商人が事務的な声をかける。まだ目的地は見えないが、商人が信用にかけてと言ったのだ。こちらも信用することにしよう。

「…助かった」

「いえいえ、こちらもいい感じに在庫をさばけたので。唯一神の、ご加護があらんことを」

 ニッと笑って言う商人。。その台詞には唯一神という単語が強調されていた。

――神は見てるってことか……

 どれだけ知られたかは分からないが、その上で在庫処分に利用されたことに俺は内心舌を巻く。少なくとも、力あるもの相手にはできない所業である。

 俺は小さくため息を吐くのだった。


「ここに来た目的は」

さらに歩くこと数十分。俺は城門の目の前で、暑苦しいほどに磨かれた鎧をを着た騎士から審査を受けていた。

「聖務ってとこだな」

「聖職者か。とてもそうは見えんが、まあいい。つい一週間ほど前、数人の黒ずくめの人間が検問を無視して侵入した。発見し次第、我々や冒険者組合に情報を提供するように」

「物々しいな。皆に言ってるのか?」

態々騎士が検問をしていることに、妙な引っ掛かりを感じて、俺は尋ねる。しかし、返ってくる答えは要領を得ないものだった。

「貴様に知る必要はない。胡散臭い自称聖職者でも通れることに感謝して入れ」

――しょうがないだろ。自分の力で生きていくのに「法衣」は邪魔すぎる

 俺は心の中だけで悪態をつき、感謝して門をくぐることにした。


「おお…」

 俺は息をのんで固まる。城門を抜けた先には、異世界が広がっていたのだ。

 それは俺にとって比喩でもなんでもない。目に映るものはどれも知ってはいたものばかりだが、そのすべてが初めて出会うものばかりだった。

 入ってきたばかりの者を対象にした呼子のあげる声。その先に見える活気にあふれた市場。その片隅に佇む怪しげな店ですらも、何もかもが俺の琴線を激しく刺激する光景だった。

 直前の道に広がっていた広大な麦畑も中々の光景だったが、いきなり空気が変わったことには驚きと興奮が隠せない。

 そして、寺での暮らしを思い出し苦笑する。

「ハハ。もう帰ってくるなって言われたけど、こりゃもう戻れないな」

 周辺の人々に蔑みのこもった目で見られていることに気付かず、俺は歩き出したのだった。


俺はまず最初に、飲食店へ向かっていた。目下の目的は生活の基盤を整えることだが、それよりも前に都会の食事というものを体験してみたい。

「えっと…この通りを右に曲がったところが近いな…」

 城門付近で法外な値段で売りつけられた見取り図を確かめつつ、慣れない道を進む。

――ここに来た目的か…

 ふと、検問の内容を思い出す。聖務というのは入門するうえでの建前で、本来の目的は別にあった。

「ほんと、どこにでもいるな…」

 足元に敷かれた石畳。その一つ一つに、月を模した唯一神の紋章が刻まれていることを認識して俺は独りごちる。それはまるで、どんな些細な事でも見逃さないといわんばかりだった。


「わっ!」


 俺が目の前の光景に辟易していると、ふいに間の抜けた高い声が大通りに響いた。

 辺りが一瞬だけ静かになり、少しして元の喧騒が戻ってくる。どうやら誰かが躓いたらしい。誰もがそれを気にせず素通りする。

――白髪紅瞳……検問で言ってたのはこういう事か……

 しかし、その中途半端に切られた白い髪に。その物憂げな赤い瞳に。そして、それらの特徴を持つ存在に。俺は心当たりがあった。それ故に、どう行動すべきか考えを巡らせる。

――迫害か政争か、どっちにしても厄介ごとの気配しかしないな。まあ、本人の運命の方が悲惨だろうけど……

 というのも、声の主は俺より年下。それどころか、下手すれば十二、三才くらいの外見の、明らかな子供だ。 

 そんな子供がみすぼらしい恰好で地べたを這いつくばっているのだ。尋常な価値観の持ち主でああれば、悲惨な星のもとに生まれたと思うだろう。

――運命か……

俺も例にもれず素通りして食事を摂りに行こうと思ったが、運命という単語に漠然とした反抗心を伴った違和感を覚えて思い留まる。あの子供がこの先どうなろうと、俺にはさほど関係がない。最初からそういう運命だったのだ。

しかし、神に頼って生きることしか知らなかった。それを肯定できなかった俺は、神に頼らずに生きることへの決意の表れとして、尊い存在とやらが作った素晴らしくも残酷な運命に逆らってみることにしたのだった……。


はずい

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