7話 雨のにおい
授業が終わり、窓の外を見る。私は繁吹き雨の中どう帰るか考えていた。
一応、今朝に天気予報を見て折りたたみ傘を持ってきたのだが、ここまで強くなるとは思っていなかった。
職員室に行けばビニール傘を貸してもらえるだろうか。そう考えていると、虹子が申し訳なさそうな顔をしながら、こちらに近づいてきた。
「あのぉ……。よかったらでいいんだけど……」
「……もしかして、傘忘れたの?」
「そんな感じかなぁ……」
私は呆れながら頭を掻いた。朝から曇り空だったというのに、まさか傘を持たずに来たなんて。
「今朝テレビで天気予報見なかったの?」
「テレビはあるけど見てない!」
受信料を払わない人の言い訳のようなことを言う虹子を無視して私はため息をついた。
「……職員室で傘あるか聞いてみようか」
「やっぱりこれ使って二人で帰るの無理がないかな?」
「折りたたみ傘なんだから文句言わないの」
職員室に傘はなかった。正確には生徒の置忘れが数本あったのだが、すぐに他の生徒が持って行ってしまっていた。そのため私の傘を使って帰ることになった。
「ていうか、奈乃の傘私が持つよ?」
「私が持つから、虹子は気にしないで」
私は両手を思いっきり上げた状態で傘を持っていた。本当なら虹子が持った方が楽なのは分かっている。しかし、それもなんだか悔しいので無理な姿勢をし続けていた。
「あ、あれって桜子じゃない?」
「えっ、急に止まらないでよ!」
彼女が指差した方を見ると、道路を挟んだ反対側の歩道を桜子と日菜が歩いていた。
「二人って意外と仲いいんだねぇ」
「……そうかなぁ」
日菜は桜子のことを嫌っている。少なくとも私はそんな印象を感じていた。ただ今はそれを確かめる手段がない。
先日から、日菜は私のことを避けるようになった。原因はなんとなくわかっている。四人で食事をした時、あれから彼女の態度が変わった。
さすがにずっとこのままというわけにもいかない。そう考えていると、急に風が強くなった。
「あっ、傘が!」
天高く掲げていた傘が、するりと私の手から抜けて飛んで行った。取りに行きたかったが、傘は風に乗ってすぐに見えなくなった。
「奈乃、走るよ!」
そう言って虹子が私の手を握った。
雨宿りできる場所にたどり着くまで一分もかからなかった。それでも激しい雨のせいで私たちの身体はびしょ濡れになってしまった。
虹子の方を見ると、夏服がぴったりと身体に貼り付き、下着も透けて見えている。
「どうかした?」
「いや、なんでもない……」
彼女に見られ、思わず目を逸らしてしまう。
「そういえば、私雨の匂いって結構好きなんだよね」
「えっ……」
ただ無言になるのが嫌で適当に言ったことだ。それなのに彼女は今までに一度も見せたことのない表情をした。
「ほら、雨の日って独特の匂いがするじゃん?」
「うん、そうだね……」
「だけど、虹子の匂いも好きだよ?」
「い、いきなりそんなこと言わないでよ」
暗い顔をする彼女を見るのが嫌だった。だから悪戯のつもりで言ってみたのだが、想像以上に効果的だったようだ。彼女の照れた表情を見て、私は安心した。
すると彼女が私の髪を撫でた。
「私も奈乃の匂いが好き」
「匂いだけ?」
「それはちょっとズルいと思うなぁ……」
私たちの関係、それはあくまでも傷の舐め合いだ。しかし虹子が私に抱いているものは多分それを超えている。
……私はどうなのだろう。
虹子がいなくなるのが怖い。これは友情でも恋愛でも、ましてや傷の舐め合いでもない。ただ彼女の存在に依存しきっている。
私のコンプレックス。少し前まではこの小さな身体が一番大きかった。しかし、今ではそれと同じくらい虹子への執着があった。
無言で虹子を抱きしめる。彼女が屈んでいないので胸に顔をうずめる形になってしまう。
「大丈夫、私はいなくならないよ……」
「うん……」
不安を察したのか、彼女が優しく言った。
ずぶ濡れの彼女の身体からは雨のにおいがする。
昔は雨の匂いがすきだったのに、……今はこの臭いが嫌いだ。