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或る夢の話

作者: 三木崇稔

命を軽くはみてません。そういうお堅い方はご遠慮ください。

 こんな夢を見た。


 死のうとしていた。


 それは夢の中で起こる特別な決意ではなかった。目を覚ましたって、自分の存在価値を疑ってみたり、満たされず光の見えない洞穴みたいな人生から立ち去ろうとしてみたりして、死ぬことばかりを考えている。


 だから、夢の中で死にたいと思うことは、むしろ現実の延長線上にあるようなものだった。しかし、それを実行に移すことができずに、今もこうして呑気に夢なんかを見ている。だから、本当は死ぬ気など無いのかもしれない。もしかすると、自分を死の淵に追い込むことで快感を得ている、変態的なマゾヒストに過ぎないのかもしれない。


 しかし、夢の中の僕は、現実とは逆にそれを決行しようとしていた。


 ただ、僕は誰かを巻き込んだりするのは好きではないから、その「行為」をする時は独りで行おうと現実の世界では考えていた。しかし、夢の中の僕は、何故か他人を巻き込んでそれを行おうとしていたのである。


 夢の中の同志はぼんやりとしか記憶にない。ただ、みんな死人のような絶望感を漂わせながら、しかし、妙な高揚感を持った瞳をしていた。これから自分が新しい世界へ飛び込んでいくというような、ある種の期待感が彼らにはこもっていたのである。今、その期待を裏切られれば、落ち込むどころか発狂さえしかねない。そんな表情を浮かべていて、自分自身も同じような顔色をしているのか、と考えると恐ろしかった。恐ろしかったが、仲間意識のようなものが芽生えて少し心強かった。まだ、僕は自分と他人との交わりを完全にシャットアウトしているわけではないということに安堵感を覚えた。誰かと一緒でなければ生きられない人間らしさが残っていて、自分が愛おしくさえ思えた。


 僕たちがそれを行おうとしていたのは、何故か僕の家だった。家には僕以外の家族はいない。玄関に彼らがいて、僕はそれを出迎えている。


「はじめまして。今日はよろしくお願いします」


 僕は初対面らしいその人たちに深々と礼をした。それに続けて、お互いに挨拶を交わすようにバラバラに会釈をし合った。


 その中の最年長とおぼしき40代くらいの男性が、僕の顔を見るなり驚いた表情を見せた。


「こんな、お若い方だとは思わなかった。失礼ですがおいくつで?」

驚いた表情が人間らしかった。


「21ですが…」


「そうですか…まだ、お若いのに、将来があるのに、いくらでもやり直せるのに。私とは違って…」


 男は自虐的に言うと、表情を闇に堕とした。僕も何も言わずに自分の足下に視線を落とした。


 お互いのことを全く知らないということは、恐らくインターネットで出会った仲なのかもしれない。僕は年齢を非公開にしていたのだろうか。


 誰が最初に今日のことを書き込んだのかは知らない。どうして僕の家で行うことになったのかも分からない。


 すると、もう一人の三十代くらいの男が口を開いた。


「本当に、君の部屋で旅立ちをしても平気なんですか?」


 男の顔には生気がなかった。不幸、と顔に書かれている。スーツを着て、オフィスでパソコンを叩いているというよりも、仕事を持たずに自室に閉じこもってパソコンを叩いているような印象を受けた。


 けれど、そんなことはどうでも良いことだった。同じことをしようとして集まった仲間なのだから、深く詮索したり生活を推測したりするのは、言葉や態度に出さなくてもタブーである。


「これ、ちゃんと持ってきましたから」


 年長の男が、鞄から白いスーパーのレジ袋を取り出した。夕飯の買い出しでもらうのと同じくらいのビニル袋で、その中には野菜でも卵でも肉でもなくて、黒いゴツゴツした岩のような物が入っていた。僕らはそれが何かを考える必要さえなかった。初対面の僕らが集まった目的はそれに集約されているのだから。静まりかえった家中に、ビニル袋の擦れる音だけが響く。


「買うときとか、何か言われたりしなかったんですか?」


 三〇代前半くらいの女性が頬に手を当てて自嘲気味に笑った。その手首に無数の切り傷が走っているのを僕は見逃さなかった。見逃せるほどの数ではなかった、というのが正しい表現なのかもしれない。僕だけではなくて、他の人もそれに気づいているのかもしれないが、誰もそれを凝視したり、不気味がったりする人はいなかった。みんな分かっている。


「そうならないように、キャンプ場近くのホームセンターまで行って買ってきました。それでもやっぱり、店員に怪しい物を見るような目で見られましたけどね」


 男は自嘲気味に笑い返した。すると、僕を含めて他の人が同じような笑みをこぼした。女はさらにそれを笑顔で返すと、持参した紙袋からCDデッキを取り出した。


「私は、安らかな気分で最後の時を迎えようと思って、音楽プレイヤーを持ってきました。最後は私の好きな音楽に背中を押されて旅立ちたいな、って思って」


 緊迫した空気が少し和やかになり、それがきっかけで、僕らは自己紹介をし合った。名前、年齢、出身地、職業。だけど、どうしてここに来たのかは誰も話さなかった。どうして僕らは遠い世界へ旅立たなくてはいけないのか。一緒に旅立つ仲間のことを深く詮索するのは暗黙のルールにすら満たない。誰も自分の深いことを聞かれたくない。自分がされて嫌なことは人にはしない。当たり前のことなのだ。


「じゃぁ、立ち話もほどほどにして。どうぞ、二階へお上がりください」


 僕は彼らを二階へと案内した。ようやく和やかになり打ち解け合っていた空気が、再び張り詰めたものになった。いよいよか、という絶望と不安と期待の混じった複雑な顔をしてみんな二階へ上がっていく。


 二階の一室に辿りついた時には誰も何も話さなかった。部屋の中にある時計だけが、空気を読まずに大きな音を立てて動いている。そして、年長者の男は陶器の皿を鞄から取りだし、その上にさきほどのビニル袋に入っていた黒い塊を置いた。


「フローリングの床の上で直接火を起こすわけにはいかない。ここはキャンプ場じゃありませんからね」


 中年男は鼻で軽く笑ったが、誰もその後に続く者はいなかった。僕は生唾を飲んでその塊を見つめた。テレビのニュースで良く出てくるけれど、現物を見るのは初めてだった。これが、僕らを遠い世界へ連れて行ってくれるのかと考えると期待と不安と、もう二度とここには戻ってくることができないという事の重要性が身体にどす黒くのしかかってきた。


 すると突然、彼は作業を中断して、僕に向き直った。


「私たちは旅立つためにここにいるんだ。だから、誰もその死を止めたり慰めたりすることはしてはいけない…」


 そこまで言って中年男は、周囲を見渡した。僕も同じく周囲を見渡す。誰も目を合わそうとしない。俯いて、瞳がぶつかり合うのを恐れているようだった。


 彼は大きく深呼吸をし、自分を律するような顔をすると、再び僕に向き直って口を開いた。


「今の私たちは、誰も自殺を止めてはいけないし、その権利はないのだ。これは暗黙のルールとかいう以前のルールだ。しかし、どうしても、私は言いたいんだ。君は、まだ若いじゃないか。何をそんなに自分を追い詰める必要があるんだ?」


 驚いたのは僕だけのようだった。周りは誰も動揺している様子がない。同感だ、とでも言いたげに、頭をうなだれ、しかし、視線は僕を捉えている。


「私みたいなのは、もう立ち上がることなんてできない。再チャレンジという言葉は余程運のいい人か、死ぬことを脳裏によぎりさえしない強い人だ。だから死んで楽になりたい。だけど、君はまだチャンスはいくらだってあるじゃないか。どうしてこんな…」


「もういいでしょ!」


 僕は怒鳴り声を挙げて彼の説教を制止した。


「いいんですよ。自殺に年齢なんて関係ありません。もう、ずっと前から死ぬことばかりが頭に浮かんでくるんです。そんなことに理由なんてない。若くたって死にたいって思っているんだから、死なせてくださいよ。綺麗事なんかで世の中が巧くいくわけないのは、ここにいるあなたが一番よく知っているでしょう! それなのに…どうして…そんな…ひどい…」


 涙が知らずに流れていた。後の言葉を絞りだそうにも、喉が痙攣して気持ちが声にならない。静まりかえった部屋に僕の嗚咽と鼻をする音だけが響く。


「そうだね…うん…そうだ…ごめん。私が君くらいの時は夢話ばかりをする青年だったから。若くして自殺したい気持ちが分からなかったんだ…ごめんよ」


 男の声で沈黙は破れた。隣に座っていた女性が僕の背中を撫でてくれた。人の温もりがとても暖かく感じた。


「…では、気が変わらないうちに始めましょうか」


 男は重たく静かに死の宣告をし、彼のカバンの中からマッチ箱を取りだした。全員の生唾を飲み込む音が、一瞬、部屋に響き渡った。


 ついにこの時が、というその瞬間に僕は大切なものを忘れていることに気づいた。最後に持っていなくてはならない重要な物を、一階に忘れてきてしまったのだ。これからというときに、失態を犯してしまった。


「すみません、ちょっと忘れ物をしてしまったので、一階に行って取ってきます」


 そう言い残して部屋を後にしようとした時、誰かが僕の背中に向かって「もしかしたら、先に行っているかもしれません」と投げかけた気がした。


 僕は一階に着くと、リビングにある引き出しをひっくり返して必死に探した。最後なのだから、と思って書いておいた手紙である。部屋が散らかるのも気にせずに、僕は爪が剥がれる程、引き出しの中の印刷物を引っかき回した。そして、三段目をひっくり返した時、それは見つかった。小さな文字で『遺書』と書いてある。僕はそれを見て安堵感を覚え、こんなことをしようとしている自分を嘲笑った。そして、自分の命が何物なのかを考えようとしたが、それを考えたところで何かを得るようなことはないだろうと思いかき消した。僕はただ、この手紙を抱いて黒い練炭が出す白い煙に巻かれながら死ぬのだ。もう、これからは苦しんだり悩んだりする必要はないのだ。楽になれるのだ。そう考えると、胸が高鳴り、胸元がピクンピクンと動いていた。耳元まで鼓動が響いてきた。


 僕は手紙をズボンのポケットに入れて階段を上った。すると二階からなにやら音楽が聞こえてきた。それは晴天の湖畔を思い浮かばせるような透き通った音楽だった。女性の混声が響き渡り、優しく包み込んでくる。その音楽の中で僕は何をするつもりなのか。そう考えると涙が頬を伝ってきた。しかし、それを決行しようとする意志は微塵も動かなかった。


 僕が最後に立ち去ろうとした部屋、彼らがいる部屋の前に辿り着いて、僕はその煙たさに鼻と口を覆った。音楽が流れているこの部屋のドアの隙間から白い煙がモクモクとこぼれている。とても焦げ臭い。煙は喉に突き刺さり、そして目にも容赦なく襲いかかってきた。


 もう、旅立ちは始まろうとしていたのだ。男性が用意した練炭と、女性が用意した音楽を抱いてみんな遠い世界へ旅立とうとしている。


 いや、違った。すでに旅立ってしまっていた。部屋からは物音一つ聞こえない。さっきも静まりかえっていたが、息の声だとか、何かしらの生命の音は感じ取ることはできた。しかし、この部屋からはそういった音が何一つとして聞こえてこないのである。聞こえてくるのは優しく包み込んでくる女性たちの歌声だけ。


 煙は強いにおいを発しながらモクモクと立ち上っている。もしかすると、これは彼らの死臭を隠すためのお香なのかもしれなかった。


 この部屋で人間が死んでいる。さっきまで生きていた生命体がただの肉片になっている。


 僕は完全に足下がすくんでしまい、ただ練炭の出す煙に嗚咽を漏らすしかなかった。死の充満した部屋に入ることが怖くなり、煙の元を消すことができず、音楽を止めることができず、彼らを元に戻そうとすることができず、煙の中で涙を流すことしかできなかった。それは煙たさから流す涙などではなかった。自分が今まで考えていた人生論だとか、死の肯定だとか、そういった概念のすべてが天変地異を起こしたように変わってしまった。


 僕はなんて馬鹿なことを考えてしまったのだろう。そのことしか考えられなかった。涙と嗚咽が止めどなく流れてきた。


 そこで僕は目を覚ました。朝日が僕を照らし、小鳥のさえずりが聞こえてきた。また、今日が始まろうとしていた。

 

 そんな夢を見た。


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