表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊の舞踏譜3  作者: 雨野 鉱
3/5

第三途 イノリノハテ ノロイノハテ 参部

勇気だけでは、生き残れない。

             (スターリング・モス)

三、 荻原時雨


サー……

 雨の降る音が小さく聞こえる。窓を開けると冷たい風がじわじわと流れ込んでくる。

「す~は~」

 僕はベッドで寝ている荻原を起こさないために、窓をすぐ閉める。閉めて、床に敷いた電気マットの上に腰を降ろす。

 ズキッ。

 目が痛い。

両目を開けていることはできない。

「くそ」

 痛すぎて眠れない。だからこうやって一晩中雨の音を聞きながら時々荻原の様子を見ているしかない。

 荻原と「ケンカ」をして七時間が経つ。殺される前に僕は荻原を止めた。どうやって止めたのかは、考え続けたけれど、よく分からない。

ただ何をしようとしたかは分かっている。

コーヒーハウスと荻原が呼んでいた喫茶店で窓ガラスに亀裂を走らせたときと同じことを、たぶん僕はした。でもそれが、あんなふうな爆発を生むとは思わなかった。

 ズキンッ。

 周囲を吹雪のように飛び回っていた蛍火という蛍火が目に飛び込んだ。その直後、太陽が昇ったかのように周囲が明るくなった。やがて光は去り、気づけば公園はグチャグチャになっていた。枯れた芝のあった土の上には真夏のように草が茂り、裸の木々は桜の花を散らせていた。壊された電灯と老人ホームの公園に面した壁面は植物のツタがびっしりと絡みついていた。

「はあ、はあ、はあ、はあ……まいったな……こりゃ」

 盛夏を思わせるような光景に呆然とする中、僕から少し離れたところで声がした。そのときそこにいるのは僕と荻原しかいなかった。だから僕は荻原の声と知り、あわてて声のする方へ駆けた。

「荻原!」

「やられた。……強いね、君は」

 乱れたシャンパン色の髪の下は大量の汗と埃にまみれていた。息遣いが荒い。

「泣いて、いるの?」

「へ?」

 抱きかかえられた荻原が僕に手をそっと伸ばす。そして僕の目元に指が触れる。その指が僕から離れる。

「!」

彼女の中指にはベットリと赤い血が付着していた。荻原は血の付いた指先を自分の口に含む。

「血の涙……君のは特に苦いね」

 ニコニコ笑みを浮かべながらそう言って、荻原は気を失った。

「荻原!」

 その時はもう二度と会えなくなるかもしれないと思い、名前を連呼し続けた。けれど落ち着いて荻原の様子を見てみると呼吸は続いているから、僕はとりあえず自宅まで荻原を背負って帰ることにした。帰るや否や受話器を握り救急車を呼ぼうとした。けれど電話はつながらなかった。それどころか電気すら使えなかった。

「くそっ!」

 ズキンッ!!

「ぐっ!」

 しかも、僕の目には激痛が走るようになっていた。

そのあまりの激痛に目を開けていることもままならない状況になっていた。

 ズキンッ!!

 仕方ない。

そう思い僕は自分のベッドに荻原を寝かせ、服を脱がし、汗と汚れと血を火で沸かした湯でしぼったタオルで拭い、

傷の手当てをした。

荻原の華奢な体には火傷痕や銃弾を受けたような痛々しい傷が無数にあった。

僕はその傷のうち比較的新しい、ここ最近つけられたような傷を選び、消毒、塗り薬、包帯などの処置をすることしかできなかった。

 ズキンッ!!

 僕は僕で、目から溢れる血をタオルでふきつつ、二時間を過ごした。

すると電気が回復した。

暗闇ばかりで気づかなかったけれど、視界はひどく霞んでいた。

それはいくら待ってもよくならなかった。

血が目の中に入ったかもしれないと思い、目を良く洗ったけれど、視界は霞んだままだった。

あきらめる。

外を見るといつの間にか雨が降り出していた。

救急車を呼ぼうと電話を再び掛けたけれど混線しているらしく、またつながらなかった。

その後時間をおいて十回ほどかけなおした。

だけどやっぱり電話はつながらなかった。

 僕は部屋に戻り、目を閉じ、雨の音と荻原の静かな寝息に耳を澄ませることにした。

 そして、五時間が立つ。

つまり今に至る。

暗くした部屋の中で儚げに飛んでいた三つの蛍火も、日が昇ると幻のように消えてしまった。

 ズキッ。

 これでも痛みはだいぶ治まった。

目の霞みもようやくなくなった。

片目だけなら、全開にしていられる。

けれど両目を全開にして開いているのは痛くて無理だ。

 ゴソ。

布団が動く。

荻原が顔半分を隠して、目だけでこっちを見る。

僕は片目だけでその荻原を見る。

片目しか開いていないせいか、感動とか恐怖といった感情があまり湧き上がってこない。

半分だけの世界だったけど、今までよりも目に映りこむものを冷静に見られる気がした。

「おはよう」

 とりあえず、荻原に声をかける。

「……」

 荻原は何も答えずに、ただじっとこっちを見ている。

「今はえっと、午前八時二分。あれから七時間くらい経ったと思うよ」

「……」

 応答なし。

「何か飲む?それとも食べる?なんならサンドイッチでも作ろうか?」

 荻原はやはり何も答えず、僕をじっと見ている。

なんだろう?

「……目が覚めたら、同じクラスの男子の家にいて」

「うん」

「しかも私は素っ裸」

「厳密に言うと違うよ。下着はちゃんとついてる。枕の横に服は全部たたんでおいてあるから」

 そう言うと荻原は布団の中に頭を全部隠す。

ゴソゴソ動いている。

数秒して、また顔半分だけを出してこっちを見る。

「しかも下着は血で汚れてる」

「うん」

「きっと、きっと……ううっ」

「変なこと想像してないか」

「……違うの?」

「ああ」

「なるほどね。道理でおマタの具合は何ともないわけだ」

 「やれやれ」と言って、僕はマットの上に座ったまま首を振る。

どうやら荻原は元の荻原に戻ったみたいだった。

「怪我して気を失っていたみたいだから、手当てをした。

勝手に服を脱がしたことは謝る。

別にやましい気があったわけじゃない。

どう見ても具合悪そうだったから応急処置をしただけだよ」

「ありがとさん」

 そう言って荻原は布団から顔全部を出す。

「救急車とか呼ぼうと思ったんだけど電話がつながらなくて」

「そりゃそうやん。

あんなん食らったら人も物もアカンて」

 荻原は布団の中で僕と同じように首を振る。

「……」

「で、あんさん、ほんまに何者や?」

「僕は……ただの“失恋君”だ。そうじゃなければ、ゲーム以外趣味を持たない学生。何か取り柄があるわけじゃない。それだけだよ」

「ふ~ん」

 荻原は僕から視線を外す。

天井を見る。

「どうしたの?」

「君はとびきりのマモノだよ」

「マモノ?」

マモノ?

魔物?

化け物ってこと?

妖怪ってこと?

……僕が?

「うん。理法を理法と心得ず運揺する演者。そういうのはマモノっていうんだよね。どうでもいい話だけど生まれてこの方、私はそういう類とは敵対することが多かったんだ。それで君はさ、どっちなんだろうかなってね」

 まだ「どっち」だ。

 どっち?

それは荻原の敵か味方かっていう意味か?

「敵とか味方とかまだそんなこと言っているのか。僕は荻原の敵になるつもりなんてない」

「じゃあ、ぶっちゃけ、味方になってくれる?」

「え?」

「実のところね、君と激しく過ごしたアツ~い夜のせいでかなりバタンキューなの。君が予想以上に手ごわいのと、ちょっと仕事に追われていたせいで結構まいっちゃってるんですわ。これが」

「……なあ」

「二人だけの激しく熱い夜のこと?ホントに期待しちゃってる?」

「違う」

「じゃあ私が何者か、かな?」

「うん」

 味方になれというからには、僕が納得できるような立場に荻原はあるんだろう。

一応聞いておきたい。

「私はね、魔法使い」

 魔法使い。

魔法をやれる人を指す言葉なんだろう。

「信じられない?」

「いや……」

 当初の僕なら絶対に信じない。

「信じるよ」

 今は違う。

もはや信じる、信じないの問題じゃない。

「魔法」とかそういうもののせいで僕は確実にトンでもない目に遭わされている。

だから普通に受け入れられる。

「信じる、か。うふふ、まあ、そうだね。君はウチらに近いところに身を置いているから、納得しちゃうのも無理ないか」

「……」

「あのね、この国に来た目的はさ、私が追っている奴がこの国に棲む私の知人の所に来ちゃったからなんだよね。その知人っていうのは結局この間の戦闘でその、死んじゃったけど。これはもうしょうがない。アイツの意志と私の任務を遂行するためにさ、私は未だにここにいるのさ」

目を瞑った荻原はそう言って苦笑した。

「……この間の戦闘って、燕塚病院のことを言っているの?」

「そう。つまり知人っていうのはあの銀色のキザな男のことさ。

覚えてるかな?あれはね、私の知人、ていうかまあ、そうだねぇ~恩人なのさ。人間をだいぶ前に辞めちゃったらしいけど、でもいい“人”だよ。見た目冷たそうだけどね。でさ、アイツはね……ん~ま、その辺の話はまた今度。する機会があったらして話してあげる」

 荻原が目を開き、また僕を見る。

「でね、ここからが大切な話。さっきも言ったけどぶっちゃけ本当にさ、協力して欲しいの。私が追っている奴は結構悪い奴で、この国で武器を手に入れて、それでもって結構調子に乗って暴れまわっている。おかげでそれを追う私は手を焼いている」

「武器?」

「そう。君をふった女の子が武器。名前は中西ナントカちゃん。彼女、才能があったみたいだから」

 中西ナントカ……中西由美、か?

 きっとそうだろう。

それで、才能?

「才能って、魔法とかそういうやつの?」

「そうね、まあそんなところ。とにかくあの子がキザ男の所有する魔法の道具によって力に目覚めて大暴れ。結果的に私は当初から追っている悪い奴とその手下を含めて相手にしなきゃいけないからものすっごく手を焼いているのさ。それでこの間の病院であの中西ちゃんにダメージを負わせたんだけど、今度は私の追っている奴が手下を増やし始めてね、これがなかなかどこにいるのか分からなくて大変なのよ」

「……」

「一変に話したから混乱しちゃった?もう一回言うね。私は中西ちゃんと、悪い奴と、悪い奴が抱える大勢の手下の三つを同時に独りで相手にしなくちゃいけなくなっちゃったの。

キザな知人が死んじゃったせいで」

「ああ、分かった」

「正直もうしんどくて、しんどくて……しかもこの間深手を追っちゃったのさ。これが証拠」

 そう言うと荻原は上体を起こし、「ほれ」と言って布団をめくり、傷跡を示す。

「あ、ああ。分かった。分かったから」

 下着姿の女子高生が目の前に突っ立っていれば、いくら片目の僕でも恥ずかしい。両目だったら鼻血を吹いているかもしれない。あぶない、あぶない。

「堅くなった?」

「どこがだ」

「冗談。冗談」

 裸同然の荻原はもう一度布団の中に潜る。

「それでさ、君にお願いしたいのはモニター」

「モニター?」

「うん。君、私の魔法を、全部見破っていたでしょ。最初から」

「?」

「当てる前に君にはどこに攻撃が及ぶか、確実に見えていた。じゃなきゃ君の神経と筋肉ぐらいじゃ私の魔法はかわせないよん」

「……」

「あ、“私の魔法”って言ったから特別みたいに聞こえたかもしれないけど、そうじゃなくて、魔法全般に対して、それは普通の人じゃ軌道を見破れないし効撃はかわせないよっていう意味だから」

「……そうか」

確かに、見えていた。

蛍火が教えてくれていたから。

ビクついて静止したり、糸筋のような光を漏らしたり、

跳ねたり吹き飛んだりする蛍火がなかったら、たぶんもうこの場に戻ってくることはできなかったんじゃないか。

「なにかしら心当たり、あるんスか?」

 見破るための手段について、か。

 ……。

「そう、だな。なくは、ないかも知れない」

「ずばり問おう。お主、あの時あの場で何を見ておったのじゃ?」

「……光」

「ほほう、光とはこれまた深いお言葉」

 僕はそこで、自分が見える〈蛍火〉について話した。

蛍火は日が暮れてから見えること。

普通は本物の蛍みたいにあっちこっち足元を飛んでいるくせにいざ危険が迫ると止まったり震えたり糸のような光を伸ばしたりすること。

そしてそのおかげで僕は喫茶店を脱出できたこと。

荻原の攻撃からも逃れることが出来たこと。

あるいは電灯の上から飛び降りてきたサラリーマンを退治することができたこと。

それらを一つ一つ思い出しながら、話した。

荻原は途中から天井を見つめたまま僕の話を聞いていた。

僕は話しながら荻原の澄んだ瞳を見ていた。

人の目は年を取るにつれて目が濁るってどこかで誰かが言っていた気がする。

それが本当かどうかは、僕は知らない。

僕も赤ん坊のころに比べればずっと濁っているだろう。

けれど荻原の目は、それこそ透き通るようにきれいだった。

あの夢の中の、月の沈む泉のように澄んでいた。

「……と、こんな感じだ」

「そう……」

 荻原はそれきり何も言わない。

天井を見つめたまま、動かない。

何か思案しているのか。

僕はそう思い、目を瞑る。

「ねえ」

「はい?」

「シャワー借りてもいいかな?」

「いいよ」

「一緒に入る?」

「遠慮する」

「残念。まぁ、いっか」

 考えるのに時間がかかるのか。

突如荻原はそう言って布団を出た。

「ね」

「何だ?まだあるのか?」

「お姉さんの下着借りてもいい?」

「別にいいよ」

「ありがとう。洗って返すよ」

「別にいいよ。どうせ姉さんは帰ってこない」

「そうだね。確かに」

 下着姿のまま、荻原は枕元の制服をもって僕の部屋を出ていった。

 ?

 ちょっと待て。

 ちょっと待て。

 今「お姉さん」ってアイツ、言った。

 僕は一度も姉がいるなんて言ってない。

 どうして僕に姉さんがいることを知っているんだ?

 調べた?

いつ?

どうやって?

何のために?

「……」

 少しだけ考えて、荻原なら何でもありだろうと思い直した。

どれだけ個人情報が守られていようと、魔法使いを名乗るアイツならその程度の事、簡単に破れるんだろう。

破ってまで僕の家族を調べたのは、僕という存在を知りたかったからか。

十分あり得る。

何せ敵になるか味方になるか知りたい余り殺しに来るぐらいだ。

暴力によって口を割らせる以外の手段を最初に講じていたとしても全然おかしくない。

「怖い奴」

 僕は床に横になり、目頭を押さえる。

目の痛みはかなり引いた。

それだけが度重なる不幸中の唯一の幸いに感じられて、ウトウトとまどろみ始める。

「……!」

「おはよ。シャワーどうもありがと」

「ああ。僕は、そうか、寝ちゃったか」

「寝たって言っても三十分くらいかな」

「そうか」

 ハッと目を覚ますと、制服を着た荻原が部屋の中に立っていた。僕は起き上がり、首を回す。

「すっきりした?」

「荻原は?」

「うん。すっきりしたよ」

「そうか」

「ごめんね。話の途中でいきなり」

「別にいいよ」

「君が何かちょっと考えていたのさ。それでね、う~ん、どこから話そうかな……っと、その前に、もう一度聞きたいんだけど」

「僕が荻原の味方になるかどうかってことか?」

「うん。なんで今のうちに聞きたいかっていうと、話せば長くなりそうだから。味方になりそうもない相手に長話をするなんて、時間の無駄でしょ?」

「……あのさ」

「約束するよ。私はもう君を襲ったりしない。理由は少なくとも君が私の敵じゃないと分かったから。君は自分を守るために私と戦った。私を殺すつもりがあるならとっくに殺している。けれどやらなかった。ということは、君は私に害意を持っていない。でしょ?だから襲ったりしない。次に知りたいのは敵ではない君が私に協力してくれるかどうかということ。協力したくないというなら私は二度と君に干渉しない。知人の頼みだから、ぶっちゃけ面倒だけど忍者のように影ながら君を守りつつ、君の世界には一切私は顔を出さない。要するに断れば元の生活に戻してあげる」

「……」

 元の生活に戻る。

それはつまり……

「たぶん想像つくと思うけど、もう一度忘却のためのおまじないをかけるわけさ。今度は絶対に成功させる。つまり何もかも忘れる。うん、それだけ。それで元通りかな、たぶん。少なくとも君は。君にとって最近起きた辛かったことや悲しかったこと、楽しかったこと、うれしかったことの何もかもを、私が君の前に現れる前の状態に戻してあげる。事実は変わらないけど心は変えられるからさ、これくらいはちゃんとやるよ」

「もう、荻原と会えないのか?」

「アタイに会いたいの?」

「えっ、あっ、いや」

「本当はアタイのこと押し倒してグッチョングッチョンのケッチョンケッチョンにしようと……」

「そんなわけないだろ!」

「あはは、かわいいね。君のそういう反応、私好きだな~、なんてね。まあ、正直会うことはないと思うよ。学校にはもう行かないしね。あそこで子どもの相手するの結構面倒なんだ。あ、でもひょっとしたら、ちょこっとだけ君に顔を出す時があるかも。国に帰れないんでお金貸してぇ~って」

「お金?」

「それも冗談。さ、選んで。君が敵ではないことは分かった。もう襲う理由は私にない。だから君の自由。自由に選択して」

「……」

協力するか。協力しないか。

 ……待て。

 悩む以前に僕には、協力しなければならない理由があるんじゃないか。

中西由美――。

彼女は、一体どうなる?

中西は確かに僕にとって結局のところ他人だ。

中西からしてみても僕は他人だろう。

僕とは学校とクラスと歳が一緒っていうだけだ。

だけど、それでも僕は彼女を一度だけど、好きになった。

だとしたら、他人だから関係ないなんて話で片付けちゃ、いけない気がする。

中西由美が今一体どうなっているのか。

彼女が何かしら害を被っているとして、そこから救い出す手だてはないのか。

万一救う手だてがないとして……犠牲となってしまった彼女に報いる方法はないのか。

それを考えて行動する人は、きっと必要だと思う。

そしてそれを自分以外の誰かに押し付けるなんてことは、今の僕には、もうたぶん、できない。

あの絶望的な恐怖を直に味わったから。

自分以外の誰かが、それも僕の知る誰かが自分と同じようにあんな恐ろしい目に遭っているとしたら、放っておけない。

放っておかないために、荻原みたいな不思議な力をもつ者をひょっとしたら僕は敵にまわさなければならなくなるかもしれない。

けれどやっぱり、放っておくなんてできない。

知らないふりなんて、どうしてもできない。

要するに、これは理屈じゃない。

このまま中西を見殺しにするなんて、あんまりだ。

だから何でもいいから行動したい。

たとえ僕がどんなに非力な人間だとしても。

「……」

 それに、放っておけないのは中西だけじゃない。

 荻原時雨――。

 話によれば彼女もまた、自分一人の力でどうにもならなくなっているらしい。

そして協力してくれるよう僕なんかの力を求めている。

目の前で力を必要としている人がいるなら、それこそ力を貸したい。

これも結局のところ、理屈じゃない。

そうしたいから、そうしたいだけなんだ。

 はは。

なんだか、自分で自分を笑っちゃう。

荻原の話をまだ最後まで聞いていないのにこんな決断をするなんて、あるいは危険かもしれない。

何て言ったって一度は命を狙われたわけだ。

けれど、僕は荻原を信じたい。

確かに命を狙われたけれど、それとは別に命を救ってもらったから。

だから、少なくとも今僕は荻原を信じたいと思う。

少なくとも今は――。

本当に荻原が信じられる存在かどうかは、僕にその余裕があればだけれど、これから先行動を一緒にしていく間で見極めたい。

どうしてもその行動がおかしいと感じたら、その時は止めよう。

逃げるのではなく、止めよう。

誰かが止めないといけない。

その時は、僕がまずその“仕事”に就こう。

たぶんそれは命がけになるだろう。

けれどこれはしょうがない。

荻原の味方になるということは、たぶんあの電灯のサラリーマンみたいな化け物と何度も渡り歩くということなんだろう。

そんなの、普通命がいくつあっても足りない。

そしてそれはきっと、相手も同じなんだろう。命がけで、命を奪いあうことになる。

だからこそ荻原の、命を奪うその行動がおかしいと思ったら全力で止めよう。

死ぬ気で諌める気がないなら、命を的にして相手の命を奪う行為なんてしちゃいけないんだ。僕はそう思う。

「……協力する」

 僕は答えた。

「ほんとに?誘っておいて言いにくいけど、ぶっちゃけ死ぬかもしれないよ?

それでも平気?」

「平気……じゃないとは思う。けれど平気じゃないことでも耐えられると思う。ただそれだけ、言っておくよ。ただ、荻原のやっていることに納得できなかったら、その時は協力するのはやめる」

「なるほど。いいよ、その時はその時でしょうがないね」

「そうか。なら協力するよ」

 「しょうがない」時が来ないことを祈りつつ、荻原に返事をした。

「ほんとに?」

「うん」

「うれし~いっ!」

 荻原が抱きついてくる。

「もうだ~いすき!だからチュ~しちゃう!むっちゅうぅ~」

「ちょっ!?よせ!何考えてんだ」

「ほれほれ、動くでにゃい。往生際の悪いムッツリめ」

 ポニョ。

「あはん、ドコ触っとんねん!」

「マジでこの、離れろって!」

「っていうかさ、そんなにガチで嫌がられるとこっちとしてはドン引きなんですけど」

「何言ってんだ。お前こそいい加減にしろ」

「はいはい。分かりやしたよ。ごめんなちゃい。ただいま解放したします」

「まったく」

「でもよかった。正直本当に体がさ、ガタガタなんだよ。せめて効率よく菌屍の処理ができればどんなに楽かって常々思っていたところなんだ。もうほんとに、大変なのよ」

「……キンシ?」

「ああ、そうだったね。菌屍の説明もまだだった。えっと、どこから話せばいいんだろう。あっ、まず最初にさ、君の持った力について話そう。そこからがいいね。うん、あくまで私の推測だけど、そっから話そう」

 そう言うと、荻原は僕と同じく床の上に腰を降ろした。

「ちょっとさ、目、見せてもらえる?」

「目?」

「うん」

 荻原が顔を近づけて、僕の目をじっとのぞきこむ。

その覗き込む目が紫色に光る。

「うん。やっぱりガラス体が変質しているね」

 二分ほど目を光らせつつ僕の目を覗きこんだ荻原は顔を遠ざけて言った。

目は元に戻っていた。

「変質って、そんなことも分かるのか」

「分かるよ。そして診断結果だけど、人間の目とは違う。かわいそうだけど、もう元には戻れない」

「……」

「かつてその目を持った者がいた。君も見たと思うけど、あの銀髪のキザな男。名前はね、フェナカイト。なんでも“裏切り者”って意味らしいんだけど、どうしてそう名乗っているかは私も知らない。で、とにかくフェナカイトもそれと同じ目を持っていたらしいよ。昔ね。人間だったころの大昔だよ」

「じゃあ、僕が見たあの銀色の髪の男の人は、人間じゃないってことか……」

「限りなく人間に近い精巧な人形、かな」

「……」

「でね、フェナカイトが人間だったころ、彼は自分の持つ特殊な目で不思議な光景を目の当たりにした。たった一度きりだけど、蛍舞う水辺を見たとかなんとか」

「!」

「聞かないでね、具体的には。だって知らないもん。私が見たわけじゃないし。彼はこう言っていただけ。『蛍のような光が見えた。精霊かと思ったが、どうも違う。声を聞いたような気がしたが、どうもよく分からない。ただ明滅を繰り返しすことで互いに声なき声で何事かを違いに語り合った後、彼らは私に舞踏譜を見せ、旅立った。それきり二度と私があの光を目にすることはなかった。あるいはあれが、かの「妖波」かもしれない。その時の私には見えていたのかもしれない。いずれにせよ、全ては古の記憶だ』ってさ」

「……そうか」

「ふむ。でもなんで一度きりか、については教えられるよ。「それ」を見た後まもなくフェナカイトは彼をよく思わない連中やら民衆やらにとっ捕まって、拷問にあって、そんな感じで死ぬ0.3歩手前くらいに追い詰められたらしいね。光はその時に失い、人間をやめるのもその時。……話がずれちゃった。何の話をしていたんだっけ?え~と、ああ、そうそう。フェナカイトは特殊な目で見た光景をもとに、ある道具を生み出した。話が飛躍するように聞こえるかもしれないけれど、結論を言えばその道具によって中西由美はおかしくなった」

「中西が?」

 思わず身を乗り出してしまう。

「まあそう熱くなりなさんな。ちゃんと話すから。フェナカイトが生み出した道具はね、舞踏譜といって、要するに踊りを踊るのに必要なステップを記録した紙切れなのさ」

「……」

「舞踏譜に書かれているステップ通りに踏みだし、踊ることができれば誰でも望むものを手に入れられる。どうよ?ぶっちゃけ、すごいっしょ?魔法のランプなんか目じゃないってことさ」

「……」

「あんまりノリがよくないね。そりゃそうか。ふふ、実はね、この話にはちゃんとオチがあるのよ。それと言うのもさ、この舞踏譜で願いをかなえるためには“代償”が必要なのさ」

「代償?」

「そう。魂という名の代償」

「魂って……そんなものが本当にあるのか?」

「あるんじゃないの?私は見たことがないけど、定義は一応されているね。人の力を説明するために」

「?」

「魂は見えない。けれど魂を定義しないと説明がつかないことを人は時々できる。なぜか。魂というものが存在しなければ説明できない力が人体には高密度で蓄積しているから。言ってみれば、魂っていうのはその力を引き付けておく核みたいなものかな。でさ、その力の名は、う~ん、古い言葉があるんだけどね、あれは直訳するとう~ん、何て言えばいいのかな……まあ、妖波?」

「よう、は」

 魂という一種の核があって、その核に妖波とかいう力が引きつけられている。

そう荻原は言ったのか?

それがあると、人は魔法みたいなすごいことができるのか?

じゃあ誰でも魔法使いになれるのか?

もう少し話を聞いてみないとそのへんはよく分からないな。

「妖波。うん、直訳するとそんな感じ。妖しい波。人呼んで妖波」

「そのまんまだな」

「まあまあ、名前なんて何だっていいのさ。とにかくその妖波がある程度人体の中を強く流れている事実を説明するために、太古の昔から“魂”という概念が使われているわけさ。一方で妖波という前提に則って魔法は理論を組まれている。まあ、魔法使いで妖波そのものの原理を気にして理論を組んでいる奴はいないと思うけど」

「……」

「でね、その「前提」の話を続けるとさ、妖波っていうのは生き物だけじゃなく、この空気の中にも実はあるわけさ。だけど人を含めた生き物の体にはそれが比較的高密度で蓄積している。これはなぜか?そう考えると、妖波を引きつけておく核みたいなものが必要なわけ。そうすると、じゃあそれは何なのさって話になるでしょ?」

「……魂ってわけか」

「私たちの大先輩たちはそう考えた。最初は限りなく本能に近い思念そのものに妖波が引き寄せられて、そこに思念がさらに絡まり、やがて魂というエネルギーの塊が出来上がる。魂という核自体も妖波をもっているのさ。それで、そのエネルギーの塊がさらなる妖波を引き付けるってね」

 妖波を引きつける核として「魂」を魔法使いたちは定義した。

けれどその「魂」もまた、元は妖波で出来ている。

荻原は「魂」の元が思念と妖波と言った。

それが混ざって「魂」になり、「魂」がさらに妖波をくっつけて僕らの体の中に在るらしい。

僕は化学反応式を覚えるような感覚でその話を聞いていた。

「……でさ、ここで重要な質問があるんだけど、いい?」

「うん」

「お腹すかない?」

「……」

「ウソウソ。続けるって。えっとね、話は戻るけど、フェナカイトの作った舞踏譜っていうのはさ、その妖波を纏う魂を代償として願いを叶える、つまり魔法を発動する系統システムなわけ」

「魂を代償に……」

「使用者の魂に含まれる妖波を引き剥がし、拡散する前にそれを使用者の意思に収束させ、具現化する。これが舞踏譜という道具の一応の仕組み、かな」

「それをあの銀髪の男の人が作ったって、ことか」

「『最初は手に入れようと欲したが手に入らず、けれどいつの間にかその目で舞踏を見、在りし日に書き留めた。何のために作ったか。欲しいものを手に入れるために。けれどついに手に入らず』……とか何とか言ってたような気がするな。とにかく運命に呪われて作ったんだってさ。その辺のことは私も知らないよ。あのフェナカイトが生まれたのは私や君の影も形もなかった大昔だからさ。さっき話した噺だって本人が直接話してくれたのを聞いただけだし、どこまで本当なんだか……」

「……」

「とにかくフェナカイトは舞踏譜という、魂を糧とする魔の道具を生み出した。でさ、一方でね、私たちみたいな魔法使いっていうのは、自分たちの意思を体の外にすっ飛ばして、空間のそこら中に一定量はあるとされている妖波に干渉して、作用を引き起こす存在なのさ。だから私たちの魔法はその空間中にある妖波の量と干渉者の意思を飛ばす力に依存するってわけなのよ。分かる?」

「まあ、なんとか」

「要するにね、「あいつはスゲェ魔法使いだ」って言われる者は妖波が他に比べてたくさんある場所を見つけるのが得意か、「アタイの言う通りにしなはれやっ!」って意思を周囲に飛ばす作業がうまいか、どっちかなわけ。そうじゃない私みたいな連中はそれなりに意思を周囲に向かって飛ばして、それなりに妖波に干渉させて、それなりに作用を引き起こしているだけってわけ。ドゥーユーアンダスタン?」

「なんとなく」

「コイツおいらのこと馬鹿にしてるな~って思っているでしょ?」

「いや、別にそんなことないけど」

「オホン。で、ヨワッチイ魔法使いを代表して一応弁護すると、っていうか細かい話になるんだけど、意思を飛ばすのは存外難しい。作用させたい対象目がけて「飛ばす」にはちょっとした意思の加工が必要なんだけど、その方法については魔法使いによって種々異なるわけさ。ちなみにラーメンのスープの作り方と同じで、意思の加工する技法は血族や門派ごとにそれぞれ門外不出の秘技とされる。……少し待った方がいい?ついていけてる?」

「大丈夫、だと思う。……強い魔法使いの要素には二種類あって、一つは妖波のたくさんある場所を見抜ける要領のよさと、もう一つは意思とかいうのを飛ばす器用さがあるんだろ?それで今荻原が話していたのは器用さについての話……だよな?」

「物わかりがいいね、ほんとチューしてあげたい」

「それはもういいって」

「さて、魔法使いの中には「いちいち意思を加工して相手に飛ばして魔法なんてやってられねぇよ、チクショー」ってなわけで、舞踏譜に近い魔法をやる奴もいるのさ。ただし舞踏譜とは違い、自分の魂を傷つけずにね。これがいわゆるご法度。すなわち禁術。もちろん舞踏譜も禁術扱いなんだけど、今みたいな魔法使いが一番タチが悪いね。空間中に存在する妖波の量は大抵の者には計れない。おおよそ感じ取れる「要領」のいい者はいるけれど、ほとんどは無理。だから意思をどんなに「器用に」加工したところで、多くの魔法使いの魔の威力は常に不安定だし、たいした作用は望めない。その問題をズバッと解決するために、恐れ多くも人間の魂を利用するのがさっき言った性質の悪い魔法使いなわけよ。自分が魔法を使いたい場所にわざと人間をたくさん収容したり、魂が宿りやすい脳だけ動物から取り出してすりつぶし、コンパクトにして持ち運んだりするんだな~そういう奴らは。……んで、彼らはそこから妖波を抽出して利用するわけでさ、魔法使い自身は己の魂に何ら負担もないし、しかも強力な呪法を発動できる。『あいつガチでヒデェ魔法使いじゃね?』って言われる連中はほとんどこういう奴らなんだよ。でも力への欲求は抑えがたいから、こういう違反者は続出するばかりなんだけどね。もちろん使っているところを見つかったら最後。同業者に袋叩きにあうわけさ。君のお姉……」

「?」

 お姉?

姉さん?

「間違えた。なんでもない。とにかく魔法使いは今最後に話した例外を除けば、舞踏譜の使用者つまり禁術使い手に比べて強力な魔法は発動できない。そのかわりに魔法の発動によって寿命を縮められることはない。こういう話ですわ」

「なんとなく、分かった。要するに荻原の魔法は普通で、舞踏譜の生む魔法とやらは異常ってことだろう」

「普通ってあんさん、よ~言ってくれますな」

「ごめん。理解するためにたとえただけで、悪気があって言ったわけじゃないんだけど」

「あはは。いいよ、気にしないで。それにさ、君からすれば確かに“普通”だろうからね」

 荻原は形のいい唇の端を軽く持ち上げてニコリとする。

「どういう意味なんだ?」

「むふふ」

「なんだよ」

「言ってみれば君はね、舞踏譜以上に異常なんだよ」

「?」

「フェナカイトの話が本当だとしたら、君が「蛍」と思って夜見ているそれはおそらく妖波。なるほど、見ることのできる者はきっと君やフェナカイト以外にもいないことはないだろうね。でもそれもごくごくわずか。私はもちろん、私が所属している機関の人間や化け物でもその能力を持っている者は誰もいない」

「特殊、か」

「うん。魔法を扱う以上、妖波との干渉は避けられない。だからもし、その妖波の疎密や流れを視覚的にとらえることが出来れば、理論的にはいかなる魔法の種類も軌道も効果も予め見破り、想定することができる。しかもそれが魔法使いなら超がつくほど「要領」よく魔法を使うことができる。……まあとにかくさ、言ってみれば君は超「要領」のいい人なのさ。言ってること分かる?」

「「要領」がよくなかったらここにこうして座っていられなかったってことは、とりあえず分かる」

「襲ったのは悪かったよ。ほんとにごめんね。皮肉を言う君も素敵!愛してるわダーリン!あとは成り行きに任せてっ!」

「分かった。抱きつくなって!もういいよ。過ぎた事だから気にしない」

「はは。いや、ほんとにごめんね。で、私が君に協力して欲しいのは君が妖波を見ることができるからなのさ」

「妖波ね……」

「うん。もし君がその特殊な目を持っていなくてただの失恋君なら私はコーヒーハウスに君を閉じ込めておくつもりだったんだよね」

「それなんだけど、なんで僕を匿おうとするんだ?」

「君を守るよう言われているから。フェナカイトにさ」

「どうして?」

「事情があるらしいんだよね。もちろん私も君のことが大好きだから、特別にタダで守っちゃうけど。あれ?なにげなく好意を示したつもりなのにあまり反応ないね。「ほっ、本当はあなたのことなんかどうだっていいんだけど、その……あ~もう!しょうがないわね!守ってあげるから感謝しなさい!」こっちの方が良かった?」

「もうどっちでもいいです」

「あ~こりゃまたドン引きの雰囲気ですね。はい。え~、なんだっけ?……ああ、コーヒーハウスに閉じ込めたりなんてことも、もうしないよ。どうせ君には通用しない。そしてそれが、私の唯一の懸念」

荻原がそう言って表情を一旦消し、僕を直視する。

それが、「あなたは何者?」と尋ねてきた昨日の出来事を僕にまざまざと思い出させる。

鳥肌が立つ。

「妖波が見えるだけならともかくなんだけどさ、君はね、間違いなく妖波をそのまま利用することもできる。見ることならフェナカイトだってできた。もちろんそれだけでも私たちみたいな凡人魔法使いには及びもしないんだけど。でもね、君はその先に一歩足を踏み入れているんだよ。これがよく理解できない。だからちょっと怖い。それが懸念」

「怖いって言われても」

 僕はどう答えていいのか分からず、たぶん複雑な表情をした。

逆に荻原の顔に表情が戻る。僕はそれでホッとする。

「君が話してくれた水辺、というか泉のイメージによって妖波は君の体の中に集められる。ここが重要。君は妖波を集めちゃうんだよ。妖波そのものを。魔法使いは所詮空間中にある妖波に意思の力を干渉させて効果を発揮するだけで、妖波そのものを取り込むことはできない。だから威力はたかが知れている。舞踏譜は自分の魂を構成する妖波と魂を包む妖波を無理やり引き剥がして利用するから威力は桁違いに強いけど、やがて術者の命を蝕み、ついには破滅させる。ところがさ、君の場合、その両方のいいところだけを持っているんだな。舞踏譜と違って魂から妖波を引き剥がすわけでもない。けれど魔法使いと違って空間中の妖波に向けて意思を飛ばし作用を待つなんてまどろっこしいことをするわけでもない。強引にそのお目々の中に引きずり込んで、全身に流し込み、全身の意思と絡めて、一気に解放する。事情を知らなきゃ誰だって警戒するよ?こんなの、あっちゃならない力だからさ。私みたいな魔法使いが言うのもなんなんだけれど」

「さっき話した禁術を使う魔法使いよりもそれは、変なのか」

「自分に死ぬほどの害がなくて、しかも強力な力を行使できるのは一緒。けれどよく見ると全然違う。集まる妖波の密度レベルが桁違いだね。つまり威力だけで見れば君の方が断然上。私が鎧兜と槍で武装して「どうよ、ぶっちゃけ怖くてチビりそうっしょ?」って吠えるとすると、禁術使い手は対戦車用のロケット砲で「馬鹿が。木端微塵にしてやるぜ」って嘲笑うレベル。ところが君の場合こう、洋上に航空母艦を浮かべて、「荻原お前マジかわいいな。ぶっちゃけ俺のタイプだぜ」って冗談言いながら戦闘機を発着させるレベル。要するに桁が違うわけッス」

「例えとそこに挿入されたセリフがよく分からないんだけど」

「細かいことは気にしない。とにかく君の目には妖波が宿る。宿る、やどる、ヤドル……う~ん」

「どうかした?」

「君のその瞳術にいい名前を授けてあげようと思ってね。歩く失恋航空母艦じゃダサイからさ、そうだね…………………っ!?決めた!舎瞳!!どうよ!カッコいいっしょ!?」

「シャドウ?それって……影のこと?」

「ちゃうちゃう。瞳にやどる。「やどる」は舎の字。瞳に舎ると書いて、舎瞳!それでいて英語の影(SHADOW)と響きが一緒ってところがイカすっしょ!?戦って勝った時の決め台詞はこう目を細めて、「貴様らゲスの一生など、影の見る夢に過ぎない」。カックイイ~……とか思いません?」

「……っていうか、どうしていつもそんなにテンションが高いんだ?」

「そりゃあノリっスよ、ノリ。人生ノリが肝心だよ。君みたいにいつまでも「中西にふられた。僕なんてついでに生きているようなダメ人間なんだ」なんて気にしていたら人生やってられないのよ。分かったかね?」

「はあ……わかりました」

 聞いているこっちが疲れた。

色々聞きたいことがあったけど少し休みたくなった。

「お腹減ったんでしょ?」

「全然」

 ギュルルルル~……

「……で、何が食べたい?」

「あんさん、何作れるのさ?」

「いろいろ、かな。作る機会が多いから。特に希望がないなら適当でいい?」

「うん」

「そっか。よいしょっと」

 僕は立ち上がり、部屋を出る。

「なになに?何作るの?」と後ろを追いかけてくる荻原。彼女の手は僕の肩にある。その手は湯上りのせいなのか、妙に温かい。それでいて懐かしい何かがあった。いつ以来だろう。こんなに同じ人と長いこと面と向かって喋ったり一緒にいたりしたのは。

「お父さんやお母さんはいつもいないの?」

 突然荻原はそんなことを聞いてきた。

心の中でも読まれたのか?

魔法使いはそんなこともできるのかな。

「ああ。働いてばかりだよ」

「どうして?」

「知らない」

「私は知ってるよ」

「そうか」

 なら、聞くなよ。

「興味ないの?」

「……うん」

 興味がないのは嘘だ。けれどあえて知りたいとは思わない。昔は知りたいと思って尋ねたことがあるけれど、両親ともはぐらかして教えてくれなかった。

だからこう考えた。

こいつらは金が欲しいから一生懸命働いている。それだけだと。

「君はね、幼い時長期にわたって入院していたんだよ。それにかかった入院費を支払うために、君の両親はお金を作り続けている」

「……」

 謎が一つ、ポツリと消えた。けれど何とも感じない。何かを感じるには少し時間がかかる気がする。

「そして君のお姉さんは君に命を与えるために、命を失った」

「姉さん?」

「さ、続きは後。何を作ってくれるのかな?」

居間に隣接するキッチンに着いた僕はスパゲッティのカルボナーラを作ることにした。

パスタを鍋で茹でながら、居間のソファーに腰をおろしてテレビの映像を見る荻原を眺める。

荻原の見ているテレビには「宇宙人の侵略!?テロリストによる攻撃!?

人々を恐怖に陥れた同時多発事件」と題して、特番が組まれて放送されていた。

「一週間の間で行方不明者は、△△市と□□市で合わせて六百二十二人にのぼっています」

 僕の住んでいる市街地と隣の市街地でいかに多くの人間が事件に巻き込まれているかという報道らしい。

確かに六百人を超えるとなると、やばい。

何か起きているとしか言いようがない。

あの、電柱の上にいた背広の人みたいに、みんなオカシクなってしまったのだろうか。

そんなことはないと、信じたいけど……。

「ここが事件現場です。ご覧ください。まるで、砲弾が落ちた後のようにアスファルトの地面が割れ、その窪みから水があふれ出しています。ガードレールはご覧のように、ものすごくひしゃげています。専門家の話では、重機でも使用しない限り、このような形に変形することはまずないとのことです。しかし、事件があったとされる昨晩、ここを重機が運ばれた、移動したという報告、あるいは目撃証言は一切出ていません」

「ここは、昨日まで公園だった場所です。しかし、信じられますか。これ、そう。まるで森になっています。電柱もほらこの通り、植物のツルでしょうか……覆われてしまっています。こちらの方では昨晩爆発音のようなものが聞かれ、さらに激しい閃光のようなものが上がったとの情報が警察の方へ寄せられているそうです」

 僕はザルにパスタを移しながら、自分が経験したことが間違いなく現実であることを実感する。と同時に、あれのおそらくすべてに関わっている荻原に改めていいようのない怖れを抱く。アイツはふざけているけれど、本当は僕を一撃でこのパスタみたいに茹で上げることだってきっとできる。

それに対して僕はほとんど無力に近い。

荻原には協力したい。

けれど、最後まで荻原は本当に信用できるのか。

荻原は確かに明るくて、見ていて楽しい。

だけどその裏に何かが隠されているかもしれない。

そして何が隠されているのか、今はまだ全然見えてこない。

中西の場合は逆だった。

隠すものなど彼女には最初から何もなく、ただ切れ味の鋭い刃のような美しさしかなくて、それに僕は魅かれたような感じだった。

もし刃の裏側に一つでも微笑があるとしたら、それは単におまけみたいなものでしかない。

僕はそういうのを期待して中西に好意を寄せたわけじゃない。

最初から裏表のないところ。そこに魅かれた。

一緒にいてきっと楽しくはないだろう。

けれど気高くて、美しい。

そこにたぶん魅かれたような気がする。

僕や荻原を含めて、人間には裏表が多すぎる。

そんなのいちいち読み解いて人付き合いをしていたら、

そのうち頭がおかしくなるような気がする。

だから、中西の裏表のない美しさみたいなものが好きになった。

そう言えばそうだった。

今さら思い出すなんて。……中西にも荻原にも失礼か。

「できたよ」

「おほっ!おいしそう!」

 こんなの、もうやめよう。

今はとにかく荻原を信じると決めたんだ。

一緒に行動すると決めた相棒を疑っていたら、たぶん何もできずに僕の人生は終わってしまう。

そういう世界なんだ。僕が足を踏み入れたのは。

「宝石のように輝いとるベーコンもチーズもよう味がしみ込んでますわ。パスタも食感がたまらんな~。う~、ほんと結婚して一生料理つくって~」

「おいしいなら良かった」

「相変わらずの見事なスルーっぷりですな」

「少しだけどお代わりもあるから」

「あざーっす。いただきやす!」

 僕が足を踏み入れた世界――。

一瞬にして地面に穴が開いたり、ガードレールがひしゃげたりするような世界で共に行動する仲間を疑っている暇なんてあるはがずない。

信じられると判断した以上は絶対に疑わない。

信じられないと判断を下した時は、共に行動するのをやめる。

それだけだ。

行動を共にする以上、絶対に疑わない。

それでいいんだ。

「ごちそうさまでした」

「お粗末様」

「お粗末だなんて。私の“なんちゃってサンドイッチ”には遥かに劣るけど、とってもおいしかったよ」

「よく言うよ」

 僕は食器を片づける。

「神様が君にその「舎瞳」を与えた理由は分からないけれど、可能性として考えられるものがいくつかある」

「……」

 僕は皿を洗いながら耳を傾ける。

「おそらく一番可能性として高いのが、君のお姉さん」

 皿を洗い流すために流していた蛇口の水を一旦止める。

「姉さんと、僕の目に何の関係があるんだ?」

「君のお姉さんはね、君の難病を治療するために海外で奮闘していた。その辺の話、全く覚えはない?」

「当時の記憶はほとんどないし、親は二人とも姉さんのことを話してくれたことなんてないよ」

 僕はまた蛇口の水を少しだけだけど、流し始める。

うちでは姉の話はタブーに近かった。

なぜかは知らない。

けれど話したがらない親の様子を見て、いつしかそれが当たり前のようになっていた。

だから姉について本気で気にしたことなんてなかった。

「そうか。まあしょうがない。……君のお姉さんは、外国の大学の研究室で君のための治療薬を開発した。たった一人でね。そしてそれをこっそり君に、正確には君の両親に届けた。それで君は両親に勧められてその薬を飲んだ」

「そう、だったのか」

 自分の事なのに、全く覚えていない。

「うん。でもね、君が飲んだソレは、薬は薬だけど、まともな薬じゃない。さっきまで私が話したような、こっちの世界の薬」

「それはつまり……魔法ってこと?」

「それに近いね。お姉さんは最初から魔法使いだったわけじゃない。けれど最終的にはそうなっちゃったのさ。花留魔の蝕菌……フェナカイトに拠れば、お姉さんはおそらく菌類に分類されるような何かを手に入れた。そしてそこから、君のための治療薬を生み出した。けれど完成して薬が君に届くころには、君のお姉さんは人をやめて禁術専門の魔法使いになっていた。それでフェナカイトが、彼女を止めた」

「……止めた?」

「そう。止めた。殺したと誰もが思ったけれど、フェナカイトは結局君のお姉さんを殺さなかった。理由は聞いたけど忘れちゃった。同情したのかな。それとも殺せないほど強かったのか。とにかく殺さず、欧州のとある廃坑に封印した。けれどその封印が最近になって解けちゃった」

「どうして?誰かが解いたのか?」

「封印場所とは異なる鉱山の爆発事故が原因だったね。それが遠因で封印が解けた。まあ人為的ミスって言っちゃ~、人為的ミスといえるね。とにかくその爆発事故が原因で君のお姉さんはフェナカイトの設けた封印牢から出た。そしてこの島国に来た」

「よりによって、どうしてここなんだ?」

「この島国をお姉さんが選んだ理由?知らない。それこそ君のお姉さんに聞いてよ」

「そう、か」

「それでお姉さんはこの国の、しかもこの街に来て、そして中西由美に接触した。理由は推測するしかないけど、たぶん中西由美に“才能”があったから、かな。私には見抜けない才能のようなものを君のお姉さんは中西由美の中に見抜いていて、それを理由に中西由美を彼女は選んだのかもしれない。ひょっとしたら気まぐれかもしれないけど、でも君のお姉さんは気まぐれで動くような人じゃないってフェナカイトは常々言っていたから、どうかな。いずれにせよお姉さんは中西由美に接触し、フェナカイトの所有する舞踏譜についての情報を中西由美に流したらしい」

「舞踏譜……さっき言っていたやつだな」

「そう。中西由美は親友を事故で……フェナカイトの話だとその事故すらも君のお姉さんが引き起こした可能性が高いらしいんだけれど……親友を事故で失った中西由美は魂を代償に幻影を見ることができる舞踏譜の情報に飛びついた」

「幻を、見る?それが中西の願い?」

 どんな願いでも叶うのなら、失った大切な人をよみがえらせたいとか、そういう願いを抱くのが普通な気がするけど。

「彼女の親友を本当にこの世の中にもう一度存在させるにはぶっちゃけ、彼女の魂一つじゃ全然妖波が足りない。舞踏譜で叶えることができる願いは、魂の持つ妖波の量に依存する。普通の人間なら金銀財宝はひねり出せても、別の人間を生き返らせるのは、いくら舞踏譜でも無理。それを願った場合、夜の間だけ幻影を、舞踏譜の使用者の前に出現させることができるくらいかな」

「なるほど」

「で、舞踏譜の情報を得たってことはつまり、中西由美はフェナカイトの居場所を知ったってこと。たぶんお姉さんが予め調べておいて、その情報を中西由美に流した。そして中西由美はフェナカイトに接触してくる。フェナカイトは舞踏譜を知っている少女に驚きつつ、一方で情報の発信源を知りたがった。だから泳がせるために、危険を承知であえて舞踏譜を中西由美に渡したんだって。そして調べているうちに、君のお姉さんの存在が浮上したのさ。そのころ私もこの街に入った。そしてフェナカイトと私の二人で君のお姉さんを捜して、ついにあの病院へとたどり着いた」

「……」

「君もあのとき、あの場所にいた。そういえばどうしてだろう。私の後をつけてきちゃったのかな?」

「分からない」

 僕が追いかけたのは、猫だった。

影猫。

「魂の持つ妖波は悉く尽きて、もはや人の身ならとうに死んでいるはずの中西由美は、親友である臼井百合花をなおも幻出中だった。舞踏譜を使ってね。黒幕が君のお姉さんらしいとその時は分かっていたからそろそろ中西由美を始末しようと思った矢先、君のお姉さんの作る手下、さっきちょっとだけ口にしたかもしれないけど菌屍きんしって言われててね、あいつらが病院を取り巻いた。あいつら自体は別にたいした連中じゃなくて想定の範囲内だったんだけれどね、想定外は君と臼井百合花だね。あの場で君は絶対に邪魔だったし、臼井百合花は幻影のレベルをはるかに超えた強さを備えていた。っていうかあれは……“受肉”していた。なんでそうなったのかは現在調査中。まあ君のお姉さん絡みだとは思うんだけどさ。とにかく君と臼井百合花の二つが、あの場にいた私とフェナカイトの敗因。結果的にフェナカイトは死に、私は一人になった」

「死……そうだったのか」

 やっぱり、あそこであの人は、死んだのか……。

「君がゲームセンターやコーヒーハウスにいる間に、私は目の前でチョロチョロ動き回っている菌屍をやっつけつつ、フェナカイトを殺した臼井百合花と中西由美の二人を一生懸命追った。で、君と公園で会ってケンカしたあの日、実は二人を見つけた。あの病院から程遠くない場所で隠れているのを偶然見つけたのさ」

「その……殺したのか」

「いいや。どこかに逃げたよ。臼井百合花の弱点はどう見ても中西由美の存在だから、苦しんでいて気の毒だったけど仕方なく彼女を狙ったのさ。だけど、殺せなかった。臼井百合花がとにかく中西由美を守ってね。臼井百合花は、彼女は彼女でいくら攻撃しても傷が治っちゃうもんだから、参ったよ。で、結局逃がしちゃった。でもたぶん放っておいてもあれは、片方が死ぬね。中西由美が。菌屍にもうじき変わって、そこら辺で出くわすと思うよ。後は見つけ次第退治する。めでたし、めでたし」

「めでたしって……」

 めでたいもんか!

「嘘だよ。めでたし、なんかじゃない。ごめんね。神経を逆なでするようなこと言って。……中西由美は君のお姉さんが見込んだ存在だから、たぶん菌屍じゃ終わらない。終われない。いずれ二人は何らかの形で回復して、また君のお姉さんの急先鋒として街を荒らしまわる可能性が高い。菌屍同様、あの二人が生き延びるには君のお姉さんから養分の還元を受ける以外に方法はないだろうから、あの二人がお姉さんの手から逃げることはおそらくできない。一方で、お姉さんは菌屍という名のゾンビみたいな兵隊を量産して自分自身は最後まで姿を見せないだろうね。当然の帰結として、私はあの二人を潰して、ついでに攻撃してくるだろう兵隊を叩き潰して、最後は兵を失って出てこざるを得なくなった君のお姉さんを潰す。これが私の仕事。流れ的に分かってもらえたかな?」

「……ああ」

やっぱり、最後には倒す・倒されるの話になる。

……仕方ないんだ。

「正直言うと、一人でこれをやるのはたぶんもう無理。君と争って余計な傷を負っちゃったし。んで、私の同僚は海を越えてこの島国に来て君のお姉さんと戦う勇気と戦力と義理なんて持っていないから問題はいつまでも解決しない。君のお姉さんの恐ろしさは多くの魔法使いが数年前に知ったから、ある意味しょうがないんだけれどね。だからさ、「後生だから助けて~」ってわけよ」

「それで僕はモニター……敵をいち早く見つける。そして荻原が」

「言ってみればアタッカー。敵をいち早く殲滅する。そういうことになるかな」

「……わかった」

 「敵」かどうかを見分けるポイントは……僕には蛍火しかない。

蛍火が危険を知らせるから、僕はそれを荻原に知らせる。

じゃあ荻原は何をもって最終的に「敵」を「敵」と判断するんだ?

攻撃されるのを待つ?

疑わしい者は全部罰する?

……どっちもないとは思うけれど、どうなんだろう。

きっと、何か判断基準があるんだろう。

「なあ、間違ってゾンビと間違って普通の人をその、倒しちゃったりしたことは」

「一度もないよ。菌屍にとり憑かれたら生き物とは明らかに違うニオイを放つから、注意して嗅げばそれは分かる。もっとも何百メートルも離れたところからアイツ妖しいって判断するのはちょっと無理だけどね。だから君が要るのさ。そしてもう一つ。これは事後になっちゃうけど、死んだ直後にアイツラは胞子を飛ばす。本当に直後にね。だからすぐわかる。胞子は警報と種の存続を維持するための最後の手段だから、これは絶対にやろうとする。君はもし殺人を心配しているなら、注意して菌屍の死体を見るといいよ。もっとも胞子なんか飛ばす前に全部焼いちゃわないと死ぬほど後で困ることになるんだけどね」

「……」

 信じよう。

そう、荻原を信じよう。

荻原が倒そうとしているのは「敵」であると。

そして僕は仕事に徹する。何度も言わせるな。

「よし、じゃあ今君ができることは、しっかり寝ることだね」

「そのキンシとかっていうゾンビを止めにすぐにでも行かないのか?」

「あれは夜行性。「舎瞳」が日中休止していて日没後開眼するのと同じ。彼らも昼間はどこかで休んでる」

「じゃあなおさら、向こうが攻撃できない昼間に叩いた方がいいんじゃないのか?それとも荻原の魔法も夜行性なのか」

「何言ってるのさ。昼間じゃ君にも私にも菌屍がどこにいるか分からないでしょ?」

「あっ、そういうことか。ごめん」

 昼には蛍火は見えない。

これじゃモニターにはならない。

焦りが前に出て、自分の事なのにすっかり忘れていた。

「でしょ。協力してくれるなら、まずは夜までちゃんと寝て、体を休めて。

「散歩」はそれから。分かった?」

「ああ」

「あっ!」

「そんな……まさか」

「え?」

「そういうこと……今まで気づかなかった」

「ど、どうしたの?」

今まで気づかなかったって、今は何に気づいたんだ?

菌屍の居場所!?

「とぼけても無駄よ……金井智宏」

「え?」

 何?

 何だ?いきなり。

 どうしてそんな怖い目でこっちを見るんだ?

 これ以上何を僕が隠しているって言うんだ?

「荻原?」

「……」

「……」

「一人で寝るのが寂しいなら寂しいって言ったらいいじゃない!」

「……」

「今だけならその……貴方だけの抱き枕になってあげても……」

「……」

思わず皿を投げそうになったけれど、グッとこらえる。

「意外に冷静ですな。はっはっはっはっは……すいませんでした。さて、冗談はほどほどにして、本当に休んでおきなよ。君の舎瞳が必要になるのは夜だから。そして約束して。あのヘンテコな技は私の側で使用しないと」

 ヘンテコな技。おそらくは

妖波である蛍火を瞳の中に集める、アレ。

「使わないよ」

「私のために言っているわけじゃない。っていうのは九割が本当で一割がウソ。もちろん私の仕事に差し支えがあるのは事実だけど、本当は君のため。目の痛みを君は訴えていたね。たぶんそのうち失明するよ。神域を侵すような目を人間が何の代償もなしに持つことを世の摂理は許さない」

「……」

「あのヘンテコな技は君の目の寿命をさらに縮める。だから止めて。いいね?」

「……うん」

 ふうとため息をつき、僕は目と瞑る。

遅かれ早かれ失明する。

ならば残された時間、この視力はできる限り人の役に立てよう。

荻原が僕の姉さんや中西や臼井を殺そうとしている。

たぶん、殺そうとしているんだろう。

殺すという響きは正直怖い。

その場に居合わせたら僕はひょっとしたら荻原を止めるか、逃げ出してしまうかもしれない。

けれど、いざとなってそうならないよう、ここは立ち止まって考えないといけない。

「なあ荻原」

「何?」

「中西とかそのキンシとかいうのを、元に戻す方法ってないのか?」

「……残念だけど、現状ではないとしか言えない。菌屍の成分すらまだ完全に解明しきれていない。だから当然その治療法も確立されていない。今菌屍を前にしてできることは、菌屍をこれ以上増やさないこと。ごめんなさい……それしか今は、できない」

「……分かった」

荻原の推測が事実なら、僕の姉さんは、あの電柱の上にいた背広のサラリーマンみたいなキンシとかいう変な怪物を生み出している。

その中に中西や臼井も含まれているかもしれない。

つまり多くの人の日常生活を突如終わらせて、訳の分からない化け物に変えている。

こんな理不尽なこと、許されるはずがない。

だったら誰かが止めないといけないんだ。

姉さんの手先として中西や臼井が現れたとして、罪のない彼女たちが気の毒であったとしても、止めないといけないんだ。

それが血を流す結果となって、全てが終わった時それについて僕が断罪されるとしたら、その罪を僕は背負おう。

荻原一人に背負わせるのは、いけないことだと思う。誰かに責任を押しつけて自分だけぬくぬくと生きるなんて、したくない。

そう僕が感じるから、僕はそれをいけないことだと思う。

……。

逃げずに立ち向かおう。

「荻原」

「あいよ?」

「僕は部屋で少し眠る。本当に眠くなってきた」

「分かった。後で私も行くから期待して待ってて」

「ここで寝なさい。そこの押入れに毛布があります」

「ぶ~」

 失明?

構わない。

姉さんや同級生や人間をやめることを余儀なくされた大勢の犠牲者の「暴走」を食い止めるために払う代償なら、

僕は当然のこととしてそれを支払おう。

犠牲者の無念に報いる。

そのためにも全力で挑む。

荻原には協力する。

「おやすみなさい」

「ああ。……荻原。がんばろうな」

「うん。ありがとう」

そう言って僕は自分の部屋に戻り、ベッドに横たわった。

敷布団には荻原の匂いがついていた。

鼻いっぱいに匂いを吸い込むとどういうわけか懐かしくなって、泣きそうになった。

なんでそんな気持ちになるのか理由を考えているうちに、ウトウトし出して、とうとう僕は眠りに落ちてしまった。

「……?」

 スー、スー。

「……」

 スー、スー、スー。

 えっと、その、何というか。突然のことで唖然とする。

「……」

ベッドに僕は寝ている。それはいい。

右半身を下にして寝ている。これは癖だから、別に変じゃない。

下にしている右半身が痛かったら寝返りでも打てばいい。

 スー、スー、スー。

 変なのは、僕のすぐ目の前で眠っている荻原だ。

左半身を下にして、僕と額がくっつきそうな距離で寝ている。

いくらなんでも近すぎる。

「……マジか」

 その時荻原の膝が動いて僕の太ももに当たる。その時ハッと気づく。ヤバイ。寝起きで……。

 ゴツンッ!

「いて」

「むにゃ?」

 慌てて前かがみになった拍子に荻原の額に自分の額を打ちつけてしまう。

「およ?」

「あ、ごめん。起こして」

「どうしてこんな傍に君がいるのさ」

「本気で言っているのか?」

「……」

「……」

「な~んちゃって。そろそろ起こそうと思ってもぐりこんだだけだよ」

「そ、そうか」

「夜が来た。そろそろ外に出よ」

「うん」

「うんって。だから出ようよ」

「分かったから」

「?」

「先に出て」

「あ……これは失礼いたしやした。ヒヒ」

 荻原は僕の下半身に目線を向け、その後ニヒヒヒと笑いながらベッドから先に抜け出る。

「若いねェ。ビンビン感じますわ~」

「うるさい。さっさとリビングに行け」

「ニヒヒヒヒヒ」

 遅れて僕もベッドを出て、支度を整え部屋を出る。ふと思いついて、しばらく入っていない姉さんの部屋に向かう。中に入り、姉さんのダッフルコートの一つとマフラーを洋服棚から取り出し、それを持って居間に向かう。

「鎮まった?」

 無視して、荻原にコートとマフラーを渡す。

「ほら」

「何さ?」

「寒いだろ。だからコートとマフラー。姉さんのだけど、あげるよ」

「……そう。ありがと」

 荻原はからかうのを一旦やめ、僕の目をじっと見た後そう答えて姉さんのコートとマフラーを僕から受け取った。

僕が「貸す」と言わなかった意味を考えてくれたのかもしれない。

僕はこれから姉さんと戦うかもしれない。

そうすれば、ここにある姉さんの品を、姉さんがもう一度手にすることはなくなるだろう。

だから「貸す」のではなく、「あげる」。

持ち主はたぶんもう、帰らないから。

僕の一存で決めていいことではきっとないのかもしれないけれど、

こうすることで僕は気持ちの整理をつけたつもりだった。

それを荻原もきっと察してくれたんだろう。

だから余計な事を言わず、それを受け取り、今僕の目の前でこうして着ている。

倒す相手の服を着るのはひょっとしたら荻原にとって、気持ちのいいことじゃないのかもしれない。

あるいはそんな感傷など無意味だと、はなから心得ているのかもしれない。

荻原が何を考えているのかなんて、僕には結局のところ分からない。

でも今、それはたいして重要じゃない。

重要なのは、僕が協力すること。

困っている荻原に手を差し伸べ、力を合わせて行動すること。

それだけだ。

「なるほど。こりゃあったかい。ん~けれどちょっと暑いかも」

「荻原って意外に暑がりなのか?」

「ノー。君のお姉ちゃんの冬物のインナーをびっちり中に着込んでるから。見てみる?冬物なのに結構エッチなのがあったからそれも身に付けちゃってるんだけど」

「ば、馬鹿言うな!」

「あははウソウソ。そんじゃ、そろそろ外に行くよ」

「ああ」

 結局コートもマフラーも荻原は脱いでしまった。

厚目のインナーを着こめば体型は多少なり変わって見えるものだけど、

荻原の体型は僕が家に運び込んだ時と少しも変わっていない。

たぶん着ていないんだろう。

「さて、一歩外を出れば用心を忘れずに。私がいるからって油断しないこと。相手が卵だろうとリンゴだろうと気を付けてね。オッケー?」

着ていないのは、人の心配をしている暇があったら自分の心配をしろという意味かもしれない。それもそうだ。

「分かった」

 二人そろって凍てつく夜へ足を踏み出していった。


「いや~寒い。やってらんないよ。でもイルミネーションがきれいだったわさ」

「そうだな」

「でも明るすぎるとかえって木には迷惑かもね。ああ毎晩毎晩ピカピカやられたんじゃ眠れやしない」

「ああ……」

「なんか浮かない表情っスね。先輩」

「浮かないって、やることがあるから当然だろ」

「そりゃそうだ。ふぅ~」

 荻原は両手を胸の前でこすりつつ、僕の横をひょこひょこと歩いている。

歩きつつ漏らすのは街についてのたわいのない感想ばかりだった。

緊張している様子はない。

とてもこれから誰かと戦ったり、何かを壊したりしようとしている人物には思えなかった。

「あのね、あまり力んでると体が持たないよ?」

 立ち止まった荻原は「ハァ~」と白い息を手にかけながらニコニコしている。

 やっぱり緊張しているように僕は見えるのか。

「私の勘だけど、君から見て十一時の方向にいるの、菌屍じゃない?」

「!?」

 言われて、僕はイルミネーションに混じって地面近くをゆらゆらと飛んでいる蛍火に注意を向ける。

 僕から見て、十一時の方向――。

駅に程近いそこには、大きな花壇がある。

その花壇の傍に段ボールが畳半畳ほどの大きさで敷かれていて、家を失った人が汚れた毛布を頭からかぶって横になっている。

カップル、会社帰りのサラリーマン、OL、学生などが、その人の側を素知らぬ顔で通り過ぎていく。

こんな時期のこんな時間に屋根もないあんな場所で寝ていたら凍死するかもしれ……?

「どうかした?」

「……」

 段ボールの上の、ホームレスと思しき人の周りには、普通よりもたくさんの蛍火が滞っていた。

荻原と戦った時と規模は遥かに小さいけれど、似ている。

動けなくなって、凍り付いているかのような、蛍火。

「少し、変だ」

「そう。分かった」

「どうするんだ?」

「大勢の人が見ているのも気にせず殺処分する」

「え!?」

「嘘。その反対。人通りの少ないところにおびき寄せて始末する」

「……」

「夜が更けて歩行者の数が減ったらあれは動いて捕食行動に出る。だからその前に叩く。言っていること、分かった?」

「……うん」

「ほかに、変な様子はないよね?」

「ちょっと、待って」

 集中する。

ホームレスの周り以外には、蛍火に関して変な様子は特に見当たらない。

いや、少し怪しいように見えるところもあるけれど、あれはひょっとしたらイルミネーションかもしれない。

よく見れば高い場所にも蛍火はいる。

ただ小さくて、その光があまりにか細くてよく見えなかったから今まで気づかなかったらしい。

それらが冬の昼間に見える埃のように、わずかに光りながら夜空をフワフワと飛んでいた。

「ふふ。私が気付く前にちゃんと教えてくれないと、意味ないんだよ。大丈夫?」

「ああ、ごめん、大丈夫だよ」

「まあ、初めてだからしょうがないか。よし、それじゃ始めますか」

 荻原は胸の前で手をこすり合わせるのをやめる。

両手を口元まで持っていき、両手の指だけは互いにくっつけたまま、手のひらで作る空洞の中でブツブツと小声で何かを呟いている。

荻原の足元で漂っていた蛍火もまた静止し、その場でフルフルと震えだす。

白く淡い煙のような光が荻原のコートの中に流れ込む。

 ビクッ。

「!」

 ホームレスの傍にいた多くの蛍火が少しだけ、彼を避けるようにパッと離れる。

合わせて、寝ているところでいきなり耳に水を流し込まれたかのようにホームレスが大きく動く。

けれどそれだけでまたホームレスは動かなくなった。

「何をしたの?」

「私がここにいるって伝えたの。私みたいな殺し屋がここにいるって。言ってみれば宣戦布告。戦の狼煙」

「……」

 殺し屋。

自分のことを何のためらいもなくそう言った荻原が、

自分とは全くかけ離れた場所に絶えず身を置いてきた存在なのだとその時僕は感じた。

 スッ。

「動いた!」

「静かに」

 ホームレスが立ち上がる。

ニット帽を目深にかぶりマスクをつけたその人は、こっちを見ることもなくそのままサッとその場を離れていく。

「殺し屋」の気を察して動き出す相手の様子があまりに怖くて、思わず小さな声を上げたが、荻原はそんな僕を制した。

 そしてホームレスの後を二人で追いかけていく。

荻原は息切れ一つせず闇の中を走ってホームレスを追いかけていく。

僕はその荻原を必死になって追いかけていく。

運動不足の身にはかなりこたえた。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 いくつもの路地裏を抜け、抜けては人通りに出て、そしてまた路地裏へと荻原は消えていく。真冬の夜なのに僕は額から汗をだらだら流して、荻原と荻原の追うホームレスをひたすら追いかけた。途中で何度か見失ったけれど、その度に凍り付いて動かなくなる蛍火を見つけて二人の跡を追った。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 それでも見失った。

蛍火たちは何事もなかったかのようにその辺を静かに飛んでいる。

どうしよう。ここどこだ?

っていうかここ、暗い。

あっ、嘘だろ……行き止まりだ。

どうしよう。引き返さないと。

 ササッ。

「!?」

 何か物音がした!

それも背後だ!

「はあ、はあ、はあ、はあ……!?」

 路地の向うから、誰かが歩いてきている。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

「あ……あう……う……う」

 足を引きずる音と、何かを訴えるようなうめき声。そして、微かに見えるシルエット。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 前のめりで、背を丸めた、おそらく女。そして彼女の周りにはその場で止まる蛍火。

「う……うあ……」

どんどん僕との間合いを女は詰めてくる。蛍火の様子も普通じゃない。

間違いなくコイツはやばい!

あの背広のサラリーマンと同じ……あっ!

「キェ――ッ!」

「うああっ!」

「……なんちって」

 シュボッ。

「へ?」

 目の前に火が赤々と灯る。炎は僕の目の前まで来た女の指先で、紡錘形を保ったまま儚げに小さく浮かんでいた。

「私だよん。大丈夫?」

 荻原だった。

「……」

「いやいやいや……脅かしてごめんちゃい。でももう終わったからさ、とりあえず安心しなさいって」

 うめき声の主はシャンパン色の髪を軽く揺らしながらニコッと笑う。

「もしかして漏らしちゃったとか?」

「……」

「マジで怒ってる感じ?ごめんよ。かわりにおっぱい触らせてあげる。どうぞ。でも優しくね?」

「ふざけんな!!」

「分かった、分かった。ごめんって。さっき追っかけて行ったのはもう、処分したよ。で、戻ってきたら君がこんなところで油を売ってるから、ちょっとからかってみただけだよ」

 処分?

「処分したって?」

「菌屍だよ。言ったでしょ。殺処分するって」

「……殺したってことか」

「うん」

 表情を変えることもなく荻原は言う。

「死体とか、そういうのは、残るんじゃないのか」

「残らない。残らないように処理するから。さっき言わなかった?燃やすって」

「……」

「本当に大丈夫?」

「ああ。なんとか大丈夫だ」

「こんな袋小路にいてもしょうがいから、また通りに戻ろう」

 そう言って荻原は指先の鬼火のような灯を吹き消す。

それが僕にはまるでさっきのホームレスらしき人の魂か何かに思えた。

「まだ夜はこれからだから、気を付けてね」

「……ああ」

燈火を吹き消して闇に残ったのは瞳を紫に光らせる荻原の声と、やはり凍り付いて動かない蛍火たちの姿だけだった。

「……」

 蛍火を注視しながら、僕が怯えている間にこの世からいなくなる羽目になった一人のホームレスを思った。

さっきあれだけ考えたのに、いざこういう状況になると、人の死を悲しめばいいのか、

怪物となった者の死を喜べばいいのか、改めて考えてしまう。

けれどしばらくして、気持ちの整理がつく。

もう繰り返さない。

さっき、頭の中をまとめた。

だからもう心にも上らせない。

あとは真剣に、取り組もう。それだけだ。

考えながら行動する暇はない。

「ふ~、寒い」

「そうだね。でもキュートな君が傍にいるおかげで温かいから平気かな。私は」

「そう、か」

 気を使っているのか、それとも頼りなさを皮肉っているのか……。

「続けられるよね?」

 とにかく、

「ああ」

 真剣にやろう――。

 僕は自分がレーダーになったつもりで夜の街歩きを再開した。



祈りの果て 呪いの果て(三)


最初は、あいまいな感覚だった。

けれど徐々に、「ああ、今が私の時間だ」と認識できるようになった。

「帰国」してからはその時間が非常に長くなった。

というか、ようやく私は私の体を取り戻したような気がする。

今はもう私の中の“妖精”が私を支配することはほとんどなくなった。

 でも、今さらなんで?

 分からない。

 そもそも私はどこで、何をしていた?

 思い出せない。

 覚えていることと言えば、私は少し前に留学したこと。

 外国の医学部に入るために。

 そもそも、なんで?

 ……。

 ………!

「……智宏!」

 その名を思い出すと、胸が張り裂けそうな気持になる。

そうだ。

私には弟がいた。

大切な弟の名前は、智宏。

それだけは絶対に忘れない。

それだけは、それだけは絶対に忘れない。

「……!」

 けれど気づく。

顔がはっきり思い出せない、と。

 悔しさのあまり涙が流れる。

必死に思い出そうとするけれど、ぼやけている。

完全には思い出せない。

そうやって泣いて時間を過ごすうちにいつの間にか「眠り」がやってくる。

そしていつの間にか眠ってしまう。

けれどすぐに目が覚める。

そしてまた弟のことを思い出し、泣く。

それを繰り返すうちに眠りは信じられないほど浅くなった。

気づけば学生だった頃とあまり変わらなくなった。

つまり、眠っているのはほんのわずかで、起きている時間の方が圧倒的に長くなった。

「ケキャ」

「……そうですか」

 私にはよく分からないことだが、私の近辺にはいつも「誰か」がいる。

「誰か」は人というよりは、呪術か何かで生き返ったような死体ゾンビに近い。

けれどそれはゾンビとは言わない。

菌屍、というらしい。

なんでそんなことを知っているかと言えば、私の頭の中の「妖精」がそれを私に教えるからだ。

故に私は自分の傍にいる「誰か」が菌屍というものだと知っている。

この菌屍たちが何を考え、何を伝えようとしているかはよく分かる。

菌屍はまるで記者のように見たこと、聞いたこと、知ったことを私に映像や音声で知らせてくれる。

それがどうやら私の眠っている間に見る夢の正体だった。

「ケキャ」

 日が沈むころ、菌屍はそんな挨拶だか何だか分からない奇声を上げて、私のいるこの廃墟の病院の外へ出ていく。

体中から黒い液体をこぼしていること以外は、普通の人に見える。

私は「そう、さようなら」と声をかけて彼らを見送る。

いつ戻ってくるかは分からない。

戻ってこないかもしれない。

でも大抵は「仲間」を増やして戻ってくる。

彼らが戻り、その姿を見る度に私は菌屍がもともと人だったのか、それとも別の生き物なのか考える。

もとより私には分からない。

あるいは人そっくりの人形なのかもしれない。

どっちにせよ彼らのうちの誰かは常に私の傍にいて、夜になるとどこかへ外出していく。

 ある日のこと、私は夢の中で、弟を見た。

どうして弟と分かったのか、自分でもいまだによく分からない。

けれど、分かった。

私は電柱の上から弟を見ていた。弟は驚きつつも私の方をじっと見ている。

多分その時に気付いたのだ。

身長も骨格も当時に比べて遥かに大きくがっしりとしている。

けれど変わらないくせっ毛。

そして茶色の目。

あのやさしい眼差し。

思い出しただけで全身が業火に曝されたように私は火照る。

もう間違いない、絶対に弟だ。

近づきたい。

そう思った時には、私は電柱の上から飛び降りて弟の上にのしかかっていた。

 けれど、このとき弟が何かをした。

そして私は目の痛くなるような光に吹き飛ばされて、それで動けなくなった。

弟はどこかへ消えてしまい、そして私の視界はまもなく途絶えた。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 目が覚める。

菌屍の出払った病院の中は墓の下のように静かだ。

思えば覚醒後の私の意識は、この戦場跡のように朽ち果てた病院から始まっている気がする。

ここでそもそも何があったのだろう?

炸裂弾や焼夷弾を食らったような傷跡が建物のあちこちに刻まれ、鉄筋がグシャグシャに曲がり、

しかも溶ける理由など、普通に考えてみたらあり得えることではない。

私がやったのか?

覚えていない。

いくら思い出そうとしても、この建物に関する記憶は一切出てこない。

だいぶ前からここは、こうだったのかもしれない。

理由もなく、原因もなく、建物が自分で崩壊を演出しているのかもしれない。

ちょうど私のように。

 ジュル……グシュグシュッ。

戻ってきた菌屍たちが廃墟の院内で「繭」を張っている。

繭は彼らの寝床みたいなものだ。知っている。

そしてそれがあるということはもうじき日は昇るということだ。なるほど、朝か。

「……」

 私は夢の内容を思い返し、弟に違いないさっきの人物を探しに行くことにした。

意識があるうちにやれることはやっておこう。

またいつ「妖精」に体を乗っ取られるか分からない。

 私は歩く。

そう言えばいつから私はこの格好でいるのだろう。

これもまた覚えていない。

というかどうして私が祖国に戻ってきたのかも定かではない。

もちろん戻りたいとは思っていた。

弟の元気な姿を、この目で見られるものなら見たい。

募る弟への懸想ゆえ過ちを繰り返さないとは限らないけれど、できるなら、傍にいたい。

そう願ったことは何度かあった。

でもまさか、気づいたら日本に戻ってるなんて。

本当に不思議だ。運命を感じずにはいられない。

あるいはひょっとすると菌屍たちが眠っている私を担いでヨーロッパから日本まで泳いできたのかもしれない。

……そんなわけない、か。

 歩いている最中、変な斑猫を見た。

斑が変わった模様だったわけじゃない。

変なのはその“在り方”だった。

斑猫に「人」を感じた。

その人は生きていないのに、無理やりこの世の中の猫という「檻」に閉じ込められたような、そんな感じだった。

まるでシュレディンガーの猫だ。

「……」

 弟以外どうでもよかったが、どうしてもそのシュレディンガーの斑猫に初めて会った気がしなくて、傍に寄り、どうしてそんな姿になったのか尋ねてみた。

「こんにちは」

「ニャ~」

すると本人も分からないと答えた。

気づいたら猫になっていたと。

しかも自分が元々何者だったかも覚えていないらしかった。

「それはお気の毒です」

「ニャ~オ」

 自分が何者かは思い出せない。けれどおぼろげに、自分が何かから逃げ続けていたこと、何かを死守するかどうか迷っていたこと、

でも結局誰かに裏切られて死んだかもしれないということを斑猫はポツリと話してくれた。

「そうでしたか」

でも、所詮私にとってはどうでもいいような話だった。

私にとってどうでもよくないのは智宏につながることだ。

それ以外は正直どうでもいい。

どうしてこの斑猫のことが私は気になったのだろう。

何か猫に対して悪いことでもしたか?

頭の中を検索してみたところで、心当たりは生憎とない。

「ンニャ~」

「え?」

 弟に関係するような興味深い話は何も聞けないと諦めかけたそのとき、斑猫は面白い話を聞かせてくれた。

それは斑猫の「夢」の話だった。

「ニャ~」

「そうですか」

 「夢」の中で、斑猫は戦っているという。誰かに戦うよう命じられているから戦っているらしい。

「誰に命じられて誰と戦っているのか」と尋ねると、銀の髪をもつ男に命じられて、くせっ毛のある学生服の少年と水辺の草原で戦っていると教えてくれた。

「銀の髪……くせっ毛……」

 私の中で何かが強く反応する。

 さらに詳しいことを訪ねると、それ以上は何も思い出せないという。

私は斑猫に礼を言い、別れた。

 「銀色の髪」に、私は心当たりなどない。けれど私の中の「妖精」が、それを探せと訴えかけてくる。

しかし私は無視する。

無駄な事はしたくない。だから探したくない。

故に無視。

「くせっ毛」に、私は心当たりがある。さらには関心がある。

けれど私の中の「妖精」が、そんなのは重要ではないと、またも訴えかけてくる。

 黙れ。

私は私だ。

私を支配するのは私であって、お前じゃない。黙っていろ。

 シュレディンガーの斑猫と別れた後、私は「銀色の髪」ではなく関心のある「くせっ毛」を探しにひたすら歩き続けた。

日が再び暮れる。

途中で何体かの菌屍に会い、「くせっ毛」に心当たりはないか尋ねた。

けれど彼らはみな分からないと答えた。

それより変な奴らが何匹かこの街をうろついているから気をつけろと私に教えてくれた。

菌屍らに「変」呼ばわりされるのだからおそらく「こちら側」の住人なのだろう。

まあいい。

どんな相手だろうと私は私の目的を邪魔する者は決して容赦しない。

この行動原理は最初から最期まで変わらないし、変えるつもりはない。

私の中心座標はあくまで「智宏」だ。

弟のためなら世界の一つや二つ用意したっていいし、必要なら壊したっていい。

でもきっと弟はそれを望まないだろう。

そんな気がする。

そんな夢を遠い昔に見た。

「………………」

弟とどこかで踊った。

踊っているうちに、短髪の女が……

現れて、弟と一緒に女が踊っていて、弟は、その女を好きだと言った。

ついでにその女を守るために戦うと。

「むかつく……」

 嫌な夢だ。

いつの夢だ?

どこの世界の夢だ?

腹が立つ。

「むかつく……」

いつの日か私の中の「妖精」はその夢を“並行世界”と言った。

黙れ。

そんなもの関係ない。

そんな世界があろうとなかろうと、それが夢幻であろうなかろうと、

思い出すたびに私のハラワタが煮えくり返ることに変わりはない。

その女の名前は?

何といったか?

のど元まで出かかっているのに、出てこない。

「むかつく……」

 夢に現れたその女を私は殺したか?

殺し損ねたような気がする。

ますますむかつく。

けれど私の中の「妖精」がたぶん打ち殺した。

なぜ?

なぜ私が手を下していない?

その時私は、何をしていた?

よく覚えていない。

思い出そうと懸命になるが、脳裏に浮かぶ像は全てテレビの映像のようで、私にとってまるで実感がなかった。

映像には、包帯のような帯を解いたり剣を振り回したりする格好いい弟の姿があって、「妖精」が作った菌屍をバタバタとやっつけていった。

せっかく作った「改良版」を潰されるのは少し辛いけれど、相手が弟だから、それは大目に見る。

弟のためなら一億体でも一兆体でも一京体でも菌屍を作ってあげたい。

でもそれだけの材料や力がこの惑星や私にあるかどうか、分からない。

そんなことをぼんやり思ううちに私は制御が効かなくなって、恐るべきことに弟に向かって剣を振った。

でも幸い……そうか。

そうだ。

弟が私を刎ねたのだった。

「はあ……」

 問題は首を刎ねられたことじゃない。

問題は弟が青い髪の女のために戦っていたように見えた事だ。

むかつく。

むかつく。むかつく。

むかつく。むかつく。むかつく。

むかつく。むかつく。むかつく。むかつく。

弟に近づく女を認めない。

死ぬほどむかつく。

どんな目的であれ、絶対に許さない。

たとえ弟を守る目的で近づいたとしても、許さない。

その任務は私がやる。誰にもその座は譲らない。せっかく帰国したんだ。

もう弟の傍から離れない。

離れる必要なんてないはずだ。

「くそ、思い出せない」

 “並行世界”で見た女の正体。

それは確かに思い出せないのだが、もう一つ。

思い出せなくて決定的に困ったのは、自分の両親と弟の住んでいるはずの住所だった。

信じられないことに、家の外観、近所の様子、通った学校すら私は思い出せない。

困った。

 だから歩き続けた。


「こんばんは」

 夜が更けて、午前二時頃だろうか。

そのとき私は見晴らしのいい高層ビルの屋上で冷たい夜風に身を晒しながら街の様子を上から眺めていた。

この時間に動く者といえば菌屍ぐらいだ。でなければ怪しい「こっち側」の生き物だろう。

そう思って見下ろしていた矢先だった。

突然背後に声がした。振り返ると、そこには女がいた。

「こんばんは」

 青いジーンズの上に黒いダウンコートを着ている。

髪はブロンドで内向きのセミロングだ。

顔は、……弟が嫌いそうなブス顔だ。

とにかく私はそう強く確信する。

「愛歌さんですね」

 春の日のような微笑を浮かべて私の名を尋ねる。どブスめ。

「人違いです」

 無表情で答えつつ、私は機械的に念じる。

女、要らない、食えと。

念じた通りに、屋上に隠れていた菌屍が三体、忍者のように現れてセミロングを急襲する。

怯える間もなく死ね。

カッ!

セミロングの手に青い閃光が上がる。

気づいたときには馬鹿みたいに長い日本刀のようなものがその右手に握られていた。

 シュパンッ!!!

 一撃で、私の菌屍三体がバラバラの肉片になる。

しかも胞子を飛ばす前にその残骸と化した菌屍の体は青い炎で燃やされてしまった。

むかつく。

女であること。

いきなり私の菌屍を斬殺したこと。

許さない。

殺す。

そう手のひらに念じると自分の身長より大きな鎌が右手に現れた。「妖精」が用意したのか?誰でもいい。とにかくこれなら殺れる。

 ガキンッ! 

ガランガランッ!!

「ずいぶんな挨拶ですね」

 しかし私の鎌はセミロングに一撃で折られた。

……むかつく!

「何か用かしら?」

 壊したい。

潰したい。

ばらしたい。

バラバラにして便器に詰め込んでやりたい。

「殺意がむき出しですよ?」

セミロングのまつ毛が微かに風にそよぐ。

「なんのことでしょうか?」

 千切りにしたい。

生きたまま内臓を取り出してその醜い口に突っ込んでやりたい。

顔の肉を刻んで、子宮に押し込んでやりたい。

「少し話がしたくて来ました。本当です」

「そうですか。でも生憎私は誰とも話したくない」

 話す代わりにゆっくりとその頭蓋骨を粉砕してやりたい。

鋸引きにしたい。

「金井智宏のことでも、話したくはありませんか?」

「!」

「チェック」

 ピタ。

 女の刀が、私の首の真横にある。その刀に血が滴る。

騙した?

謀った?

この私を……

「なんて、冗談ですよ」

 私の血をつけたまま刃物が私の首から遠ざかる。

「痛くはありませんでしたか……あら?もう傷がふさがっていますね」

「……」

「金井智宏、あなたの弟さんについて話したいことがあるのは本当です。どうです?これから会いに行きませんか?」

「……弟に?」

「ええ。今歩いていますよ。若い女性と親密に二人きりで」

 ギリッ。

嫉妬が突き上げてくる。

余計なことをいちいち喋る女だ。

気に入らない。

歯を全部ペンチで引き抜いて顔の形が変形するほどボコボコにぶん殴って、ついでに壁に塗り込んで壁の一部にしてやりたい。

「どうしますか?」

「弟がどこにいるか、それさえ教えていただければ結構です。一人で向かいます」

「うふ。そう警戒なさらないでください。どのみち私は彼らの目的地に用があるので、ここで別れても遅かれ早かれあなたと再会することになります。それなら一緒に移動しても問題ないでしょう?」

「……」

 彼らの目的地?

弟の目的?

それはいったい何だろう?

「追って、話しますので、とりあえずついてきてください。何でしたら私の背後に立ってもらって構いませんよ。ついでに手下の皆様も御一緒で結構です」

 セミロングが手を振ると刀が青い煙を出して霞の如く消える。そして普通に歩きだし、フェンスのある縁まで来ると、フェンスの上に乗り、

「では、下でお待ちしています」と告げてビルの屋上から飛び降りた。

「ふん」

 もし相手が普通の女だったらフェンスから飛び降りるだけで私はニヤリとしたかもしれないが、今はとてもじゃないがそういう気分にはなれない。どうせ下で格好つけて待っているのだろう。

「……」

 私はしゃがむ。焼却された菌屍の灰の一部を指の腹に付着させ、それを口に入れる。そして念じる。

 全菌屍に告ぐ。

この程度の刃物で不覚を取らないように。

備えろ。

備えろ。

備えろ。

「くくく」

 私も次は不覚を取らない。

“刃”はきちんと研いでおく。

そう自分に誓うと私は立ち上がり、セミロングと同様にフェンスからビルの下に飛び降りた。

「自己紹介が遅れました。私はロー・アトロポス・クロスカラと申します」

「そうですか」

 どブスの名前なんてどうだっていい。

貴様なんてセミロングで十分だ。

いやセミロングですらもったいない。

セミロングに失礼だ。

もっともそんなことはどうでもいい。

しかし……アトロポス、アトロポス……確か神話で出てきた。

何だったか。

運命を、人の運命を断ち切る女神の名だった気がする。

そうか、ふふ、運命の女神か。

あのフランス人の娘を思い出す。

ふふふ……私はつくづく運命の女神に縁があるらしい。

全くもって面白い。

今度は髪の毛をひっ掴んで張り倒すだけじゃ済まさない。

用が済めば殺して、殺して、殺し尽くしてやる。

運命も偶然も皮肉も全て。

「行きましょうか」

「ええ」

 セミロングの隣を私は歩く。

セミロングに言われた通り後ろを歩いてもいいが、いちいちセミロングの言いなりになるのは嫌だったから、堂々と隣を歩いた。

今頃菌屍たちは私の与えた「情報」と命令を元に自分たちの体を再構成し直しているだろうか。

ふふ、楽しみだ。

並行世界もしくは夢の中で何度か見たが、私は「学習」できる。

同じ攻撃を二度食らうような無様なことはしない。

二度目には敗因分析を済ませてより強くなっているからだ。

だから今度は、こんなブスの剣など私には届かないだろう。

それを見せつけてやりたい。

が、まずは智宏の情報が最優先だ。

これに勝るものはこの地上に何もない。

弟だ。

智宏だ。

智宏について、知ってることは全て教えろ。

「覚えていますか」

「?」

「あそこです。見えますか。あなたがこちらの国で通っていらした学校です」

「……」

 それがどうした?

「あの学校が、あなたの弟さんと連れの女性が二人で探している人物のいる場所です」

「……それで?」

 いちいち「連れ」と言うな。「二人」と言うな。八つ裂きにされたいのか。

「弟さんと連れの女性があの「砦」に乗り込んだ場合、まず間違いなく弟さんは死にます」

「……」

 ということは、あの場所に“何か”がいることになる。

「“天使”です。あそこにいるのは」

天使だと?

「あの砦の「天使」は私より強いです。たとえ弟さんの連れの女性が私たちと同じ側の生き物だとしても、おそらく叶わないでしょう」

「なら弟が行くのを阻止すればいいでしょう。あそこへ行かせなければ問題……」

「それはたぶん無理でしょう」

 セミロングは私の話を遮るようにして言った。

「理由は二つ。一つは弟さんがそれを承知しない。なぜなら弟さんは連れの女性の言いなりですから」

「……」

 なんだと?それはどういう意味だ?

「かといってあなたに弟さんの連れの女性は止められない。彼女もそれなりに強い。たぶんあなたのような強いだけの「素人」では止められません」

「……」

 私が女に負ける?

「それで何が言いたいのか、ですか?」

「……ええ」

「砦の「天使」を殺した方がよい、と言いたいのです」

「学校にいるその何者かを殺害した方がよいと、おっしゃっているのですか?」

「そうです。ちなみに「天使」の正体は分かっています。名は中西由美と臼井百合花。もともとはあなたの弟さんの同級生で、普通の人間だったのですが、尋常ならぬ「力」に触れて、悪魔ならぬ「天使」となりました」

「……」

 臼井?

 うすい?

 臼井……百合花?

「その「力」については、たぶんあなたの中にあって、あなたに対する支配を失ってしまったお方の方が詳しいと思いますが、お聞きになりますか?」

「……」

 ひざが震える。

なぜ?

臼井という名前に、私の細胞が反応している?

臼井?

臼井百合花?

「愛歌さん?」

「私の中にいる何者かについてなど興味はありません。それより少し黙っていただけませんか」

「これは失礼」

 臼井……どこかで聞いた。

 どこだ?

 智宏の同級生。

 ……………………………………………………………………………………

 ……………………………………………………………………………………あっ!

あの、あの……並行世界とやらで弟と一緒にいた、あの……クソブスッ!!

「それで?」

総身が……

「はい?」

「殺せばいいんですね。臼井百合花を」

総身が怒りに震える。

「臼井百合花と中西由美です。早い話がそういうことになります。砦の「天使」が死ねば、それであなたの弟さんの危機は去ることになります」

落ち着け。

落ち着け。落ち着け。

「それで?」

「なんでしょうか?」

「臼井百合花が死んだ後、あなたはどうなさるんですか?」

 確かにこのセミロングはどうでもいい。

が、私より弱いと言い切れないのが、どうしても気にかかる。

ひょっとすると最後は智宏を人質に私を殺すかもしれない。

はっきりと覚えているわけではないけれど、私は国外では追われていた気がする。

だから命を狙われている可能性は否定できない。

いやそもそも、私が死ぬのは別に構わない。

そんなことはどうでもいい。

でも私が死んだ場合、誰が智宏を守る?

連れの女?

どこの馬の骨とも分からない女が智宏を守る?

そんなの絶対に信用できない。第一、女だ。

あり得ない。

絶対に信用しない。

ならばこのセミロングが?

……死んでもこの女を私は信じない。

というかこのどブスは必ず私が消す。

「私は砦の「天使」に対して、個人的に恨みがあるだけです。ですから協力してあなたとあの化け物を退治したいと思って声をかけました。用が済めば私はこの国を離れます。それとこれを」

 言って、セミロングは懐から紙切れを取り出した。

「あなたの住所、つまりあなたの弟さんとご両親の住んでいる住所が書かれています。それではどうやってあの城に」

「ちょっと黙ってください。考えをまとめますから」

「ああ、ごめんなさい」

 このセミロングもまた、臼井百合花に恨みを持っている。

だから殺したい。

だけど一人では刃が立たない。

だから私に協力を依頼してきた。そういうことか?

それで、用が済んだら帰国する。

なるほど、筋は一応通っている。

けれど信用はできない。

一緒に戦う?

馬鹿を言うな。

いつ寝首をかかれるか分からない。

そんなことより、こっちはこっちで勝手に臼井百合花を退治する。

止めは絶対に私が刺す。

そしてこのセミロングも隙をついて殺してやる。

「おっしゃることは分かりました。ですが、ここはお任せ願えませんか」

「何をですか?」

「臼井百合花です。アレは私が何とかしますので」

「お独りで……はないのでしたね」

「そうです。私はなるほど“素人”ですが、たくさん“兵”を持っています。ですからお任せください」

「そして私は二度とあなたの目の前に現れなければよい、それでよろしいですか?」

「居所を教えていただければ、仕事が済み次第、連絡します」

 そこで貴様を確実に殺す。

「連絡は結構です。結果はこちらで勝手に確認します。お仕事の邪魔も一切致しません。私があなたの背後に刃を持って立つのは先ほどの屋上が最初で最後です。ご安心ください」

 そこまで言うとセミロングはニコリと微笑み、一礼してその場を去って行った。

「ちっ」

舌打ちする。

居所を聞き出すタイミングは永遠に逸してしまった。

こうなったら最終的には意地でも居場所を見つけ出してあの女は殺してやろう。

なに、号令をかけて菌屍を大量に動員すれば居場所くらい見つけられるだろう。

それはそれで体への負担は増えるが、仕方がない。

それと、智宏の傍には常に菌屍を配置しよう。

間違って私の「城」に来ないように。

来たらいくら私でも菌屍全てを制御できるわけではなさそうだから、間違いが起こらないとも限らない。

それは困る。

でも連れの女は食い殺しても構わないと伝えておこう。

いや……これは少し考え物だ。

大抵の菌屍は私の言うことを聞くようだが、とはいえ絶食状態が長く続いた後、肉を間近にすると見境がなくなる傾向がある。

間違って智宏を襲ったりする可能性がないとも言えない。

だとしたらやはり、智宏の連れに手を出すのは控えさせよう。

攻撃してきた場合のみ自衛の手段を取らせる。その程度にとどめておこう。

智宏の身辺に起こり得る“万が一”は全て避けたい。

「さて、と」

 どこへ行くか。

いきなり臼井百合花のいる学校に乗り込むか。

それとも智宏がいるはずの懐かしき我が家に向かうか。

 答えは、何をもとに算出すればいい?

 危険?欲求?欲求なら弟の傍が一番。

 では危険とは?

「……」

 セミロングの話を真に受ければ、現時点で力関係は

「臼井百合花 > セミロング > 私」

ということになる。だが臼井百合花を殺した覚えが私にはある。もっともそれは私の中の「妖精」曰く、並行世界での出来事かもしれない。

「……」

 馬鹿な。冷静になれ。

夢幻を基礎に私は計算しようとしているのか?

あり得ない。

ではセミロングの話を元に計算すべきか?

それもあまり信用できない。

基本的に自分で得たデータ以外私は信用しない。

科学者として当然だ。

「と、すれば」

 今すぐ臼井百合花と矛を交えるのは得策ではないだろう。私は「学習」できるが、万一力の差が歴然で向こうの方が圧倒的に強かった場合、「学習」の成果を発揮する前に秒殺されてしまうかもしれない。

それでは困る。

「そういうことか……ブスめ」

セミロングは私が協力を拒むことを計算していた。

そしてその結果私が臼井百合花に挑むためにそれなりの「準備」を始めるだろうとも計算していた。

ここですぐに挑むほど馬鹿ではない。

おそらく菌屍を増やすなり強くするなりするだろうと。

 つまり今、直接臼井百合花のいる学校に行くわけにはいかない。

が、データは必要だ。菌屍を送り込むしかない。

たぶんそれもセミロングは計算している。そして私の行動はおのずと限られてくる。

セミロングはそのために私の住所を手渡した。

「……会おう」

 智宏に。

セミロングの誘導にいちいち従う形になるが、あるいはセミロングの罠かもしれないが、

見られるのなら少しでも早く弟の顔は見たい。

もし連れの女が智宏と裸でイチャついていたら街ごと消してしまうかもしれないけれど、どうしても智宏を見たい。

一目でいいから近くで見たい。

 そのために私は、自分の家に帰ることにした。


「ただいま……なんてね」

けれど家の中には誰もいなかった。

智宏はいなかった。

智宏の部屋に入る。

智宏の洋服箪笥や智宏の机の中や智宏のベッドの中や智宏の本棚を探したが、智宏はいなかった。

仕方なく私は未だ残されていた自分の部屋に行き、そこで隠したままになっていた埃まみれの弟の写真のネガを見つけ出した。

写真屋に出せば間違いなく現像を断られそうな、弟との密かな甘い日々を記録した大切なネガ。かつての私はこれを自分の通う学校の写真暗室で勝手に現像していた。

「ふふふ」

いろいろと面白い過去を思い出した。

けれど、肝心の「宝物」がここにいない。肝心の弟……。

「困ったわね」

 私は家を出て、菌屍に念じて近所に捜索網を張り巡らせ、弟を待った。

 一日経った。

日が昇り、あちこち歩き回り、日が沈み、あちこち飛び回った挙げ句、私はついに、見つけた。

「!!!!!!!!」

 その姿を見た瞬間、体中に電撃が走る。

間違いなく、弟の智宏が歩いていた。

「ああ、あ、あああ……」

 足が震える。

思わず口元を手で覆ってしまう。

「智君……」

 涙が止まらない。

「智くん……」

 何てたくましい体。

「とも君……」

 何て甘そうな唇。

「智宏……」

 何て誠実そうな瞳。

暗がりでもはっきりそれは感じられる。

あのくせっ毛も昔のまま!

「あぁあっ、イキそう……」

 あんなに成長した智宏に抱きしめられたら、もうその場で死んだっていい!!

 あんなに成長した智宏に身体を貫かれたら、もうその場で死んだっていい!!

「?」

 興奮のあまりいつの間にか自分の首を絞めていた私は、智宏の隣を歩く女に気が付いた。

串に刺した団子みたいな髪型の馬鹿みたいにブサイクな女だった。

あれがセミロングの言う「私たちと同じ側の生き物」か。

道理で阿呆な顔つきだ。

あれだったら私の方が絶対に綺麗だ。

まさかあのくそブスと既に体を……あり得ない。

私だったらあんな女とは付きあわない。

「あっ!」

 しかも智宏と目を合わせて笑っている。むかつく。

むかつく。殺したい。殺したい。

「落ち着け…………もう、帰ろう」

 奥歯に入っていた力を抜く。

 弟の成長した姿を見た私は入り混じる気持ちを必死に押さえ、その場を足早に去った。

根城である廃墟の病院に戻った私は菌屍の大量生産と改造に全力を注ぐことにした。

私の中の「妖精」はもう私を支配することに諦めたらしく、私の行動に茶々を入れなくなった。

そうだ。それでいい。私を支配するのは私だ。

「三匹のブス……」

 私は「仕事」に没頭する。

「仕事」の目的は三つ。

一つは臼井百合花を殺すこと。

もう一つはセミロングを殺すこと。

もう一つは智宏の連れの女を殺すこと。

三匹のブスの共通点は「こちら側」の住人だということ。

奴らを殺すために私は「こちら側」で最強になるしかない。

そうすればあのブサイクどもを皆殺しに出来る。

智宏に害をなすクソ女どもを鏖殺できる。

「ふふふふふふふふふ……」

 智君。

掛け値なしで智君を見ているのはお姉ちゃんだけだよ。

お姉ちゃんは智君の全てを愛せる。

智君はお姉ちゃんが必ず守ってあげる。

どんな犠牲を払ってでも絶対に。



四、 毛布


これって、……夢?

 湖がある。

その湖の半分を取り巻くように濃い緑の木々がびっしりと生えている。

見上げる夜空には信じられないほどたくさんの星が出て、台風が通過した後のように瞬いている。

その一方で月は出ていない。

 星がこれだけ見えるということは、普通地上は真っ暗で何も見えないことを意味するはずだ。

けれど僕は自分の足元の短い緑の雑草も含め、一切が良く見える。

それがなぜなのか、湖を見ながら考えているうちに、答えがその湖にあることを知った。

灯台下暗し。

そうだ。湖からぼんやりと光が出ている。湖自体が淡い青色に発光しているし、それに、

「夢の中まで……」

蛍火が湖の上を飛んでいる。

荻原が妖波と呼んだあの光だ。それで、明るい。

 蛍火は湖の縁や岸や草の上もよく見れば飛んでいた。だからだろう。

そこかしこの様子がそれなりに確認することができる。

明るくないけれど、暗くない。

視覚が利く理由はやはり、蛍火ということになるだろう。

「……」

 木に囲まれていない、つまり僕の立っている場所から近い湖の岸に大きな岩が一つ、ぽつんとある。

その岩を背にするようにして、誰かが腰を降ろしている。

近づいてよく見ると広い肩幅が目につき、その人が男であることが分かる。

細身で背の高そうな銀髪の男は下を向いたまま、煙草をふかしている。

何か声をかけようと男の方へさらに一歩を踏み出そうとした時、男は下を向いたまま、右手を軽く前に伸ばした。

握った拳の中で親指だけが反り返り、天に向けて立っている。

どういう意味だろう。

大丈夫?

何が?

任せとけ?

何を?

「?」

 親指は夜空を指している。

けれどそこには星以外何もない。

夜空に目を走らせ、もう一度銀髪の男の方に目を落とした時、男の寄りかかる岩の上に、斑猫がいることに気づく。

どこかで見た覚えのある、いやそう思うくらいポピュラーなだけかもしれないけれど、とにかく斑の入った猫が岩の上にいて、その猫は僕と目が合うと、岩の上から降りてきた。と同時に、銀髪男は指を立てるのをやめる。

どうやら岩の上の猫を指さしていたらしい。

口にくわえた煙草を指にとり、煙を「フウ~」と地面に向かって吐く。

煙が風に流れて、猫にそっとかかる。

斑猫の姿が消えて、白い煙の中に、猫の影だけが残る。

煙がさらに流れて消える。斑猫はそこにいない。

フッ。

影が突如大きくなる。

影から何かが飛び出し、影の上に大きな音を立てて着地する。

ガジャンッ。

煙草の煙で猫が去り、猫の代わりに猫の影に立ったのは、ヨーロッパの騎士道物語で出てきそうな、全身を甲冑で覆った戦士だった。

ジャキンッ!

その手には両手で辛うじて振り回せるくらいの大型の金槌が握られている。

「……」

 銀髪男が頭を挙げ、こっちを見ている。

日本人離れしたその高い鼻筋の両側に深緑の瞳が光っている。

彼はあざ笑うでも同情する様子でもなく、僕をただじっと見つめている。

その射抜くような眼差しに思わず「助けてください!」という言葉を僕は呑み込んでしまった。

一度呑みこんだ言葉をもう一度吐きだそうとした時、甲冑が動き出した。

 ガシャンッ!ガシャンッ!

 ガシャンッ!ガシャンッ!

 銀髪男は目を瞑る。

僕は慌てて、大金槌を持って迫ってくる甲冑から逃げようと反対方向に逃げ出す。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 湖の反対側の岸は狭く森が迫っているのに対し、僕の立つ側の岸はかなり広い。

けれどその先にはやっぱり森がある。

僕はその森の中に逃げ込もうと思った。けれど森に入る前に、僕は蛍火の壁にぶち当たった。

「どけっ!どいてくれ!!」

蛍火が、僕を先に進ませない。

小さな蛍火からは燃えるような熱さが生じていて、近づくと体を焼かれるような感覚に襲われる。

それが集まって面を作り、フワフワと僕の逃げ道を塞いでいる。

熱かったり、邪魔されたり、こんなことは今までなかった。

どういうことだ?

こんなときに!

「はあ、はあ、はあ、はあ」

まさか僕に、あの甲冑の所へ戻って戦えとでも言っているか?

 ガシャンッ!ガシャンッ!

 ガシャンッ!ガシャンッ!

 甲冑の足音が僕のすぐそばまで迫る。夜空の星が見えなくなる一角に、バレーボールの選手みたいに大きな騎士が鎚を振り上げて静止する。

この後起きることは誰にでもわかる。

振り上げた鎚は当然、落とすしかない。

 ブオンッ! 

ズドンッ!!

「ひっ!」

 腰を抜かしながらも僕はその一撃をどうにかかわす。地面には無残に穿たれた大穴が残る。その大穴からゆっくりと、大金槌が持ち上がる。

泥と草がこびりつき、湯気のようなものまで上がっている。

できた大穴の周りを、野次馬のように二つ、三つの蛍火が集まる。

 ガシャンッ!ガシャンッ!

 ガシャンッ!ガシャンッ!

「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」

 立とうにも立てない。どうやって立つのか分からない。

腰から下が思うように動いてくれない。

ただ手足をばたつかせて、草をひっつかんで僕は甲冑の騎士から少しでも遠くへ逃げようと必死に移動する。

けれど大股で歩く騎士の足音は次第に迫ってきて……止まる!!

振り返った時には、騎士の振り上げた鎚が落下運動を始めたときだった。

 ブオンッ!

「うあああああああああっ!!」

 思わず目を閉じる。

 ヴゥ~……。

「ぐっ!?」

 頭から腰にかけて、爆風が襲う。瞬間、焼かれるような激しい痛みを全身に覚える。

きっと拷問で死ぬ苦しみはこんな感じだろう。

でも最後は何もかも消えてしまうんだ。

………………。

………………。

………………。

いつまでも意識が消えないのはどうしてだろうとふと思う。

変だと思い、開けられるものならと目の筋肉を動かす。

目が開く。

 フゥ~……

 岩に凭れて座る銀髪男一人と、その岩の上にポツンと座り天を仰ぐ斑猫一匹。

「……」

この夢なのか夢じゃないのか分からない世界を最初に認知した時とほとんど変わらない光景が僕の前に、また広がっている。

 スッ。

 男が下を向いたまま右手を軽く伸ばす。

今度は人差し指が僕の足元に伸びていた。

「?」

 僕の足元の土に、何かが突き立てられている。

ズボッと引き抜くと、それはナイフのような短刀だった。

軽く振ると、刃についていた土が落ちる。

僕の近くを通り過ぎた蛍火の光がふわりと刃に映り込む。

刃物に関しては素人の僕でも何となく、今手の中にあるナイフは鋭い切れ味を持っている気がした。

でもこれで、どうしろっていうんだろう。

 まさか……

 スッ。

 銀髪男の人差し指が引っ込み、代わりに、親指が、反り返るようにして立つ。

 ドックンッ。

 予想通り、斑猫が岩から下りてくる。斑猫が岩から下りて来るのに合わせて、銀髪男は胸ポケットから新しい煙草を取り出し、咥える。

親指を立て終わった右の拳を開くとライターが出て来る。

最初から握っていたのかもしれない。

あるいは、こんな辺鄙な場所にいるくらいだから、誰かさんと同じで、魔法かなんかを使って取り出して見せたのかもしれない。

 ドクンッ。

 ドクンッ。

 ドクンッ。

 落ち着け。

どうでもいいことを考えている暇なんてない。

これからどうするか考えろ。

 シュボッ。

 煙草に火が付く。

 ドックンッ!

銀髪男がゆるゆると煙を吐く。

その煙が斑猫の姿を隠す。

想定した通り、斑猫は消え失せ、影だけが残り、それが広がり、そこから甲冑の騎士が鎚を手にしたまま飛び出してきて、厳めしく立つ。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 落ち着け。

ナイフで甲冑を破るのは絶対に無理だ。

 ジャキンッ!!

 ガシャンッ!ガシャンッ!

 ガシャンッ!ガシャンッ!……………

 ブオンッ!!

 ましてナイフでこの大金槌を止めることなんて、不可能だ。

 ドゴンッ!!

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 でも、もしこれが柔らかい肉だったら、ナイフは突き立つ。

 ズボォッ!

 ガシャンッ!ガシャンッ!

 ガシャンッ!ガシャンッ!

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 甲冑を着ているのは、当然中身を守るため。その中身ならおそらく、刃は立つ。

 ガシャンッ!ガシャンッ!

 ガシャンッ!……ブオンッ!

 やるしかない。

 ドゴンッ!!

 地面からそのデカブツを引き抜け。

そしてもう一度大きく振りかぶれ!

 ドボォッ!

「?」

 甲冑が地面から大金槌を引き抜く。勢いのせいで自然、槌は天を向く。そこまでは今まで通り。

 ガッ。

そして僕は伸びきった姿勢の甲冑の足の甲を思い切り踏む。

 ドンッ!

同時に本気で肩をぶちかます。

 ギャシャンッ!

 僕が足の甲に乗っかったせいで足を引き戻せず、しかも真横から体当たりを食らって重心を失った甲冑はそのまま倒れる。

僕は馬乗りになる。

倒れた拍子にずれた甲冑の喉当ての隙間にナイフを突き入れる。

 グシュンッ!!

「!!」

 粘土に棒を突き刺したような鈍い感覚を覚える。同時に甲冑の腕が助けを求めるように天に伸び、そして、地に落ちた。

 ガチャンッ……

 カッ!

ダラリと腕が落ちた後、甲冑の全身が黄金に光り出す。その光はすぐに崩れゆく。

 サ~……

崩れた光の破片はその一つ一つが砂粒のように小さく、それらは草の上にこぼれ落ちるとそのまま大地に溶けるようにして跡形もなくなってしまった。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 気づけば、ナイフも甲冑の戦士も銀髪男も斑猫もいない。

あるのは静寂と野次馬みたいな蛍火、そして、波紋を広げる湖だけだった。

「……」

 全身が火照っておかしくなりそうだった。

しかも汗をかいた時のようにやがて熱が引くという感じでもなかった。

そして喉が無性に乾いた。

だからだろう。

今度は無意識のうちに波紋を浮かべる湖へと歩きだしていた。

 ドボンッ!

 岩の上に立ち、そこから蒼い世界に身を投げる。

そうすれば体も冷えるだろうと思ったから。

飲みたければ好きなだけ水を飲めばいい。

気が向けば、泳いで、また水面に……顔を出せば……

 体中の熱が引いたと思ったところで、蒼い世界が途切れる。

そこでなんとなく、自分が夢を見ていたと確信する。

けれど夢にしてはあまりに感覚がリアルだった気がした。

でもそこではあまりに非現実的なことが起きていた。

一体どうしてこんな夢を見たのだろうと思うと、しばらく体を動かす気にはなれなかった。

けれど考えても分からないからあきらめる。

その代りに今まで自分がどこで寝ていたのかを確かめる。


「……はい。感染体の表面に保存されていた呪創模様から菌屍と同定しました。数は、正直なところ、増える一方です。ところで……そうですか。そちらだけでなく小アジア一帯でも……それで汚染確認区域はアーリパフで隔離したわけですね……へ?え……そんな……」

 テーブルがいくつかある。

聞き覚えのある時計の音がする。

一つしかない窓がある。

そして革張りのソファーの上に僕は横になっている。

僕の体には落ち着いた香りのする毛布が懸かっている。

「マジックバーストなんて……まさかこの国でなさるおつもりなのですか?…………分かります。おっしゃっていることは分かります。けれど、もう少しだけ、猶予を下さい……お言葉ですが、そもそもそれは……いえ、失礼しました。はい……はい。分かります。ですがお願いです。あと少し、七日で構いません。その期間内に魔女は退治します。それが駄目なようでしたらその時は、従います」

 テーブルのすべてにキャンドルが置かれている。

太く短いキャンドルが部屋全体をほんのりとオレンジに染めている。

窓からは薄暗い赤光しか入ってこない。たぶんもうじき日が暮れるんだろう。

それはなんとなく想像できる。

ここに横になったのは、確か明け方の六時だったから。

そうだ。

ここはコーヒーハウスだ。

ここでコーヒーなんて一度も飲んだことないけれど、ここは荻原のコーヒーハウスだ。

菌屍とかいう化け物になった連中から身を守るのに、僕の住んでいる家みたいな普通の住宅だといろいろ都合が悪い。

だから魔法の守りとやらが最初から効いたこのコーヒーハウスで夜まで体を休める。

そういうわけで荻原とここに戻ったんだ。

「はい。復唱します。任務を遂行できない場合、アーリパフ樹脂によって隔壁を形成。その後、マジックバーストを起こし、菌屍を消滅させる。マジックバースト誘導にはカパムの肉、リジルサの木蔦、タスファンジの錨を使用し、使用後は本部に持ち帰る。誘導に必要な道具の受け取り場所及び日時は……」

 僕にコーヒーハウスという言葉を教えた張本人の荻原が、丸テーブルの一つに腰かけている。

彼女のいるテーブルにだけ、キャンドルはない。

かわりに、テーブルの上には光がある。

光がある、なんて抽象的に聞こえるけれど、確かにそこには光があった。

僕が暗闇で目にする蛍火とは異質の、そして怪談で聞く鬼火とは別の、

ソフトボールぐらいの大きさの青い光球がふわふわとテーブルの上に浮いていた。

光の周りには細かな塵のような光が円盤を二つほど作っていて、円盤同士はぶつからないようにしながら真ん中の青い光を取り巻くようにして静かに回っていた。

荻原はさっきからそれに向かって畏まったように話しかけている。

荻原が黙ると円盤が振動するように乱れる。

それに反応して荻原がまた何か答えている。

考えてみれば不思議な光景だった。

けれど「不思議」はもう十分見慣れていたから、そのままそれを見ている心の余裕が僕にはあった。

 荻原の電話での受け答えのような独り言が続く。

その声は当然聞き覚えがある。

けれど荻原の話す言語には覚えがなかった。

「はひふへほ」のようなエイチで始まる音が一切聞こえてこない。

英語じゃないだろう。

なんとなくヨーロッパ圏の言葉で話しているのは分かるけれど、スペイン語なのか、フランス語なのか、その辺のことはよく分からない。

だれど、なぜか話している内容のおおよそは分かった。

それ自体意味不明の単語もなくはなかったけど、

文法的なつながりやら品詞やらは水が高いところから低いところに抵抗なく流れるように、自然に解釈できた。

なんで?

なんでだろう?

考える。

すると、なぜかさっきの夢に意識がつながっていく。

甲冑とグルらしい斑猫と、黙ったまま指を立てたり煙草を吸ったりする銀髪男と、野次馬みたいな蛍火がいる妙にリアルな夢。

そこで僕はハンマーから逃げ、肩をぶちかましナイフを突き立てたんだった。

 あいつらが、僕に何かした?

 ……。

 夢のせいで言語が分かるようになる?

そんなことあるはずないか。

でも、まあいい。いろいろな言葉が分かるに越したことはない。

学校で勉強する外国語もこんな感じで目が覚めれば自然に分かるようになっているなら苦労はないんだけど、そうはいかないか。

それはしょうがない。

そしてそんなこと、今はどうでもいい。

「ええ。では失礼します。

…………はあ」

目上と思しき人への最後の挨拶のあと、少しして荻原は深いため息をつく。

力なく、木製の椅子に深くもたれる。

艫綱ともづなを解かれた燈火ともしびよ、黙劇は終わった。時のこごりを今ここで解消する」

荻原はその格好のまま、今度は日本語で意味不明の言葉をゆっくり口にする。

すると荻原の前のテーブルの上の青い光がフッと消滅する。

代わりに他のテーブルの上のキャンドルの光が若干強くなる。

「お疲れ様」

「!」

 荻原の背後にそっと忍び寄り、彼女の華奢な両肩に手を載せる。ビクンッと荻原が反応する。

「なんだ、起きてたの。ビックリした~」

「今起きたばかりだよ」

「そっか……コーヒーでも淹れてあげようか?」

「そうだね」

「ついでに何か食べたいとか?」

「うそ。僕が全部作るよ。コーヒーも」

「ほんとに?そう……それはとってもうれしいっス」

 荻原は僕の左手が載っている方の肩に首を傾け、僕の左手に頬をつける。

しっとりしているけれど、冷たい。

いつもの荻原と様子も違う。

多分さっきの話のせいだろう。

訳の分からない名詞を連呼していたけれど、何となく流れは分かる。

今日の明け方まで追っかけていたような化け物が増えすぎて、手の施しようがない。

でも最終手段みたいなものは一応あるから、それを使おうと荻原の上司は考えている。

けれど部下の荻原にはその“手”を使いたくない理由があって、時間をくれとお願いした。

でも間に合わなければ、その最終手段みたいなのを使うよう上司は迫った。

それに荻原は仕方なく従った。そんな感じだった。

それで、荻原は何かしらの責任を感じて、きっとこんなしおらしくなってるんだろう。

「いつもそんな感じなら少しはかわいいんだけどな」

「なにそれ?いつもサービス満点の時雨ちゃんはお気に召さないと言うのかね、チミ?」

「何て言っても下品だからさ。エロいを通り越して」

「下品!マジか~」

 荻原はそう言いつつ、僕の左手を解放する。僕はそのまま厨房に向かう。

「それで、何が食べたい?」

「ポトフ~、なんて無理だよね~ん。いいんだ。気にしないで~全部独り言~むふふうぅ」

 テーブルに突っ伏した時雨は気だるそうにそう言った。

「ポトフねぇ……」

 冷蔵庫と戸棚を物色し、ポトフを作るのに必要な材料が全部そろっていることを確認する。

「やってみるとしますか」

僕はポトフを作ることに決める。

食材を切り、下準備をしている間、荻原はずっと机に突っ伏したままだった。

たぶん寝ているんだろう。

ひょっとしたら僕が起きたこの時間まで、ああやってピカピカ光る球相手に何かを喋っていたのかもしれない。

あるいは何か仕事があって、やっていたのかもしれない。

だとしたら疲れるだろう。眠いに決まっている。

煮込み始めて暇になった時、僕は厨房を離れソファーにある毛布を手にとり、それをテーブルに突っ伏して眠る時雨にかけた。

 荻原の睡眠時間を少しでも確保するため、たっぷりと時間をかけてポトフを作る。

荻原を起こし、皿に盛りつけたポトフを一緒のテーブルで食べる。

「君は本当に料理が上手だね」

「ありがと」

「ほんとに結婚してくれない?私ポトフなら毎日食べられるよ?」

「荻原が毎日ポトフを作ってくれるなら結婚するよ」

「あちゃあ~、じゃ無理かも。結婚して初日で離婚になっちゃう。私サンドイッチしか作れないもん。しかもかなりの頻度で事故るし」

「事故る!?」

 目の下にクマの出来た荻原はカラカラと笑いつつ、僕の作ったポトフを全部平らげた。

 午後五時を知らせる時計の鐘が鳴る。

曇りガラスの窓からは光が入らなくなり、外に闇が帳を降ろしたことを知らせている。

また、夜が来た。


「さて、そろそろ行くとしやすか」

「ああ」

「大丈夫?目、痛くない?」

「大丈夫だ。そっちこそ、だいぶ疲れているんだろ?」

「おうよ。疲れと仕事とムラムラがたまって「もう我慢できない!」って感じだわさ」

「じゃあ急ごう。さっさと仕事を片付けて、お互いゆっくり休もう」

「調子狂うなぁ~。張り切ってるね。どったの?」

「何でもない。ポトフを褒められてうれしくなっただけだよ」

「ああ、さっきのね。本当においしかったよ。人に生まれてよかったって思うくらい」

「大げさな」

「はは。そうだね。でもね、“普通の人間”っていうのをやってないと、何でもないことでも感動できちゃうものなんだよ」

「そう、か」

「なぁ~んちゃって。改めてミステリアスな時雨ちゃんに魅力を感じて、思わず食べたくなった?」

「ポトフでおなか一杯」

「ブ~」

 出かけるための支度を済ませ、僕らはコーヒーハウスを出る。

闇が支配する夜の世界に戻ってくる。

ギュッと目を瞑り、凍てつく夜気を三秒かけて胸に吸い込み、十秒かけてゆっくりと吐く。

そして目を開く。

イルミネーションとは別の光が僕の目の中を泳ぐ。蛍火だ。

「夢」みたいに邪魔をしないという条件で、僕はその姿を歓迎する。

「行こうか」

「うん」

 街を歩く。

パチンコ屋、バー、量販店、歩道橋、

ファストフード店、洗車場、スナック、

ゲームセンター、病院、交差点、

コンビニ、マンガ喫茶、路地裏、

居酒屋、公園、貸倉庫、寺、墓地……。

当てもなく歩くのではなく、蛍火の密度、動き、つまり気配を探りつつ、僕は荻原を導く。

荻原はその都度「分かった」とだけ言って、ついてくる。

化け物の気配がすぐそばまで来たときには、「あれ、だよね?」と僕に確認する。

それが正しければ僕は「うん」と答える。

すると荻原は「よし」とだけ言い、「仕事」にかかる。

「時の奴隷に堕ちし海神よ。汝を我が忌まわしき剣に宿せ。嘆きの波紋を銀線に浮かべよ。これより幽技を披露せん」

 コンビニで買った荻原の右手袋の中で紫の閃光が上がり、次の瞬間にはその手にステッキが握られている。

燕塚病院で初めて見た、例のソードステッキだ。

ひと晩行動を共にして見慣れた僕は閃光にもステッキの出現にも別に驚かず、

それよりも他に化け物がいないか周囲の蛍火の様子を入念にチェックしつつ、歩速が急激に上がっていく荻原にしっかりとついていく。

「ケハッ!」

 正体がばれたと気づき逃げるも人ごみのないところへ追い込まれ、逃げるのを諦め、観念して牙をむき、閉じた瞼を開く化け物。

けれど大抵、その開いた瞼から黒い液が頬を伝わり顎から地面に垂れる前に、その憐れな最期を迎えた。

ソードステッキによる荻原の居合斬りは異常としか言いようがなく、表情を消した荻原は走るか走らないかの速足で歩きつつ、間合いを詰めるだけ詰め終わるとそこで姿を消した。

 シュンッ!!!

「ケ?」

 一秒後には十メートル先にいる。

僕と荻原を結んだ線の中央に残された化け物は戸惑いの声を漏らし、そして僕か荻原のどちらかに向かって進もうとする。

 ヌル。

ドスンッ。

 大抵は武器らしい武器を手にしていない僕を選ぶ。

今もまたそうだ。そして僕の方へ歩いてくる最中に、胴体にくっついているはずの首が体から離れて、落ちる。

僕は寒さとは違ったところからくる震えを必死にこらえながら、目をそむけずにそれを見ている。

「迷える死者に告ぐ。硝子の門口を軋ませよ。暁の饗宴に急げ。炎の報酬を約そう」

 手袋をはめていない荻原の左手に火が浮く。

リチウムの炎色反応さながらの深紅の炎が手を焦がすように燃え上がる。

荻原がその火のついた左手を前に伸ばすと、火は竜が天を蛇行するかのように宙を飛び、刎ねられた首と胴体に激しくぶつかる。

 ボワッ!

 化け物の残骸は瞬く間に燃え、跡形もなくなる。

「……終わった、みたいだね」

 僕の傍に戻ってくる荻原に、僕は確認する。

「うん。でもまだ夜は続く。でしょ?先を急ごうか」

「ああ」

こんな感じで、夜の街を僕らは歩き続ける。

見敵必殺。

僕が敵を見つけ、荻原が敵を必殺する。

「なあ」

「何」

「荻原みたいな魔法使いならなんかこう、死体を燃やさなくてもパッと消したりなんか、できないのか?火がついたら明るくなるから人に気付かれる心配が出て来ると思うんだけど」

「確かに見つかると何かと厄介だね」

「じゃあどうして燃やすんだ?」

「えっとね、前にも言ったけど、菌屍の出す胞子は警報と種の存続を維持するための最後の手段なのさ。もし菌屍の死体を放置しておけば、胞子は空気中を飛んで、二つの役割を果たすことになる。一つは新しい宿主の探索。うまく動物の呼吸器系に入り込めれば彼らにとってラッキー。数日もすれば寄生&同化が完了。もう一つの役割は、警報。「ここにヤバイ奴がいるからみんなで協力して叩き潰そう!」っていう厄介な合図ね。これが怖いのさ。仲間の胞子を嗅いだ菌屍たちがあっという間に私たちの周りに集まってきて、リンチ……ってなことになるわけ。これは何としても避けたい。だから菌屍が胞子を飛ばす前に、胞子を焼くのがベストってわけ。君の言う「何かを消す」みたいなことは実を言うとそう簡単にはできないんだよ。ワープみたいなどこかに移送する魔法はないこともないんだけれどね。でも移した先で菌屍の死体が胞子をばら巻いたんじゃ、そこにいる人間もしくは生態系に迷惑でしょ?だから斃したその場で菌屍を荼毘にふすしかないのさ」

「そういうことか……あっ」

 離れたところで蛍火が滞留しているのを見つけ、ギクリとする。

「やれやれ、もう次の菌屍を見つけたのかな」

「たぶん……そうらしい」

 狩りが再び始まる。

ついさっきと同じ段取りで荻原はまたも相手の息の根を即止める。

「仕事中」の彼女は機械のように動きに無駄がなく、冷静だった。

だけどそれが終わると、またいつもの荻原に戻る。

こんなギャップのある生活を、荻原はずっと続けているのか?

「また、聞いてもいいか?」

「今日は質問多いッスね。でもいいッスよ。ポトフの上手な君なら大歓迎ッス」

「荻原って昔からこういうこと、してきたのか」

「こういうことって?」

「菌屍みたいなのを相手に、武器を使って戦う……みたいなこと」

「そうさな……似たようなことは結構昔からやってるね。菌屍以外にも色々世の中には魑魅魍魎がいるから」

「それで……平気なのか?」

「何が?」

「毎日命がけで戦って……そりゃ荻原は無茶苦茶強いけど、でもいつも楽勝ってわけじゃないだろう?時には返り討ちにあって死にかけたりとか、あったんじゃないのか?それで、そういうのを毎日繰り返して、平気でいられるのか?錯乱したりとかしないのか?」

「死にかける、か。そういうこともあったね。内臓を引き出されたり、腕を失ったりしたこともあるよ。でも結合手術っていうのがあるから、致命傷でない限り、時間と魔法があればなんとか持ち直してきたけどね」

 荻原は質問に答えていない。それは言うまでもないという意味なのかもしれない。つまり自分の命を無造作に放り出して戦うことなど平気だ、と。

 命のやり取り。

それ自体に何も感じていないかのように荻原は見える。

深刻さを感じさせないように気を使っているのか。

それとも、本当に何も感じないのか。

「何も、感じないのか」

「う~ん、どうだろう。疲れるな~って思うことはあるけれど、後は何にも感じないね。毎日のことで慣れちゃったから。むしろ戦っていない時の方が不安だね。いつ戦いが始まるか分からないから。でも一度戦いが始まれば、後は理屈なんて不要でしょ。哲学も理念も最後は消える。要は生き残るために全力を注ぐ。それだけだから。案外気楽だよ。でも戦闘自体は正直骨が折れるけどね」

 首を前後左右に動かしながら荻原はそう言う。

「そうか……」

 そんな荻原を見ながら、僕は荻原をこんな境遇に置いた者を憎んだ。

 こんなの、普通じゃない。

戦いが日常なんて、どう考えたって、おかしい。

そっちの方が落ち着くなんて、はっきり言って狂ってる。

だけど、それが正常だと思えるような考えを、荻原は持っている。

どうしてだ?

それは荻原が、そういう日常に身を置いてしまったから。

……ひどい。

「荻原は、どこで生まれて、どう育ったんだ?」

「私はね、この国の生まれなんだよ、実は」

「え?」

「だけどね、ちょっとした事情ってやつで、この国から出たのさ。でね、欧州、つまりヨーロッパで魔法使いに育てられたのさ。どうよ、おとぎ話みたいでしょ?」

「それで?」

「それでおしまいだよ~ん。何を期待したのさ?」

「いや、あっ、でもあの銀髪の人とは」

「フェナカイトのこと?彼とはそうッスね、まあ、知り合いって最初言ったけど、それなりに親しいって言っちゃ、親しいね。彼が私をその魔法使いんとこに養子に出したのさ。何やら「魔法使いの才能」とかいうのが私にあったらしいからさ。今思えば迷惑な話だけどね。放っておいてくれれば面倒事に巻き込まれずに済んだのに。やれやれ」

「フェナカイトさんは、最初からこの国にいたの?」

 なんとなくあの人はこの国の生まれではない気がしたから、ついでに聞く。

「いいや。彼は君のお姉さんがいたのと同じ国にいたよ。フランスね。ちなみに私の義理の親になった魔法使いもその国の人なんだけどね」

「どうしてフェナカイトさんは、荻原を自分の傍に置いとかないで養子に出したの?」

「彼にはほら、君を守るっていう仕事があったから。私を育てている余裕なんてない。だからだと思うよ。そう言えばフェナカイトがなんで君を守ろうとしていたか、話したっけ?」

「いや、聞いた覚えはないけど」

 彼が、僕を守ろうとしていた?

一体なぜ?

「君のお姉さんを止めたのはフェナカイトなんだよ。これは言ったよね?あれ、言わなかったっけ?まあいいや。でもトドメはささなかった。きっと女の子には甘いんだよね、彼は。まあそれは冗談で、何か理由があって殺さず、フェナカイトは君のお姉さんである金井愛歌をどこかに封印した。封印した後、君を思うあまり人生を狂わせたお姉さんに同情して、もしくはお姉さんの開発した薬を摂取した君の事後経過を見守るため、フェナカイトはわざわざ故郷を離れてこの島の、君の近くに住むようになったらしいね。後見人みたいなもんさ。君には血のつながる親がいるけど、傍にいてくれる親はいないでしょ?……ごめん、皮肉ったわけじゃないから」

「いや、別にいいよ。それは間違っていない」

「そう。とにかくフェナカイトは君の身に危険が迫った時、もしくは君自身が危険な存在になった時には即、何かしらの行動がとれるよう備えていた。そんなある日、舞踏譜絡みで彼は命を落とした。それだけだよ」

「それだけって……」

「君のお姉さんを殺さずに封印して後顧の憂いを残したのはフェナカイトに他ならない。つまり今回の事件の責任は結果的にフェナカイトにある。そんなわけで私は正直なところ、彼を恨んでいる。面倒な仕事を増やしたから。でも死人を恨んでもしょうがない。だから、「それだけ」でまとめた。どうせ死ぬなら君のお姉さんを殺してからにしてほしかったけれど、こんなこと言ってもしょうがない。だから「それだけ」。おかしい?」

「……」

 その論法を真似すれば、荻原をこういう風に物事を捉える性格にしたのも、元をたどればフェナカイトさんってことになる。

彼が僕の面倒をみるために、荻原を西洋の魔法使いのもとに里子に出した。

そのせいで、物事を理詰めで考え、結果で人を判断し、キラーマシンのようにためらいもなく相手を殺せる荻原が誕生した。

そしてその考え方を僕は不憫に思う。

よって僕はフェナカイトさんを恨むべきだってことになる。

 でも、この考え方はやっぱり不憫だ。

これはあまりにも、人らしくない気がしてならない。

「おかしいとかじゃなくて、ダメだと思う」

「え?」

「人のことを結果だけで語るのはダメだってこと。そこに至る過程も見ないと。人は不完全だから、結果だけで人を見ようとしたら誰も信用できなくなるし、誰も許せなくなるし、誰の命も大切に思えなくなる。「どうしてこの人はこの時これに挑んだんだろう」「どうしてあの時あの人はあれを選んだんだろう」って、いろいろ見て、考えて、理解しようとしないとたぶん、ダメだと思う」

 ダメというより、大切なものを手に入れられずに一生が過ぎ去ってしまう気がする。

だからその気持ちを僕は言葉にして荻原に伝えた。

「そっか。なるほどね。分かったよ」

 荻原は今までと表情を変えない。

たぶん「分かった」っていうのは「お前の言いたいことは分かった。勝手にそう思っていればいい」っていう意味だろう。

耳には入っているけれど、心には響いていない。

相手の心に響かせるほど僕が人生経験を重ねていないせいだろうし、あるいは心に響かないほど荻原が過酷な人生経験を既に重ねてしまっているせいもあるだろう。

そう思った僕はこれ以上言わないことにした。

そしてまた、「仕事」に集中することにした。


 空が白み、やがて夜が明ける。

一晩中「仕事」を続けた僕らにようやく休みの時間が訪れる。

「今日は、家で寝てもいいか」

「は~?何言ってんのさ」

「あの喫茶店のソファーだと腰が痛いし、それに、荻原も横になって寝たいだろ。居間に布団があるからそこで寝て構わないよ。何なら姉さんの部屋でもいい」

「あのね~、前にも言ったと思うけど、君の家で君を守るのは結構しんどいんですよぉ。あの家は魔法に対して何の抵抗力も持っていないんだから。いちいち結界を……」

「いいよ。僕は別に自分の身に何があってもいい。それより、荻原こそ少し休め。すごく疲れてるだろ」

「……」

 荻原がほほ笑むのをやめ、じっと僕の目を見ている。

こいつはいったい何を考えている?そう思っているのかもしれない。

別に僕は何も考えていない。

いや、違う。

考えているのは、ずっと荻原のことだった。

荻原に少しでもいいから休んでもらいたい。

それと、ちょっとでもいいから、僕が歩きながら言った言葉の意味を考えてほしい。

それが戦うことの足枷になるようならマズイかもしれないけれど、

荻原がただ結果だけを追って生きる人であってほしくないと僕は思うから、少しだけでも考えてもらいたい。

そしてこういうのには、きっと時間がかかる。

「分かった。あれでしょ?」

 荻原がここにきてニヤリと笑う。

「え?」

 今度はこっちが聞き返す番になった。

「分かるよ。分かる。うん。若くて健全な男子たるもの。それはしょうがない」

「……」

「同級生の、それも異性と一緒に昼夜行動してたら、まずアレはできませんわな。なるほどなるほど」

「……」

「今日のオカズは何にしようかな~。とりあえずアンナコトしている時雨でぇ~」

 こいつ……。

「分かったよ。やっぱりやめる。喫茶店に戻ろう」

「あれ?いいのかい?あまりため込むと体に毒だぞ~?」

 荻原にとって僕を守るのはあくまでも「仕事」だ。だから「仕事」の遂行のために手段を選ばない。

「それとも、この時雨様が処理してあげてもよくてよぉ~ん。うふん」

荻原にとって「仕事」が遂行できないのは結果的に「悪」だから。

僕をからかうのはおそらくそのためだ。

やろうと思えば僕を縛り上げることだってできるけれど、そうしないのは彼女なりに僕を気遣ってのことだろう。

こうして僕をコーヒーハウスに誘導する。

「もしも~し、聞いてますか~?」

そして僕と行動を共にしつつ監視する。

でもその間僕の意見に耳を傾けることなどしない。

耳を貸すのはせいぜい菌屍の位置を知る時ぐらいだろう。

それ以外は僕の意見を聞くなんて時間の無駄だとたぶん考えている。

そうだろう。そしてこれはきっと、しょうがないんだ。

「聞いてるよ。“処理”はいいから、戻ろう」

「押忍!」

 これを直すには、ものすごく時間がかかるんだろう。

治るのはしばらく先になる気がする。

少なくとも「仕事」に拘束されている間にそれが治ることはないんじゃないか。

 コーヒーハウスに戻ってくる。

扉の鍵を閉める。

僕は寝る支度をする。

荻原は厨房から水を注ぎ入れたグラスを二つ持ってきて、一つを黙って僕に渡す。

僕はそれを受け取り、中の水を飲み干す。荻原も水を飲みほす。

「荻原はソファーで寝ろよ。僕は床でいい。いつも使ってるのは床にひくからさ、毛布もう一枚ある?」

 窓を見ながら、一息ついた僕は荻原に尋ねる。

「毛布のストックはもっち……ありやす」

 荻原はそう言ってどこかから毛布をもう一枚とってくる。

「ありがとう」

「何を言ってるのさ。あげるなんて言ってない。これはあたしの!」

「そんな」

 荻原はそう言いながら、毛布を一旦ソファーの上に置く。普段から荻原が使っているのとあわせて、二枚。

「やれやれ……?」

 荻原はテーブルの一つを動かし、床にスペースを作る。

そこに毛布を一枚ひき、もう一枚をもって床に座る。

「ほれ、早く。さっさと横になる」

 荻原が手招きする。

「……」

 荻原の顔をじっと見る。

荻原は本当に恥ずかしくなったのか、一旦目をそらす。けれど、もう一度僕を見る。

「しょうがない。入ってやるか」

 僕は上着を脱ぎ、それをたたんで毛布の上のところに置く。

枕にするつもりだった。

「い、いやなら入らなくたっていいんだから」

「それはフラグ?それとも本音?」

「ふふ。さ~ね」

 荻原も真似して上着で枕を作る。毛布一枚の上に二人で横になる。荻原が手にしていたもう一枚の毛布を自分と僕にかける。

「うう、寒い」

「ああ」

コーヒーハウスの床の上は外同様に寒く、息を吐けば一メートル先まで白い吐息が見えた。

「抱き枕~」

 横の荻原がふざけた声で僕に抱きつく。

「……」

「やっぱ、だめ?」

「別にいいよ」

「へへ、うれしい」

 荻原は子供のように顔をほほ笑ませながら目を瞑る。

「ありがと」

 「お休みなさい」の代わりにそう言うと、荻原は間もなく静かな寝息を立て始めた。

「……」

 テーブルに座っていた荻原は確か、一週間以内にどうのこうのって言っていた。

一週間しか時間がないってことらしい。

それまでに、僕らは、愛歌姉さんを止めないといけない。

逆に止めることができれば、荻原は、どうなるんだろう。

またヨーロッパの魔法使いの元に戻るんだろうか。

それで、その先荻原はどうなるんだろう。

また、キラーマシンみたいなことをして人生を送り続けるんだろうか。

誰を相手に?

何のために?

「……」

荻原を、救うことはできないか?

そんなことを考えているうちに、僕もまたウトウトし出して、眠りに溶け込んでいく。


「……はあ」

 しばらくして、自分が眠ったことをはっきり認識させられる光景が眼前に広がる。

「やれやれ」

 また、薄闇の下。

 また、湖の前。

 また、蛍火の檻。

 また、岩を背に座る銀髪男。

 また、岩の上の斑猫。

「用があるから、こんな夢を見せるんですね?」

「……」

 昨日は何が何だか分からなくてはっきりと感じなかったけど、ここは蒸し暑い。

まるで夏の夜だ。

それなのに銀髪男は汗一つかかないでいる。それでいて昨日と同じようにうつむいている。

煙草を咥えたまま。

 タッ。

 また、斑猫が岩から下りる。

 シュボッ。

 また、銀髪男の咥えた煙草に火が付く。煙を吐く。

「!」

 左手の人差し指と中指に挟んでいた煙草を親指と中指に挟み直した銀髪男は人差し指でビンッとそれをはじく。

はじかれた煙草はクルクル回転しながら放物線を描いて、僕の方へ飛んでくる。

 シュンッ! 

 煙草が宙を回転しながら飛んでいると、野次馬のはずの蛍火の一部がものすごい勢いで火のついたそれに吸い寄せられて、ぶつかる。

そして、白い閃光を放つ。

 ゴスッ!

 僕の足元に閃光が刺さる。

「……」

光が収まった時、僕はそれを引き抜く。

全長はたぶん七十センチくらいだ。両刃の剣の重さは一キロより少し重いと思う。

それは何かを断ち切るためにあるとしか考えられない代物だった。

ガシャンッ!ガシャンッ!

ガシャンッ!ガシャンッ!

「?」

 また甲冑騎士。

けれど獲物が異なる。

大金槌じゃない。槍だ。

それもかなりの長槍。

穂先だけで一メートルはある。

全長はたぶん三メートルを超す。

その錐のように尖った穂先が僕の喉元を正確に狙って高速で突っ込んでくる。

 シュパンッ!!

僕はどうにかギリギリでかわす。

たぶんかわした。

これはもうラッキーとしか言いようがない。

 ヌル。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 でも、液体がこぼれて首を伝う感じがある。

念のために首を触ってみる。

何の液体か、怖くなって手につけて見てみる。

予想通り、真っ赤な血だった。

「ゴフッ!」

 ブシューッ!!

 首から血が噴き出る。

「あ……ああ……うあ」

 ギリギリでかわしたと思ったのは、僕の勘違いだった。

甲冑の騎士の長槍の突きの速度があまりに速くて、かわせたかどうかも理解できていなかった。

また、終わった……。

 シュ~……

「うく……ぅぅ!」

 血が噴き出す首の一点に、また焼かれるような激痛を覚える。

その痛みは目を開けていられないほどだった。

だから思わず目を瞑る。

世界がぐるぐると回転するような気持ち悪さを感じる。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 噴き上がる血のせいで気道が詰まり呼吸できなくなっていたはずなのに、気づけば僕はまた呼吸を再開している。

 また……きっと……

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 目を開く。

 また、薄闇の下。

 また、湖の前。

 また、蛍火の檻。

 また、岩を背に座る銀髪男。

 また、岩の上の斑猫。

「す~は~」

 だけど、僕の手には断ち切り用の刀剣。

………………………………………………………………。

………………………………………………………………。

「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 気合を入れるため、大声を放つ。

そんな僕を見ているのか見ていないのか、銀髪男は顔を上げて、無表情で煙草の煙を吐く。

岩から下りてきた斑猫は煙を正確にくぐる。

 ガシャンッ!

 猫は影に沈み、影を広げ、騎士を召喚する。長槍を手にした騎士がもう立っている。

 ブオンッ!

 切先は、僕の喉を向く。

「……」

 その刃から目を離さず、自らの剣の柄に指をしっかり当てていく。

 ギュッ。

 小指、薬指、中指、人さし指、そして親指を。

 要するに試されているんだ。斑猫と銀髪男に。

「しゃああっ!!」

 斑猫はいつかの昼間見た猫にものすごく似ている。銀髪男は思えばフェナカイトさんに似ている。

 ……。

 そうか。

二人は僕に何かを伝えたくてきっとこんな「場所」まで化けて出ている。

おそらくそうだ。

だとしたら、その善意を無下にしないよう、全身全霊で汲み取ろう。

わざわざ夢にまで足を運んで伝えたいことがあるんだ。

この戦いがそのメッセージなのだとしたら、全力で受けて立とう。

 夜で荻原の「仕事」を手伝った後、こうして僕は夢の中でも「仕事」をするようになった。



祈りの果て 呪いの果て(四)


とにかく忙しい。

 肉体が滅んでからこんなに忙しい魂は私のほか、そうあるまい。

 おそらく今回の事件の首謀者なみに私は忙しい。

 いやはや……。

 最初から首謀者が誰なのかさえつかめれば、すぐにでも誅殺していた。

従ってこんな目に遭わなくても済んだのだ。

が、もう遅い。

今さらそのようなことを言っても詮無いことだ。

 仕方がない。

 首謀者退治は荻原時雨に任せよう。

私は、私のやり残した仕事をするだけだ。

 金井智宏――。

 少年には、万が一に備えて、残せるものは全てを残しておこう。

それが私にできる最後の罪滅ぼしだ。

 だから恐ろしく忙しい。

 一人で出来る仕事ではない。ゆえに協力者を探した。

すると面白い死人が街に一人いるのを見つけた。

魔法使いらしく死んでも死にきれず、魂は獣に宿っていた。

どうせ放っておけば消滅する。それに宿られた獣の方も迷惑だろう。

そう思い、不完全ながら招喚した。

昼間だけ招喚し、夜には獣の方に返す。

何とも中途半端だ。

けれどこれぐらいしか私にはもうできる力が残されていない。

これもまた仕方がない。

招喚した際、猫に宿っていた魂にリンクしてみると、名前と残留思念だけは復元できた。

「坂田耕平」という名前らしい。

表向きは大学の教授者だったが、裏は法魔の使い手。……よくある話だ。

愚かしくも、あろうことか私の研究をしていたらしい。

くだらない。

やるならもっと前途のある研究をすればいいものを。

ため息が出そうになる。

けれどため息をするための口も肺もないのであきらめて、さらに情報を読み説いた。

 ――!

 そこで思わぬ情報を得る。

この魔法使いの男は私の「手首」をどこかで見つけたらしかった。

それを死守すべきかどうか悩んでいるうちに死んだらしい。

ますます馬鹿な男だ。私の肉片など不幸を呼ぶ呪具以外の何者でもない。

そんなものをいつまでも所有していれば誰かに殺されて当然だ。

しかし……これでなんとなく謎が一つ解けた。

私の所へ舞踏譜の相談に来た娘、名前は何と言ったか、そうだ、中西由美と言った。

あの娘から感じた妙な親和性。

まるで生前の私がそこにいるような、異様な感覚を私は覚えた。

その感覚の原因はおそらく私の「手首」だ。

あの娘はおそらく私の「手首」を何らかの形で隠し持っていた。

だから私は「私」をあの娘に感じた。

では「手首」を渡したのは誰だ?

この坂田という魔法使いか?

いや、そうではあるまい。おそらく首謀者だ。

首謀者が渡した。

首謀者は「手首」をこの坂田から奪ったのだ。

坂田がどこでどうやって私の「手首」を見つけたかは知らないが、それを首謀者は奪い、中西に与えた。

そしてあの、幻影と呼ぶには強力過ぎる幻影を生み出した。かの魔物の名は、何と言ったか……忘れた。

いずれにせよあの鬼のような幻影は私の一部を糧にしていたのだ。

なるほど。

道理で、厄介だったわけだ。

「手首」に殺されたのであれば、仕方がない。

精巧に作ったとはいえ、機械に過ぎぬ人形では肉体オリジナルには勝てない。

及ばないのはそもそもの道理か。

 さて、時間がない。

そろそろ“構築”を始めよう。

 場所は無論、少年の「無意識」だ。

眠りにつくと同時にリンクできるよう、プログラムしておかなければならない。

「条件は就寝。処理は戦闘世界への召喚。……こんな、感じか」

 私は少年の「無意識」の中にまず一つ、世界を作る。

世界といっても出来上がったのは湖と草原だけの広がりだ。

喪心バグが生じないよう森という「檻」を配置する。この先には行けない。

「ふむ」

不自然と言えば不自然な風景が仕上がるが、この際風景などどうでもいい。

とにかく私の中で一番強く残っているイメージを具現化して適当につぎはぎし構築した。

そして少年とリンクさせた。

この世界のこの情景に何ら意味はない。

そう、意味なんてない。

「坂田、といったか」

「ニャ~」

 名前も記憶も残されていない魂は相変わらず猫のままだ。自分をイメージできない故に最後に憑いたものの形状にとらわれているらしい。哀れだ。

が、自業自得だ。

私に関わる者に祝福はない。

運命だと思ってあきらめてもらおう。

「悪いが私の代わりに、ここにやってきた少年を相手に働いてもらう」

「ニャ~オ」

 私は忙しい。

この哀れな猫を戦闘世界コンバット・プログラムに組み込み終わると、私は別の世界の作成に入る。

猫の方は私の経験に基づいて様々に変化し、少年に現世の厳しさをそれなりに伝えることになるだろう。

それでいい。

疲労は蓄積するが、目覚めた時に少しは生存確率が上がっているはずだ。

そして猫と少年が「喧嘩」している間に、残り時間の少ない私は知り得る情報を少年の「意識」に残さないといけない。

先の坂田と首謀者及び中西の情報もそうだ。

とにかく残さないといけない。そうしないと私の死は無駄になってしまう。

だからプログラムを組まねばならない。

 どこから始めるべきか。

 やはり、“最初”からだろう。

 ……。

 ……。

 私がこの島国に来たのは、思えば今から七年前のことだった。

少年の……君の姉はその時二十四歳で、フランスを中心にヨーロッパを恐怖のどん底に叩き落していた。

名は愛歌。

金井愛歌。

医学生であるこの娘には、私と古い付き合いの妖精の長……メリュジーヌがとりついていて、人間に対して恨みを持っていた長は人間を使って同胞の復活を夢見ていたらしい。

だが、生憎私がその邪魔をした。

メリュジーヌをバックにし、未知の胞子に守られた愛歌に唯一近づくことのできた人形である私は、彼女とメリュジーヌを処分した。

 処分――。

 殺せばよかったのだ。

だが、私はしなかった。

止めを刺そうと思えば刺せたその瞬間、人間的な感情が、人形である私を支配した。

私は人形になってから身勝手なことばかりしてきた。

その反動かもしれない。

気まぐれな妖精は許せないが、弟を思う一心で生きてきて、

そのために自分の命を含めて一切をなげうってきた娘の命を止めることは、私にはどうしてもできなかった。

だから殺さず、私は愛歌及びメリュジーヌを廃坑に封じ込めた。

 それから七年して、封が破られた。

普通の人間によって破られたのか、それとも今回の首謀者が意図的に破ったのか、

それは今となっては分からない。

いずれにせよ、それで愛歌は復活した。

少々ヨーロッパで暴れ回ったようだが、どういうわけかこの国に戻ってきた。

魔法使いにとって危険な海を渡って。

なぜだ。

……弟?

弟に会いに来たのか?

それとも私の「手首」のせいか?

 憶測は、一旦控えよう。

分かっていることを中心に残しておきたい。

 私は愛歌を処分した後、メリュジーヌの胞子に対する対処法を協会に提出し、ヨーロッパから消えた。

行く先は彼女の弟の元、つまり君の元だった。

この行動には二つ理由がある。

一つは愛歌がメリュジーヌと共に開発した「薬」の経過を見届ける必要があったことだ。

君は愛歌から送られた「薬」を摂取した。

それがどのような作用を君にもたらすのか、もし万一人間に被害を加えるような存在に君がなるのなら、それは何としても食い止めなければならない。

そしてそのときは、私が責任をもって止めようと思った。

だから、君の傍に来た。

もう一つは……たいしたことじゃない。君の姉に対する、罪滅ぼしのようなものだ。

そして私の背負った罪に対する償いみたいなものだ。

私は先にも言ったが身勝手なことばかりしてきた。

カリロエという名の人間をやめ、「裏切り者」を名乗るようになってからは、とくに身勝手なことばかりしてきた。

「真理」を知りたい、つまりは人間とは何かを知りたいと望むあまり、私にとって唯一の所有物である「舞踏譜」という名の魔法を使い、私は多くの人間を結果的に破滅に追い込んできた。

その償いに、君を見守ろうと思っただけだ。

君へのおせっかいには、要するにこういう事情がある。

 私は君の傍に来た。

君は当時十歳くらいで、病気のために入院していた。

病院の名前は確か、燕塚病院といった。辛気臭い名前だ。

どういう由緒でつけられたかは知らないが、希望の象徴である鳥種の墓という名前はどうも好きになれなかった。

 君はその病院にいた。

私は君の両親がいないとき、話をしたりしたのだが、覚えているだろうか。

いや、覚えてはいまい。

君はそのころ、体の変化に驚いてそれどころではなかったはずだ。

医者は君よりも驚いていたな。

私も当然驚いていたが。

 「薬」のせいか、君の不治と思われていた病は次第に癒えた。

君の姉は妖精の長すら利用する魔物だったらしい。

寝たきりに近い状態だった君がスリッパをパタパタさせて廊下を走り回る姿を見ながら私はいつもそのことを思っていた。

人間の執念と、可能性を。

 君が看護師に怒られるくらい院内を走り回れるようになったその頃、一人の少女が入院した。

覚えているか?

名前は、時雨。

荻原時雨。

名前はついに変えなかったところを思うと、向こうは君との思い出を未だに引きずっているのかもしれない。

 君は生まれながらに不治の病を抱えているという点で不幸だった。

けれど病院に搬送された荻原時雨は、別の不幸を抱えていた。

 早い話が、虐待を受けて育った。

時雨の両親は彼女を「躾」のために、光のない暗がりに七年も幽閉したという。

「躾」という膜の下に「嫌悪」が透けて見える。

 娘の髪は恐怖と絶望のために全て白髪となった。

肌は陽の光にさらされなかったために雪のように白かった。

不十分で偏った食事ばかり真夜中に与えられたために、体内で消化できず、結局栄養失調になり手足は棒切れのように細った。

暗闇で光を忘れた目はいつの間にか光を受容できない状態になっていた。

精神は半ば錯乱し、ものもまともにしゃべることのできない状態になっていた。

 その娘の事情を知るために、私はたまたま病院の中にあった鏡を前にこっそり舞踏譜を踊った。

願いを込めて。

願いは娘の心を取り戻すこと。

心を取り戻す程度の願いなら、踊り手が魂、つまり寿命を削ることで舞踏譜は叶えてくれる。

故に私は寿命を縮め、かわりに娘は心を取り戻し、事情を聞かせてくれた。

今話した「事情」は全て本人の口から出たものだ。

 言葉を吐きだすことによって荻原時雨は少しずつ健康状態を回復していった。

私以外の医師や看護師や患者と話し、口元に運ばれる食事を弱った顎で精いっぱい食べ、日の光の温かさを皮膚で感じ涙する。

不思議と、その様子をいつまで見ていても私は飽きなかった。

おそらくそこに、春に芽吹く草木の姿が重なったからだろう。

それはとても美しかった。

 さて、君はその荻原時雨に、あの病院で出会った。

出遭った時の君は、体力が低いという点以外はもうほとんど健常児と変わらなくなっていた。

 君は彼女に一目ぼれしたのだろう。荻原時雨の傍を離れようとしなかった。

彼女の乗る車椅子を押しながらしつこく彼女の抱える事情を根掘り葉掘り聞いた。

そのくせ君は君自身のことを何も話さないのだから、彼女も困ったろう。

でもそれは仕方がない。

考えてみれば当時の君には過去というほどのものが何もなく、一方の彼女には語り尽くせないほどの過去があったから。

もっとも彼女のそれは恐怖と何ら変わりないが。

荻原時雨はしょうがないので君に事情を話して聞かせた。

君はそれを聞き、心底同情した。涙まで流して見せた。

私はそれを見ながら、君に舞踏譜を教えることにした。

 確かに私は荻原時雨を気の毒に思った。

けれどこの程度の不幸を背負った人間はこの世の中にいくらでもいる。

だから正直なところ、目まで見える状態にしてやろうとは思わなかった。

ただそれでも、罪のない娘がむざむざ死ぬ道理はなかろうと思って、生きることだけはできる体にしてやった。

それだけだ。けれど君は彼女に、荻原時雨に「足」と「光」を与えることを望んでいた。

だから、私はその願いをかなえるべく、君に舞踏譜を教えた。

 君は私と同様、舞踏譜を踊った。

荻原時雨に「足」を与えるために鏡の前で。

「光」を与えたい一心で荻原時雨と共に。


「ニャ~」

「ん?」

 人が仕事をしている最中だというのに邪魔をしてくるとは。腹でも空いたのか?生憎今のお前に胃袋はついていない。安心しろ。気のせいというものだ。

「ニャ」

「何?そうか……とうとう少年が来たのか」

「ニャ~」

「それで、戦ったと。それはご苦労だった。だが前にも言っただろう。私は忙しいので邪魔をしないでくれと……ん?」

 よく見ると、戦闘世界に心鳴ノイズが発生している。

なぜだ?

私の構築した世界が粗悪だからか?

「いや、待て……そうではない」

そもそもこの少年の中には心鳴が多かった気がする。

なぜだろう?

私の理解を超えた正体不明の力が全身を流れている?

なんだ、この妖精のような光の群れは?

魂片?

本人の魂から欠け落ちたものとは違うようだが?

とすると、外部から取り込んだ?

「まさか……これは私のあの時と同じ……“蛍”」

でも、どうやって?……やはり金井愛歌の与えた「薬」の影響によるものだろうか。

外から「蛍」を吸収する能力を金井智宏は保持している?

やれやれ、もしそれが事実だとしたら、私は今までそんな厄介なことを見落としていたというのか。

……参った。

しかしもうほとんど私に力は残っていない。

「構築」以外にまわす余力などない。

本当に困った。対処しようがない。

本当に、仕方のないことばかりが身の上にふりかかる。

 よもや金井愛歌やメリュジーヌの仕込んだ“動く罠”ではあるまい。

ここは不安だが、放っておく以外に手はない。

全くもって、猫の手も借りたいとはこのことだ。

「ニャア」

「まだいたのか。まだ日が沈むまで時間があるだろう。持ち場に戻れ」

「ニャ~」

 さて、気を取り直して続けるとしよう。

どこまで構築したか……。

そうだ。舞踏譜を、病院で君は踊った。そこまで構築したのだ。

「……」

 君は一度は鏡の前で舞踏譜を踊り、もう一度は荻原時雨と共に踊った。

荻原時雨のために……願ったのは、

「詰まるところ愛……か。よくは分からないが」

 ここは保留にしておこう。

私には永久に分からない。

それは、君自身で考える「余地」を残しておこう。

この世界を君が訪ねてきた時、君がそこを、創ればいい。

その「余地」くらいは残しておこう。「思い出」は自分で補完するものだ。

 さて、ほかの箇所を構築しないと。

 ……。

 ……。

 君はとにかく舞踏譜を踊った。

結果的に、歩行能力を失っていた荻原時雨は歩けるようになった。

そしてその荻原時雨と一緒に舞踏譜を踊り、荻原時雨の目を見えるようにした。

つまり、君はその分魂に負荷をかけたことにもなる。

奇跡と言っていい。

普通の人間なら間違いなく取り返しのつかない代償を求められるはずだが、君はそれでもケロリとしていた。

理由はおそらく、君の姉の与えた「薬」だろう。

魂すらあの「薬」は癒やしたのかもしれない。

理屈は分からない。

分かればこの世から死人はいなくなるだろう。

それくらい恐ろしい発明を君は摂取し、それで踊り、願いを叶え、やがて退院していった。

 君が退院した後、私は入院している荻原時雨と出て行った君の両方を監視することにした。

荻原時雨に監視が必要だと感じたのは君がいなくなってまもなくしてのことだ。

彼女には魔法使いとしての「素質」があった。

ゆえに何者かに利用される危険を感じた。だからだ。

……。

 ところで私は、坂田の例が示す通り、人気があった。

つまり私の持つ舞踏譜を研究したいと思っている大馬鹿者がヨーロッパを中心に数多く存在した。

そのうちの何人かは私がこの極東の島国に移住したことに気づいて、こっそり追ってきた。

これが厄介だった。

何が厄介かというと、行動を監視されるということが厄介だった。

つまり君と荻原時雨の監視が難しくなった。

監視していることが明らかになれば彼ら魔法使いはなぜ私が君たち二人を監視するのか当然興味を持つ。

それは困る。

君たち二人の平穏な生活はその瞬間に終わってしまう。

君たちを何としても巻き込みたくなかった。

が、君たちを放置するわけにもいかない。

だから私は決断した。

荻原時雨を信頼のできる魔法使いに預け、私は君を離れたところから監視することに専念しようと。

 退院した荻原時雨はまもなくその魔法使いに引き取られ、ヨーロッパに渡った。

その後については詳しく知らない。

もし君が直接聞く機会があれば聞いてみればいい。

荻原時雨の気が向けば、あるいはその辺の詳細を聞けるかも知れない。

 君はその後、何ら問題なく育った。

当時の事を思い出さないくらい健康的になり、そして当時の教訓を生かせないほど怠惰な生活を送るようになった。

これは皮肉を込めて言っている。

 けれど、今は違うだろう。

今、君の周りの世界は劇的に変化している。

時間を無駄にするな。

死にたくなければ。

守りたいものがあるならば。

救いたい人がいるならば。

これだけは貫きたいと思う何かがあるのならば、君はそのために生きろ。

「……こんなところか」

 いつこのゲームプログラムを少年が開くかは分からない。

死ぬ直前にならないと開けないかも知れないし、眠っている時に開いてくれるかもしれない。

分からない。

が、作ることにはとりあえず成功した。

「世話の焼ける少年だ」

 もっとも、私が好きで焼いている世話だが。

ふっ。

これまた仕方がない。

要らぬとは思うが言語野にも少し手を加えておこう。

異国の言葉が分かるにこしたことはないだろうから。

「やれやれ」

もうじき、本当にお別れだ。

しかし余力が少しある。

最後に味付けを整えよう。

……。

……。

さっきの「余地」は、そうだな……陽向で一服している私を置いておこう。

それで……何かメッセージを残そう。

フェナカイトという『イノリノハテ』のOSオペレーティングシステムとしてのメッセージではなく、

「カリロエとして……か」

何がいいか。

少し考えてみるか。

「そう……」

 いずれにせよ私は願う。

少年の心に、記憶に……

「よき祈りよ、こもれ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ