患部切除
世界に色がつくと、そこは紛れもなく病気で倒れたときに見た光景だった。
赤いトンネルの続く世界。
目をこらして遠くを見れば、曲がり角や広い空間が見える。
ダンジョンと言われただけはあって、この病巣化した異空間はかなり複雑な構造をしているようだ。
「本当にさっき見たのと同じ世界だ。倒れている人もそのままだし」
「出来れば夢であって欲しかったと思うわね」
梨花の声に振り返ると、白衣を着た彼女が後ろに立っていた。
深いため息をつきつつも頬が緩んで見えるのは、梨花がうんざりしているというよりも、この状況を肯定的に受け止めていることの証だ。
小さい頃から梨花は裕太の前では思っていることと正反対のことを言う癖があった。
そういう時は怒ったり呆れたりしているように見えて、笑っていることが多かった。
「あ、あの、外崎さん、内田さん、よろしくお願いします」
そして、遅れて久美が白い光の中から現れた。まさに転移という感じで出てきた彼女は慌てて頭を下げた。
あまりにも深々としたお辞儀に裕太は慌てて手を振った。
「麻井さん、そんな硬くなくて大丈夫だって。裕太って呼び捨てにしてくれても構わないし」
「いえ、でも、年上ですし。それに……」
「梨花がどうかしたのか?」
久美は梨花の方をちらちらと伺いながら、手をもじもじしながら俯いている。
二人は初対面のはずで、何か遠慮するようなこともない。それなのに、何故こんな不思議な態度をとるのか裕太は全く分からなかった。
しかも、当の梨花は顔を両手で押さえて、長いため息をついている。
「梨花までどうかしたのか?」
「何でも無いわよ……。分からないなら黙ってて」
「相変わらずだなぁ……。麻井さん引いてるぞ」
「分かってないのは裕太だけだっての。はぁー……。麻井さん、良いよ。そんなかしこまらずに、普通に呼び捨てで呼んでも。別にこいつなんて呼び捨てで十分なんだから。私も梨花で良いからさ」
「そうそう、梨花の言う通りだ。気楽に呼んでくれ」
珍しく梨花がフォローしてくれるなぁ。と裕太は笑った。
久美のために顔まで赤くして、かなり一生懸命考えてくれたのだろう。
そんな梨花のフォローに対して、久美はわたわたと手を振ると、何か決心をしたのか握り拳を作って、うんと頷いた。
「裕太先輩と梨花先輩。……で、どうでしょう? 実は私も天山高校の生徒ですし……」
「そうだったのか。ソウルメディックだと麻井さんの方が先輩だから、変な感じだけど、麻井さんがそれで良ければ、良いよ」
「はい。それと私のことは呼び捨てでも構いませんので、好きに呼んで下さい」
改めて自己紹介を済ませると、久美は大きく深呼吸をしてから、自分のこめかみをトントンと人差し指でつつき始めた。
最初は何をしているのか分からなかったが、すぐにその行動の意味が分かった。
「繋がったようだね。さて、この病巣と攻略方法について説明しよう」
「院長!? どこから!?」
「君達がつけたダイブギアから、君達の脳に直接声を届けている。もちろん麻井君の目を通じて、君達の映像も見えているよ。抗体武器もよく見える」
院長の声がすると、久美がこくこくと小さく連続で頷いた。
どうやら院長の言う通りという意味らしい。
「ふむ。見る限り、外崎君は外科的抗体、内田さんは内科的抗体だね」
「え? 外科とか内科って関係あるんですか?」
「まぁ、見た目で我々が勝手に名付けているだけだ。外科的抗体はメスやハサミと言った刃物のような見た目をしている。敵に近づき、感染源そのものを切って患者から剥がす戦い方をする。いわゆる前衛型だ」
裕太の持つ武器は、使い道も目的もまさにメスそのものだった。
まさに外科医の持つ医療器具が武器としての形へと変化したもので、外科的抗体と呼ぶに相応しい見た目をしている。
そうなると内科的抗体と言われた梨花の武器も――。
「内田さんのは注射器がモチーフの抗体武器だね。注射や服用、様々な方法で薬を投与し、患部まで送る内科医のような武器だ。中距離から遠距離型の戦いを得意とする」
身体の中の患部にまで薬を届ける治療の仕方というのが、遠距離攻撃のイメージとして具現化したのだ。
そして、そうなると久美の持つ風船型の抗体も何か大体想像がついた。
「麻井さんのは、もしかして、痲酔科がモチーフの麻酔的抗体ですか?」
「そうだ。麻酔薬を捜査する風船がモチーフだ。麻酔的抗体と名付けたのは見た目だけじゃない。攻撃した敵の動きを麻痺させる効果もあるからだ。いわば支援型だな」
「こういうのも何だけど、院長、ゲーム好きですよね?」
「たしなむ程度にね。さて、君達は実にバランスが良い。戦闘になったら裕太君を先頭に三角形になるよう陣形を組むんだ。あぁ、それと安心してくれ。その白衣は特別性でね。多少の攻撃になら耐えられる作りになっている」
「ますますゲームっぽくなりましたね」
「そうとでも考えなければ、やってられないのだよ。こんな非常識な病気なのだから。ちなみに、治療方法もまさにゲームだ。この病巣を作り出した張本人に取り付いたメンタルイーターを駆除すれば、感染した人間全てが解放される」
「これゲームじゃなくて、本当に現実なんですよね?」
「残念ながらね。さて、第一感染者はその通路の奥だ。気をつけて進んでくれ」
通信が途切れると、久美が頷いて前を指さした。
その先に行こうということなのだろう。
裕太は言われた通り前へと進むと、倒れている人がどんどん増えてきた。
それに加えて、スライムみたいな化け物も増えてくる。
スライム達は人を体内に取り込み、何かを吸い取っているように収縮活動を繰り返しながら動いている。
そんなスライム達を一振りで切り裂きながら、前へと進んでいく。
裕太の刀、梨花のダーツ、久美の爆弾シャボン玉で次々と敵を蹴散らしていっているはずなのに、敵の数は増え続けた。
いつのまにか通路を進んでいるというよりかはスライムで出来た壁をメスで切り拓き、無理矢理進んでいるような感じになっている。
「一匹一匹は大したこと無いのに、数だけは多い!」
「ウイルス型と呼ばれる敵なのです。増殖速度が高く、一気に数が増えます。一匹倒す毎に十匹は増えると冗談で言われているのです」
「こんなの倒しきれるのか!?」
「はい。今倒しているのはあくまで分身体なのです。本体を倒せば全て消えるのです。ここを突破すれば病巣中心なのです」
久美の言葉通り、最後の猛攻を突破すると、トンネルが終わり、拾いドームのような空間に出た。
天井は高く、部屋は丸い。赤黒い壁には白い蜘蛛の糸のような網目が張り巡らされている。
腐ってしまった身体の中にいるような気味の悪い部屋の中心に、裕太達の狙う病魔がいた。
見た目は巨大な黒いイガグリやウニに近い感じだろうか。
鋭く長いトゲが無数に生やし、床に刺さった針が脈動してプルプル震えている。
微妙にてかっているのも加わって、絶妙な気持ち悪さを感じさせる。
そんなあまりの気持ち悪さのせいだろうか、梨花は裕太の後ろに飛び退いて抱きついた。
「なにあれ!? キモッ!?」
「ちょっ!? 梨花!? 力抜いて!? 動けない!?」
「あわわ、ご、ごめん」
情けない姿でも見せて恥ずかしがっているのか、梨花は頬を朱に染めながら、ジャンプで離れた。
「麻井さん、あれがメンタルイーターの本体なんだな?」
「はい。この見た目、ウイルス型のメンタルイーターなのです。《ヴィーター》と呼んでいるのです。個体によって差異はありますが、割と多いタイプなのです。硬い外皮と核で出来ているので攻撃する時は気をつけてください。それと、上の方のトゲの根元を見て下さい」
「あれは……あっ!? 伊賀さん!?」
トゲの根元には裕太と梨花のクラスメイトのポニーテール少女、伊賀明美の変わり果てた姿があった。
伊賀の身体は胴体だけじゃなく、手足もトゲに貫かれ、趣味の悪い飾りみたいにされている。
とても生きているとは思えない見た目に、梨花が腰から崩れ落ちた。
「嘘でしょ!? イッちゃん!? いやああああ!?」
裕太がとっさに梨花を抱きかかえると、梨花は泣き叫びながら裕太の胸に抱きついてきた。
正気を失っているのか、さきほど抱きついた時よりも遙かに力が強く、ツメが肌に食い込んでくるほどだ。
でも、そんな痛みを感じられなくなるほど、裕太も驚いていた。
これが現実世界なら、間違い無く死んでいる。
「落ち着いてくださいなのです!」
「落ち着けって言われても!?」
「生きているのです! まだ生きているのですよ!」
「あんな状況で!?」
「はいなのです。ここはあくまで精神の異界。まだ現実の身体は生きているのです。とはいえ、ここまで重体だと現実世界の肉体にも大きな影響を与えてはいますが……」
「よ……良かった……。梨花、伊賀さん生きているって」
裕太がぽんぽんと梨花の背中をさすると、梨花はすぐに落ち着いたのか、裕太から離れた。
「麻井さん……教えて。イッちゃんは現実だとどうなってるの?」
「42℃の高熱を出して、集中治療室にいるのです。でも、治療をしている訳ではないのです。スタッフに感染しないよう隔離しているだけの状態なのです」
「……私達しか助けられないんだね?」
「はい。抗体武器は人に痛みを与えないのです。巻き込んでしまっても大丈夫なので、全力で治療にあたりましょう」
久美の断言に、梨花は目元を白衣の袖で拭うと、頬をパンと叩いてメンタルイーター《ヴィーター》に鋭い視線で向き合った。
「裕太……。私が言うのも変だけど、伊賀ちゃんを助けて……。私のただ一人の友達だから……」
「言われなくても、当然助けるさ。麻井さん、こっちはもう大丈夫だ。仕掛けても良いか?」
「はい。いつでもいけるのです。ヴィーター型の外殻は外科的抗体と相性が悪く、攻撃が弾かれるのです。そのため、内側から破壊するのが効果的な戦い方となるのです。梨花先輩がダーツを表層に打ち込み、あたしのシャボン爆弾の爆発で、ダーツを内側にまで送り込んで撃破するのが作戦なのです」
「あれ? ここまで来て俺は必要無かったり……?」
「いえ、裕太先輩にはあのトゲを切り落として貰います。あのトゲは武器でもあり、動き回って遠距離攻撃を止める盾にもなるのです。まずはあのトゲを切り落として下さい。裕太先輩は相手の防御を封じる大事な役割なのです」
裕太は改めてメスの刀を構え直すと、大きく息を吸い込んだ。
そして、短く強く号令を発する。
「行くぞっ!」
地面を思いっきり蹴り、跳躍しながら一気にヴィーターのトゲの前まで接近する。
遠くからは分からなかったが、思ったよりトゲは長く、うねうねと動いている。
まるで自分の意思を持っている槍のような威圧感だ。それが何本も生えているのだから、何十人もの兵士で組まれた槍衾が目の前に迫っているような感覚だ。
だが、裕太はその圧力に屈さず、刀を振り抜いた。
バキバキと鈍い音を立てながら、黒い槍衾が破られる。
「梨花! 麻井さん、今だ!」
裕太の声で、梨花のダーツと久美のシャボン弾が丸黒い外殻に向かって放たれる。
裕太は即座に身体を反らし、弾道から避けると、白いシャボン弾がヴィーターを包み混むように弾けた。
迫る壁のように押し寄せてくるスライムを排除した時よりも、遙かに大きく強い閃光だった。
そのダメージで、ヴィーターのトゲはボロボロに崩れ落ち、ただの丸い球体となった。
「やった! これでイッちゃんも助かるんだね!?」
「待って下さいなのです! これは――失敗したのです! 届いていないのです! 攻撃が弾かれたのです!」
久美が信じられないと言った顔で驚いている。
そして、久美の言葉通り、ヴィーターは生きていた。トゲを再生させようと球体の表面がでこぼこになるようにうごめいているのだ。
激しい爆発は攻撃が成功したからではない。本来なら内側に押し込むべき破壊力が、表面に溢れて流れていっただけだった。
だが、裕太は敵が再生する瞬間、既に刀を振っていた。
「裕太先輩無茶です! ヴィーターの外殻にその抗体武器は弾かれるのです!」
「このまま切り開く!」
力任せのはずなのに、信じられないほど綺麗に黒い殻が切り開かれていく。
風鈴のような澄んだ音とともに、黒い殻が薄い紙のようにめくれ、中にうねうねとゆらめく紐状の虫のようなものが現れた。
「ありえないのです!? 外科的抗体でヴィーター型の外殻を切り裂くなんて!?」
外科的抗体はいくつか種類がある。その中でもメス型は最も硬い物を切り裂くのに適していない。ヴィーター型の外殻を打ち破れるのは、ハンマーやノミといった別の形状が必要だ。
つまり、裕太の持つ抗体武器の見た目は普通でも、今までの常識を打ち破る全く新しい特性を持った新型の抗体だということだった。
その特性は超音波。刃先が振動することで切る対象の抵抗を弱めているのだ。おかげで裕太の刀は硬い外殻を紙のように切り裂けた。
「裕太先輩! 核は中にいる虫みたいなやつです!」
「こいつが核か! 切除する!」
その虫を返す刀で切り裂くと、虫は耳をつんざくような奇声をあげて苦しみ始めた。
(嫌だ! 嫌だ! 行きたくない! 学校になんか行きたくない!)
耳を塞いでも頭の中に声が聞こえるのは、ここが精神世界だからなのだろうか。
声の主は誰か分からないが、かなり苦しそうな悲鳴だった。
(あんな嫌な思いなんてしたくない! なまけたっていいじゃん! 何であいつの顔見ないといけないの? マジ嫌なんだけど、別の場所に行きたいわ)
一人だけじゃない。何十人の男女の声がおり混ざって聞こえた。
(面倒臭い。だるい。仕事だって分かってても、面倒臭い。寝たい)
十秒ほど続いた悲鳴が途絶えると、久美が深いため息をついて座り込んでしまった。
声が聞こえたのは裕太だけではなかったようで、梨花も目を白黒させて戸惑っている。
「麻井さん、今のは一体?」
「メンタルイーターが貯め込んだ思念なのです。この気持ちに共感する人に感染していっていたんだと思うのです」
「確かにめんどうだとか、休みたいって思わない訳じゃないけど、さっきの悲鳴みたいに強く思ってはなかったぞ」
「少しでも繋がりがあれば、強引に感染しようとするのです。あ、そろそろこの異界が崩壊するのです。目覚ましの薬が白衣の中に入っているので、急いで飲んで下さい」
久美に促され、裕太は薬を急いで口の中に入れた。だが、梨花は錠剤を見つめたまま複雑な表情を浮かべている。
長い付き合いの経験と照らし合わせると、何か失敗した時に見せるとても悔しそうな顔と良く似ている。
「梨花、大丈夫?」
「何でも無い。戻りましょう。はやくイッちゃんの病室にお見舞いに行きたいし」
そういって梨花は少しイライラした様子で薬を飲み込み、光に包まれた。
その後を追って裕太と久美も薬を飲み込んだ。