契約と報酬
そして、数分後、院長は梨花が落ち着くまで待ってくれると、SPISについての説明を再開した。
「先ほど、私は君達が一度メンタルイーターに感染したと言ったが、通常なら異界で目が覚めることはないんだ。君達が幸か不幸か、あの異界で目覚めてしまった理由は、君達が特別な能力を持っていたからに他ならない。普通の人間では迷宮にも似たあの病巣で動けないからね」
「特別な力? あ、麻井さんの言っていた抗体武器ですか?」
「そうだ。普通の病原体に対して人が抵抗力を持つのと同じように、メンタルイーターに対しても人は抵抗性を持っていた。その一つが抗体武器と呼ばれるものだよ」
だからこそ、裕太と梨花は群がるスライム達を一掃出来た。
メンタルイーターは人に感染し、一方的に精神を貪る絶対的な存在ではない。人が返り討ちにすることが出来るのだ。ただし、その抗体を持つ割合が極端に低かっただけだ。
「それなら、抵抗性を持たない人はどうやって治るんです?」
「メンタルイーターが感染者の精神を食べ尽くし、餌がなくなったら出て行く。だから、放っておけば治るとも言える」
「なんだ。治るのか。良かった」
「そう思うだろう? だが、そうは甘くない。人は時に思い込みで死ぬことがある。目隠しをした人間の指に痛みを与えて、水の落ちる音を聞かせ続けると、脳が失血死と勘違いしてショック死する、という話を聞いた事があるかな? それと同じことが起きるんだ」
「確かに……死ぬかと思うくらい辛かったですからね」
「だから、人の手による治療行為が必要なのだ。そして、その治療が出来るのは抗体武器を持ち、異界化ダンジョンに現れるメンタルイーターを駆逐出来る人間だけ。我々はその治療行為が出来る人間を共感性異界化伝染症候群専門医、通称ソウルメディックと呼んで雇用している。そこにいる麻井君がそうだ。当院にはもう一人いるのだが残念ながら、他所の応援に出ている」
院長に言われて、裕太は改めて麻井久美の胸元にぶら下がる名札を見た。
冗談だと思っていた彼女の言葉は全て本物で、偽物だと疑った職員証も紛れもない本物だった。麻井久美は歴とした医者だった。
その事実に裕太は姿勢を正し、思いっきり頭を下げた。
「麻井さん、さっきは疑ったりしてごめんなさい」
「え、あの、えっと」
「全部本当だったのに、俺は自分の常識だけで麻井さんを嘘つき呼ばわりした」
「あ、頭をあげてください。怒ってないのです。だって、私も最初は嘘だと思ったくらいだから」
「ありがとう」
ケジメをつけた裕太は改めて院長に向き直すと、今度は自分から最初に問われた件について尋ねた。
「俺もそのソウルメディックになれるんですか? まだ高校二年生なんですけど」
「あぁ、もちろんだ。麻井君も15歳の高校一年生だしね。ただ、くれぐれも他人には言わないように。これはまだ公表されていない病気だ。それに普通の医者では治療出来ない。そのため、いわゆる超法規的措置というやつで、医師免許を持っていなくても、抗体を持つ人材をソウルメディックとして採用することを国も黙認している」
「なら、俺、やります!」
「つまりは隠れてやらないといけないのだが……、やる気は十分なようだね」
裕太は迷わず自分の意思を表明した。
本当の医者ではないけれど、医者として病気に苦しむ人を助けることが出来る。
少し違う形になったけど、夢を実現出来ると思ったのだ。
だが、夢を掴もうとした一歩手前で、梨花から待ったがかかった。
「裕太。ちょっと待って」
「え? なんで? 梨花も一緒にやるだろ?」
「だから待ってと言ってるの。もうちょっと裕太は頭を使って、待つことと考える事を覚えるべきよ」
「相変わらず、トゲがあるよなぁー。で、そこまで言うなら、何が問題なんだよ?」
裕太の言葉に梨花は少し悲しそうな目をしてから視線を反らすと、院長に向き合った。
「私達が失敗した時はどうなるんですか?」
「ふむ、それは医療ミスが起きて患者に何かが起きるという心配かな? それとも、君達がメンタルイーターに敗北してしまう場合かな?」
「両方ですよ」
「医療ミスが起きた際の責任は全て私が負うことになっている。君達ソウルメディックは存在しないことになっているからね。君のご両親に何か迷惑がかかることはないよ」
「……メンタルイーターに負けたらどうなるの?」
「一時的に感染者と同じ症状で苦しむことになる。その際の治療はこちらの病院が責任持っておこなうよ」
「なるほどね。それと後もう一つ大事なこと。これはハッキリさせて欲しいんだけど、あなた裕太の進路に責任とれるの?」
「ふむ?」
話しが掴めない。といった様子で院長が顎に手を当てた。
先ほどの質問とは明らかに毛色が違う。名前をあげられた裕太にでさえ、その意味が良く分からなかった。
「裕太はね。バカがつくほどのお人好しなの。困った人がいれば多分いつだって飛んでくる。物語に出てくる正義の味方みたいなやつなの。でも、裕太には医者になろうって夢がある。そのためには勉強が必要なのは医者になった院長もご存知でしょう? まだ高校二年生って言っても医学部を目指すなら、今も勉強に手を抜くわけにはいかないわ」
「なるほど。安心してくれたまえ。その責任は取れる」
「そうよね。難しい――ってそんな簡単に言いますか?」
「特別推薦をこちらで用意する。これは国からの要請でね。いつまでも無免許で医者として働かせるのは問題だというので、機密保持が約束された大学に通わせるようにと通達が来ているのさ」
「つまり、ここでソウルメディックとして働けば、望んだ進路を用意するということね?」
「あぁ、そう受け取って貰って構わない。選択肢は用意させてもらう」
「選択肢をハッキリさせて」
院長の曖昧な返答に梨花は声を低くした。下手すりゃ脅しにしか聞こえない声音に裕太は思わず苦笑いしていたが、院長の返答を聞いて笑いが消えるほどに驚いた。
「東京大学、京都大学、この二校の医学部だ。特別推薦はもちろん試験免除だ」
大学進学を考えたことのある人間でなくても、必ず知っている国内最高学府だ。
一握りの天才しか入学出来ない場所に、受験無しで入学出来る。とても信じられない条件が提示された。
しかも、それだけじゃなかった。梨花は次から次へと院長から条件を引き出し始めたのだ。
「上等。その条件は悪くないわね。学費はもちろんあなた達が出すんでしょ? もちろん、それに加えて裕太と私の給料もね」
「若いのにしっかりしているね。君を経理か秘書にでも雇いたいところだよ。その通り。学費の援助ならびに、医者として雇う君達には相応の報酬を支払う」
「私が言わなかったら、ただ働きさせるつもりだったでしょ? 悪いけど、裕太を好き勝手使おうなんて許さないからね?」
「おや、心外だな。後でちゃんと説明するつもりだったのだがね」
「どうだか? あんた達医者って金の亡者か、家族をほっぽり出して人助けするかじゃない。自分の周りにいる人やついてくる人のことなんて考えてないでしょ」
「フフ、やれやれ、気の強いお嬢さんだ。元気があって大変よろしい。君はきっと良いお嫁さんにもなれるだろうな。裕太君もそう思わないかい?」
「なっ!? からかわないで! そ、それに別にそういうのじゃないから!」
「おや? てっきり裕太君と既に将来を――」
「きゃー!? 分かった! 分かりました! ただ働きなんてさせるつもりはなかった! これで良いでしょ!?」
顔を真っ赤にして戸惑う梨花に対して、院長は肩をすくめて笑っている。裕太は梨花によく振り回されてきたのに、全く動じない院長に感心していた。
これが大人の対応!? よし、早速真似してみよう。
なんて思ったのがダメだった。
「フッ、やれやれ、梨花は相変わらず心配性だな」
「裕太が抜けてるのがいけないんでしょ? 今だって、私が聞かなかったら、自分の将来とか普段の生活にどれだけ影響が出るか何て考えてなかったでしょ? ただでさえ成績微妙なんだから、これ以上落ちたら進学出来ないよ?」
「うぐ……。まぁ、そうだけど……」
おかしい。一瞬にして丸め込まれた。
そして、こうなったら今以上に色々な言葉が飛んでくることを知っている。
ここは急いで話題を変えるのが吉だ。
「梨花もなるだろ? ソウルメディック」
「……裕太はもうやる気満々なんでしょ?」
「あぁ、医者になって一人でも誰かを助けられるのなら、ならない手はないよ。俺もおかげで今生きてるんだから」
「はぁー……、仕方無いわ。私も付き合ってあげる。裕太だけだと、また考え無しにつっこんで痛い目見そうだし」
「ありがとう梨花。そう言ってくれると信じてた。頼りにしてるぜ」
「べ、別にあんたのためじゃないんだから。私の進路のためなんだからね。別に特別推薦なんて無くても合格出来るけど、確実に入学するために仕方無くなんだから」
「あ、そっか。これで大学も一緒にいけるんだな。ちょっとホッとするかも」
「っ!? ……当然よ。離れ離れなんて考えられないんだから……」
「え? 当然の後がよく聞こえなかったんだけど」
「なんでもないっ! 腐れ縁なんだから、このまま続けるのが当然って言ったの!」
聞き返したら、怒濤の勢いで声を荒げられ、詰め寄られた。
その勢いに押されて、思わず頷くしかないほどだった。
「う、うん、そっか」
裕太が深く追求せずにその場を引くと、梨花が肩でぜぇぜぇ息を吐いている。
何故そうなったのかは分からないが、心配しても怒られそうだったので、裕太は梨花をそっとしておくことにすると、院長に向かい合った。
「俺と梨花、二人ともソウルメディックにしてもらっても良いですか?」
「もちろんだ。歓迎するよ」
院長から差し出された手を握り返す。これで契約は完了した。
「さて、早速で申し訳ないが施術を始めるよ。患者が目の前にいるからね。詳しいことは施術をしながら話す」
そして、すぐさま治療が始まることになる。
患者は原因不明の高熱に倒れた自分の学校の生徒と先生達。この人達を救えるのは自分達しかいないのだ。
裕太と梨花は手渡された白衣を羽織ると、手術室と書かれた部屋に連れて行かれた。
だが、部屋の中はドラマで見るような手術室とは大きく違った。
普通は部屋の中央に手術台があるのだが、この部屋は部屋の四隅にベッドが置いてあり、VR空間を見るために使うヘッドギアが枕元に置いてある。
壁にはモニターとパソコンが並べられていて、手術室というよりかは、測定室みたいだった。
「これが手術室?」
「手術を英語でオペレーションという。そして、オペレーションには管制、作戦という意味の使い方もある。君達はこれから異界の病巣、つまりダンジョンに侵入してもらう訳だが、そのサポートをするための部屋だと思ってくれ。つまり、一種のダジャレだ」
「ダジャレですか」
「それと手術室に自分から入っていく患者はいないからね。君達のような存在を隠蔽するにはちょうど良いのさ。さぁ、ダイブギアを被って横になってくれ。すぐに君達を異界に転送してくれるはずだ」
「分かりました」
裕太達が横になると看護師のお姉さんが頭にダイブギアと呼ばれた物を被せた。
内側に画面がついていないので真っ暗だ。耳もヘッドホンみたいにすっぽり被っているので外の音が聞こえない。完全に外界と遮断されたみたいな感覚だった。
「始めるぞ。オペレーション開始」
そして、院長の声がした後、一瞬身体がフワッと浮いたような感覚がすると、真っ暗だった世界が変わった。