続・飛び級試験
「レーニャッ! 」
フードが外れてしまった。
さっきの戦闘でフードが完全に外れ、それまで隠していた獣人の証である獣耳が露わになってしまった。
レーニャの獣耳を視認したバルナーツの顔は徐々に険しくなり、驚きで口を手で覆っている隣の受付嬢からは息をのむ音が聞こえる。
最悪だ。余計なトラブルを避けたかったから、せめて無事に冒険者登録が完了するまではレーニャの正体を隠していたかったのに。
大勢の前でバレるよりはマシかもしれないけど、数少ない目撃者がギルド関係者だったのは幸か不幸か。
私の声と周囲の反応でフードが外れたことに気づいたレーニャはすぐにフードを深く被るが、被る瞬間に見えたその顔色はやや青ざめている。
それまでごく普通だった訓練場の空気が異様な雰囲気に変わる。
二人ともあからさまな嫌悪などは見せていないが、それまでのレーニャに対する視線が明らかに異なっていた。
なんなの、この嫌な空気は。さっきまで談笑してたのに獣人ってだけでこの変わりよう。これが獣人の現実だっていうの……
正直、私はこの世界における獣人差別を甘くみていた。
ここ数年、私やおじいさま、ハミルトン家と獣人に偏見をもたない人たちと交流していたからかもしれない。
だから心の何処かでそこまで差別は酷くないとそう思っていた。
だけど現実は違った。それまで獣人を奴隷同然に扱っていたこの国では陛下の政策で獣人の人権が確立されても未だに差別と偏見が根強く残っていたのだ。
私はレーニャのもとに駆け寄り、彼女を背中に庇ってバルナーツと受付嬢を軽く睨みつけた。
「お二人とも、私のレーニャに何か? 」
二人のレーニャに対する反応に私は無意識に怒っていたのか、思った以上に冷たい声が口から出ていた。多分、今の私は冷静さを失っている。両親の不正が発覚したときやレイナードに喧嘩を売られたときもここまで怒りに震えることはなかった。
私の怒りに気づいた二人は気まずそうに私たちから視線を逸らす。彼らの反応は理性ではなく反射的なものだったかもしれないが、一瞬二人がレーニャを異物のように見てたのを私は見逃さなかった。
悪意なき悪意。
長年の獣人差別で根づいた価値観はそう簡単には変わらない。それは善人であったとしても例外ではない。
受付嬢やバルナーツも決して悪人でも極端な差別主義者でもないだろうけど、先程の反応を見る限り無意識下で獣人に対する偏見が存在していた。
冒険者ギルドの人間にも獣人への偏見が存在してることより、自分の見通しの甘さでレーニャを傷つけてしまったことが腹立たしくて、血が滲みそうになるほど拳に力がこもる。
「カサンドラ様、私は大丈夫ですから落ち着いてください…… 」
「何言ってるの、レーニャが差別されて落ち着けるわけがないでしょう」
「この程度、カサンドラ様と出会う前の頃と比べたらどうってことありませんよ」
「レーニャ…… 」
「あの頃は本当に馬鹿でしたから何であんなに嫌われてるのか理解できませんでした。…………本当に、馬鹿すぎて……完全に黒歴史です」
「レーニャ……」
途中まで私を慰めてたレーニャは急に虚ろな表情で遠くを見つめだした。あのドジっ娘メイド時代を思い出してしまったらしい。
「私は昔のドジっ娘なレーニャもクールな今のレーニャもどっち好きよ? 」
「す、すすすす好きッッ!? か、からかうのはやめてくださあああい! 」
やばい、顔を真っ赤にして取り乱してるレーニャ超可愛いんですけど。
もしこの世界にカメラがあったならば記録用、観賞用、保存用、布教用として写真撮りまくるのに、カメラが存在しないこのファンタジーな世界観が憎い。
さっきまでのシリアスな雰囲気は完全に霧散していた。
今の私は可愛すぎるレーニャを愛でたくて仕方ない。
「は、恥ずかしいです…… 」
「グハッ! 」
赤面涙目レーニャの艶姿は私の理性を破壊するのに十分だった。
転生してから初めての欲情。それまで性欲に無縁だったこの身体にはこれまで溜まっていた欲情の暴発に耐性がなかった。
ぶっちゃけると、とてもムラムラしてます。
「可愛いよレーニャ。……本当に、食べちゃいたいくらい」
「お嬢様ぁ…… 」
「もう、お嬢様じゃなくてカサンドラって呼んで」
逃さないように身体を絡めてレーニャの唇に指を当てると、下唇のぷるんとした感触が指全体に広がる。まるで瑞々しい果実のように柔らかくて癖になりそうだ。指は彼女の唾液で艶やかに光沢している。レーニャの唾液がついた指を自分の口もとに運び、ペロリと舐めるとちょっぴり甘い。砂糖菓子や果実とは違った甘露のような官能的な味は脳を麻痺させて、私は唾液の一滴も逃さないとピチャッ、ピチャッ、と音を立てながらじっくり指を頬張るように舐めーーー
「死にたい…………」
「それは私の台詞ですよ……どうするんですか、この空気」
指を舐め終えた後、突然我に返った私を襲ったのはかつてないほどの羞恥心だった。
何やってんの私、人前で性欲を暴発させただけでなく、あんなはしたないことまで……
完全に痴女ですほんとうにありがとうございますorz
おかしい。前世から可愛いものは大好きだったけど、性的に襲っちゃうほど性癖を拗らせた記憶はないのですが。むしろ前世はあまり性欲とかもっていなかったような……
駄目だ、この問題について深く考えてはいけない気がしてきた。下手に真実に辿り着いたら多分立ち直れなくなりそう。
「あー、そろそろいいか? 」
orz状態から立ち上がると、バルナーツが恐る恐る私に話しかけてきた。ただ私の痴態を目撃してしまったせいか、気まずそうに視線は微妙に私から外れている。
彼のよそよそしい態度で痴態を思い出してしまい、余計顔から火が出そうになるけどいつまでも引きずってても仕方ないので開き直ることにした。
「コホン、ええとレーニャは貴方から一本とったわけだけど、試験の結果はどうなのかしら? まさか不合格なんて言わないでしょうね」
(((あっ、ナチュラルに無かったことにした)))
なんか口調がちょっと高圧的になってしまった。自分で思った以上にまだ冷静になれていないみたい。
それと何か心の声らしきものが聞こえた気がするが、精神衛生上、スルーする。
「あ、ああ、すまない。試験は文句なしで合格だ。試験とはいえAランクを倒したんだ。実力は申し分ない。実力だけならBランクでも十分やれそうなんだが、制度上の問題でCランクからのスタートになる。ったく、飛び級試験でいきなりCランクなんて前代未聞だぜ。飛び級試験受ける奴なんて基本口だけ野郎ばっかでEランクすら稀だったからな」
若干気まずそうだがバルナーツはレーニャの実力を素直に賞賛している。彼もさっきの痴態は完全に無かったことにするらしい。
良かった、もし獣人という理由で不合格になってたら私は彼を殴ってたところだったわ。
「それとさっきは獣人と聞いて身構えちまってすまなかった。別にそんな意図はなかったが不快な思いをさせちまった」
「私もギルド職員として相応しくない振る舞いでした。申し訳ありません」
バルナーツがレーニャに向けて頭を下げると、慌てて受付嬢も一緒にレーニャに謝罪をする。真摯に謝る様子をみて、彼らは悪い人ではないと確信した。
「ふぇ!? にゃ、にゃにゃにゃにゃにを!? 」
レーニャは頭を下げられることに慣れてないからか珍しく取り乱してる。ここ数年はクールなメイドって感じだったけど、昔は私が何かするたびによくこんな風にテンパってたっけ。最初も私が木に垂直立ちしてたときなんか悲鳴上げて腰抜かしてた。いやあ、何でも反応してくれるあの頃のレーニャは本当に可愛かったなぁ。今では分身つくれるレベルのスピードで反復横跳びしても顔色ひとつ変えてくれないし。でもそんなクールビューティーなレーニャも大好きだけど。
しばらくレーニャの駄メイド時代を懐かしんでいたら、二人の謝罪を受け入れたレーニャからなぜ助けなかったのかと抗議の視線が突き刺さった。ごめん。
数分後。
「ンンッ! さて今度は私の番ね」
「お嬢ちゃん、お手柔らかに頼むぜ」
「ごめん無理」
私はバルナーツがレーニャにしたことを許したわけじゃない。レーニャが謝罪を受け入れたのは関係ない。ただ単純に私が気に入らないだけ。つまり八つ当たりだ。
「マジかよ……やれやれ、こりゃ骨が折れそうだ」
やる気満々の私を見てバルナーツは心底嫌そうにしぶしぶ剣を構える。
気だるげそうに見えるが、そこには一切の隙はなく、目つきは獣を狙う狩人のように鋭い。
流石元Aランク。場の雰囲気が変わった。
緊張感で息が止まりそうになる。
空気が張りつめた。
「シッッ!! 」
先に動いたのは、私だ。
フェイントを交えながらレーニャに劣らないスピードで間合いを詰める。
私のスピードに一瞬驚いたバルナーツだが流石元Aランク。慌てることなく私の動きを完全に捉えていた。
が、この程度はレーニャとの闘いを見てたときから想定内。
一方、左右上下から繰り出される斬撃を余裕をもって回避する私。耳もとで鳴り響く豪快な風切り音がとてもうるさい。
しかしあれだけ大剣を振り回しているのに動きが全然落ちないとかどんな体力をしてるんだ。しかも時間が経つにつれてそのキレはさらに高まっていく。
これは本当に強いな。
勘を取り戻したのかはわからないけど、明らかに彼の動きは格段に上がっている。
これがAランクの本当の力……ひとつひとつの動作だけみてもレーニャ戦とはまるで別人のようだ。
「ハハハハハ!いいぜ、いいぜ! まじで楽しいなおい!」
「うわぁ、すっごいイイ笑顔してる。これが試験だってこと忘れてないでしょうね」
まったく、試験中にレベルアップする試験官とか質が悪すぎでしょうが。
これはかなり厄介だ。まだ肉体が完成していない私にとってバルナーツのようなタフネス型は相性がよくない。何故なら今の私の体重が軽いせいで拳や蹴りにあまり力が乗らないからだ。並のタフネス型の相手ならスピードで圧倒してヒット&アウェイで倒すのだが、バルナーツは元Aランクだからかスピードもパワーも桁違いで私は持久戦に持ち込まれていた。
倒せなくはないが、これ以上教え子のレーニャの前で情けない姿を見せるわけにはいかなかった。
仕方ない。ここから先は出し惜しみは一切なしだ。攻撃を避けながら私はそれまで使っていなかった気を練り始めた。丹田から放出された気は熱を帯びはじめ、全身を循環していく。
私たちの闘いはすでに試験というレベルではなくなっていた。
斬る、避ける、殴る、止めるの連続。
シンプルだが一連のスピードは尋常ではない。
レーニャは平気だろうけど受付嬢には目の前で何が起きてるか理解できないかもしれない。
身体から溢れんばかりの莫大な気が全身を駆け巡る。緻密に練り上げられた気は緑色のオーラへと具現化し私の身体を覆う。久方ぶりの全力に身体の至る所からバキバキバキと軋む音が聞こえるが気にしない。
私の異変に気付いたバルナーツとレーニャは目を見張り、受付嬢はすでに放心状態になっている。
ーーー誇りなさいバルナーツ。戦闘で私に仙術を使わせたのはこの世界で貴方が初めてよ。
「『仙術・頞听陀』」
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