新たな旅立ちは前途多難?
第二章開始です。
都会の王都とは違い、緑溢れるハミルトン領は静かに朝を迎える。朝露に濡れた木々は朝日に照らされ、まだ薄暗い森には小鳥の囀りが聞こえる。
そんな森の近くにある小さな屋敷の庭から、金属同士が激しくぶつかり合う音が響く。
庭には二人の女が対峙していた。肌寒い空気の下、二人は白い息を吐きながら相手に向かって己の得物を繰り出す。
もう何度も打ち合ったのか、お互いに顔を紅潮させ、汗が滴り落ちている。
「ハアァァァァッッ!」
身の丈ほどの大剣を構えたメイド服を着た女――レーニャは一呼吸すると、その華奢な体格から想像できないパワーで大剣を横に一振りする。
大剣とは到底思えない、並の者なら視認すらできない素早い斬撃。
「なっ!?」
だが手応えはなく、大剣はそのまま遠心力に従って外へ流れていく。
身体が大剣に引っ張られそうになるが、レーニャは咄嗟に両足で踏ん張り、大剣の動きをピタッと止める。
しかしレーニャはその瞬間、一瞬相手から目を離してしまった。
「隙ありね」
突然、大剣の下から声と共に短剣がレーニャの腹部に向かって飛び出してきた。
「……ッ!」
レーニャは大剣から手を放し、身体を捻りながら真横にダイブしてなんとか短剣から逃れた。
「うーん、仕留めたと思ったのに。よくあれを躱せたわね。これならもっとスピードを上げてもいいかもね」
短剣を弄ぶ少女――カサンドラはすぐ体勢を整えて相手と距離をとったレーニャに笑いかける。
彼女はレーニャの大剣の真下に潜り込む形で斬撃を回避していた。
同性でもときめきそうな笑顔を浮かべるカサンドラに、レーニャは本能的に恐怖を憶えた。
「け、結構ギリギリでしたので、これ以上は勘弁してほしいです……」
「だーめ」
白銀の髪を靡かせながらカサンドラは満面の笑みで無慈悲に宣告する。
「すぐ武器を捨てようとするレーニャにはお仕置きでーす。モフモフされるかボコボコにされるか、どっちか選びなさい」
「…………モフモフで」
手をワキワキしながら近づくカサンドラを見て、レーニャはガクッと項垂れる。
この後、めちゃくちゃモフモフされた。
◇◇◇◇◇
「あれからもう二年かあ。なんかあっという間だった気がする」
公爵家を告発し、アレクシードお祖父様に引き取られてからすでに二年近く経過していた。
お祖父様の屋敷があるハミルトン領はミリム王国の東部に位置している。人口が多かった王都やイリンピアと違い、ハミルトン領は森に囲まれているどこかのんびりとした田舎という印象。
挨拶に伺ったお祖父様の甥にあたるハミルトン伯爵とその夫人ものんびりとした温和な人達で、悪名高いキルシュバウム公爵家の娘である私を快く受け入れてくれた。本当に私は恵まれている。
「……い、おい、聞いてんのか?」
「……ハッ!? え、ええ、聞いていますのことよ。たしかレイナードが衆道にお目覚めになられたと」
「いや誰もそんな話してねえよ!って勝手に人を衆道にすんな!」
「……いっそのこと、本当に掘られてしまえばいいのに」
「ティアナ!?」
あっ、そうだ。今、私は習慣になっていた朝稽古を終えてのんびりしてた後にやってきた来客の相手をしてたんだった。物思いにふけって、すっかり忘れてた。
屋敷にやってきたのは同い年くらいの少年少女で名をレイナード・ハミルトン、ティアナ・ハミルトンといった。
レイナードとティアナはその名の通りハミルトン伯爵の子供で、お祖父様の大甥と大姪にあたる。私達が知り合ったのは私が挨拶のために伯爵家を訪れた時に伯爵夫妻から紹介されたのがきっかけだ。
ティアナの兄にあたるレイナードは見た目は目つきが鋭い不良系美少年だけど中身はちょっと残念。同い年の私をライバル視してるけど、いつも私に負けて涙目になっている。
一方、ティアナは一言で表すと天使。金髪ツインテでちょっとツリ目と気が強そうに見えるけど、実は甘えん坊で泣き虫というギャップ萌え持ちで、私のひとつ年下で初対面の時からお姉様と呼んで懐いてくれた。可愛いもの好きの私のタイプどストライクで、時々見せる無防備な笑顔や同年代の子の平均より低い身長を気にしてる時の仕草とかあまりに可愛い過ぎてついついお持ち帰りしそうになったほどだ(本当に実行しそうになったけどレーニャに止められた)。でも最近、ちょっと大人びてきて少し寂しかったりする。
「ごめんなさい、本当はちょっとぼうっとしてました。それで何の話をしてましたっけ?」
「俺が今度、魔法学院に入学するって話をしてたんだよ。後、その口調やめろ。何か寒気がする」
「私はお姉様ならどんな口調でも構いませんわ。だからお姉様が気に食わないお兄様はさっさとお帰りになったら?」
「べっ、別に気に食わないとかじゃねえし! 俺はいつものカサンドラの方が良いっていうか……って何言わせんだ!?」
「ハイハイ、オニイサマハダマッテテクダサイネー。でもお姉様、どうなさってたのですか? もしかして体調が宜しくなかったのでは……」
ティアナが目をウルウルさせて心配そうに私を見つめる。涙目の上目遣いで。
「だ、大丈夫よ、ティアナ。ちょっと二人との出会いを思い出してただけだから……特にレイナードの、ね」
「ああ……あれのことですか。あの屑な輩がお姉様に因縁をつけて返り討ちに遭った挙句、泣かされたという……」
「あははは……」
ティアナ、実の兄を屑な輩と言うのはやめてあげて。レイナードが泣きそうになってるから。
「いえ、あれは明らかにお姉様がわざわざ自分の黒歴史を掘り返してきたことにショックを受けてる気がするのですが……」
「うう……あの時の自分を殺してやりてえ……」
あっ、ついにレイナードが泣いちゃった。
そういえばレイナードと初めて出会ったのは、ティアナと会った後、レーニャと一緒に伯爵邸の庭を歩いてた時だった。たまたま庭で鍛錬してたレイナードを見かけて観察してたら、私に気づいたレイナードがいきなり絡んできたのが最初だっけ。
――回想――
『おい、お前誰だ?』
『初めまして、姓は訳あって名乗れませんが、私はカサンドラと申します。アレクシードお祖父様と共にハミルトン伯爵への挨拶に伺って参りました』
『アレクシードお祖父様?……ああ! お前、まさか屋敷で噂になってる大叔父様の弟子か!? 』
『へ? いや何のことでしょ――『お前みたいな女が大叔父様の弟子なんて生意気なんだよ!女は黙って男に媚びてればいいんだ! 』あの、せめて話を――』
『五月蝿え、お前はさっさと俺に土下座しろ!』
『はあ? 意味がわからな『いいから黙って俺を差し置いて弟子を名乗ったことを詫びればいいんだよ!』(ブチッ』
『ふん、ようやく土下座する気に……アベシッ!?』
寸勁。そして震脚からの川掌。さらにパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチパンチ。
『グハァ、ゴホッ、おい、タワバッ、ちょっ、ヒデブッ、やめっ、アベシッ!?』
回想終了。
そんで気づけばマウントポジションとってレイナードを啼かせてたんだよね。顔がパンパンになってたけど。
「泣いたけどイントネーションがおかしい! つーかお前初対面なのに容赦なさすぎだろ! 」
「いいえ、ごみいさま。あんな態度では誰でも怒りますわよ。というより、よくお姉様を怒らせておいて五体満足で済んでますね。普通死にますよ」
「ティアナ? それは遠回しに私が馬鹿力だと言いたいの?」
そりゃ事実だけどさ。純粋なティアナに言われるとなんか傷つくんだよ。
「ごめんなさいお姉様。これも全てお姉様にあんな態度をとっておいて、のこのこと顔を出せるお兄様のせいなんです!」
「あれ? なんかとんでもない責任転嫁を見たぞ」
「事実です。なのでお兄様はさっさと帰ってください」
「ストレート!?」
あ~、この子達のコント見てると、なんか前世のことを思い出すわ。特にクラスメイトと一緒に馬鹿やった高校時代。
「レイナードは後でちゃんと謝ってくれたから平気よ。ところで何でレイナードは魔法学院の話をしてきたのかしら?」
もっと二人のコントを見ていたいけど、話が完全に脱線して先に進まないので中断。
「こほん、あー、そうだったな。そりゃお前、来週十二歳の誕生日だろ?」
そうだ。私は来週十二歳を迎える。十二歳になれば当初の目標だった冒険者登録をお祖父様から許可される。
「それにしてもレイナードはよく私の誕生日を覚えてたわね」
「はあ? 何言ってんだ。俺がお前の誕生日を覚えてないわけないだろ。だって俺はお前のことが――」
「ああ、ライバルだからか。わざわざありがとね」
あの喧嘩(レーニャ曰く、「蹂躙」)の後、レイナードとは和解して、一緒にお祖父様の訓練を受けるようになった。あの時からレイナードの口癖は「お前には守られたくない」だったし、よく私を見つめてた。ライバルとして観察してたのかな。
「いや違う……違うんだ」
あれ? なんかレイナードがorzってなった。ティアナがそんなレイナードの肩を叩く。
「プッ、ざまぁ(どんまいです、可哀想なお兄様)」
「グハッ!ほ、本音と建前が逆……」
あっ、レイナードが崩れ落ちた。
「あら情けない。お姉様、こんな兄は放っておきましょう。ところでお姉様はやっぱり学院に行くのですか?」
「いや、私は冒険者になるわ」
そう言うと、ティアナは顎が外れるんじゃないかというくらい口を開けて固まってしまった。レイナードに関しては崩れ落ちた体勢のまま白目を剥いている。あれ? もしかして言ってなかった?
「そ、そんなに驚くことだったかしら?」
私、もう貴族じゃないから学院に行く義務はないのは知ってたと思ってたんだけど。
ハッとティアナは我にかえる。
「お、驚くにきまっています! 何でお姉様は冒険者になりたいんですか!?」
「うーん、強いて言うなら私の心の渇きを癒すことができるのが冒険者業だったから、かな」
「納得できません。お姉様にとって、ここでの生活は不満だったのですか?」
今まで見たことがないティアナの鋭い視線に私はたじろいでしまう。質問にはすぐ答えられなかった。
私はここ二年、鍛錬したりティアナ達と遊んだりと平和で穏やかな日常を満喫してきた。ハミルトン領でののどかな日々はとても心地よく、一生ここに暮らしても良いと思うくらい充実してたし、満足もしてた。だけど心のどこかにしこりがあったのもまた事実だった。そのしこりが唯一とれるのがレーニャとの鍛錬。レーニャ以外にもお祖父様やレイナード、お祖父様の部下と鍛錬してるがレーニャほどのレベルはいなかった。元騎士団長のお祖父様も老いによる衰えで全盛期とは程遠いらしく、技術こそ高かったが身体能力の差は大きかった。
そこまで考察して、やはり私の心の渇きの正体は【闘争】だと理解した。だからこそ、より刺激を求めるために冒険者になることにした。
「ここでの生活に不満なんてないよ。お祖父様も伯爵夫妻もティアナもレイナードも罪人の私に優しくしてくれたし、自分の自由もあった。今ではここなら一生暮らしていきたいと思っているわ。だから、この選択は私の我儘。ティアナは私を責める権利がある――「パチンッ」えっ?」
頬にジンジンと鋭い痛みがはしる。
――私は今、ティアナに叩かれた?
頬に手を当てながら目の前のティアナを見ると、彼女は瞳に溢れんばかりの涙を溜めながら、ぐっと歯を食いしばっていた。
「お姉様の馬鹿!! 大っキライ!!」
ティアナは呆然とする私にそう言い捨てると、倒れてるレイナードの襟首を掴みながら、走って部屋から飛び出してしまった。レイナードは締められて気絶していた。哀れ、レイナード。
部屋に残ったのは私とそれまで空気と化していたレーニャの二人だけになった。
「あーあ、ティアナ様を泣かしてしまいましたねお嬢様。今回の件に関しては完全にお嬢様が悪いですよ」
「分かってるわよ……ああ……大嫌いって言われた……」
「はぁ、ティアナ様の心配は尤もです。一般的に冒険者は死と隣り合わせの危険な職業と認知されてますから、ティアナ様はお嬢様の身を案じてたのでしょう。それなのにお嬢様があんな突き放した言い方をするから……」
レーニャの言う通りだ。理由はどうあれ自分のことを心配してくれたティアナに対してあの言い方は酷かった。私はティアナの気持ちを考えていなかった。
「後でティアナに謝らないと」
「そう上手く事が進めば良いのですが……」
レーニャの懸念は当たっていた。
ティアナは私に会うことを嫌がったのだ。結局私はティアナに謝るどころか会うことすらできずに、十二度目の誕生日を迎えることになってしまった。




