引越し
ある日、朝食をとっているとレーニャからある知らせを聞かされた。
「えっ、引っ越し?」
「はい。お嬢様の住まいをこの別館から本館へ移動するとのことです。朝食を取りに行った時にセバース様から直接そう言われました」
「そう。今更ね」
私が物心ついた時からここに幽閉してた癖に、6歳になったら本館に引っ越させるなんて向こうは何を考えてるんだろう。
てっきり愛人の子供を養子にして私をいない存在として扱うと思っていたけど、どうやら違うらしい。
「ところでレーニャ。これは父親の考えなの?」
「いいえ。セバース様の独断だそうです。何でも当主様は愛人の子供を養子入りさせようとしたらしいのですが、諸事情でその話がなくなったようです。噂では女だったとか」
「は?養子入りさせようとしてたのって男じゃなくて女だったの?」
「はい」
呆れた。跡取りが女の私だけだから男を養子にするのは理解できるけど、まさか女の方にしようとしてたなんて。
婿養子でも迎えるつもりかしら。わざわざ悪名高いキルシュバウム家に婿入りを望む人はいなそうだけど。
……まさか第二王子を婿養子に?ゲームの時はてっきりカサンドラが王家に嫁ぐものだと思ってたけど、よく考えるとカサンドラの兄弟はゲームには登場していない。それに王家も聡明な第一王子が皇太子にいたはずだ。
もしその通りだとしたら傲慢な第二王子の価値はよくても王弟でしかない。なら第二王子のキルシュバウム家婿入りも十分ありえる。
「最悪だわ……」
このままじゃ私はキルシュバウム家の人形として第二王子に取り入る羽目になるじゃない。
しかも淑女教育なんてされたら周囲の監視も厳しくなって修行もしづらくなる。そんなことならむしろ飼い殺しにしてくれた方がまだマシだ。
「どーしよーレーニャ」
あの傲慢野郎に近づくなんて考えるだけで寒気がする。だってゲームでの決め台詞って『俺様の視界に入るだけでありがたいとは思わんのか!』だよ。こっちはてめえの影すら見たくないっての。
「あー……誠に言いにくいことなのですが、多分あの当主様のことですからたとえ養子がきてもお嬢様はその養子の踏み台扱いされると思います。なのでどちらに転ぼうが淑女教育からは逃れられないかと」
「えっ、飼い殺しの線はないの? 」
「その可能性はなくもないのですが、貴族からは裏で陰険で陰湿で陰謀好きの『三陰の豚男』と揶揄される当主様です。いくら毛嫌いしてても正統な跡取りであるお嬢様を政略結婚で利用するつもりでしょう。婿養子をとらせるのはまだまともな方で、最悪変態趣味の貴族の愛妾なんてこともありえます」
あ~最悪。どっちにしろ家の生贄なのね。貴族ってやだわー。
「そういえば引越しはいつからかしら?」
暗くなった雰囲気を変えるために話題を引越しに変える。引越しって何をすればいいのかしら。日が近いなら今のうちに準備しておかないと。
「今日です」
「クソッタレが」
あっ、つい令嬢にあるまじき汚い言葉を吐いてしまった。こういう前世の癖はなくさないと色々危ないわね。
「お嬢様……」
「オホホホ。何かしらレーニャ」
「いえ……何でもありません」
じゃなくて何で知らされた日に引越さなければならないのよ。そういうことは事前に言うものでしょう。
レーニャ曰く、「自分も今日初めて知らされた」らしいので彼女は無罪。元凶は直前まで知らせなかったセバース。何が「別に準備するほどの物も持っていないと思ったので知らせなかった」よ。幽閉されている身でも準備するものくらいあるわ。例えば、何故か部屋にあった『ゴブリンでもできるシリーズ』とか机の中にあった謎の短剣とかベッドの下から出てきた同人誌擬きとか。
……よく考えるとこの部屋にまともなものないわね。同人誌擬きとか誰が読んでたのよ、しかもBLもの。てっきり恋愛小説かと思って読んだら、いきなり男同士でピーッしたりピーッをピーッしてピーッする描写だったから速攻本を閉じたのを覚えてるわ。
というかこの世界に同人誌はあるのか?
「さて無事引越し完了したわけだけど」
「もう夕暮れですね~」
引越した先の部屋はさすが本館ということもあり別館の時と比べて断然広かった。いや広すぎた。
「これが公爵家の本館……広すぎて逆に落ち着かないわ」
「前の部屋は狭い別館の中でも一番狭い部屋でしたから、色々と感覚が麻痺してますね~」
レーニャは肉体労働に疲れてたのか口調が素の状態に戻ってた。
今の部屋は前の部屋の十倍くらい広い。前世でもこんな広い部屋に住んだことはなかった。
一応私は公爵令嬢だからこういうものにも慣れないといけないみたい。
「引越しって思ったより体力使うわね。今日はさっさと寝たいわ」
予想通りだったけど、やっぱりレーニャ以外に引越しを手伝う人はいなかった。
結局私とレーニャで全てやることになったから結構疲れた。修行とかで体力には自信あったけど、精神的な疲れには身体がもたなかったみたいだ。
「では今から夕食をお持ちいたします」
そう言ってレーニャは部屋を出て行った。
普段なら適当に本を読んだりして時間を潰すけど、今日はその気すら起きない。
◇◇◇◇◇
「お嬢様、お食事をお持ちしまし……あら?」
「スゥ、スゥ」
レーニャが部屋に戻ってくると、カサンドラはすでに夢の世界へ飛び立っていた。
(かなりお疲れでしたか。いつもよりぐっすりしてます。普段は理知的で凛々しいお嬢様ですが、こういう時の顔は年相応なのですね)
「えへへ、レーニャァ」
ズッキューン!
「ぐはっ」
あどけない笑みを浮かべるカサンドラにレーニャの心が射抜かれた。
(ああやっぱりお嬢様は愛らしいです。お知らせしたいことがありましたが、こんなお嬢様を起こすなんて私にはできません)
葛藤しながらカサンドラの寝顔を見てニヤニヤしてると、カサンドラの表情が徐々に苦しそうに歪んできた。
「晴明……美咲……ジャック……いやだ、置いてかないで……」
苦しそうにしながらカサンドラは手を伸ばす。彼女は泣いていた。ここまで弱々しい様子のカサンドラをレーニャは見たことがなかった。
「お嬢様……さっきから誰の名前を呼んでいるのですか?」
少なくともカサンドラが呼んだ名前にレーニャは聞き覚えがない。幼少の頃から彼女に仕えていたレーニャがである。
(何で私の名前は呼ばれていないのですか)
誰だかわからない名前は呼んでいるのに、自分の名前が呼ばれないことにレーニャはモヤモヤを感じた。それが嫉妬であることに彼女は気づいてない。けれど。
「誰か、返事してよ……」
レーニャは泣きじゃくるカサンドラの手をとる。
たとえ呼ばれる名前が自分じゃなくても、レーニャはカサンドラを放ってはおけなかった。
ぎゅっと力強く、そして優しくその手を握る。しかし自分の名前以外のもので呼ばれることを恐れていたのか、わずかにレーニャの手は震えていた。
「ああ……よかった」
手を握られたことでカサンドラの表情が晴れる。反対にレーニャの表情は複雑なものだった。
「ありがとう……レーニャ」
「ああ……ああ! 」
でもこの一言でレーニャの表情も晴れた。
(ごめんなさいお嬢様。私はお嬢様のことを疑っていました。もしかしたらお嬢様は私のことをどうでもいいと思っていると思ってました)
一番最初に呼ばれるのは自分だと思っていたから、自分以外の名前を呼んだことに傷ついた。それでもカサンドラはレーニャの名前を呼んでくれた。それだけで十分だった。
「今のところはこれだけで十分幸せです。でも諦めませんよ。いつかは私の名前が最初に出てきますように願っています」
レーニャはそっとカサンドラの額へ顔を近づける。
「幼い頃、よく夜泣きしてた私に母はこうやってくれました。幸せな夢を見るおまじないだそうです」
そう言うとさらに顔を額に近づけてそして……
ーー私に近づくと大切な存在が消えてしまう。
初めて失ったのは幼い頃に飼っていたペットの犬。まだ寿命は十分にあったのに突然その命の灯火が消えてしまった。心無い者による乱暴された末に殺されたのだ。犯人はすぐ捕まったが、もう犬は戻ってこない。あの時しばらく泣き止まなかった。
その後しばらくは何事もなかったが、高校生の時に再び悲劇は起きた。今度は両親の交通事故死。しかも自分だけが生き残ってしまった形でだ。この時点で心には大きなダメージがあったが、自分の怪我が完治したその朝に兄が失踪したことで完全に壊れてしまった。
『私のせいだ。私がいたせいで大切な人達がみんな死んでしまう』
今考えたら当時の自分は病んでいた。
このままでは幼馴染や親友まで被害が及んでしまうと考えてその後は高校を休学し、卒業まで姿を見せなかった。
そして全てを忘れるように武術にのめり込んだ。途中で新たな人達と出会ったり、人外の怪物とも戦ったりしたが、結局心の傷は死ぬまで癒えることはなかった。
(何で思い出したんだろう)
私は真っ暗な空間の中で一人きりになっていた。転生してようやく前向きになれたと思ったのに。
突然、自分を覆う真っ暗な空間が炎に包まれた。
『クソが! 何なんだこいつら!? 』
『晴明下がって! 喰らいなさい『鉄の処女』! 』
『F○ck! ナイフで斬っても斬ってもすぐ湧いてきやがる』
「晴明、美咲、ジャック?」
新たな景色はかつての友人達が正体不明の怪物と戦っている姿だった。
幼馴染で天才陰陽師の土御門晴明、高校からの親友で歴代最高の魔法少女桜野美咲、旅先で出会った殺人鬼ジャック・ザ・リッパーの生まれ変わりジャック。かつて東城美波として生きたカサンドラにとって懐かしい面々だった。
だが次の光景でそんな懐かしさは消え去った。
『チッ、ここまでなのか……』
『ごめん……美波、今からそっちに行くね……』
『……』
みんな力尽きて地面に倒れてる。血塗れでどれも致命傷であることは明らかだった。
「いや! みんな死なないで! 」
必死に叫ぶが私の声は彼らに届かない。せめて近づこうとするが、思いに反してどんどん彼らとの距離は離れていく。やがて彼らの姿が遠のき、ついに姿が見えなくなってしまった。
「誰か、返事してよ……」
手を伸ばすがそれに応える者はいない。
(何だ……結局私は一人きりなんだ。私の存在がまた大切な誰かを奪ってしまった)
もう諦めよう。この手に誰かを掴む資格はない。
まるで沈むような感覚に襲われながらゆっくりと手の力を緩める。もう眠りたかった。誰もいない闇の中へ。
パシッ!
まどろみの中で彼女の手にひとつの感触があった。
閉じてた瞳を開けると、彼女の手を誰かが握っている。暖かく力強いその手には覚えがあった。
(ああそっか。何で忘れてたんだろう)
その手の正体はずっとカサンドラと共にいたではないか。周囲から気味悪がれてもその人は自分に仕えていた。
「ありがとう……レーニャ」
先ほどとは違う暖かな眠気が彼女を襲う。彼女が意識を手放す瞬間、額に熱を感じたのは気のせいか。
「うーん! よく眠れたわ」
「おはようございますお嬢様。顔色がよろしいですよ」
翌朝、自分の体調も良かったが、レーニャの様子もどこか変化していた。
「あら機嫌が良いのね。何か良いことでもあったのかしら?」
「そうですね~。あっ、そういえばお嬢様が寝てしまったので伝えられなったことがありました! 」
何だろう、微妙に嫌な予感がする。
「今日から淑女教育が始まるそうですよ 」
「そういうことは起こしてでも伝えなさい! 」
何気に同人誌を持っていくカサンドラ。




