「心の歌」
心の歌
堀田耕介
人は誰でも人生の節目ふしめに心に残る歌がある。私の心に残る歌もいくつかあるが、
その歌の一つに「人間らしくいきたいな」で始まる歌がある。この歌が流行したのは私の中学時代。
なぜか、中学校の修学旅行の旅館の部屋で口ずさむ。私だけではない。同室の何人かも一人ごとのように口ずさむ。
「人間らしく生きたいな」と・・・。
この後の文句は、
「トリスを飲んで・・・・・」である。
何のことはない。ウイスキーのコマーシャルソングである。
ともかくみんながこの「人間らしくいきたいな・・・」のフレーズが気に入っていた。
中学生だから当然酒など飲めない。でもお酒への密かな憧れと、人間らしく生きたいという、何か心にあふれる思いとが、中学生の心をひきつけてやまなかったのかも知れない。
そんな感じで、私も中学を卒業し、高校へと進学する。
高校は、いわゆる、当時民青と呼ばれる、
政党の青年組織が、かなりの勢力をもっていた。
私は当初から彼らの活動に批判的であったわけではない。むしろ彼らの熱心ぶりには驚いていたのだ。
ところが或る日、クラス会にこんな提案をした。各教科の教師をアンケートによって評価しようという提案だ。
狙いはわかる。教師の授業改善に利用したいというのだろう。でも使い方によっては、批判のための批判につながりかねない。
案の定、いい評価を得た、教師は、左翼系
と思われる、よく、教科書の説明の中で、
「これは、眉唾ものだ」
というのが口癖の日本史の教師である。
そして最悪の評価になったのが、われらの担任の世界史の教師である。それがもとで、
倫理社会の教師などは、あたかも生徒に迎合するような授業展開になっていった。
明らかな、彼らの、ミスである。アンケートが、決して前向きな方向へとは向かわなかったのである。担任の世界史の先生など何十年と続けてきた己の考えがある。批判されようと、今となってはいじめでしかない。
私はこの事態から、彼らとは一線をおいた。
高校生活は、大学進学のための、一時的な滞在場所でしかない。そう思わざるを得なかったのだ。
それでも、私の若き血は、抑えきれるものではない。
私の友人と、女性徒三人を誘って読書会を始める。
土曜日、教室の片隅に、五人が輪を作るように座り、先週決めた作品の感想などを述べあうという会である。人間の生き方と言うのが、いつもお互いの心の根底にあって、小説の題材は、サマセット・モームの人間の絆や、
トルストイの戦争と平和など難しい題材が多かった。あの時皆はどのくらい内容を理解して、論議、いや、論議と言うほど大袈裟なものではないのだが、話し合っていたかは疑問
である。
でも、この週一度の読書会は、この時代の心の支えのようなものであったのだ。
ひとしきり話し合いが終わると、来週の作品を決めて会は終わる。
こんな高校生活を終えて、皆はそれぞれが大学に進む。