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常闇の魔女  作者: 空色
第1章 魔女の末裔
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まだ誰も起き出していないような早朝、ユーリは下女部屋を後にした。

トゥリジール山を越えた向こうまで帰らなければならない彼女は、朝一番の乗合い馬車で帰ることにしたのだ。

この時間なら、うまくすれば日の入り前に森に着くことができるかもしれない。


同室者の少女達には、昨日の時点で別れを告げている。

少しの期間であったが、寝食を供にしていた分、仲間意識も強くなっていたようで、それぞれ離れ離れになる寂しさから、消灯を過ぎても話は絶えなかった。


まだ朝もやのかかる王都は、冷え込んでいて吐く息が白く変わる。

ローブのフードを深くかぶって、ユーリは城門へと足を進めた。


あの日、手を引かれるまま、唖然としながら通り過ぎた城門が、徐々に大きくなってくる。

近くまで歩いていくと、夜勤であったのだろう衛兵が声をかけてきた。



「お嬢ちゃん、今日出てくってことは、臨時雇用だったんかい? こんな朝早くに帰るのか」

「はい、トゥリジール山の向こうまで帰らなくてはいけないんで、一番の馬車に乗りたいんです」

「山の向こうってことは、ウジャルの村から来たのか。随分遠くから来たんだね、気をつけて帰りなよ」

「ありがとうございます」



衛兵に馬車の乗り場を聞いて、ユーリは城門を出る。

一人を通すだけなので、入ったときのように門の鎖が上がることはなく、簡易の出入り用である木の扉をくぐる。

彼女が道にまで出ると、重たい音を立てて木戸が閉まった。


ユーリは振り返り、王城を見上げる。

高い塀にさえぎられ、自分の過ごしていた宿舎は当然見えなかった。

お気に入りだった大樹の先だけを、微かに確認することができる。


自分とは関わることのない、遠い世界だ。

きっと、もう二度とこの中に入ることはないだろう。

とても目まぐるしく過ぎた、夢のような日々だった。


暫らく王城を見上げていたユーリは、踵を返して街の方へ歩き出す。

そうして、二度と振り返らなかった。


昨日までと打って変わって、王都は静まり返っている。

殆どの露店は畳まれ、花弁もきれいに片付けられていた。

その中に栗毛の馬につながれた、乗合い馬車を見つけて駆け寄る。


祭りの時だけ各地を結ぶために使われる馬車は、荷馬車を改良したもので木枠に雨よけ用の布地が張られていた。

入り口のかけ布を下ろそうとしていた御者に、ユーリは声をかける。



「すみません、ウジャル村方面に向かう馬車ですか?」

「そうだよ、もう出発するから、乗るなら早く乗りな」



御者に代金を支払い、ユーリは馬車に乗り込んだ。

中は布が風除けとなっているためか、それなりに暖かい。

早朝の馬車であるため、客はまだ若い母と幼子の親子と、中年の夫婦が1組、若い男性が2人とまばらだ。

ユーリが親子の横に座ると、馬車がガタゴトと揺れ始める。

もう少し日が高くなるまで、暫らく眠ることにして、彼女は木枠に背を凭せ掛けて目を閉じた。






*************






屋根代わりの布を激しく叩く雨音に、ユーリは不意に目を覚ました。

どうやら、いつの間にか本格的に眠り込んでしまっていたらしい。

まだうつろな視線で辺りを見渡すと、向かいに座っていた夫婦の妻が話しかけてきた。



「よく眠ってたわね」

「はい、祭りではしゃぎ過ぎて、けっこう疲れていたみたいです」



ずっと同じ姿勢でいたせいか、体が固まってしまっている。

肩と背中が張っていて、重い痛みを感じた。

狭い馬車の中で、伸ばせるだけ腕を伸ばして首を回す。



「随分と酷い雨ですね」

「そうね、だいぶ強くなってきたみたい」

「私が眠って、けっこう時間が経ってますか?」



天候のため、布の隙間から入ってくる光は、あまりなく馬車の中は薄暗い。

いまが朝なのか、昼なのか、まったく検討がつかなかった。



「4時間くらいは経ったんじゃないかしら。いま、トゥリジール山の迂回路に来たところ。この雨で地盤が緩んで、近道は通れないんですって」

「こんなに雨が降ってるのに、山に入ってしまったんですか? 危なくないのかな」

「雨脚が強くなってきたのは、随分と進んでしまってからだったの。もう山道の半分は過ぎてるから、次の村で今日は足止めになりそうね」



嵐のような雨に道がぬかるみ、馬が時折足を取られて嘶く。

道の半分を過ぎているなら、わざわざ引き返すのは逆に危険だろう。

馬車の中で身を寄せる人たちの顔も、道の悪さにどこか不安げだ。

何もなければ良いのだけど、と女性を話をしていたユーリだったが、突然馬車が揺れ思わず木枠に掴まった。



「おい、何事だよ」

「どうやら車輪がぬかるみにはまったらしい、ちょっと降りてもらえないか」



御者の言葉に、皆が顔を見合わせる。

こんな悪天候の中で、立ち往生するのは危険極まりない。

男達は御者を手伝うために、率先して外に出て行った。


ローブを深くかぶり、ユーリも馬車の外に出た。

思っていた以上の雨と風に、ユーリは巻き上げられた髪を押さえる。

全身濡れ鼠となりながら、御者は馬を進ませようとし、男達は馬車を後ろから押す。

それでも、車輪が空回るだけで、なかなか前に進まない。



「仕方ない、馬だけ外して近くの町に助けを求めてくる」



御者は神経質に嘶く馬を馬車から外し、客を外へ誘導する。

これ以上は無駄だと判断して、馬車を一旦諦めることになるようだ。

馬車の屋根は防水の魔法をかけてあるものの、祭りのために即席に作られたものであり、長時間暴風雨に曝されると水漏れを起こす可能性がある。

迎えが来るまで、全員でどこかの洞穴に避難する方が良いだろう。


これからの段取りを話し合う大人たちを尻目に、幼子は暇を持て余して不満げな顔をしている。

暫らく我慢していたようだったが、痺れを切らした幼子が馬車に戻ろうと母親の手を振り払った。

慌てて腕を掴もうとする母親の手を振り切り、彼女は馬車に向かって一目散に駆け出す。


幼子が馬車の入り口に手を伸ばしたとき、ユーリは崖の上からパラパラと小石が転がってくるのを目にした。

彼女が顔を上げるのと同時に、馬車の真上の地面が滑る。

その異様な音に振り向いた大人たちは、顔を青くして叫び声を上げた。



「崩れるぞ、馬車から離れろ!」



幼子は意味も分からず、怒鳴られたと言う事実に顔を歪ませる。

誰かが舌打ちし、幼子に戻ってくるように声を上げた。

幼子は泣き出し、馬車の前に座り込む。

斜面の木々が傾き、母親が悲鳴混じりに幼子の名を呼ぶ。


その横で、ユーリは地を蹴った。

ローブのフードが外れ、長い黒髪が舞う。

彼女は泣きじゃくる幼子の手を掴むと、力一杯引き寄せ、母親の方へと突き飛ばした。


次の瞬間、地鳴りが響いて土砂が崩れ落ちてくる。

振り返る間もなく、彼女は自分の頭上が翳るのを感じた。







*************







ラズフィスは窓際に立ち、トゥリジール山の方角を見つめる。

空はますます翳り、雨脚は強くなり、雷鳴が轟いていた。


早朝に王都を発ったであろうユーリは、いま何処にいるだろうか。

山に入る前の街で足を止められているかもしれないし、あるいはすでに山を抜け、一息ついたところかもしれない。


今日は魔術の授業にも身が入らず、教師に少し休憩するように言われてしまった。

溜め息を付いて、ラズフィスは室内に目を戻す。

ならば歴史の書物でも読もうかと書棚に近づいた時、俄かに自室の前が騒がしくなった。



「殿下、失礼いたします」



声をかけて入ってきたのは、己の側仕えであるカーデュレンだった。

いつもは柔和な笑顔を浮かべていることの多い彼が、どこか強張った表情で膝をついた。



「どうしたのだ、お前らしくもない」

「殿下、落ち着いてお聞きください」



カーデュレンの硬い声に、ラズフィスは唾を飲み込む。

何故だか、酷く嫌な予感がする。

緊張ゆえか、耳鳴りがするようで煩わしい。



「今朝方、王都を発ったウジャル村方面の乗合い馬車が一台、土砂崩れにあったようです」

「そ、れで。被害は……」



喉がカラカラに渇き、張り付いて上手く声が出ない。

己の息が浅くなり、乱れるのが手に取るように分かる。



「約一名、幼子を助けようとした女性が、土砂崩れに巻き込まれ、行方が分からないと」



一際強く、雷鳴が轟く。

近くに落ちたようで、窓の硝子がビリビリと震えた。

だが、ラズフィスの耳にはその激しい轟音も聞こえない。

自分の心臓の音だけが、煩く耳につく。

己の全身から血の気が引いていくのを感じながら、ラズフィスはカーデュレンを見下ろしていた。







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