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「お願いします、賢者アルディロス。我が祖国を守るため、どうぞお知恵をおかしください」
話を終えたヴェルダカトルは、最後に深々と頭を下げた。
「成る程のう」
そんな彼の姿を見つめながら、賢者はふむと頷きつつ顎髭を撫でる。
何かを考えている様子の賢者とは対照的に、弟子である娘は彼の話には全く興味がないようだった。
話の途中で、彼女は分厚い図鑑のような物をどこかから取り出し、熱心に読みふけっていた。
今も己の膝に顎を乗せた炎狼の頭を撫でながら、一枚、また一枚とページを捲っている。
暫くの沈黙の後、不意に声を掛けられたヴェルダカトルは勢いよく顔を上げ、賢者へと視線を向けた。
「さて、ヴェル……ディ……、ヴェルド……」
「ヴェルダと呼んで頂いて構いません」
「ふむ、では、ヴェルダとやら。先程の話じゃが、方法が無いわけではない」
こほんと咳払いをしてから、賢者真面目な表情をつくると、記憶を思い起こすように眉を潜めた。
「おぬし、魔剣セルヴィオーヌは知っておるか?」
「セルヴィオーヌ……ですか?」
ヴェルダカトルは、もちろんその剣を知っていた。
魔剣セルヴィオーヌとは、古代ヘルドウルスの叙事詩に登場する剣である。
英雄ギルベルトが天より授かった剣は、驚異の防御力を誇る竜までも一太刀で屠ることが可能であったという。
「ですが、あれは伝説上の剣なのでは?」
「いや、あの魔剣は実在しておってのう」
さすがに一太刀と言うのは誇張が過ぎるが、竜族に致命傷を与えられるという点で十分魔剣と呼んで相応しい。
それに、彼の剣は魔力により強化されているため、硬い鱗を切り裂いたとしても、簡単に刃毀れする事がない。
また、魔剣セルヴィオーヌは、屠った魔物の魔力を吸収し、剣の攻撃力を増すこともできる、魔物にとって脅威となる魔道具だった。
「そ、その魔剣は、今どこに!」
興奮から顔を赤く染め、身を乗り出すヴェルダカトルに、賢者は記憶を思い起こすように首を捻った。
「確か……、言い伝えでは、悪しき者の手に渡ることを恐れ、ギルベルトが聖地ツァファトル山に封じたとされておる」
「聖地、ツァファルト……ですか?」
「古代ヘルドウルス語で『清らかな』という意味じゃな」
ヴェルダカトルは高ぶる気持ちを落ち着けるよう、ゆっくりと呼吸を繰り返しきつく拳を握った。
その剣を手にすることができれば、魔物に苦しめられている祖国を救えるかもしれない。
幻の賢者を頼るという、途方もない話から、少しずつではあるが確実に道筋が見え始めていた。
思わず、彼の口元に笑みが浮かんだが、反対に賢者は難しそうな顔で唸り声をあげた。
「ただし、じゃ。あそこら一帯は魔力が不安定でのう」
魔剣のせいなのか、それを封じる魔術のせいなのかは定かではないが、ツァファルト山の周囲は魔術が効きにくくなっている。
そのため、ツァファルトの近辺で、強力な魔導師が生まれることはまれだった。
近年では魔術を利用した便利な道具が開発されているが、あの場所ではほとんど使用することができない。
攻撃の魔術も、癒しの魔術も効果は半減かそれ以下となる。
強力な魔導師であればあるほど近づくことを厭う、実に魔導師泣かせの地域なのだ。
だが、幸いか不幸か、ヴェルダカトルは騎士であった。
魔力があるとはいえ、己の力は兄弟の仲では最も弱く、剣の道一筋で鍛えてきた。
魔術が使えなくとも、それほど困ることはない。
剣術にも優れていた一番上の兄が動けない今、自分以上の適任はいないだろう。
「賢者アルディロス、ツァファルトの場所を教えてください。私はどうしても魔剣を手に入れなければならない」
意気込むヴェルダカトルであったが、やはり賢者は浮かぬ顔で顎鬚を撫でる。
「じゃが、あの山はわしのような老魔導師が入るはちと厳くての」
「いえ、賢者に同行を願うほど、厚かましくはないつもりです」
賢者の言葉に、ヴェルダカトルは慌てて首を振った。
元より、賢者とは知識人、それも老人であることが多かった。
アルディロスはたまたま優秀な魔術の使い手ではあるが、ツァファルトではただの老人同然だ。
そんな危険な場所に、わざわざ同行を求めるような無体を強いることはできない。
しかし、当の賢者は未だに難しい顔を崩さず、唸り声を上げている。
「しかしのう、道を示しておいて見届けぬは、わしのぽりしーに反するからのう」
「ぽりしー、ですか?」
聞き慣れない言葉に、ヴェルダカトルは思わず小さく聞き返す。
小国ではあるが、国の王族としてそれなりに他国語を耳にしたことはある。
だが、今賢者が口にした言葉は、あまり馴染みのない響きであった。
古語にも詳しいアルディロスであるから、そういった類の言葉なのだろうか。
しかし、ヴェルダカトルの予想に反し、賢者は小首を傾げながら背後にいた弟子を振り返った。
「あー。確か、信念という意味、じゃったっけ?」
「意味も分からないくせに、すぐそうやって使いたがるんだから」
問いかける賢者の言葉に、視線を上げた娘は、ため息をついてぱたりと本を閉じ、己の師を呆れたように見やった。
「今の言葉はのう、弟子の故郷の言葉なんじゃが、格好良い響きじゃろう」
「はぁ……」
詫びれもなくからからと笑う賢者に、娘は軽くうなだれて首を振った。
思わず彼女に視線をやると、たまたま顔を上げた娘と目が合った。
彼女は一瞬、ピクリと眉を動かしたが、直ぐに視線を逸らしてしまう。
なんとなく流れる気まずい雰囲気に、男は己の頬を掻いたが、直後に放たれた賢者の言葉にびしりと固まった。
「そうじゃ、そうじゃ。良い事を考えついたわ。わしの代わりに、弟子がお主の力になるというのはどうじゃろう」
「はあ!?」
どうやら、彼以上に驚愕したのは、賢者の弟子であったようだ。
彼女はガタンと椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、賢者に抗議の声を上げた。
「どう言うことです、そんな話聞いてません!」
「だって、言っとらんもん。今考え付いたんじゃもーん」
「冗談じゃありませんよ。大体、ご自分で受けた依頼を、そうやって何でもかんでも私に投げるのは止めて下さい!」
娘は噛みつかんばかりの剣幕であったが、賢者の方はどこ吹く風といった様子である。
終いにはわざとらしく腰をさすりだし、芝居がかった調子で嘆き始めた。
「あたたた。どうしたことか、急に腰が痛んできてしもうた。あー、これでは森すら抜けられないかもしれん。困ったのう。これでは、獣に襲われても、思うように動けんかもしれんのう。フェルよ、わしに何かあったら、後は頼んだぞ」
話を振られた炎狼と言えば慣れたもので、娘の足元に伏せたまま、適当にあしらうかのごとく尻尾をひとふりした。
嘘臭いとは言え、師の不調の訴えをはねのけるまではできないようで、女性は苦虫を噛み潰したような表情で賢者を睨みつけている。
「……この狸爺め」
地を這うような声でぼそりと一言罵ってから、彼女は目を瞑り、自分の感情と折り合いをつけるように深い息を吐き出した。
そうしてまぶたを開いてから、男へと視線を向ける。
その黒曜の瞳に、先程の激しい感情は浮かんでいない。
「明日の夜明け前に発ちますので、そのつもりで準備をしてください」
努めて感情を抑えているのか、ヴェルダカトルに用件を伝える声色は平坦だ。
必要な事を最小限述べると、娘は踵を返して部屋を出て行こうとする。
そんな彼女の背中に、賢者は惚けた調子で声をかける。
「おや、どこへ行くんじゃ?」
「……寝ます」
娘は振り返りもせずに答え、音を立ててドアを閉めると、今度こそ部屋を出て行った。
一連の流れを見守っていたヴェルダカトルは、ずっと尋ねたかった事を恐る恐る口にする。
「あの……」
「何じゃ?」
「私は、お弟子殿に嫌われているのでしょうか」
思えば、彼女は部屋に入ってきた時から仏頂面であったし、一度も彼と目を合わせようとしなかった。
どう考えても、友好的な態度には思えない。
自分と彼女は初対面であるはずだが、知らず知らずの内に不興をかってしまったのだろうか。
だが、賢者は楽しげな笑いを浮かべたまま、否定するように首を振った。
「なぁに、あやつはただ、この世界が大嫌いなだけじゃ。おぬしだけにあのような態度なわけではないから、安心して構わんよ」
「世界、ですか……」
随分と大きな枠組みを持ち出され、ヴェルダカトルは何とも言えない表情で返事を返した。
『世界が嫌い』という事の真意は分からないが、娘が好意的な雰囲気とは程遠いことは確かだ。
己に対してだけではないと言うが、道中を共にする人間として、それは果たして安心できる要素なのだろうか。
ヴェルダカトルはぼんやりと考えつつ、賢明にもそれを口にすることはなかった。
「まぁ、あやつは根は真面目じゃからのう。どんなに嫌でも、途中で仕事を放り出すことはせんよ」
戸惑い顔の男に、賢者は悪戯っぽい笑みを浮かべ、ぽんと彼の肩を叩いた。
どうやら、賢者の中で娘を同行させることは決定事項であるらしい。
明日からの行程を思うと若干不安を覚えるが、どうしても破魔の剣は手に入れなければならない。
ならば、同行者の彼女と何とか上手くやっていく他ないだろう。
無意識の内に強く拳を握るヴェルダカトルの姿を、賢者と炎狼がじっと見つめていた事に、彼は最後まで気付くことはなかった。




