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常闇の魔女  作者: 空色
常闇の魔女外伝 ~その風の行方~
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2



転移の魔術で移動したユーリシアは、例の場所にふわりと降り立った。

少し辺りを見渡せば、すぐに目的のモノが目に入り、彼女は僅かに顔をしかめる。

音もなく近付いてみれば、ボロ布のように見えるそれが、まごうことなく人間の男であることが知れた。


ユーリシアは靴底で軽く男の肩を蹴ると、うつ伏せていた彼の向きを変える。

男は小さく呻き声を上げ、僅かに眉を寄せた。

どうやら、生きてはいるようだ。


男の身なりは、市井の物と変わらないように見えて、その実上等な布を使っていることが分かる。

恐らく、それなりの身分を持った人間なのだろう。

男を見分していたユーリシアの眉間に、ますます皺が寄った。


金持ちとか、権力者という人種が、彼女は殊の外大嫌いだった。

彼らは、他人を利用することしか考えていない。

中にはそうでない人間もいるのだろうが、少なくとも、彼女が今まで出会った人間達は皆そうだった。

できればお近づきになりたくないが、このまま捨て置くわけにもいかない。


彼女の師はとてもはっきりしていて、自分の興味が向かないものには本当に手を出さない。

師に会うためにこの森に入り、野垂れ死にそうになる人間は過去何人もいた。

その中で、師の興味を引いた人間だけが、彼の住処である塔へと通される。

それ以外の人間は、森の外へと放り出され、決して塔に辿り着くことはない。


だが、今回はこの男を『拾ってこい』と言うのだから、師は男に会うつもりなのだろう。

何が師の興味を引いたのかは分からないが、ユーリシアの与り知るところではない。

自分は師の命に従って、この男を連れ帰るだけだ。

深々と溜め息を吐いてから、彼女は小さく詠唱し、転移の魔力を構成させる。


このまま転移した場合、男は床に後頭部を打ち付けるだろうが、獣に喰われるよりはましだろう。

そうしている間にも、術の構成は最終段階に入る。

ユーリシアの体が淡い光を放った直後、彼女と男の姿は霞のように消えたのだった。





*************





「……っう……」



ゆっくりと覚醒してくる意識に、男は小さく呻き声を漏らした。

体中が鉛のように重く、思うように動かない。

霞がかった頭で、一体自分はどうしたのだったかと考えた所で、男はハッと目を見開いた。

そういえば、自分は賢者に会うために深い森へと足を踏み入れ、途中で力尽き倒れたのではなかったか。


かばりと起き上がった瞬間、ズキンと後頭部が痛み、男は思わず両手で頭を抱える。

彼は一番痛む箇所にそっと手を触れ、傷になっていないかを確認する。

どうやら幸いなことに、切ったり、瘤になったりはしていないようだ。

倒れる直前は意識が朦朧としていたため、あまり良く覚えていないのだが、知らず知らずの内にどこかにぶつけでもしたのだろうか。



「ほう、どうやら目が覚めたようじゃのう」



痛みを紛らわすためにうなり声を上げていた男だったが、突然響いた第三者の声に肩を震わせた。

森をさ迷い、心身共に疲弊していたとは言え、男は剣を握るものの端くれとして、それなりに気配には敏感だった。

それが、今声を上げた者の気配には全く気づくことができなかったのだ。

加えて、ここは人の常識を越えた迷いの森であり、何が起きても不思議ではない。


男は咄嗟に腰に手をやるが、そこに馴染んだ剣の重みはない。

一つ舌打ちをしてから、彼は急な攻撃にも反応できるよう気を張り詰めながら、ゆっくりと顔を上げた。

視線の先にいたのは、立派な髭を蓄えた一人の老人だった。

老人は楽しげな笑みを浮かべながら男を見つめていた。

その瞳の色は、どこか子供のように好奇心で煌めいている。

そんな老人の様子にいくらか毒気を抜かれながらも、警戒を怠らない男に、老人は笑い声をあげた。



「なぁに、お主のような屈強な男をどうこうすることなどできんよ。わしは随分と昔に隠居した、ちょいと古代魔術に熱をあげとるだけのただの爺じゃ」

「……隠居? ……まさか!」



隠居、古代魔術という言葉に、男はハッと息をのんだ。

落ち着き、改めて目の前の老人の魔力を探ってみれば、彼からはとてつもない力を感じる。

こうして老いているのだから、魔力はそれだけ衰えてきているということだ。

にも拘らず、老人からは、男の国にいる魔導師達に匹敵するくらいに強い魔力が溢れていた。


男が捜している賢者、アルディロスとは、古代魔術の権威である。

様々な知識を得ている賢者は、生き字引として、どの国でも手厚く保護される。


しかし、アルディロスは一風変わった人物で、彼は国の保護を断り、俗世を離れて隠者のような生活をしているという。

そうして、住処である深い森に魔術を施し、己の研究に勤しんでいるのだそうだ。

それ故、彼の住処に辿り着ける者は少なく、巷では幻の賢者扱いをされている。


また、アルディロスは魔術の研究者であると同時に、自身も稀代の魔導師であった。

彼は老いて森に隠居してもなお、数多の魔術を操るといわれている。



「もしや、あなたは、黎明の賢者アルディロスではありませんか?」



居住まいを正した男は、緊張の色濃い声色で目の前の老人に問いかけた。

老人はきょとんと目を丸めた後、楽しげに笑い声を上げる。



「ふむ、そう呼ばれていたことも、あったかもしれんのう」



あっけらかんと己の正体を認めた老人に、男は思わず口を開けて間抜け面をさらした。

その露出の少なさから、世間ではアルディロスは人嫌いなのでは、とか、気難しい人物なのでは、などと様々な憶測が飛び交っていた。

だから、これほどあっさりと賢者であることを認めるとは、思いもしていなかったのだ。


暫し我を忘れて唖然としていた男だったが、気を取り直して表情を引き締める。

目の前の老人は、自分をアルディロスと認めはしたが、まだ男に力を貸すと承諾したわけではない。


だから、本番はここからなのだ。

男には、どうしても賢者の助力を取り付けなければならない理由があった。

ベッドから降りた男は、深く深く頭を下げ、振り絞るような声で賢者に懇願した。



「賢者アルディロスよ。どうか俺……私に力をおかしください。私は、あなたの知識に縋るため、この森にやって来たのです」



静まり返った室内で、暖炉の薪が音を立てて爆ぜる。

数秒間の沈黙が、男にはまるで永遠の時にすら感じられた。

だが、その静寂を破ったのもまた黎明の賢者であった。



「ふむ……」



たっぷりとした顎鬚を撫で、男をじっと見つめていた賢者だったが、唐突にぽんと手を叩く。

びくりと肩を震わせ、男は恐る恐る顔を上げる。

そんな彼に、満面の笑みを浮かべ、賢者は首を傾げて問いかけた。



「時にお主、煮込み料理は好きかの?」

「は? ……煮込み料理……ですか?」

「なに、ちぃと小腹がすいてのう。わしの弟子が作ったシチューがあるんじゃが、お主もどうじゃ」



突然の話題の展開についていけず、唖然とする男を尻目に、賢者はどこかほくほくと嬉しそうな笑みを浮かべている。



「牛の乳で煮込んである、一風変わったものなんじゃが、わしはこれが大好物でのう」

「は……はぁ……」

「そうと決まれば、フェルよ。そこにおるか?」



言葉を失っている男の前で、賢者は背後を振り返って声をかけた。

いつからそこに居たのか、賢者の足元には、赤々と燃える炎のような毛を持つ狼が一匹床に伏せている。

巷の噂が正しいならば、彼の狼はアルディロスが使役するという、炎狼エフェルトラドなのだろう。


賢者の声にぴくりと耳を動かし、炎狼は音もなく立ち上がる。

彼は僅かに開いたドアの隙間をすり抜けると、暗闇の中へと消えていった。




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