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「ユーリ殿、実は王妃陛下よりお礼の品を預かっております」
「……は?」
唐突に告げられた言葉に、ユーリの口から間抜けな音が漏れる。
そんな彼女は綺麗に無視し、カーデュレンは隣に置いていた小箱を引き寄せた。
開けられた箱の中に、色取り取りの宝石を認め、彼女は顔を引き攣らせる。
一瞬めまいを覚えたのは、気のせいだと思いたい。
「そのように高価な物、いただく訳にはまいりません!」
実際、宝石などもらっても困るだけだ。
王妃から賜った宝石を売るわけにはいかないし、仮に売ったとしても自分のように平凡な娘がこれほどの宝石を持っていたら、犯罪めいたことを疑われかねない。
それならばと家に持ち帰ったとしても、近くにある辺境の村や、自分の住む森では何の役にも立たないだろう。
そこらの石と変わらぬ扱いを受けるより、それこそ王妃の身を飾った方が、宝石にとっても幸せなことだ。
ユーリが全身全霊をもって拒否をすると、カーデュレンは眉根を寄せた。
「困りましたね、それでは我々の気がすみません。では、換わりに何か望まれる物はありますか?」
「そう言われましても……」
自分としては、何も賜ることなく森に帰り、静かに過ごすことが一番の望みだ。
だが、ここで望みの物を言わないとなると、両陛下に乞われてやって来た目の前の人物としては立場がないだろう。
かと言って、特に欲しい物のないユーリは必死に考える。
散々頭を悩ませて、一つだけこの王城で欲しいと感じた物を思い出す。
「でしたら、王城の庭に植えられていた、リュエの花を一株頂きたく思います」
「そのようなもので良いのですか?」
リュエの花は鎮静効果があり、葉は解毒、根は弱った胃腸に効果がある。
趣味の範疇だが、薬を煎じる自分にとっては中々魅力的な薬草だ。
持ち帰って家の畑に植え、増やすことができれば色々と役に立つ。
淡い紫の花弁を持つ可憐な花は、それだけでも目を楽しませてくれる。
「分かりました、庭師に見繕わせましょう」
「ありがとうございます」
宝石箱を閉じ、己の脇によけると、カーデュレンはユーリに向き直った。
「時に、ユーリ殿は合同際のための、臨時雇用でこちらにいらっしゃったと伺いました」
「はい、その通りでございますが」
「引き続き、城で働かれるつもりはありませんか?」
まるで、世間話でもするかのように軽く問われたため、ユーリは自分の耳を疑った。
彼女達臨時雇用者は、今回あまりにも簡単に王城に勤めることとなった。
それは、あくまで南地区の下働き、しかも短期雇用であったからだ。
これが正式な、長期での就職となるとまったく事情は異なってくる。
下働きに紛れて、他国の間者が入り込む可能性もあるだろう。
外から新たな雇用者を入れるとなれば、それこそ慎重な調査と面接が必要だ。
「ご冗談ですよね?」
「いいえ、本気です。殿下の恩人となれば、後宮で側仕えも可能かもしれませんよ」
辺境の村のさらに外れた森の中に住む娘が、後宮の女官、しかも第1王子の側仕えに転身。
まるで、夢物語のような話だ。
だが、自分はそんなことを望んでいない。
いっそのこと、本当に夢であれば良いと思うが、先ほどから酷くなる頭痛に現実であると教えられる。
思わず眉間に手をあて、大きな溜め息を付いた。
「まさか、それを尋ねたくて、先ほどから私の様子を窺っていらしたのですか?」
「おや、気付かれていましたか」
「何となく、顔を上げるたびに視線が合うな、と思っていたもので」
始めは、ただの偶然だと考え、気にもしていなかった。
何度か視線が合ううちに、どうやら自分は彼に見られているらしいと気付いた。
目が合うと不自然でない程度に逸らされ、ユーリが他に目を向ければ再び視線を感じる。
敵意や疑心は感じず、まさに観察という言葉が正しいように思えた。
「女性に対し、不躾なことをしました。すみません」
カーデュレンは苦笑し、こめかみを掻くと素直に頭を下げる。
だが、顔を上げると一転して、真剣な眼差しでユーリを捕らえた。
「しかし、殿下はユーリ殿に心を許されているご様子です。近頃は殿下もどこか生き生きとしていらして、貴女の話をされる時など、笑顔をこぼされる事も多い。側仕えとしては、ぜひ城に留まっていただきたいと思うのです」
「買い被りすぎでございます。私が殿下にして差し上げられることなど、何もございません」
「ご謙遜を」
「事実でございます。それに、城勤めは私のような人間には不相応です」
お互いの視線がぶつかり合い、応接間は静寂に包まれる。
暖炉にくべられ、赤くなった蒔きの爆ぜる音が耳を打つ。
先に根負けしたのはカーデュレンで、目を伏せると溜め息を付いた。
「……どうしても、城に残る気にはなりませんか」
「王城での暮らしは、私には眩しすぎます」
「そうですか、残念です」
ユーリの頑なな様子に、カーデュレンもそれ以上は城勤めを薦めることはしなかった。
最後に、ユーリが祭り翌日の早朝に王都を発つことを告げると、前日までにリュエの花を届けると約束してくれた。
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部屋まで送るというカーデュレンに丁重に断りをいれ、ユーリは応接間を後にする。
執務室に居た女官長に退室を告げると、彼女は視線を上げて頷き、再び書類の確認に戻った。
応接室の火種や灯りをどうするべきか悩んだが、女官長が何も言わなかったところを見ると、このまま部屋に帰っても構わないのだろう。
長く続く廊下は、来た時よりさらに冷え込み、靴音がよく響いた。
下女部屋に向かっていたユーリは、急に立ち止まり、踵を返すと下女部屋とは別の方向に足を向ける。
廊下の灯火はほとんど消されていたが、今夜は雲もなく月の明かりで足元は十分確認できた。
歩みはやがて早足になり、後宮へ向かう回廊を抜けたときには殆ど駆け出していたと思う。
庭への出入り口まで向かうのももどかしく、廊下の開け放しの窓に手をついて飛び越える。
そのまま風を切って走ると、目の前に馴染みとなった大樹が見えた。
ユーリは夢中で大樹を登り、上を目指す。
いつもの枝までたどり着くと、幹を背にして座り膝を抱え込んだ。
立てた膝に額を打ち付けて、両腕に力を込める。
噛み締めた唇が、勝手に震えてくるのを感じ、強く目を瞑った。
(お願いだから、もう少し我慢して)
心の奥底で、声を上げて涙を流す自分に、そっと声をかける。
(森に帰ったら、好きなだけ泣かせてあげるから)
拳を握り締め、歯を食い縛り、感情の高ぶりを抑える。
別段、怖かったわけでも、悲しかったわけでも、ましてや苦しかったわけでもないけれど。
発作的に、唐突に、泣きたくなったのだ。
昔は稀に、そうして突然泣き出したくなることがあった。
感情が掻き乱れ、苦しくて辛かった。
助けを求める人はいなくて、諦めなければならないと知っていてなお、募る思いがある。
どれほど時が流れても、どれほど年を重ねても、こればかりはどうしようもない。
(近頃は、随分と落ち着いていたんだけれど)
苦笑しようとして上手くいかず、自分の顔が歪むのが分かる。
暫らくそうして自分の感情と戦っていたユーリは、乱れていた息を整えゆっくりと吐き出した。
顔を上げると、夜の眠りに落ちていく王都が目前に広がる。
まばらについている灯りが、そこに生きる人の営みを感じさせる。
穏やかな風が吹き、大樹の葉が心地よい音を立てていく。
ユーリは何となく、ラズフィスが何故ここを泣き場所にしていたのか分かる気がした。
自然と体の力が抜け、その身を大樹の幹に預ける。
頬に風を感じ、木々が奏でる音を聞きながら、ユーリは目を閉じ暫らく動かなかった。
彼女が王都を去る日が、少しずつ近づいていた。




