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次々に他国の国賓や公賓が入場し、歓声と拍手が鳴り響く。
フェヴィリウスから嫁いで行った姫君方も多いようで、当然魔力持ちの彼らは色鮮やかだ。
室長が隣で説明をしてくれるが、貴族に興味のないユーリは殆どそれを聞き流す。
壁に背を付けたまま、ぼんやりと歩いていく人々を見ていたユーリだったが、入り口に現れた少女の姿に身を起こした。
クリスティーナの登場で初めて表情を変えたユーリに、室長が呆れたように首を振るのが視界に入る。
それを無視して、彼女は賞賛の意味も込めて精一杯拍手を送った。
伯父であるレストリア公爵に手を引かれ会場入りしたクリスティーナは、フリルのふんだんにあしらわれた夕焼け色のドレスを着ている。
所々にラインストーンが散りばめられ、彼女が動くたびにキラキラと輝いた。
腰元には大きな花のコサージュが付けられており、それも実に可愛らしい。
彼女は、普段よりもつんと澄ました表情で会場を横切っていく。
今日の祝賀会では声をかける機会はないかもしれないが、次に会った時に早速話をしよう。
頬を染めて照れているクリスティーナが思い浮かび、ユーリは小さく笑みを漏らした。
遠のいていく彼女を見送っていたユーリだったが、室長に肩を叩かれ視線を戻す。
入り口に目をやると、壮年の男性に添われ、真紅のドレスに身を包んだ女性が入場した。
赤毛を高く結い上げ、吊り目気味のエメラルドの瞳はクリスティーナと同じ色合いでありながら、全く異なった印象を与える。
胸元と背中が大胆に開いたドレスに、熱の篭った何人かの溜め息が聞こえた。
「側妃の一人、アテユス・シエラ・ハッフィリーム侯爵令嬢だ。性格は少々癖のある方だが、魔力は父親譲りで王族に引けをとらない」
室長の解説を聞きながら、去って行く背を見つめていると、再び歓声が上がる。
次に入場してきたのは、栗色の髪に深い海を映しこんだような蒼の瞳の女性だ。
良く似た色合い、顔立ちの若い男性が付き添っているから、彼らは恐らく血縁者なのだろう。
彼の胸元に光るバッチは、カーデュレンと同じ第一魔導師団の証だ。
「あれが、ヴァルロテ・リクス・フィアマレル伯爵令嬢。家柄的には少々劣るだろうが、その才と魔力を見込まれ、側妃となられた方だな」
すらりと背の高いその側妃は、薄い青のドレスも相俟って涼やかな印象を受けた。
何気なく彼女達を目で追っていたユーリは、ふと場内が不自然に静まり返ったことに気付く。
誰かが唾を飲み込んだ音が響くほどの静けさに、眉を潜めた瞬間爆発するように歓声が上がった。
思わず耳を塞ぎながら振り返り、ユーリは目を瞠って固まる。
会場の入り口に立つのは、白い礼服を纏い、唯一黄金を頂く今世の王。
その隣には、たおやかに微笑を浮かべた美しい女性が佇んでいる。
ユーリの様子ににやりと笑い、室長は彼女が誰であるかを説明した。
「そして彼女が、最も正妃として有力視されている、才女と名高いオルティレイア・フェルリオナ・セルゼオン嬢」
澄んだ空の色の髪を結い、朝焼けの色をした瞳で会場を見渡した女性は、隣に立つ王に小さく何かを告げた。
彼女の言葉に耳を傾けた彼は、視線を和らげて言葉を返す。
仲睦まじげな様子に、周りの歓声は更に大きさを増した。
「陛下の、母方の叔父であるセルゼオン公爵のご令嬢だ。陛下とは従姉の関係になるから、血筋も魔力も申し分ない」
室長の言葉に、ユーリは知己の薬屋から聞いた話を思い出していた。
今世王と第一側妃であるオルティレイア様は、実に仲の良い事で有名であると。
幼い頃から懇意であった彼らは、王が母君に連れられて里へ帰ると、よく供に遊んでいたのだそうだ。
彼女が側妃に選ばれたときは、先代の国王陛下と王妃殿下を重ねたものだと、涙ながらに語っていた。
親しげに会話を交わしながら、彼らはユーリの視線の先を通り過ぎる。
二人は階段を昇り、先に上へたどり着いていた側妃方と供に並び立った。
至宝と呼ばれる美しい姫君と、唯一の色を持つ王が一堂に会する姿を目にする機会など殆どない。
興奮冷めやらぬ会場の熱気に中てられながら、ユーリはぽつりと呟いた。
「噂には聞いてましたが、こうして見ると圧巻と言うか、言葉になりませんね」
あの熊のような薬屋の主が、年甲斐もなく興奮して語っていた意味がようやく分かった。
目を細めて段上を見上げるユーリの顔を、室長が唐突に覗き込んできた。
驚いて顔を引くと、彼女はつまらなそうな表情を浮かべて肩を竦める。
「何だ、つまらんな」
「はい? 何がですか」
訳の分からない室長の言動に、ユーリは訝しげな視線を向ける。
彼女はわざとらしい溜め息を付き、大げさに首を振ってみせた。
「残念だな。もっと、こう、女の顔が見れるかと期待していたんだが」
「あなたという人は……、何を想像しているんですか、何を」
周りを憚って小声で非難の声を上げ、ユーリは段上を振り仰いだ。
そこでは、美しい花々に囲まれた王が、自分を見上げている者達に何事かを述べている。
遠く離れたユーリの元に聞こえる声はないが、恐らく集まってくれたことに対する礼と、今後の国の繁栄を願う言葉なのだろう。
声すら届かない、これこそが本来の彼らと自分の立ち位置なのだ。
そんな雲の上の人に、憧れこそすれ、愚かな感情をぶつける人間がいるだろうか。
「麗しき王族の方々を、敬わない国民などいないでしょう」
穏やかな表情を浮かべ、ユーリはくつりと笑みを漏らす。
この時、ユーリの心に湧き上がったのは、例えようもない安堵だった。
長い間、王都に近付きもしなかった自分だが、ラズフィスを忘れたことはなかった。
意識して避けてはいたものの、自分のせいで王となってしまった少年の行く末を、ずっと気にしていたのも本当だ。
だが、彼はこうして優秀な人材に囲まれ、立派な王として国を率いている。
優秀な国母候補もいるのだから、国としても安泰だろう。
それを実際に目の当たりにして、ようやく安心することができた。
(あぁ、これならば――)
薄らと微笑を浮かべ、ユーリは静かに目を閉じる。
(これならば、憂うことなく、ここを去ることができる)
そうして、森に戻った後は、再び作物と薬作りに精を出せばよい。
やらなければならないことは、それこそたくさんある。
荒れた畑を耕し直さなければならないし、長い不在で使えなくなった食材もあるだろう。
傷んだ物は破棄せざるを得ないが、畑の肥やしにくらいはなるはずだ。
まずは、長い間留守にした家の掃除をして、空気を入れ替えようと思う。
それに、この数ヶ月の間に、森の食料や薬草の分布図も変わっている筈だ。
また、こつこつと歩き回って、新しいものに書き直さなければならないだろう。
森での生活は、城で過ごした日々より、随分と地味な日常かもしれない。
だが、それこそが、ユーリが心から愛する平穏な生活なのだ。
祝賀会が終わったら、ラズフィスやカーデュレンに、森に帰れないか打診してみよう。
ユーリが城を離れることに、クリスティーナは寂しがるかもしれない。
けれど、世の中には文通で交わす友情という関係もある。
それだって、庶民と王族としたら、本当はありえないことだ。
「ふん、優秀な答えすぎて、やはりつまらんな」
暫らく、黙ってユーリを見つめていた室長だったが、やがて独り言のように呟く。
それに言葉を返すことなく、ユーリはただ笑みを浮かべた。
*************
それから、祝賀会は恙無く進み、宴もたけなわと言ったところだ。
ユーリ自身も一通りの料理を堪能し、祝賀会を楽しんでいた。
いつの間にか楽団の奏でる音楽も楽しげなものに変わり、様々な身分のものが入り乱れながらダンスを踊っている。
国賓の方々や側妃方もちらほらと参加しており、会場の中央は実に華やかな様子だ。
そんな中、クリスティーナにダンスの輪に引き込まれたフォルトが、困り顔で彼女の相手を務めているのが見えた。
彼らを目にした人は、その微笑ましげな様に笑みを浮かべる。
そして、今踊られているダンスは、どうやら次々と相手を変えていく類らしい。
クリスティーナは、今度はカーデュレンと、フォルトは大人しそうな枯茶色の髪の女性と踊り始める。
笑顔で踊るクリスティーナ達と、硬い表情のフォルト達という対照的な様子に、ユーリは思わず声を出して笑う。
特にフォルトの相手であるご令嬢は、ガチガチに緊張していて今にも倒れそうだ。
壁際で食休めの茶を飲みながら彼らを眺めていたユーリは、少なくなったグラスの残りを煽り、小さく吐息を漏らす。
中身が空になったことに気付いた給仕が彼女に近付き、グラスを受け取ると新しい飲み物を勧めてきた。
濃いオレンジ色の飲み物は、アルコールだったようで、鼻先に近づけると独特の香りが漂う。
後味がさっぱりしていて飲みやすく、ユーリは飲み終わるともう一度それを頼んだ。
だが、何も考えずに飲んでいたそれは、思いの外強い酒だったようだ。
もともと酒が得意な方ではないため、急激な酔いでぐらぐらと頭の中が揺れて少し気持ちが悪い。
そんなユーリに気付いた室長が、顔を顰めて声をかけてきた。
「どうした、ユーリ。顔色が悪いぞ」
「いえ、先程いただいた酒が、なかなか強いものだったようで、ちょっと気分が……」
「なら、あの先で少し休んで来い」
口元を押さえるユーリに、室長が指し示したのは人気の少ないバルコニーだった。
「あそこは城壁と、室内しか見えないから、景観が良くない。そのせいか、あまり人が来ないからお勧めだ」
「それは、ありがたいですね」
早速そちらに足を向けたユーリの背に、笑い混じりの室長の声が届く。
「それに、火遊びをしている人間も少ないぞ。隠れて色々するような場所もないからな」
「そんな情報いりませんよ。生々しいこと言わないで下さい」
げんなりとした表情で溜め息を付いてから、気を取り直して歩みを進める。
重たいガラス戸を押し開くと、ひんやりとした風が吹く抜けていく。
火照った身体には丁度よく、思わずユーリの表情が緩む。
「良い風……」
密やかに呟き、ユーリは後ろ手で戸を閉める。
人が数人並べるかどうかのバルコニーは、人影もなく静まり返っていた。
横を向けば華やかな会場が目に飛び込んできて、確かにこれではおかしなことはできないだろう。
だが、上を見上げれば無数の星が煌いている。
掴み取れるのではないかと錯覚するほど近くに、満天の星空が広がっていた。
こんな光景を独り占めできるのだから、悪くない場所だ。
何気なく天に向かって手を伸ばし、ユーリはくすくすと笑い出す。
思っていたよりも、自分は酔いが回っているらしい。
靴を脱ぐと、手摺に近付き、片手を置いてひょいと上に飛び乗る。
ドレスが汚れるのも構わず、手摺に腰掛けたユーリはぶらぶらと足を揺らして空を見上げた。
この上もなく良い気分で、彼女は夜の気配を纏う空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。




