16
翌日、ユーリは早々に客室を抜け出すと、研究室へと逃げ込んだ。
とてもではないが、連日の試着会では身が持たない。
へろへろと机に突っ伏したユーリを、室長は興味深げな表情で見下ろす。
そのまま暫らく唸り声を上げていたユーリは、力ない様子で不満を漏らした。
「もう限界です。何ですか、これ。新しい拷問か何かなんですか……」
「随分と辛そうだな、ユーリ。死相が出ているぞ」
笑い混じりの室長の言葉にがばりと身体を起こし、ユーリは声を上げる。
「死相も出ますよ! 何なんですか、あのドレスの量。全て試着するのに1日がかりとか、有り得ない」
「まぁ、大人しく着せ替え人形になれ。否を唱えた所でどうにもなるまいよ」
「女の子恐ろしい。あの活力はどこから湧いてくるんですかねぇ」
自分も女であるが、彼女達の熱意には到底適わない。
思わず頭を抱え、ユーリは深々と溜め息を漏らした。
「諦めて茶でも飲め。で、結局着て行く物は決まったのか?」
いつの間に入れたのか、室長が二つ持っていたカップの内、一つをユーリの前に置いた。
目の前に差し出されたカップを疑わしげに見つめ、ユーリは慎重にその匂いを嗅ぐ。
引き寄せて少量口に含み、妙なモノが混じっていないことを確認してから、ようやく出された茶に口を付けた。
この研究室で茶を出された時に、まず最初に用心しなければならないのは、こっそり実験台にされることだ。
ユーリが研究室に入り浸るようになってそれ程経っていないが、その間に痺れ薬騒動が二回、嘴が生える珍事件が一回あった。
そのいずれもが、被害者がこの部屋で飲食物を口にした直後のことである。
以前には、研究室の人間ほとんどが惚れ薬を内服してしまい、大惨事になったこともあったそうだ。
ならば、ここで何も口にしなければ良いのだが、作ったら試してみたくなるのが研究者の性である。
お互い半ば承知の上で薬を飲んでいるようなものなのだから、さすがは変人の集まりと言ったところだ。
そんなわけで、出された茶にユーリが慎重な対応をするのは、当然の行為だった。
ようやく本格的に茶を飲み始めたユーリに、室長はくつくつと笑う。
上機嫌の室長をじとりと睨みながら、ユーリは再度息を吐いた。
ドレスや靴等、完全オーダーメイドにしようとするクリスティーナを何とか宥め、既製品の購入に持っていくのにどれだけ苦労したことか。
ならば試着のドレスを増やそうと言い出したものだから、こうして客室から逃げ出してきたのだ。
「一応、候補は数着まで何とか絞れたようですよ。他の人にも意見を聞いて決めるらいしです」
「そうか。つまらん腹の探り合いばかりの集まりだが、今回は楽しめそうだ」
「……あなた、絶対に他人事だと思ってますよね?」
「真実、他人事だからなぁ」
しれっと言い放った室長は、ユーリの恨みがましい視線を物ともせず、からから笑い声を上げる。
彼女に自分の苦労を分かってもらうことは諦め、ユーリは話を矛先を室長に向けた。
「そう言うあなたは、祝賀会の衣装は決まってるんですか?」
こんな所で、ひっつめの髪、ボロボロの白衣で研究をしている室長だが、実は良い家のお嬢様である。
彼女がカーデュレンの腹違いの姉であることを知ったときは、思わずあんぐりと口を開けたものだ。
髪の色も、瞳の色も、つまり魔力の性質が全く違う二人だが、確かに顔立ちはどことなく似ている。
家出同然で城へ出てきているとは言え、彼女は未だにカーデュレン家の令嬢なのだ。
そんな、王家を支える侯爵家のお嬢様が、まさか祝賀会に欠席するわけにはいかないだろう。
さぞ面倒臭い試着会をしているのかと思いきや、室長は肩を竦めて息を吐いた。
「私の場合は、ドレスを着て参加するだけでましだと思われているからな。五月蝿い注文は付けられない」
「何ですか、それ! うらやましい!」
貴族の娘である彼女が衣装選びで苦労せず、庶民である自分が試着地獄を味わうなど何だか納得がいかない。
脱力して、机にぺとりと頬を付け、ユーリは息を吐いた。
「はぁ、最近なし崩しに面倒事に巻き込まれている気がします」
「そう言う星回りなんだろ、残念だったな」
室長がそう言い放った時、研究室の外からユーリを呼ばう声が聞こえてくる。
どうやら逃げ出したことに気付かれたらしい。
祝賀会に参加する以上、こうして逃げ回っていても何も解決しない事は分かっている。
半分投げやりな心持ちのまま、ユーリは大声で返事を返した。
*************
あれから祝賀会当日まで、今までとは別の意味で目まぐるしい日々が続いた。
クリスティーナ達は大いに盛り上がっていたが、ユーリとすれば盗賊を相手取って戦う方がまだ気が楽だ。
極度に気を張り詰めていたせいか、この数週間の間に自分は随分とやつれたような気がする。
全身が映る姿見の前で疲れ切った顔を晒しながら、ユーリは陰鬱な気分でそれを眺めていた。
この数週間の間、張り切るクリスティーナ達に押されて散々振り回された。
髪型、装飾品、靴に至るまで、彼女達の満足がいく頃には、心身ともにぼろぼろだ。
途中、ユーリは中庭でジョゼフに泣き付き、研究室で愚痴り、何とか此処までたどり着くことができた。
クリスティーナの侍女総出でオイルマッサージをと言う話には、ユーリも全力で拒否をした。
だが、夜会は女の戦場だと豪語され、にこやかな侍女達に囲まれてしまっては為す術がない。
羞恥と諦めが混じった壮絶な心持ちで、ユーリは泣く泣く彼女達に身を任せたのだ。
(美容マッサージ施されて、逆にやつれるってどうなんですかね)
侍女によってドレスに着せ替えられながら、ユーリは深々と溜め息を付いた。
結局、何度も検討を重ねた結果、ドレスはやや濃い目の菫色に落ち着いた。
初めは薄桃色の物を推されたのだが、己の年齢であの色合いを着るには勇気がいる。
泣き落としの勢いで懇願すると、クリスティーナはようやく諦めてくれたらしい。
その代わりにと、シンプルなラインのドレスから、腰から裾にかけてふんわりと広がった華やかなものに変更された。
胸元から左側の腰にかけてと、裾に向かって、光沢のあるパールで描かれた小さな花が散っている。
自分の考えていたより煌びやかなものになってしまったが、七段フリルや大輪の薔薇のコサージュが付いたものよりは幾分かましだろう。
それにしても、夜会と言うのは、侍女達も随分と張り切るものらしい。
祝賀会が始まるのは日没後だというのに、客室付きの侍女は夕刻から準備を進めている。
クリスティーナから貸し出された数名の侍女達も、先程から室内を行ったり来たりを繰り返していた。
準備中、身体のラインを整えるためにと、コルセットを勧められたがそれだけは断固拒否をする。
祝賀会で踊るつもりはないのだから、立食しか楽しむ部分がないのだ。
胸と腹を締め付けられては、入るものも入らない。
侍女達は残念がったが、着けたことのないユーリには酷だろうということで、それ以上勧められることはなかった。
たまたま、ドレスの構造が背中側の編みこまれた紐で縛り上げるタイプだったこともあるのだろう。
コルセットを使用しない代わりにと、仕上げできつめに締め上げられた。
それで着付けは終了したらしく、準備は髪型の方に移ったらしい。
侍女の一人が硝子の小瓶と、櫛を片手に近付いてくる。
瓶の中身は、どうやら花から抽出した整髪油の類のようだ。
蓋を開けると、客室は甘く柔らかい香りに包まれた。
己の長い黒髪が丹念に結い上げられるのを眺めながら、ユーリは内心で溜め息をつく。
これから化粧を施され、装飾品で飾り立てていくのかと思うと頭を垂れそうになる。
まだ夜会が始まってすらいないのに、すでにぐったりだ。
結われた髪の横に、白い花をあしらった髪飾りを付け、侍女は満足そうに微笑む。
そこで、ふと思い出したようにユーリに声をかけた。
「ユーリ様」
「はい、何でしょうか」
侍女は隣にいた同僚に声をかけ、一度その場を離れる。
戻ってきたときには、装飾品を入れた箱を持っていた。
思わず渋い顔になったユーリだったが、続いた侍女の言葉に首を傾げる。
「国王陛下より、耳飾りを賜っております」
「耳飾り? 私にですか」
側妃方に贈るならまだしも、只の客人である自分にまでそういった物があるとは思わなかった。
ユーリも侍女と同じように小首を傾げていると、侍女は何故か戸惑うような態度で箱を差し出してくる。
「はい、ですが、そちらのお衣装ですと、少々お色が合わせ辛いかと。いかがなさいますか?」
「ちょっと見せてもらえます?」
国王から送られたものを、無下にはできないのだろう。
ユーリが問いかけると、少し困ったような表情のまま、侍女はその箱の蓋を開ける。
中に入っていた1対の耳飾りを目にした瞬間、ユーリは思わず小さく声を上げた。
じっと耳飾りを見詰めたまま、黙り込んだ彼女の態度を落胆と取ったのか、侍女は慌てて声をかけてきた。
「きっと、陛下には薄桃色のお衣装だと伝わっていたのだと思われます」
「……いいえ、どんな衣装を選ぼうと、私の元にはこれが送られてきたでしょうね」
ぽつりと零された言葉に、侍女は不思議そうに首を傾げた。
そのまま耳飾りを手に取って鏡に向かうと、ユーリは自らそれを身につける。
両耳に付け終えてから、背後の侍女へと視線をやった。
「どうです? 似合わなさすぎて、滑稽でしょうか」
「いえ、滑稽などと……、そのような事ははございません」
「そうですか。なら、耳飾りはこれにします」
そう言って微笑んだユーリの耳には、透かし彫りで仕上げた豪華な銀細工の耳飾りが揺れている。
花を模した中央の台座には、深めの赤い色をした石が煌いていた。




