14
屋敷に戻ると、新米従者2名が宛がわれた部屋の床で、大の字になって転がっていた。
ずっと気を張り詰めていたせいか、調子に乗りすぎたのか、ともかく彼らは糸の切れた人形のように眠りこけていた。
せめてもの情けで、それぞれに毛布はかけられていたが、それすらも跳ね除けられている。
引率係の騎士は早々に諦めたのか、部屋に3つあるベッドの1つに腰掛け、武器の手入れをしていた。
同室を宛がわれた魔導師は、我関せずといった所で、既に寝床に潜り込んでいた。
「おぉ、帰ったか」
「なに、これ」
「気にするな。どうやっても起きないし、残りのベッドを使ったらどうだ?」
ユーリは空いているベッドを一瞥し、次いで床に転がる従者を見下ろす。
幸せそうな寝顔で、むにゃむにゃと口を動かす彼らは、夢の中でもご馳走を口にしているのだろうか。
一番近くに寝転がる従者を、靴のつま先で軽く押してみるが、むずがるように声を上げただけで起きる気配はない。
「あー、無理無理。揺さぶっても、小突いても起きないぞ」
「……じゃあ、僕は遠慮なくベッドで寝るから。お休み」
「おー」
呆れたように肩をすくめ、ユーリは残りのベッドに近づく。
羽織っていたローブを近くの椅子にかけ、仮面は着けたまま寝床に潜り込む。
騎士は防具の調節に入ったのか、金属が擦れる音が部屋に響く。
その音を聞きながら、ユーリはゆっくりと目を閉じた。
*************
あれから暫らく経ち、同室の者達が寝静まった頃、ユーリはそっと起き出し部屋を出た。
多方面から聞こえてくる歯軋りや、寝言、鼾を耳にして溜め息を付く。
ベッドから抜け出したユーリは、椅子の背にかけておいたローブを手に取り羽織った。
部屋を出て静かにドアを閉めると、外に控えていた侍女が灯りを持って近付いてくる。
「どうされましたか?」
「……用足し。場所、どこ?」
「それでしたら、お二階の西側になります。ご案内致しますか?」
「いい、散歩がてら探すから」
案内を申し出る侍女に断りを入れ、灯りを借りる。
足元を照らしながら、ユーリはエントランスの階段を上がり、長く続く廊下を見つめた。
そこで、不意に夕食時に聞いた開かずの部屋のことを思い出す。
確か、あれは東の角部屋であったはずだ。
僅かに周囲を見渡してから、手洗いとは逆の方向へと足を向ける。
幸いにも廊下に敷かれた絨毯が足音を吸収し、音が響くこともない。
食堂で聞いた噂話を思い出しながら、慎重に歩みを進める。
屋敷の使用人達も好んでは近付かないらしく、東の端に行くにつれ極端に物が少なくなっていく。
恐らく、手入れや清掃も必要最小限にしたいということだろう。
ようやく屋敷の端の窓が見えてきた頃、ユーリはその足を止めた。
まるで忘れ去られたような寂れた様子で、その部屋は放置されていた。
立派な扉は埃を被って白く変色し、ドアノブは錆付いていてきちんと動くのかも怪しい。
何年も叩きをかけていないのか、屋敷の中にあってそこだけが廃墟のようだった。
暫くその扉を眺めていたユーリだったが、一歩足を踏み出す。
瞬間に背筋を走り抜けた悪寒に顔を顰める。
気分の悪さを無視してもう一歩前に進めば、扉はすぐ目の前だった。
手を伸ばせば、簡単に触れることができるだろう。
ドアノブを睨みつけるようにしながら、ユーリはゆっくりと手を伸ばした。
「そこで、何をしておる」
「!?」
突然かけられた声に、ユーリは弾かれた様に振り返る。
振り返った先に居たのは、灯りを手にしたこの館の主人だった。
公爵は不信な人影に鋭い視線を向けていたが、その人物がユーリであると分かると、驚いたように眼を丸めた。
「そなたは……、確かルースと言ったか」
ユーリはドアに向かって伸ばしていた手を引き、ローブの中に隠す。
その場から一歩引き、公爵に向かって頭を垂れた。
「申し訳ございません。眠れず、気分転換に暫し歩いていたのです」
「そうであったか。だが、この東の外れに、特別眼を引くものもなかったであろうに」
確かに、例の噂を耳にしていなければ、こんな場所まで足を伸ばさなかっただろう。
階段から見た限りでは、東側は廊下が伸びているだけで、物珍しいものは見当たらない。
中庭に出た方が、よほど暇つぶしになるはずだ。
初めは、自分もそれ程興味があったわけではない。
ただ、東の廊下に足を踏み入れたときに、何故か見に行かねばならないと感じてしまったのだ。
今も、ぞわぞわと背筋を走る嫌な気配が消えず、どことなく表情が強張っている。
努力して口元を引き締めると、ユーリはレストリア公に視線を合わせた。
「一つ、お伺いしても?」
「ふむ、わしに分かることであれば答えよう」
鷹揚に頷き、公爵はユーリに話を促す。
「夕刻、街の食堂で奇妙な噂を耳にしました」
「ほう、それで」
「何でも、このお屋敷に、開かずの部屋と呼ばれる場所があるとか」
一旦言葉を区切り、ユーリは自分の横にあるドアへ視線を流す。
そして、ゆっくりと公爵に眼を戻すと、静かに問いかけた。
「……この部屋が、その開かずの部屋とやらでございますか?」
ユーリの質問に、レストリア公は思案するように顎を撫でる。
寂れたドアに眼を向けると、困ったような笑みを浮かべた。
「ふむ、別段隠しているわけではないが、そこまで広まっているとは思わなんだ」
「では……」
「そなたの言うように、これが開かずの部屋だ」
レストリア公は数歩部屋へ近づき、ドアノブに手を伸ばす。
錆付いたノブは嫌な音を立てたが、それだけで、彼が力を入れてもピクリとも動かなかった。
公爵はドアから退き、息を付くとゆるく首を振る。
「この部屋がどの鍵でも開かぬと気付いたのは、何年も前のことだ。使用人達も、気味が悪いのか近づきもせぬ。確か、様々な蔵書が置かれている書斎と聞いていたが、貴重な資料もあったであろうに。惜しいことをした」
残念そうに溜め息を付く公爵の話を聞きながら、ユーリはじっと扉を見詰めた。
いつの間にか、あの気味の悪い感覚も薄れている。
あの嫌な予感は、自分の思い違いだったのだろうかと首を捻ったとき、隣で息を呑む音がした。
驚いて振り向くと、公爵が眼を見開き、自分を凝視していた。
「昼間は気付かなんだが、そなた、魔女の末裔であったのか」
彼の呟くような言葉に、ユーリははっとして自分の頭に手をやる。
先程、突然声をかけられ、勢い良く振り返ったときにフードが外れたらしい。
月が雲間から顔を出した為に、自分の髪色が分かったのだろう。
今更だが、ユーリは慌ててフードを被る。
差別とまではいかないまでも、色持ちの人間は魔力を持たない者を下に見るものもいる。
王であるラズフィスが、魔女の末裔を側に置くことに難色を示す人間もいるだろう。
公爵もその類の人間であるなら、少々面倒だと思いながら、ユーリはそっと彼を仰ぎ見た。
だが、先程と様子の違う公爵に、ユーリは眉根を寄せた。
「レストリア公?」
「……そうか、……と同じか。いや、だが、やはり……では無理か?」
独り言のようにぶつぶつと呟き、徐々に視線を細める公爵に、ユーリは一歩後ずさる。
突然襲った眩暈に、真っ直ぐに立っていられない。
心臓が早鐘のように鳴り、激しい耳鳴りが頭の中を掻き回す。
次第にぐらぐらと視界が揺れ、突然の吐き気に思わず口元に手を当てた。
壁に縋りつき、何とか息を吸った時、新たな声がその場に響いた。
「伯父上、それに、ルースか?」
のろのろと顔を上げると、ラズフィスが公爵の背後からこちらを見詰めている。
彼の登場で一気に霧散した異様な空気に、ユーリは息を吐く。
「おお、ラズフィス。どうしたのだ」
「いえ、これから部屋へ戻るところだったのですが……」
ラズフィスはユーリに近付くと、壁に凭れる彼女の顔を覗き込む。
嗅ぎ慣れた香りがふわりとユーリを包み、少しずつ強張った体から力が抜けていくのが分かる。
様子のおかしい彼女に、ラズフィスは眉間に皺を寄せた。
「ルース、どうかしたのか」
「……別に、何でもない」
頑なに頭を振るユーリに、ラズフィスは公爵に視線を向ける。
「散歩をしていたようなのだが……、どうやら、急に気分が悪くなったようだ」
「そうでしたか」
「もう夜も遅い。恐らく、疲れが出たのであろう。そなた達も早く休めよ」
「はい、伯父上も、お休みなさいませ」
先程の雰囲気など夢であったかのように、公爵は柔和な笑みを浮かべるとその場を後にした。
公爵を見送ってから、ラズフィスは背後を振り返る。
「ユーリ、本当に大丈夫か?」
「夕食の時に飲みすぎたんでしょう、体調は問題ありませんよ」
そう言って、ユーリは壁から体を起こす。
確かに、声をかけた時から比べれば、顔色もましになっているようだ。
「では、戻ろう。いつまでも廊下にいては、体が冷える」
まだ少しふらつくらしい彼女の背に手を当て、ラズフィスはゆっくりと歩き出した。
*************
あれから直ぐに、体調が戻ったらしいユーリは、自分で歩けるからとラズフィスから距離を置く。
少し残念に思いながらも、ラズフィスは彼女の隣を歩き、ふと思い出したように疑問を口にした。
「しかし、本当にあんな場所で何をしていたんだ?」
「……れなかったんですよ」
暗く冷えた廊下を歩きながら、ラズフィスは不思議そうにユーリを見下ろす。
ユーリは彼の視線を避け、バツが悪そうにもごもごと小声で何事かを呟いた。
「は?」
あまりにも小さな声だったため、聞き取ることができず、ラズフィスは首を傾げる。
そんな彼に、ユーリは勢い良く顔を上げ、噛み付くような勢いで声を上げた。
「だから、同室の従者の鼾がうるさくて眠れなかったから、気を紛らわせるのに散歩してたんです!」
今の時間を配慮してか大声ではなかったものの、ラズフィスは彼女の剣幕に目を丸める。
ふいと顔を逸らすと、ユーリはさっさと歩き出す。
暫らく呆けていたラズフィスだったが、直ぐに彼女に追いつくと隣に並んだ。
ちらりと彼に視線をやったユーリは、歩く速度を緩めると一つ息をついた。
「それより、あなたこそ、何か進展はあったんですか?」
「進展?」
「魔女の呪いとかいう、あの妙な病のことです。こちらに来たら、レストリア公と話しをしてみると言っていたでしょう」
ユーリには、王自ら西へ赴く理由の一つであることを説明していたため、気になってはいたのだろう。
実はこの時間まで自分が起きていたのも、先程まで伯父と魔女の呪いについて意見を交わしていたからだった。
彼も独自に調査を行っているようだが、思うような成果を上げられてはいないらしい。
「正直なところ、あまり目ぼしい情報はなかったな」
「そうですか」
重く息を吐き、ラズフィスは首を振った。
確実に患者は増え、この所魔女の末裔に関する事件も増加していた。
冷静でなければならないと思いながらも、気ばかりが焦る。
伯父も病には心を痛めているようで、何か分かればすぐに連絡をすると約束してくれた。
「……お前こそ、本当に体調は変わりないか?」
「御覧の通り、この上もなく良好ですよ。もう、顔色だってもどっているでしょう」
「そうか」
ラズフィスの問いに、ユーリは肩を竦めて返す。
だが、不意に彼が足を止めたことに気付き、自分もまた歩みを止めた。
訝しげに眉を寄せて振り返り、ラズフィスに近づく。
やや俯き加減であるため、表情は読み取れず、ユーリは静かに声をかけた。
「……陛下?」
「……母上は、病が重くなるにつれ、精神を病んでしまわれた」
独白のように呟かれたラズフィスの言葉に、ユーリは小さく息を呑む。
彼の母が亡くなった時、彼はまだ十を僅かに過ぎたばかりの少年だったはずだ。
愛する母親が徐々に狂っていく様を、ただ見ていることしかできなかった事実は、少年の心に深い傷を残したに違いない。
「私は、お前があの様に病んでいくのを見たくはない」
下から覗き込むようにして見上げた彼の眼は、暗く淀み不安に揺れていた。
その姿がかつての、苦悩に押しつぶされそうになっていた幼子に重なり、思わず頬に右手を伸ばす。
ラズフィスは気を落ち着けるためか深く呼吸を繰り返すと、縋るように彼女の掌に擦り寄った。
どれくらいの間そうしていただろうか、彼は詰めていたものを吐き出すように息を吐く。
ゆっくりと顔を上げたラズフィスの瞳からは、上手く隠しているのか不安の色は伺えない。
心配そうに眉を寄せるユーリに、ラズフィスは苦笑を漏らした。
「悪かったな、おかしなことを口にした。忘れてくれ」
「……いえ」
体を起こし、歩き出したラズフィスの後を、ユーリは黙ってついて行く。
お互いに無言のまま、正面の階段に差し掛かった。
そのまま階段を降りようとするラズフィスに、ユーリは慌てて声をかける。
まさか、王に部屋まで送らせるわけにはいかない。
「あの、この辺りで大丈夫ですから」
「……そうか。では、休めそうなら眠れよ。私も、もう休むことにする」
「えぇ、お休みなさい」
挨拶を交わし、階段を幾つか降りたユーリは、不意に足を止めて後ろを振り返る。
その場から動いていなかったらしいラズフィスは、不思議そうな顔でこちらを見下ろしていた。
「私も魔女の末裔の端くれです。絶対に、病にかからないとは約束できません」
一瞬、見つめ合う翠が揺れる。
それでも、ユーリは視線を逸らさずに続けた。
「ですが、少なくとも今の私は正気ですし、確かにあなたの側に居ます」
絶対的なものなど、そうそうありはしない。
ラズフィスも、それを迷わず口にできていた子供の頃とは違う。
だから、自分が彼に与えられるのは、今この瞬間の安堵でしかないけれど。
それが伝わったのか、ラズフィスの顔に浮かんだのは少し苦い笑みだった。
暫らく眼を合わせてから、ユーリは踵を返し、今度こそその場を後にする。
一度も振り返らずに部屋に戻り、ドアを閉めるとそのまま背を預けた。
視線を落とすと、右腕にある金の腕輪が月明かりで煌く。
ユーリはゆっくりと右手を翳し、眼を細めて腕輪を眺める。
本当は、ずっと前から気付いていた。
時折、ラズフィスは不安に駆られるようにして客室を訪れる。
そうして、自分の姿を認め、右手の腕輪を確認し、初めて安堵したように息を吐くのだ。
だが、己がそれに気付いていることを、彼に悟られるわけにはいかない。
だって、知られてしまったら、心から縋られてしまったら、王城を去りがたくなってしまう。
異質である自分は、いつまでも彼の側にはいられないから。
だから、どうか、早く彼の心に寄り添ってくれる人物が現れれば良い。
そうすれば、自分は何の憂いもなく消えることができる。
自分の右手に輝く腕輪にそっと指を這わせ、ユーリは小さく溜め息をついた。




