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常闇の魔女  作者: 空色
第2章 仮面の薬師
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5



ルースにレカシュをもらった翌日から、クリスティーナは薬の内服という拷問より解き放たれた。

彼女の体もすっかりと元に戻り、無理をして熱を出すこともなくなった。

そうなると、今度はこの監禁生活からどうやって逃げ出すかが彼女の重要課題となった。


ルースに相談してはみたが、物事にはタイミングがあるのだと言って、真面目に取り合ってくれない。

だが、周りからお転婆姫と呼ばれる末の娘は、大人しくしているのが性に合わなかった。

皆が自分を探し回っているかもしれないのに、じっと待ってなど居られない。

それに、自分が取引の道具とされ、兄の足を引っ張るかもしれないのだ。

尊敬する、大好きな兄に迷惑はかけたくなかった。



(どうしたら良いの。わたくしに、何ができるかしら)



悩みながら室内をうろうろするクリスティーナに、ルースは溜め息をついて首を振る。



「さっきから、檻に入れられた獣みたいにうろうろしてるけど、ちょっと落ち着いたら? 見苦しいよ」

「あなたこそ、どうしてそんなに落ち着いていられるの? こんな風に一室に閉じ込められて、気分が悪くならないの?」

「胸糞悪いに決まってるだろ」



盛大に顔を顰め、ルースは吐き捨てるように言った。



「だったら、どうして逃げ出そうとしないの」

「時期を見極めろって、前にも言わなかった? 独り善がりで突っ走って、足元掬われても知らないよ」

「なら、あなたも協力してちょうだい! わたくしに考えが……」

「……ちょっと黙って」



ルースに詰め寄っていたクリスティーナだったが、話の途中で急に口を塞がれる。

非難を込めてルースを見ると、目を扉の方に向けて聞き耳を立てているようだった。

その真剣な様子に、クリスティーナは慌てて体を起こして、己の両手で口を覆った。

暫らく何かを探っていたルースは、クリスティーナを一瞥し、部屋の隅に目をやる。



「ルース、どうしたの?」

「毛布被って、奥で横になってて。僕が声をかけるまで、何があっても絶対動かないで」

「え、でも、わたくし……」

「いいから、言うこと聞きなよ」



戸惑うクリスティーナに強制的に毛布を被せ、ルースはその背を押しやる。

彼女が首を傾げながらも横になった途端、扉の鍵が乱暴に扱われる音がした。

ルースが立ち上がり、戸の前まで移動する気配がした。

間もなく、壊れるのではないかという勢いで扉が開け放たれる。

壁に当たった戸が、跳ね返って音を立てた。

動くなと言われていたクリスティーナだが、思わず肩を竦める。

興奮しているのであろう男の荒い息と、ルースの溜め息が室内に響いた。



「何か用」

「おい、人質はちゃんとそこに居るんだろうな」

「なに言ってんのさ。この部屋見張ってるのあんただろ」



怒鳴るように上げられた声で、男がこの部屋によく物を運んでくる、痩せた男だと分かる。

クリスティーナは、嫌悪感で鼻の頭に皺を寄せた。

声は無駄に大きいし、所作はがさつで品がない。

あの男が嫌らしい笑みを浮かべるたび、体中に鳥肌が立つのだ。

ルースも彼を好ましく思っていないようで、返された声にはだいぶ棘が含まれていた。



「どけ、一応確認する」

「いま具合悪いらしいから後にしてよ」

「うるせぇな、俺に指図すんじゃねぇ」

「彼女の健康を与るものとして、許可できないね」



舌打ちをした男は、図々しくも室内に踏み込もうとして、ルースに遮られたようだ。

一瞬の静寂の後、何かを殴打したような鈍い音が響き、小さく息を詰めたような声が聞こえた。

咄嗟に、クリスティーナは起き上がりそうになった。

しかし、ルースに何があっても動くなと言われていたため、毛布の端を掴んで思いとどまる。

力を込めているせいか、指先の先は白く、感覚に乏しい。

やたらと口内が乾き、クリスティーナは唾を飲み込んだ。



「ムカつく奴だぜ。人質に関係ねぇ人間だったら、ぶっ殺してやるのによ」



吐き捨てるように言い、男は来た時のように激しい音を立てて扉を閉めた。

荒々しい足音が遠ざかると、クリスティーナは直ぐに毛布から飛び出す。

そして、赤く頬を腫らしたルースの顔を見て悲鳴を上げる。

ルースは唇の端についた血を拭い、彼女に視線を向けて目を細めた。



「僕は声をかけるまで動くなって言わなかった?」

「ルース、血が出てるわ!」



ルースの言葉は無視し、クリスティーナは慌てて部屋の中を見渡す。

食事につけられていたタオルを見つけ、急いでコップの水で濡らした。

それをルースの頬に当てようとすると、ルースは片手でタオルを遮る。



「いらない」

「でも、冷やした方が良いわ。腫れてしまうもの」



なおもタオルを渡そうとするクリスティーナに、ルースは溜め息をつく。

面倒くさくなったのか、彼女から大人しくタオルを受け取ると自分で頬に当てた。

ルースは心配そうに自分を見るクリスティーナを一瞥して肩を竦める。



「そんなことより、心の準備でもしておきなよ。何かあるかもしれないから」

「どうして?」

「妙に外が騒がしい。あいつも、いつも以上に苛立ってる」



そう言うと、ルースは考え込むように口を閉じてしまう。

クリスティーナが、ルースの感が正しかったことを知るのは、この2日後のことである。








*************







痩せ男が乗り込んできた一件から、ルースは時折何かを考え込むようになった。

自分達の監禁されている建物全体が緊張を孕んでいるようで、ここ数日は狂ったような男女の声も疎らだ。

そんな雰囲気に当てられて、クリスティーナ自身もどこかそわそわしていた。



(一体、何が始まると言うのかしら)



妙な空気以外は、クリスティーナ達の生活に別段変化はなかった。

食事や身を清めるためのお湯と着替えが運ばれ、排泄以外では部屋から出ることは叶わない。

変わったのは監視する男の視線が、執拗に自分を追ってくるくらいだ。


思い出して寒気を覚えていると、急に立ち上がったルースがクリスティーナの前へと移動する。

ルースの行動に首を傾げていると、扉の外で鍵を扱う音が聞こえた。

だが、なかなか鍵が開かないらしく、苛立ちを表すように徐々に音が大きくなる。

不意に音が止まったかと思うと、ものすごい音を立ててドアノブがひしゃげた。

クリスティーナはその異様な光景に肩を震わせ、ルースの背に縋り付く。


ゆっくりとドアが開き、入ってきたのは見たことのない無精ひげの男だった。

整髪剤で整えられていただろう黒髪は解れ、その隙間から血走った黒の瞳が覗く。

それがゆっくりとクリスティーナへと移動し、ぴたりと定められた。

この部屋に来て初めて感じる恐怖に、クリスティーナは震え上がった。

男の手にナイフが握られているのを目にし、小さく歯が鳴り出す。



「第1騎士団だと? こんなのは聞いてねぇ。俺はただ、人質を預かれば良いと言われていただけだ。俺達にお咎めは来ないはずじゃなかったのか? ちくしょう、どうなってやがる……」



男はぶつぶつと独り言を呟きながら、少しずつクリスティーナの方へ向かってくる。

明らかに気がふれている男の様子に、完璧に飲み込まれてしまっていた。

逃げなければと思うのに、足が震えて動かない。

そんなクリスティーナの視界を、薄汚れたローブが遮った。

ぎょろりと血走った目が動き、初めてルースを捕らえる。



「どけ。人質をよこせ」



独り言の延長のように、篭った男の声が響く。

クリスティーナはルースを窺うが、背後からはその表情は見えない。



「嫌だ、と言ったら?」



ルースの言葉に、男の目が見開かれる。

ナイフを持つ手に力が入り、細かく震えているのが見て取れた。


次の瞬間、男はナイフを構えたまま突進してきた。

クリスティーナは恐怖で声も出なかったが、突然突き飛ばされ地面に倒れこんだ。

その衝撃でようやく気を持ち直したクリスティーナは、慌てて自分を押したルースに目をやり、声にならない悲鳴を上げた。


男はルースを目掛けて走り、その手にあるナイフは確実に胸元を向いていた。

あの痩せた男ですら、容易に人を傷つけるのだ。

この気が狂った男なら、確実に人を殺すだろう。



(ルースが死んでしまう!)



そうは思うのに、体が動かない。

ルースの直ぐ側まで、銀色に光る刃が迫っていた。

クリスティーナも、そして恐らく歪な笑みを浮かべる男も、ルースの胸元が赤く染まることを予測していた。

だが、ナイフがルースの胸を貫く直前、ルースは上体を捻ってそれを避ける。

咄嗟の動きに対処できず、男の腕はそのまま突き出され、ナイフが壁の木目に刺さる。

唖然としている男の腕を足場に、ルースは高く跳躍すると、男の背後に軽やかに着地した。



「人質を傷つけるかも、とか考えなかったわけ?」



呆れたような視線を男に向け、ルースは溜め息をついた。

男はナイフを壁に突き刺したまま、ゆっくりとルースを振り返る。

根元近くまで木目に埋まったナイフを、引き抜き再びルースに向けて構えなおす。



「馬鹿のトップはやっぱり馬鹿だったってことか」

「……殺す、殺す、ぶっ殺してやる!」



唇の端から泡を飛ばして叫ぶ男の目に、もうクリスティーナの姿は映っていなかった。

弱い下っ端の男に殴られ、血を流す人間などに自分が馬鹿にされるのは我慢ならなかった。

男の頭には、目の前の仮面の薬師を殺すことしかない。


駆け出した男は、ルースの首へ目掛け、ナイフの切っ先を薙ぐ。

それを屈んで避けたルースは、そのままの勢いを殺さず、男の懐に潜り込んだ。

左足を軸に上体を捻り、魔力を乗せた右足を男の鳩尾に向けて蹴りだす。

男はそのまま壁まで吹っ飛び、背中を打ち付けるとずるずると滑り落ちていった。

その手から力が抜け、ナイフが音を立てて落ちた。


ルースが近づき、確認すると、男は白目を剥いて気絶しているようだった。

魔法袋から縄を2本取り出し、ルースは男の手と足を縛り上げる。

ナイフを拾うと、唖然と事の成り行きを見守っていたクリスティーナに近づいた。



「怪我ない?」

「え……、あ、ないわ」

「立てる?」



ルースの言葉に慌てて立ち上がろうとするが、足に力が入らず直ぐに座り込んでしまう。

何度か立とうと苦心し、まったく使い物にならない足腰に眉尻を下げた。

ルースは黙ってそれを見ていたが、ぺったりと座り込んだクリスティーナにナイフの柄を向ける。

クリスティーナは柄とルースを交互に見比べていたが、恐る恐るそれを手に取った。



「縛ってあるから問題ないと思うけど、念のために持ってて」

「あなたは?」

「僕はちょっと外の様子を見てくる」



踵を返したルースに、クリスティーナは慌てて縋り付く。

こんなところに一人で残されたくない。

立ち上がれないために、ローブの裾を握りこんで引っ張った。



「ちょ、何するのさ」

「わたくしを一人にするつもり!」

「直ぐに戻ってくるってば。ちょっと、手を離しなよ!」

「嫌よ、絶対に離さない」



クリスティーナが落ち着いていれば、珍しくも動揺するルースに目を丸くしたかもしれない。

だが、その時の彼女にそこまでの心の余裕はなかった。

離せ、離さないの押し問答をしている間に、なにやら扉の向こうが騒がしくなった。

ガチャガチャと複数の金具が音を立て、徐々に近づいてくる。

一瞬の静寂の後、扉が開け放たれ、甲冑の騎士達が室内に流れ込んできた。

目を丸くしてその光景を凝視したクリスティーナの視界の端で、ルースががっくりと肩を落とすのが見えた気がした。








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