永遠亭の会議と私
永遠亭の診察室の前に座り、私は永琳の診察結果を待っていた。
「……大丈夫、ミオちゃん」
心配してくれたのか、学校を休んでまでわざわざ隣まで来てくれた望君が、私の手を取った。彼は私がここに来てからずっと励ましてくれた。詳しいことは何も聞かず、ただ心配してくれた。
「うん、大丈夫」
私は、何もされなかった。だからこそ、辛い。リュカの痛みもキアの苦しみも理解できるだけに、身が裂かれるような痛みが心に走る。なんで私だけが何もされなかったのだろうか。そのことにも、パパの悪意が潜んでいるのではないか。どんなに強くなっても、どんなに優位に立っても、結局はパパの手のひらの上なのでは。そんな想像をしてしまう。
「望君……」
私はしだれかかるようにして頭を彼の肩に乗せる。今は彼の優しさ、温もりに甘えたかった。望君だって、本当は辛いだろうに。今日リュカがされたようなことを、心を閉ざすくらい執拗にされたのに。
彼は何も言わず、背中に手を乗せてくれた。目を閉じて、ゆっくりと安らぐ。
しばらく、優しい時間が流れる。
「ミオ」
束の間の休息が、終わった。永琳が診察室から出てきた。私はゆっくりと彼から離れ、立ち上がる。望君は残念そうな顔を一瞬だけして、すぐに表情を引き締めた。彼女は苦々しい顔のまま、全身に微かな怒気を宿らせていた。
「どうだった?」
「……残念だけど、二人ともかなり深刻よ。リュカは幼児退行しちゃって、まともな話は聞けなかったわ。キアは心の傷が酷くって、まだ話せる状態じゃない」
そう言って、それから永琳は私のそばまでやってきた。
「あなたは、何かあった?」
「なんにもなかった。見せられていただけ」
永琳はためいきをついた。
「あなたも酷い目に遭ってるじゃない」
「そんな、リュカに比べたら」
「比べなくていいの。片割れが酷いことされるのを見るのは、辛かったでしょう?」
頷く。永琳は柔らかく微笑んで、両腕を軽く開いた。おずおずと、私は永琳に抱きついた。
ぎゅっと抱きしめられる。
「……永琳、私、不安なの」
これから、どうなるのか。幸せになれると思っていたのに。それなのに、ちょっと油断したら足元をすくわれた。多分、今日からキアもリュカもしばらくここか、少なくとも違うところで過ごすだろう。
そうなったら、私は。
『あの』パパと、二人っきり。
「……わかるわ。私も、不安よ」
私は永琳から離れた。
「ねえ、二人に会える?」
永琳は首を振った。
「ダメよ。しばらくは、あの二人をそっとしておいてあげて。ね?」
会えない。その事実が、重くのしかかって来る。
「……とりあえず、皆を集めましょう」
「なんで?」
「御陵臣が問題を起こすということは、幻想郷の問題に繋がり兼ねないからよ。連絡は密に取らないと」
「……で、でも、酷いことされたって皆に知らされたら、二人とも傷つくかも」
ぽん、と永琳は私の肩に手を乗せた。
「わかってるわ。だから、安心して」
それじゃ、と言って永琳はどこかに行ってしまった。きっと魔法か何かを使って皆に連絡しにいったのだろう。
二人きりになってから、望君が私を抱き寄せた。反射的に、その手を払ってしまう。
「あ、ご、ごめん」
なんて自分勝手なのだろう。自分からはよくて、触れられるのは嫌なのか。自己嫌悪に陥る。
「ううん。僕が無神経だった」
それきり、望君は黙った。そっとしてくれているのかな。私は彼のそばに座る。
みんなが集まって、永琳に呼ばれるまで、私達は隣り合って座っていた。
永遠亭の居間には、たくさんの人がいた。
ちゃぶ台を中心に、みんな小難しい顔をしている。
霊夢が立って、幣をわなわなと震わせている。彼女の両隣にはアリスと魔理沙が座っていて、二人とも今にも泣きそうな表情をしている。
魔理沙の隣には紫が気まずそうな顔をしてスキマから上半身を出していて、アリスの隣には輝夜が、今にも人殺しでもしそうな顔をして正座している。そして、私は後ろにいる永琳に促され、部屋に入る。
「……ミオ。無事?」
霊夢が低い声で聞いてきた。
「私はね」
いつもの飄々とした感じが表現できなかった。もしかして、私も参ってるのかな。
「……事情の説明、できるかしら」
頷く。
「私、リュカと一緒に眠ったの。そこで、眠るときに……パパに、命令するのを忘れちゃった、の」
初めて、ここで気づいた。悪いのは、私なんだ。
「私が、命令を忘れちゃったから、リュカと、キアが……」
そこから先は、言葉にならなかった。悪いのは私なのだから泣くわけにもいかず、ただぐっとこらえるしかできない。
「……さて、今御陵臣は何をしているのかしら」
アリスが目に危ない色を灯らせて紫に聞いた。
「ミオに命じられた自殺を延々続けてるわ。ねえ霊夢、ホントに見張ってなくちゃダメ?」
「ダメ」
はぁ、と紫はため息をついた。
「男のうめき声聞かされるこっちの身にもなってよ」
「今回は見張りを忘れた紫のミスよ」
霊夢の言葉に、むっと、紫は顔をしかめさせた。
「は? プライバシーを尊重したってのに悪く言われるの?」
「昨日は分かれた最初の日だったんでしょ? 経過を見る意味でも、見ておく意味はあったはずだわ」
「計算上、初動に問題ないなら副作用もないはずだったのよ」
「計算外のことが起こるという可能性は考慮しなかったのかしら」
「したわ。でも二人とも精神面に目立った動揺は見られなかったし、計算外はないと判断したのよ」
計算だとか、初動だとか、私機械か何かなのかな。それか、動物。二人の会話を聞いていると、実験に使われる動物の気持ちが少しだけわかった気がする。
「それにね、普段覗き見させてもらってるから、眠るときくらいそっとしておいてあげたかったの。これって変な考えかしら?」
「その判断が二人の悲劇をまねいたんでしょうが。もっとしっかり見ておくべきだったわ」
「だから、あのときは問題ないって判断したって言ってるでしょ?」
「それが間違いだったって言ってるの! なんでいつもバカの一つ覚えみたいに出歯亀やってるのに今日に限って研究者面して」
「研究者!? 私が二人に実験してるとでも思ってるの!?」
「違うとでも言うの? この前あなた実験の計画書を」
バン、とアリスがちゃぶ台を思い切り叩いた。みんな、彼女に視線を集中させる。
「そういう喧嘩を本人の前でしないで」
「ごめん」
「……ごめんなさいね、アリス」
しゅんと、二人は肩をおとした。
「あやまるならミオに謝りなさいよ。……というか、責任の所在なんて今はおいときましょう。これからこの子達がどうするかよ」
そういいながらも、アリスが硬くにぎっている拳には、血が滲んでいた。
「とりあえず、リュカは私が預かるわ。ミオ、あなたも来なさい」
ちょっぴり強引に誘われる。
「アリス姉ちゃん、パパは」
「今は、自分の事を優先させなさい。あんなやつ、いざとなれば地面に埋めればいいのよ」
パパなら這い上がって来そうだけどなぁ。
「……私、どうしよう」
わからなかった。私もリュカも、一切手を抜かずに幸せになろうと頑張ってきた。でも、結局、私たちの幸せは長続きしなかった。
私は、私たちは本当に幸せになれるのだろうか?
「わからないよ」
幸せ。盲目的に追い求めてきた、近しくも遠い愛しいもの。私達はどうすれば、幸せになれるのだろうか。
「私は、御陵臣には監督者が要ると思うわ」
紫が、苦々しく言った。
「埋めるんじゃダメなの?」
「多分、あらゆる手段を用いて這い上がってくるわ。今でも、自分で自分の首締めながら、次に誰をいたぶって誰を地獄に突き落とすかを楽しそうに考えてるんだから」
「紫、人の考えが読めるの?」
まるでさとりみたい。
「つぶやきながら首締めてんのよ。ホント、こいつ筋金入りよ」
みんなは、苦々しげに黙りこくった。
「そもそも、今回のことが起こったのは引取り人不在の御陵臣の身柄をミオが預かったからじゃねえのか?」
悲しそうに、魔理沙がポツリと呟いた。
「……それなら、あなただって原因の一端よ」
「ああ、わかってるよ! でもな、いくら私でもあんなバケモノと一緒に暮らすなんて真っ平だ! しかも自殺しながら次の計画練るようなキ印野郎だぞ!? あんなバケモノ誰が飼うんだよ!」
魔理沙は今にも泣きそうだった。他のみんなはともかく、魔理沙が取り乱すなんて、珍しいな。よほど、辛かったんだろう。
「……魔理沙、私が、引き続きパパの面倒見るよ」
どうせ、堂々巡りで私のところに話が回って来るに決まってる。だったら、私から志願しよう。
「……で、でも、お前」
「ホントは嫌だよ? パパと二人っきりで過ごすなんて真っ平御免。でも、それでもやっぱり、パパは私の家族だから。怖いから埋めるんじゃ、やってることパパと変わんないよ」
本当は、違う。パパなんて今すぐグチャグチャにして土に練りこんでから地獄の溶岩に撒いてやりたい。けど、魔理沙との約束だから復讐はできない。そして、そんなことしたらきっとみんな私が汚れたとか、そんなことを思うだろう。
だから、私はパパを引き取って、幻想郷みんなを幸せにするんだ。
「……ありがとうな。本当に」
「ううん、気にしないで」
話は、もう収束に向かって行った。
「おかしいわ」
そのとき、輝夜がそんなことを言った。
「……おかしい?」
私は聞き返す。
「ええ。あなたたち変よ。そんなに御陵臣が怖いのかしら。被害者と加害者を一緒に暮らさせる? 御陵臣にとってはいいのかもしれないけど、ミオにとったら拷問に等しいわ。なんで誰も、うちの牢屋を話に上げないのかしら」
そういえば、確かに永遠亭の地下には牢屋があった。でも。
「輝夜。あんな、私でも破れるような牢屋、パパならバターみたいに切っちゃうよ」
ふん、と輝夜は鼻を鳴らした。
「うちをどこだと思ってるの、ミオ。薬品なんて山ほどあるわ」
彼女の恨みを孕んだ言い方に、ゾッとする。
「酷いと思う? じゃあ、あなたたちに彼がしたことは酷くないのかしら。因果応報よ。永琳!」
はっ、と永琳は首を垂れた。
「今すぐヤツを確保しなさい」
「承知いたしました」
永琳が恭しく一礼をすると、彼女は部屋を出て行った。
「……輝夜、ありがと」
小さく、私はお礼を言った。
このとき、本当に私はほっとしたのだ。もうパパと暮らさなくていい。それは、微かな、でも確かな幸せへのきっかけ。そう思えた。