狐の人と私
目を開けると、永遠亭のような和室に寝かされていることがわかった。けれど、見慣れた永遠亭とは作りが少しだけ違った。体を起こして周囲を見回す。誰もいない。
「……」
立ち上がって、襖を開ける。すると。
「……おや、起きましたか。こんにちは」
狐の尾を九本も生やした、アジアンテイストな服装をしている女の人が、むきだしの廊下から外を見ていた。彼女は私を見ると柔らかく微笑んだ。
「私、八雲藍と申します。八雲紫様の式神、といえば理解していただけますか?」
式神? なんのことかさっぱりわからなかった。
「わからないのなら、それはそれでよいのです」
「……私は、ミオ・マーガトロイド。紫はどこ……ですか?」
まだ目覚めきっていない頭を動かし、やっとの思いで彼女の名前を出す。
「紫様はお休みになられております」
「そう。疲れてるのかな」
小さく、自問するようにつぶやく。
確か、私の体を分けた、とかなんとか言ってた気がする。それで力を使い果たしたとか。
「ええ。お話がありますので、こちらへ」
促されるまま、藍についていく。通されたのは、私が眠っていた部屋とあまり変わらない部屋だった。ただし、あの部屋とは違ってこの部屋はちゃぶ台だったり座布団だったりと、随分生活感に溢れているが。
「おかけください」
頷いて、私はちゃぶ台の座布団の上に座る。一応、正座する。
「姿勢は楽にしてもらってかまいません」
そう言って、藍は私の反対側に座った。でも今更姿勢変えるのも変な気がしたので、正座したまま。
「お茶でも飲みますか?」
首を振って遠慮する。なんだか落ち着かない。圧迫されているような、そんな息苦しさを感じる。
「そう、ですか」
しばらく、無言が続く。
「私は、紫様の補助をしておりまして、このような時に紫様の代わりをするのが仕事でございます」
黙って話を聞く。藍もなんだか喋り方がぎこちなかった。
「今回私が仰せつかったのは他でもありません、ミオさんのことについてです」
「私について?」
質問すると、藍は頷いた。
「ミオさんの体は、アリスの魔法により複製され、紫様の技術により心を移されています」
つまり、リュカの体が、大元だと。そういうことか。
「しかし、本来ならば複製されるはずのないものも、複製されています」
「え?」
「不老不死の妙薬の効果と、そして眷属の縁です」
前半はともかく後半の意味がわからず、首を傾げる。
「不老不死であることはもはや説明は不要でしょうが、眷属、あなたの場合ですと解放団のトップとその側近、ですか。彼らについてです」
あの二人のことを話題に出す時、藍の雰囲気が一瞬だけ険しくなった。
「……本来、吸血鬼は二人の主人を持つことができません。しかし、例外もあります。双子の吸血鬼の場合、吸血鬼の力の源である血が非常に似通っているため、眷属に流れる隷属の血が勘違いを起こすことがあります」
そして、と藍は続けた。
「あなたとリュカさんの場合も、これに当たります。つまり、血が非常に似通っている、というか同一のため、眷属にとってみれば主が一人増えた、ということになりますね。なぜこんなことになったかといえば、あなたの能力が原因だそうです。というのが皆様の見解でして、実際のところは、よくわかっていません。吸血鬼に関する研究は、まだ進んでおりませんので」
ふむふむ、と私は頷いた。私の反応に満足したのか、藍も一度頷いた。
「ここからは私用です。答えたくない質問だった場合、そうおっしゃってください」
頷く。
「……。まず、あの二人、あなたの眷属は普段どのように暮らしているのですか?」
「私の住処で二人っきりで過ごして……ます」
タメ口をききそうになって、慌てて言い繕う。
なんだか、さっきまで密やかだった悪意や敵意がふくれあがったかのように強くなった。少しだけ、怖い。
「……そうですか。では、ミオさんは、復讐することはどう思われますか?」
「いいんじゃないでしょうか。押さえきれない気持ちというのは、誰にだってあるでしょう」
ふむ、と藍は頷いた。
「そうですか。では、御陵臣に、反省している様子はありますか?」
答えるべきか否か。
「……いえ、最近は口を聞いていないので、わからないです」
そう言うに留める。あのパパが反省なんてしているわけがないけど。
「同じ所で暮らしているのですか?」
「パパとはあまり話したくないので」
「……それもそうですね」
それきり、藍は黙ってしまった。気まずい沈黙。
「あの」
黙っていることに、我慢できなかった。
「はい」
「どうして、こんなことを聞くんですか?」
「いえ、仇がどのように過ごしているのか、気になっただけです」
仇。つまり、藍の大切な人も、パパに。
「……ごめんなさい」
「いいえ、気にする必要はございません。質問の意図が気になるのは自然なことですから」
「……」
また沈黙が場を支配する。
やっぱり、居心地が悪い。堅苦しくて、肩肘をはったこの雰囲気が苦手だった。
「……紫」
呟いたのは、なぜだろうか。
「呼ばれて飛び出て紫ちゃーん!」
悩んでいると、襖が元気良くひらき、太陽のような笑顔を浮かべた紫がいた。
「ゆ、紫様?」
「おはよ、藍。面倒押し付けちゃってごめんね。ありがと。もう下がっていいわ」
紫にそう言われると、藍は立ち上がった。
「わかりました。失礼します、紫様」
「お疲れ様~」
藍と入れ替わるように、紫が入ってきた。さっきまで藍が座っていた所に座ると、ぐでっとちゃぶ台に突っ伏した。
「……紫?」
「ねえねえミオちゃん、そんな緊張しなくてもいいよ。正座なんてしなくていいって」
それもそうか。別にかしこまる必要なんてないんだし。
私は姿勢を崩すと力なく投げ出された紫の指に自分のそれを絡ませる。
「どうしたの?」
「スキンシップ。紫、結構疲れてる?」
紫は柔らかく微笑んだ。
「ふふふ、まあ、久しぶりに本気出したから。筋肉痛みたいなものよ」
「ふうん。そんなに私たち、大変だった?」
紫のピカピカの爪を指で撫でながら聞く。
「ちょっぴりやらなきゃいけないことが多かったってだけ。いったんウチに呼んだのも、ちゃんと分かれてるか確認するためよ」
で、と紫は聞いてきた。
「どう? なんか、自分の身体なのに他人の身体みたいな感じがする、とかない?」
「ないよ」
それは半身、リュカの方が感じていることかもしれない。今日の夜にでも聞こう。
「よし、よし。それなら頑張ったかいがあるってものよ」
そう言って、紫はにっこりと笑みを浮かべた。
「ねえ、紫。ここってどこなの?」
「ここはマヨイガ。この世のどこにもないけど、どの世界のどんな場所にもある、私の家よ」
紫の家であること以外なにもわからなかった。紫の言ってる意味がわからない。
「ふふふ。ここからなら、どんな世界へも行けるわよ。あなたの世界でさえ」
「……」
ぎゅっと、私は紫の手を握る。
「……帰りたい?」
紫は少し真剣な表情になった。
「私は、ミオ・マーガトロイド。もう御陵澪でなければ星空澪でもないんだよ」
私はもう、幻想郷の住人なんだ。外の世界に未練がないわけではないけれど。でも、私はもう人ではないし、永遠になってしまった。外の世界に帰っても、きっと苦しむだけだ。
それに、ここの人たちとお別れなんてしたくない。
「そう。そう言ってくれて、嬉しいわ」
紫は相好を崩して言った。
「それじゃ、そろそろ帰る?」
頷く。
「ふふふ、あなたってやっぱりかわいいわ」
可愛いと言われ、つう、と背筋に冷たい汗が流れる。必死で、頭の中でかぶりをふる。これはただの条件反射で、紫を恐れてるわけじゃないんだ。
「……じゃ、送るわね」
パッと、目玉だらけの空間に落とされた。そして、次の瞬間には私の住処の前にいた。
便利な力だなぁ。
私は扉を開けながらそんなことを思った。
「ただいま」
私の言葉に合わせて、キアがやってくる。ちょっと不安そうだった。
「どうしたの?」
「マスターの力が弱まったかとお持ったら、分身なさるなんて! すばらしいです、ますます強くなられるなんて!」
あんだかキアが熱っぽい。まあいいんだけど。でもリュカがこの、よくわからないテンションについていけるだろうかはわからないが。
「……まあ、いいや。おいで」
私は住処の床に座ると、私は彼女を呼んだ。彼女は従順にしたがってくれる。
私は跪くキアの頭を撫でながら、キアに膝枕をし始める。彼女は私に体を預け、リラックスしている。ゴロゴロと喉がなるんじゃないかってくらいの小動物っぷりだった。
「……ただいま。あれ、キア」
何かキアとしようかな、と思い始めたころにリュカが帰ってきた。
「……おや?」
事情が全く飲み込めていないパパは、戸惑ったようにそんな声を上げた。
「……ふふ」
私とリュカは顔を見合わせて笑った。どんな風に説明しようか。
「あのね、二人とも」
私が口を開く。
それから私は、ゆっくりと時間をかけて事の顛末を語ったのであった。
相手が誰かを考えもせず。