分断と私
約束は、一日。でも私は半日もしないうちに再び意識を取り戻していた。
目の前にはもう一人の私がいる。いつものちゃぶ台に黒の空間という殺風景な場所ではなく、周りには森と、それからアリスと紫がいた。夢に二人が出てくるのは久しぶりだ。
「やっほー。振られて自棄になったの? まだ三時間も経ってないんじゃない?」
私が聞くと、目の前にいる私は頷いた。
「うん。勘違いする前に言っておくけど、私はまだ現実にいる」
「は? なに寝ぼけてんの? 私達が同時に存在できるわけないじゃん」
「あなた達の力だけじゃね」
ポン、と頭に手を乗せられた。紫の方を見ると、本物みたいな愉快そうな笑みが浮かんでいる。
「……で、なんで今日に限ってこんな場所? いつもの真っ黒空間でいいじゃん」
「無視しないでよ~! いい? アリスの魔法と私の技術で、あなたたちは二人に分かたれたわ。ここは現実よ」
信じられなくて、アリスの方を見る。すると彼女は苦笑して頷いた。
「……マジ?」
「うん、ホントに現実だよ」
目の前の私は若干嬉しそうだった。表情は変わらないけど、声が少しだけ高め。
「……ふうん。考えたね」
素直に褒める。まさかこんな方法を使ってくるなんて思わなかった。
「戻れないって言われたとき、そしてこうしてあなたと私が普通に会話している時点で、私の望みは叶ったよ」
そう言って、彼女は私から一歩下がった。
「私たち、どっちかが名前を変えよう」
そんな不思議な提案を、彼女はしてきた。
「は? なんで?」
「私たちがお互いの体に」
「私の体に」
すかさず訂正すると、彼女の嬉しそうだった雰囲気は霧散した。
「……あなたの体を使ってたときは、お互い二人称で呼べばそれで済んだけど、こうして分かれたなら、お互いを識別する必要がある」
もう、彼女は私の中に戻る気はないようだった。私も戻してやるつもりはないが。
「で? それならあなたが名前変えなさいよ」
「なんで?」
さも当然という具合に、聞き返してきた。
「当たり前でしょ。あなた第二人格でしょ?」
「そんなのわかんない。あなたが第二人格である可能性は否定できない」
「できる。私の記憶は第三者により正しいこと証明できるけどあなたの記憶は全部まやかし」
「あなたのだって」
私はこめかみを引きつらせた。
「根拠は?」
「あなたの記憶の正しさを証明するのは、御陵臣しかいない」
私は彼女の論の甘さに、ついため息をついた。
「映姫がなんたらの鏡で確認したって言ったじゃない」
「浄玻璃の鏡、ね」
紫が人差し指を私に向けて言った。
「その人が生前何を為したか、っていうのを見るマジックアイテムよ」
「そ。ありがと紫。とまあ、私の記憶が正しいということは神様が証明してくれてるわけだけど?」
もう一人の私に勝ち誇ったように宣言すると、彼女は眉一つ動かさず返してきた。
「エイキが正しいなんて誰が決めたの?」
「……」
「神様が正しいなら、神様が間違わないなら、私達はここにいない。幸せに生活していたはず」
万が一、ということもある。この世界にあり得ないということはない。なぜなら、本来ならば二つに分かれた人格がこうして現実で話すなんてことすら本来ならばあり得ないことだからだ。神様だって、間違うだろう。つまり、私にだって私が主人格であるという証拠は何もないということだ。
「平行線、ね」
当たり前といえば当たり前。私も目の前の彼女も、一度決めたら頑固なのだから。だから夢で何度も言い争いをしたし、それでも結局落としどころは見つからなかった。
「……でも、こればかりは先送りにはできない」
そう言って、彼女は血の力を使い、身の丈ほどもある大槌を作り出した。
「ちょっ、ちょっとミオ!?」
いきなり戦闘態勢に入った彼女に、アリスが驚いたような声をあげる。
「アリス姉ちゃん、ミオは私!」
「違うよアリスお姉ちゃん、私がミオ!」
間髪入れずに主張するもう一人の『ミオ』に、私は苛立つ。
「黙ってよ、紛い物」
私は血で鋭い直剣を作り出す。正眼に構え、切っ先を彼女に向ける。
「紛い物? もう私はここにいるのに?」
「どこにいようとあなたはただの紛い物だ」
「違う。絶対に違う」
そう言って、彼女はもう一本大槌を作り出した。
「やめなさい二人とも! 武器をなおしなさい!」
アリスが叫ぶけれど、私達はどちらも武器を収めなかった。
「アリスお姉ちゃん、このわからずやには一度力づくでも分からせないといけないんだよ。どっちが本物か」
「私も同じこと思った。さすが紛い物、私と同じこと考えるんだね」
私ももう一本直剣を生み出しながら、ゆっくりと彼女に近づく。
「あなたみたいな淫乱と一緒にしないで。紛い物は、あなた」
視界の端で、アリスが人形を取り出そうとしていた。その肩を紫が掴んだ。
「何よ紫! このまま殺し合いさせるつもり!?」
「殺し合いにはならないから安心しなさい。二人の問題は根が深いし、一度トコトンまでやったほうがいいわ」
紫の言葉に、二人して頷く。
「……っ。二人とも、本気なのね?」
アリスの問いに、二人同時に答える。
「当たり前!」
その声を契機にしたかのように、私達は相手に肉薄する。
「刻んでやる、紛い物!」
「叩き潰してやる、淫乱!」
私達は過激な喧嘩をはじめた。
紛い物の槌が私の眼前に迫る。私は両手の剣をクロスさせて防ぐ。耐久に欠ける私の剣はいともたやすく砕け、私の頭を砕いてもまだ勢いが衰えず、そのまま私の全身を砕き割った。
「ひっ……み、ミオ、やめなさい!」
砕かれて、血みどろの肉片になっても私の意識も意思も残っており、血だまりの状態のまま移動し、紛い物から少し離れたところで自己再生を行う。二秒も経つと私は両手に直剣を持った状態で完全復活していた。
「しぶといなっ!」
紛い物は手にしたハンマーを豪速でこちらに投擲してきた。それを私は容易く躱すと、紛い物に向けて全速力で駆ける。
「っ! どこ?」
紛い物は私の速度に目が追いつかなかったようで、私が真後ろにいるというのに周囲をキョロキョロとしている。
「スキあり!」
はっと気付いてこちらを向く頃には、私は紛い物を粉みじんに切り刻んていた。弾けるように血液が周囲に飛散する。
地面に撒かれると思われた血液は空中で静止し、それは一瞬で両手に大槌を装備した紛い物になる。
「まだまだ!」
紛い物がハンマーを振るうと、それから無数の針が射出された。無数の血の針が私に殺到する。それを全てノーガードで受ける。全身に血の針が刺さり激痛が走るが、それを体内に吸収すると嘘のように痛みが引いて行く。
「この程度?」
そう言って、私は再び彼女に向かって駆け出す。
切り刻む。向こうが回復する。叩き潰される。一瞬で復活。また刻む。回復。また潰される。復活。
そんなことを何度も繰り返しただろう。最初は無尽蔵に湧き溢れてくるかと思われた力も、今はもう武器を作る血液すらない。
「……この、紛い物が。しつこ、い」
「この、淫乱、が」
お互いもう飛んだり跳ねたりする体力も残っていない。
手を延ばせば相手の体に触れ合えるような距離で、私たちは弱々しい拳を繰り出したり引っ掻いたりほっぺたをはたいたり、子供の喧嘩のようなことを続けていた。
「……こ、の!」
紛い物が飛びかかってくる。避けようにも避けられず、そのまま押し倒される。
「アリスお姉ちゃんも、魔理沙も、輝夜も美沙お姉ちゃんも永琳も、皆みんな私の知り合いで、私の友達で、私の家族なの! あなたのじゃない! 横取りしないで!」
見下ろされたまま、そんなことを言われる。私は彼女の肩を掴んで、引き倒す。そのまま半身を翻し、今度は私が馬乗りになる。
「私はミオなの! だから、ミオの人間関係はそのまま私の人間関係なの!」
「違う! ミオは私! 紛い物は、私じゃない!」
「私だって違う! 私はパパにずっと虐待され続けていたんだ! どうして私がミオじゃだめなの!? 幸せになっちゃいけないの!?」
「私だって御陵臣に酷いことされた! 皆のために頑張った! 私だって幸せになりたいの! みんなが私をミオって呼ぶの!」
いきなり彼女が上体を起こした。頭突きされないように体を後ろに反ると、彼女は私の肩を掴み、押し倒した。
「紛い物? 偽物? なんでそんなことを言うの!? 私だって本物だ! 私だってミオだ!」
「ミオは二人もいらない! 一人いれば十分!」
私の叫びに、彼女は首を振った。
「違う! 一人じゃダメだったの! なんでわからないの!? 私とあなたとは、必要だから分かれたんだよ!?」
「そんな理屈!」
クルリと、上下を交代する。
「どっちにしろ、どっちかが紛い物だってのははっきりさせなきゃいけないの!」
「そんなことない! 私たちはもう、お互い認め合えるはずだよ!?」
「紛い物が何を!」
「なんでそんなこと言うの!?」
私は、呆気に取られて黙った。彼女の鉄面皮が悲しみの表情に彩られ、そしてその瞳には涙が浮かんでいた。
「……」
あれだけ表情の変わらなかった彼女が、泣いている。
「どうして? あなただって御陵臣に酷いことされたんでしょ? モノ扱いがどれだけ辛いかわかってるはずなのに! どれほど嫌なことかわかってるはずなのに!」
彼女の必死の叫びがきっかけで、私は気付いた。
「……」
私がどれだけ、彼女を傷つけていたのか。どれほど深い傷を心に刻み込んでいたのか、私はようやく気付いたのだ。
「……あ、ご、ごめ、ごめん、なさい……」
ごめんなさい。気が付けば、私は何時の間にか涙を流していた。
「ごめん、なさい。ごめん、私、本当、そんな、私、ごめん、ごめん」
言い訳なんて一つも思い浮かばない。胸にあるのは、深い罪悪感と、彼女への謝罪の気持ち。
「ごめんなさい。ごめんなさい!」
なんてことを、私は口にしていたのだ。彼女が攻撃的になるのも当たり前だ。本来ならば同じ痛みを共有する仲間、いやそれよりも大切でそれよりも絆の深い半身に拒絶されたばかりか、紛い物なんて言われるのだから。
「私も、淫乱なんて言って、ごめんなさい。ごめんなさい!」
私と同じような後悔を、目の前の私もしているようだった。お互い涙を流しながら、抱きしめ合う。
「ごめんね、ごめんなさい。私、なんて酷いことを」
「私の方こそ、ごめんなさい。せっかく立ち直ろうとしていたのに、酷いこと言って……」
しばらく、私達はそんな風にして今までのことを謝る。震える声で、大粒の涙を流しながら、懺悔するように謝る。
「……ごめんね、名前だけど、私が、変えるよ」
せめてもの償いの気持ちに、私はそんなことを言っていた。
「ううん。私が変える。多分というか私が、第二人格だから……」
その言葉から、私は察した。彼女はおそらく、最初から自覚があったのだろう。でも、モノ扱いされたから、怒りを表現するために、私の方が第二人格だと断じたのだろう。
「ううん。もう第二とか、主とか、序列を決めるの、やめよ。私は、あなたのパートナーだよ」
そう言って、彼女の体を強く抱きしめる。
「私も。私も、順番なんてもううんざり! 私もあなたのパートナーがいい」
ぎゅっと、抱き締められる。心がとても安らぐ。
「……雨降って地固まる。ね、アリス、言った通りでしょ」
気が付けば、紫が私達のそばに立っていた。アリスもその隣りに複雑そうな表情で立っている。私達はお互い顔を見合わせ、ほとんど同時に頷いた。私は彼女の上からどいて、彼女に手を差し伸べる。彼女は私の手を取り、立ち上がった。
「でも、喧嘩なんて」
「やれやれね」
そう言って紫は肩を竦めた。
「子供はね、ケンカしなきゃダメなのよ。殴り合い、罵り合い、結構なことよ。子供のうちから取り繕って上辺だけ仲良くするなんてことしなくていいの。仲良くしたいなら殴り合ってでも気持ちを伝えなきゃ。ね?」
「……でも、それで仲が断絶したらどうするの?」
「喧嘩したら絶交する人と、仲良しごっこを続けるのが正しいことなのかしら?」
「ケンカしないことはいいことだわ」
「大人ならね」
アリスは苦々しい顔のまま、私達の方へと歩いてきた。
「紫はああ言ってるけど、できればもうケンカしないでほしいわ」
アリスの言葉に、私達は頷いた。
「もう私達」
「ケンカなんてしないよね」
顔を見合わせて、微笑み合う。もう一人の私の表情は変わらないけど、雰囲気は伝わってくる。
「……なら、いいんだけど」
「よくないわ」
意外なことに、紫がそんなことを言った。顔を少しだけ引き締めて、そして私達を鋭い目で見る。
「ケンカは確かにしなきゃダメだけど、お互いバラバラグチャグチャになるまでやっていいわけないでしょ?」
叱られて、私達はそろって肩を震わせた。
「いい、ケンカにだってやり方ってもんがあるの。武器は使わない、急所攻撃はなし、相手が泣いたらやめる。もう二度とケンカで武器を使っちゃダメ」
「で、でも私達死なないよ?」
私がそう言うと、紫は顔を怒りで真っ赤にした。
「死ななきゃ何してもいいことにはならないでしょうが! とにかくケンカで武器は使わない、わかった!?」
私達は神妙に頷いた。そうすると、紫は怒りを引っ込めたようだった。
「よしよし、わかればいいのよ。それで、あなたたちこれからどうするのかしら」
「リュカ!」
もう一人の私がそう名乗りあげながら手を上げた。
「リュカ?」
紫が聞き返す。
「そう、私の名前。リュカ」
「ちょっと、それ人形の名前じゃない」
私は思わず口出ししていた。
物扱いを嫌っている私らしくない名前だ。
「うん。でも今日からは人形の名前じゃなくて、私の名前だよ」
「そうじゃくて! 人形の名前でもいいの?」
「確かに『リュカ』は人形の名前だけど。でも私は人形じゃない。それに、私達が一番大事にしてた名前でしょ?」
でも、大切だったはずなのに、私は今どこにあるかすらも忘れてしまった。もう一人の私のことも、人形のように忘れてしまわないだろうか。それに、人形と同じ名前だなんて。
「アリスからもらった人形の名前も変えればいいんだよ。そうだね、あの子はナナ。もうリュカじゃない。だから、私がリュカ」
そう言って、もう一人の私は血の力を使って髪の毛を伸ばし、後ろで一括りにまとめた。
「髪が長くてポニーテールにしてる方が、私、リュカ。ね?」
「あれだけミオでいたかったあなたが、どうして?」
思わず、私は聞いてしまった。
「私はミオでいたかったわけじゃないよ。いや、できればミオの方が良かったのだけれど。でも、紛い物じゃなくて、『私』を皆が認めてくれれば、私はそれでいい」
それはつまり、私にケンカをふっかけたのも全て、認めて欲しかったから。私が傷つけて。私も傷つけられて。それでも今はこうして、穏やかにお互いのことを想っていられる。そう思うと彼女のことが急に愛おしくなった。
ぎゅっと、力強く抱きしめる。
「……ごめんね、譲ってもらって」
私が言うと、もう一人の私……リュカが、抱きしめ返してくれた。
「ううん。いいの。ミオ、幸せになろうね」
「うん。皆一緒に、幸せになろう」
しばらく抱き合っていると、どちらともなくお互いを解放した。
「……仲良くなったようでなによりよ」
アリスは色々と複雑そうな表情をしていた。
「うん。これから私、リュカで、もうニセモノとか関係ない、私っていうただ一人の個人だよ」
アリスと紫に、リュカが宣言するように言った。
「……おめでとう、リュカちゃん。さて、あなたはこれからどこで暮らすのかしら」
リュカはあまり悩むことなく、答えた。
「ミオと一緒に暮らす。いいよね?」
「うん」
頷く。
「……そう。二人とも、何かあったら、いいえ、何もなくても遊びにいらっしゃい。歓迎するわよ」
「じゃあ、今からアリスお姉ちゃんのところに行ってもいい?」
リュカはアリスに駆け寄った。
「ええ、もちろん。あなたはどうする?」
アリスが私の方を見た。
「ごめんね、アリス姉ちゃん、私疲れちゃって。今日は帰って眠るね」
私は背中から翼を生やそうとして、できなかった。
「……あ。もう限界?」
くらり、と視界が揺れた。
リュカも、同じように頭を押さえていた。
「二人とも、やりすぎよ」
あ、血液不足か。そう思った瞬間、私とリュカはほぼ同時に倒れた。