魔理沙と私
夢を見ている。
私と、もう一人の私がちゃぶ台を挟んで向かい合わせに座っている。もはや習慣となりつつある、夢での座談会だ。
「あなたは愚か者」
無表情の私は開口一番、私を罵倒した。
「喧嘩売ってるの? 買うよ?」
「酒に飲まれて望君を誘惑するなんて信じられない」
「そんなことしたっけ?」
正直、霊夢に誘われて輪に加わってからの記憶がない。なんでもう一人の私は覚えているんだろうか。
「……ホント、最低」
呆れんばかり、とでもいうようにもう一人の私は首を振った。
「いいじゃんもう平和なんだから! 一日くらいお酒飲んで酔っ払ったらダメなわけ!?」
私がちゃぶ台を叩くと、負けじと彼女は叩き返した。
「ダメに決まってる。私は子供」
「あんたは親か何かか! 私のやることにいちいちつっかかってくるな!」
思いっきり怒鳴っても、目の前にいる私は眉一つ動かさない。ホントむかつく。
「酒に飲まれて乱れて、彼氏を欲望赴くままに誘惑して……。ホント、淫乱。御陵臣みたいに性欲旺盛」
「あ?」
最上級のの罵倒を浴びせかけられ、私の怒りは頂点に達した。
「違うように振舞ってても、あなたは御陵臣そっくり」
「お前だって同じこと言えるでしょうが。あんまりふざけたこと言ってるとひねり潰すよ、このレズ」
彼女の雰囲気が激変する。深い闇を孕んだ真っ赤な怒気が、噴出するように彼女から発せられる。
「そんな差別語、どこで覚えたの? 本当に、私じゃないみたい」
「そんなにその気持ちが大切? それなら魔理沙に告ってみれば? なんて言われるだろね?」
一触即発の雰囲気。
ふと、もう一人の私が怒りを引っ込めた。
「……どしたの?」
喧嘩相手の急な変化に、思わず私も素に戻って聞いた。
「わかった。告白する。だから、身体貸して」
まるでスイッチが切り替わったかのような対応に、戸惑う。というかそれ以前に。
「……ええ~……」
体を渡すのが心底嫌だった。そりゃ私が言い出したんだし、この流れなら明け渡すのが普通なんだろうけど、それでもなぁ。
「大丈夫。ちゃんと魔理沙に私だって言ってから告白するから、あなたに迷惑はかけない」
「いや……ううん」
告白すること自体が迷惑だ、とは言えなかった。そもそも告白する、なんて考えに彼女が至ったのは、私のせいだし。
「一日だけ。もし約束を違えたら、これ以上あなたの行動に口出ししない」
そもそも口出しを許可した覚えはない。が、穏便に事が済むならそれに越したことはない。
「いいよ。一日だけね。もし違えたら私は好きにするから。もう夢にも出てくんな」
神妙な雰囲気で、彼女は頷いた。
「次に目覚めてから二十四時間が、一日だからね」
というか、こうなるように会話を誘導していたんなら、パパに似ているのは目の前の私の方だ。
私が言ったのと同時、私はさらに一段と深い眠りについて、もう一人の私が目覚めた。
目を開けると、望君が私を心配そうな顔で見下ろしていた。
「あ、おはよう、もう朝だ……よ?」
さすがは、もう一人の私の彼氏、といったところだろうか。私が、彼が恋している私でないことに気付くなんて。体を起こす。すると、頭がぐわんぐわんと揺れるような感覚がした。風邪でも引いたのだろうか。……二日酔いだろう。
見渡すと、永遠亭の寝室だということがわかる。布団は二組敷かれており、彼も前後不覚の私と同衾するつもりはなかったようだ。少しだけ、ホッとする。
「私がわかる? 望君」
「……き、君は、前のミオ、ちゃん?」
頷く。
「……ど、どうして?」
私は彼の質問に答えなかった。その代わり、戸惑うばかりの彼に問いかける。
「私とあなたのことが好きな私とは違うということ、理解してくれる?」
彼はしばらく呆然と質問の意味を考えていたが、しばらくして真剣な表情で頷いた。
「私が別の誰かに恋心を抱いていたとしても、許してくれる?」
彼は、生唾を飲み込んだ。
「……わからない。ごめん、ミオちゃん」
無理もない、か。この言葉が原因でもう一人の私と彼とのあいだに亀裂が走らなければ……いや、走ればいいのか。そうすれば、私は魔理沙と……。
違う。こんな考えじゃ誰も幸せになれない。
「大丈夫だよ。もう一人の私は、私が引くくらいあなたのことが好きだから」
私は自分の体を見る。アリスお姉ちゃんが着ているような服を着ている。血で作ったものだろう。
「あ、ミオちゃん……」
私は背中に翼を生やすと、ゆっくりとした足取りで永遠亭の中を歩き、縁側のある居間に入る。縁側から庭に降りると、羽ばたいて空に飛び上がろうと……。
「ミオちゃん!」
したところで、望君に呼び止められた。
「ミオちゃん、僕は今の君の彼氏でもなんでもない。だから!」
私は、彼の方を見なかった。彼の声は泣く寸前のように震えていたからだ。きっと涙目なのだろう。泣きそうな自分を、みて欲しくはないはずだ。
「……ありがとう、望君」
だから私は振り向かず翼をはためかせ、ゆっくりと空に上がる。優しい人だ。もう一人の私が惚れるのもまあわかる。
とりあえず、アリスお姉ちゃんに挨拶しに行こう。
私は魔法の森を飛び、アリスお姉ちゃんの家の前に降り立つ。
「お、ミオ」
「魔理沙」
とくん、と柔らかく心臓が跳ねる。
「おはよう」
平静を装って、話しかける。
「うっす。……ミオ、なんか様子変だぞ?」
気付いてくれた。心の奥がほわりと暖かくなる。
「うん。私、戻ったよ」
「……そっか」
魔理沙は複雑そうな顔をしている。どうしてだろうか。
「……アリスに朝の挨拶か?」
「それもあるけど。私は、魔理沙に用事がある」
不思議そうに、魔理沙は首を傾げた。
「何の用事?」
「大事な話」
そう言うと、彼女は表情を引き締めた。
「……わかったぜ。じゃ、私はここで待ってるぜ」
私は頷いて、アリスお姉ちゃんの家の戸を叩く。しばらくすると、ゆっくりと扉が開いた。
「あら、ミオ。おはよう」
「おはよう、アリスお姉ちゃん」
「……また、変わったのね。何かあった?」
当然のように私の変化に気づき、心配してくれるお姉ちゃんに、首を振って答えた。
「今日は魔理沙に特別な用事があったから出てきた。何かがあったからじゃないよ」
ほっと、アリスお姉ちゃんは安心したようにため息をついた。
「そう。じゃあしばらくここにいなさいな。最近あいつ、魔導書読みにここに来るから」
頷く。
「魔理沙はもう外にいるよ」
「あら、そう。それじゃ、今から魔理沙と用事済ますのね?」
頷く。
「アリスお姉ちゃん、愛してる」
多分、今日が終われば私はもう二度とこうして自分の意思で歩き回ることはないのだろう。所詮私は分けられた人格。人のようで、人ではない紛い物なのだから。
「……遺言みたいね。まぁ、でもありがとう。私も愛してる」
そう言って、抱きしめてくれる。おずおずと、私も抱きしめ返す。アリスお姉ちゃんの柔らかさや心臓の音を体全体で感じて、愛されている感覚に身を委ねる。ものすごくホッとする。
「……じゃあね、アリスお姉ちゃん、バイバイ」
アリスお姉ちゃんから離れると、手を振ってお別れを言う。
魔理沙のそばまで歩くと、彼女の服の裾を掴む。
「……場所、変えよ」
「おう。……でもいいのか?」
言われて、アリスお姉ちゃんの方を見る。不安そうな表情をして、私達の方を見ている。今日はもうアリスお姉ちゃんと一緒に過ごそうかな。そう思えるくらいには、切ない気持ちになった。
でも、私に明日はないんだ。今日が最後。今日が、私という意識が外界と関わることのできる最後の日なんだ、それならば、伝えなきゃ。
私の、気持ちを。たとえ、迷惑でも。
「ごめんね、アリスお姉ちゃん。いってきます」
「……いってらっしゃい」
アリスお姉ちゃんは不安そうな表情のまま、手を振ってくれた。
魔理沙の服を短く引っ張り、私は背中の翼をはためかせた。
「じゃ、行こう」
魔理沙は頷いて、箒に跨った。
彼女の服から手を離し、私は空に飛び上がる。
魔理沙も私について上空に上がってきた。青い空の下、二人きりになる。
「……ここなら、誰もいない」
「だな。で、話ってなんだ?」
私は魔理沙に向き直る。彼女の顔を、真っ直ぐに見つめる。言ったら、なんて返って来るだろうか。気持ち悪い、と言われてしまうだろうか。私が同性を好きになったことを、幻想郷中に触れ回るのだろうか。
魔理沙が、そんなことするはずがない。信じよう。信じて、私の気持ちを伝えなきゃ。
今日が、最後なんだ!
「私は、あなたのことが好き」
一瞬、魔理沙は呆気に取られた表情をした。それから、慌てた様子で口を開いた。
「お、おう、私だって好きだぜ。ありがとうな」
「私のは、恋愛感情」
ピタリと、魔理沙は動きを止めた。
それから、苦笑する。
「……本気……か? いや、本気だろうなぁ。
そりゃ、好きって言ってくれたのは嬉しいし恋愛対象として見てくれたってのもそう嫌な感じはしねぇけどよ、その、やっぱり、私は、お前の気持ちにゃ応えられん。ごめんな、ミオ」
私は頷いた。涙が溢れそうになる。けど、ぐっと堪える。ダメ。泣いてはダメ。泣いたら魔理沙を傷つける。泣いたら、ダメ。魔理沙は黙っている私を見て、申し訳なさそうな顔をした。
「……ちゃんと断ってくれてありがとう。それからね、魔理沙。私と、望君のことが好きな私とは、別の人だから、もう一人の……本来の私にだって、普通に接してあげてね。ごめんね、こんなお願いして」
魔理沙は苦々しい顔をしたまま、何も言わなかった。
「魔理沙、さよなら。……さよなら」
私は眼下に広がる森にゆっくりと降りて行った。今は一人で泣きたかった。
魔理沙は、追ってこなかった。
木漏れ日が美しい森の中、私はうずくまって泣いていた。周りには動物の姿さえ見えない。今の私に、敵がいるかどうかとかを警戒する余裕なんてカケラもなかった。
「……ぐす」
わかってた。魔理沙が私の気持ちに応えてくれないことなんてわかってた。けど、わかってたけど実際に振られるとこんなにも悲しいなんて。
こんなにも、辛いなんて。
「ぐす、ひっく」
どれくらい泣いたかな。あと私に残された時間はどれくらいかな。
もう、もう私なんてどうでもいい。
魔理沙。好きだった。ホントのホントに好きだった。絶望の淵から私を救い上げてくれた恩人で、そして、私の理想の人。
好きだった。でも、私の恋はこれでおしまいなんだ。そして、私の意識もこれでおしまい。
私という紛い物は、失恋の傷も癒えぬまま、外界から隔離されてしまうんだ。魔理沙とも会えない、アリスお姉ちゃんにも輝夜にも望君にも霊夢にも美沙お姉ちゃんにも、誰にも会えず、暗い一人ぼっちの空間で永遠に閉じ込められてしまうんだ。
そう思うと、無性に悲しくなってきた。
「うっ……うっ……」
どうして私なんだろう。
どうして私が紛い物なんだろう。
どうして私は生まれてきたんだろう。
どうして私は身代わり程度の存在価値しか認めてもらえないのだろう。
どうして、どうして私がこんな目に。何も悪いことなんてしてないのに、どうして私が主人格の代わりに苦痛を引き受けなければならなかったのだろう。
どうして、どうして。
どうして私は、生きることすら許されないのだろう。
「……ミオ」
泣いていると、誰かに話しかけられた。顔をあげると、そこにはアリスお姉ちゃんがいた。
「どう、して?」
「心配になったから追いかけてきたの。魔理沙に聞いたらここら辺に降りたって聞いたから」
魔理沙が、言ったの?
「魔理沙、何か言ってた?」
「何も。聞いても『知らんわからん』の一点張りで。ほんと何があったのよ?」
やっぱり、信じてよかった。さすが、魔理沙だ。
「秘密」
私がそう言うと、アリスお姉ちゃんは呆気にとられたように目を丸くしたあと、苦笑した。
「そっか。わかったわ。そのことについては何も聞かないけれど」
そう言って、アリスお姉ちゃんは顔を引き締めた。
「あなた、それ以外でも隠してることがあるわね」
「……あるよ」
いっぱい。アリスお姉ちゃんが聞きたいのはどの秘密だろう。
「さっきの様子は明らかに変よ。いつも『また明日』なのに、今日に限って『さよなら』よ?」
鋭いなぁ。優しいなぁ。こんなにいいお姉ちゃんと、私は今日でお別れしないといけないの?
……そんなの、ヤダ。絶対に嫌だ。
「お姉ちゃん」
じっと、お姉ちゃんを見つめる。
「なぁに?」
お姉ちゃんの目は、私に話してほしいと訴えていた。話そう。わがままを言おう。アリスお姉ちゃんは、こんなことで私を嫌ったりしない。
「私、今日が終わったらもう出てこれないの。そんなの、嫌」
自分でも、突拍子もないことを言っていると思う。でもアリスお姉ちゃんは訝しむことなく頷いてくれた。
「……もう一人のミオと、仲悪いの?」
探るような言葉に、私は頷く。
「いつも喧嘩ばかり。でも、私は所詮作られた人格だから、大元の私よりは、弱いの」
「私にしてみれば、二人とも大事な妹なんだけどね」
そう言ってくれて嬉しいと思う反面複雑でもある。
「ねえ、アリスお姉ちゃん、もう一人の私とここでお話できる方法はないかな」
約束は、一日。一日が終わる前に説得を済ませれば、なんとかなるかもしれない。
「……紫の協力があれば問題は」
「呼ばれて飛び出て紫ちゃーん!」
ひょっこり、という擬音がぴったりな感じで空間に穴が空き、無数の目がある異次元から紫が頭を出した。
「紫、また出歯亀やってんの?」
「失恋な。経過観察と言ってくれる?」
「医者でもないのによく言うわ」
ポン、ポン、と弾むように会話を交わす二人がとても羨ましく思える。
「でも私は境界のプロよ? さ、はじめましょうか」
そう言って、紫は私の頭に手を乗せた。
「同意もなしにやるの?」
「方法を求めてきたのはこの子よ。ほら、アリスも早く」
「……ミオ、今からあなたともう一人のあなたとを分けるわ。いいかしら」
アリスお姉ちゃんの提案に、私は頷く。
「今からあなたと全く同じ体をもう一つ作るわ。二人分の血液が必要だけど、血は足りてるかしら」
わからない、けれどキアを死ぬギリギリまで吸ったから、多分大丈夫なんじゃないだろうか。
「大丈夫」
「そう。なら、そのもう一つのあなたの体に、もう一人のあなたを移すわ」
「そんなことできるの?」
「アリスには無理ね」
私の質問に答えたのは、柔らかく微笑む紫だった。
「でも私は境界を弄くる達人よ。いろんな境界をあやふやにしたりガチガチに線引きしたりを繰り返して、あなたたちの心も分けてあげるわ。ただし」
そう言って、紫は少しだけ厳しい顔をした。
「もう一人には戻れないわ。それでもいいかしら」
「いい」
即答した。
紫はアリスお姉ちゃんと視線を合わせ、二人一緒に頷いた。
アリスお姉ちゃんが魔法陣を展開し、その向こうに手を入れる。再び手を引き戻したときには、その手に大きな分厚い本があった。
「本気ってわけ?」
紫が茶化すように言う。
「当たり前よ。今使える全魔力をつぎ込む気持ちでやるわ」
「あらあら、なら私も頑張らないとね」
お互い微笑み合うと、アリスお姉ちゃんが目を閉じた。
「この世を司る全ての元素よこの世界を司る全ての幻想よ我に従い我が願いを叶えたまえ。
光あるもの、闇なる眷属、燃え盛る獅子、深海の使徒、風纏う鷹、地に眠る愚者、祖なる神よ、我の望みを顕現せよ。
我に集え魔なる素よ。我に従え魔なる力よ。
我が願うは複製。
合図と共に奇跡を成せ――『コピー』!」
ピカリと、視界が光に包まれる。
次に目を開けたとき、目の前に私がいた。
と、思った瞬間にパタリと地面に倒れ込む。
「あっ」
私は慌てて、倒れゆく自分を抱きかかえる。私と同じ容姿をしているのに、ヌケガラのように無反応。
「いまから心を移し替えるわね。ちょっとふらつくけど、大丈夫」
そう紫が言ったのとほぼ同時。
ぐわり、と頭が揺れて、私は気を失った。