誘いと私
「いってらっしゃい」
「行ってきます、アリス姉ちゃん!」
私がミオを送り出すと、彼女は幸せそうに永遠亭へと向かっていった。私は家の扉を閉めると、テーブルについて本を開く。
人の発達過程、心の仕組みについて書かれた本だった。
……心。
私はふよふよと周りを漂う人形達に視線を向ける。
私の夢は、今私が動かしている人形達が命令なしで動くこと……自立した人形を作り出すことだった。命令しなくても動く便利な道具を生み出したいのではない。私の命令に逆らってもいい。
私は人を、心を作りたい。
と、志してから何年経っただろうか。私は未だ簡単な命令をこなす程度の人形しか生み出すことしかできていない。
もっと勉強しようにも、先行研究は少ないし、資料もない。過去の魔法使い達は、人などという度し難い生物をわざわざ魔法を使ってまで生み出す意義を見出せなかったのだろう。私だってこの研究を始める前はそう思っていた。今でも、ときどき思う。なぜ私はこんなことを研究しているのだろうと。
「……」
本をめくっていると、心的外傷後ストレス障害、という単語が目に留まる。酷い目に会った人がそのあと、フラッシュバックや悪夢やその他様々な症状で苦しむ病気だ。
神様は不公平だ。
妹であるミオやこういう記述を見る度に思う。
ミオは普通に生きていただけ。それなのに攫われて徹底的にボロボロにされて。やっとの思いで生還してもそのあと長く苦しんだ。聞けば、ここに来る前も生き地獄が日常だったそうだ。ミオが何をしたのだろう。罰を受けるべき人間は飄々と笑い、祝福されるべき人間が生き地獄を味わう。世界とは得てしてそういう理不尽に満ちている。傷つき壊れていく妹を見ていると、それを変えたいという思いが強くなる。
「……ミオ」
心的外傷後ストレス障害、いわゆるPTSD。多分、御陵臣のところから帰ってきた直後のミオの状態がそれなのだろう。苦しそうにして、何もされていないのに怯えて、怖がって。
「……」
私は他にも、気になる単語やことばがあればメモしていく。わからないところや疑問に思ったところを羊皮紙に書き写す。私の研究に深くかかわるかもしれない。何の関係もないかもしれない。それでも、私はもうなりふりなんて構っていられなかった。
どれだけ理論を組み立てても、うまくいかず。どれほど魔術構成を練っても成功しない。
全ての人間に備わっていることが、どうしてできない。たとえようもない焦りを感じる。
森であの子を拾ったときも、私は焦りを感じていた。そもそもあの森へは気分転換にぶらぶらしていただけだったのだ。拾った当初、私はミオを研究対象にしか見ていなかった。『子供の心を研究する』その文字が、頭の中でひらめいていた。だけど、思っていた以上に、その文字が頭の中から消え去ったのは速かった。
あの子の瞳にあった闇のような寂しさと愛への飢え。それに動揺し、同情したから、魔法使いとしての冷徹な私はいなくなった。それでも、あの子には絶対に言えないことだけれど。
最近は、ミオと挨拶以外の会話を交わしていない。でも、寂しいけれど、それはとても重要で、必要なことなのだ。私から距離を置いて、のびのびと気を遣わなくていい生活を続けるのが、今の彼女にとって大切なことなのだ。いつでも会えるし、彼女は日に日に元気になっていく。それでいいんだ。
「うーっす!」
そんな軽い声と共に、ノックもなしに魔理沙が入ってきた。
私は書き込む手を止めて彼女の方を向く。やはりそこには予想したとおり、白黒のエプロンドレスのような魔法装束に身を包んだ『力こそ全て』な魔法使い、霧雨魔理沙がいた。
「何かしら」
「いや、そろそろ宴会開かね? ったことを言いにきたんだ」
「は? 宴会?」
いきなりの話題に、少し戸惑う。確かに、最近宴会というか楽しいことすら縁がなかった。
「おう。全員はまだ無理だけど、外来人同士の交流の場ってのも必要かなって。宴会! とかだとみんな遠慮せず話せるだろ?」
思っていた以上にまともな動機に、つい驚いてしまう。
魔理沙は最近変わった。いろんな要因があるんだろうけれど、解放団とミオにかかわったのが大きいのではないだろうか。彼女はずっと前から優しかったが、それよりも身勝手なところの方が目立っていた。解放異変以降の彼女は、わがままな性質はすっかりなりを潜め、人のことを思いやれるようになった。それでもまだ、強引なところは少々目につくが。
「悪くないわね。じゃ、私は霊夢にかけあってみるから、あなたは人を集めてくれる?」
私は本を閉じて家の外まで出る。
「おう。手ェ煩わせてすまねえぜ」
「そんなこといちいち気にしないの」
手間でもないようなことでもお礼を言ってくる魔理沙。こういうところは、本当に好ましい。
「じゃあいってきます」
「おー! いってこい!」
そんな風にあらあらしく送り出されると、なんだか安心する。
魔法を使い、空に浮く。神社まで一気に飛ぶと、境内に降り立つ。
境内にはいつもの紅白巫女装束に身を包んだ霊夢が掃き掃除をしていた。
「あらアリス。おはよう。ミオは?」
「おはよう、霊夢。あの子は今いないわ。時間いいかしら」
簡単に挨拶すると、霊夢は頷いた。
「いいけど、何かしら」
少し警戒気味なのは、たび重なる心労故だろうか。解放異変の事後処理で一番奔走したのは霊夢だ。詳しい仕事内容は知らないけど、東に西にと飛び回っていた。
「いえ、宴会でも開かない?」
「あなたから提案があるのは珍しいじゃない。……まぁ、そうね。じゃあ今日の夜開きましょうか」
気が早いのもいつも通り。霊夢は楽しそうに笑った。
「ミオもちゃんと誘ってあげてね。あの二人は不許可だけど」
「私だってあの二人と一緒に呑みたくないわ。それじゃあね」
軽く手を振って、私はふたたび上空に飛んだ。御陵臣と、キア。あの二人と酒の席を同ずるくらいなら、私は酒が飲めなくてもいい。
「おーっす! アリス!」
家に帰って魔理沙に伝達魔法でも使おうかと思っていると、魔理沙が矢のような速度で私のそばまで来た。
「そそっかしいわね。もうメンツ集まったの?」
「お? てとこは霊夢はオッケー出したんだな?」
頷く。
「よし! それじゃあ人を集めまくるぞ! 今日は宴会だ!」
そう言って、また風のような速度で視界から消えていった。本当、台風みたいなやつ。よほど、飲んで騒げるのが嬉しいのだろう。
まあ、無理もないか。解放異変があってからというもの、まるで別世界になってしまったかのように、浮ついた話が途絶えていた。ここ最近のいいニュースといえばミオに彼氏ができたことくらいだろうか。それ以外は誰々が復讐したの誰々が自殺したのという話ばかりが耳に入って来て、滅入っていたのだ。そこにきて、宴会。今日はいつもよりも多く集まるに違いない。ミオも酒の味くらい覚えても構わないだろう。酒に嫌な思い出がなければいいが。
「じゃ、私も行こうかしらね」
せっかくだから、ミオを誘うのは私がやろう。魔理沙は優しいから、その役目は残してくれているだろう。どこに住んでるかはこの前聞いたし、何も問題はない。
「~♪」
ついつい、鼻歌なんかを歌ってしまう。私はまるで子供のように、来る宴会を楽しみにしていた。