寺子屋と僕
寺子屋の庭では、妖精や妖怪の子供がたくさん遊んでいた。
けれど、そこに人間の子供の姿はない。幸せには満ち溢れているけれど、何かが足りない。ここはそんな不思議な場所だった。
「ここの現状は、理解しているか?」
大きな机の反対側、二十歳前後に見える女性が座っている。険しい表情で、僕を品定めするような視線を向けている。
「人間の子供がいない、ということですか?」
寺子屋の先生、上白沢慧音は頷くと一度視線をずらして小さく何事かを呟いた。それから、僕の方を見た。
「ああ。では、お前は、ここで手伝いがしたいそうだが、ここで何がしたい?」
「僕は」
何がしたい? なんと答えるべきなのだろうか。
「僕は、僕のできることをしたいです」
「……そうか。ならば、してもらおう」
「それなら」
慧音先生は首を振った。
「お前には、ここの生徒になってほしい」
「で、でも、それじゃ家が」
ふう、と慧音先生はため息をついた。
「子供は勉強するのと遊ぶのが仕事だ」
「でも、世界には僕の年で働いている子だっていっぱい」
「いるだろう。だからと言って君が働く必要はない」
慧音は立ち上がって、僕の隣まで来る。
「明日からよろしくな、戸神望君。家の事なら気にするな。しばらくは輝夜のところにお世話になっておけ」
「でも僕、お世話になりっぱなしなんて」
「子供でなくとも、誰かの助けなしには生きていけない。別に頼りっぱなしというわけではなく、料理などをすればよいではないか」
「そんなの、もうやってるよ」
ポン、と肩に手が乗せられた。
「なら、十分さ。しばらく級友達と遊んでいくか? 仲を深めて行くといい」
外を見ると、色んな人たちが遊んでいる。中には十六歳前後の人達もちらほら見受けられた。
「あの人達も外で遊んでるの?」
「ああ。下の子達の遊び相手になってもらっている。君は、きっと遊び相手になる側だろうね」
「大人だから?」
慧音は首を振った。
「年長だからだよ。まだまだ君は子供だよ」
にっこりと、彼女は微笑んだ。なんだか、こうして先生と話したのって、どれくらいぶりだろう。皆が成長し始めて、僕の成長が止まったくらいが学校に行った最後の日だから、小学校二年生以来か。
なんだか、悲しくなってくる。
「話は終わったみたいね」
ひょこりと、紫さんが現れた。神出鬼没にもほどがある。
「紫か。頼むからこういうのは相手が誰かの詳細情報をしっかり伝えてくれねば困るぞ」
「あらあらごめんなさいね。それで、やっぱり生徒にする方向なのね?」
「当たり前だ。働くのなど、まだ十年早い。今は勉強と遊びに時間を費やすべきだ」
はあ、と紫はため息をついた。
「ホントお固いんだから。で、ミオちゃんはどうするの?」
「ミオの居場所を知っているのか?」
返答は意外なものだった。慧音先生でも、知らないことあるんだ。なんでも知ってそうなイメージあるんだけど。
「知ってるわよ。じゃ、また誘っときましょうか?」
「ああ、頼む」
よし、と紫さんは手を叩いた。
「それじゃ、望、これからどうする?」
「え?」
急に話題を振られて、戸惑う。
「ここで遊んで行くか、それとも帰るか」
外で遊ぶ子供たちを見る。幸せそうで、楽しそうで、眩しかった。
「……いいよ。帰る」
だからこそ、僕は苦手だった。賑やかなのは嫌いで、ミオちゃんと一緒にいるときのような、ゆったりとした雰囲気の方が好きだった。それに、僕は汚れてるんだ。本当はミオちゃんと一緒にいるのもダメなくらい、僕の体は、穢れているんだ。
……御陵、臣。
僕は仇の名前を心の中で繰り返した。
「……そう、じゃ、帰りましょうか」
紫さんがそう言うと、僕は再びスキマの中に引きずりこまれ、再び元の空間に戻ってくると、そこは永遠亭の、僕の寝室だった。
「……」
今日は本当に、いろいろと面倒なことがあった。
今日の出来事を説明するならば、学校に行くことが決まった。ただそれだけ。でもそれを、紫さんが引っ掻き回して、そして、余計な問題も付随させてきた。
独立だとか、就職だとか。
いつかはしなければならないだろう。でも今は、慧音先生も言っていたように、まだ早いんだ。早く大人になりたいと思う一方で、速すぎる成長を恐れる気持ちもある。
ミオちゃんは、どんなふうに大人になるんだろう。
彼女も、僕と同じ不老不死。けれど彼女は僕と違って自由に体を変えることができる。それなら、彼女は大人になることができる。ともすれば、今この瞬間にだってミオちゃんは大人の体になっているかもしれない。
その時、ふすまがノックされた。
「はい」
「私。ミオ来てるわよ」
僕はふすまを開けると、駆け出した。
「ありがとう美沙義姉さん!」
居間まで走ると、縁側にミオちゃんが座っていた。僕がさっきちらりと思ったような大人の姿ではなく、僕と同じ子供の姿だった。
「ミオちゃん、こんばんは」
まだ日は落ち切っていないけど、もうそろそろそんな時間だった。
「こんばんはにはまだ早いんじゃない?」
くすくすと、悪戯っぽう笑う彼女。そんな楽しそうな笑顔が、いとおしい。
「ミオちゃん、僕先生のお手伝いじゃなくて、生徒になることにしたんだ」
「そうなんだ。頑張って。応援してるよ」
屈託のない笑顔を、彼女は向けてくれる。
「聞かないの? 理由」
「もしかしたら、聞かれたくないことかもしれないじゃない。私、山ほど聞かれたくないことがある身だからさ、そこらへんは、しっかりしておきたいの」
僕は彼女の隣まで歩く。
「ありがとう。ミオちゃんも、一緒に通う?」
彼女の手を握りながら聞く。
「……ごめんね。私、学校は……」
それから先は、言葉にならなかった。泣いてはいないけれど、強い気持ちが胸に沸き起こっているようだ。
「いいのいいの。変なこと聞いて、ごめんね」
僕がそういうと、ミオちゃんはぱあっと顔を明るくした。
「ありがと望君!」
そう言って、ぎゅっと、手を握り締められる。
「どういたしまして。それじゃ、日が暮れるまで遊ぼう?」
彼女は笑顔でうなずいてくれた。
幸せって、こういうことを言うのだと、肌で実感した。