永遠亭での一日とわたし
星空家の一番の異常事態は何かと義理の妹、澪に聞かれたら私は間違いなくお父さんの浮気だと答えるだろう。
「ふわぁ……」
目を開けて、上体を起こす。目をパチクリとしばたかせ、意識のギアをゆっくりと入れる。
私は危険で摩訶不思議な世界、幻想郷に何の因果か迷い込み、元の世界に帰れるまでかぐや姫の住まいに居候させてもらうことになった。危険なのは外来人という私の同類みたいな人達で、幻想郷の人達そのものは優しくて気のいい人ばかりだ。それがわかってもやっぱり、無意識に緊張しちゃうのはどうしてだろうか。
「ん、ん~っと!」
大きく伸びをして、起きたときチラリと思ったことを深く思案していく。
星空家と御陵家の関わりというのは、思ったよりも深い、ようだ。
映姫、という閻魔大王が私の知らない私の家庭環境を委細に語ってくれたおかげで、私は事の裏側、というか真実を知ることができた。
もともと、私のお父さんと澪のお父さんは、子供のころから続く親友同士。高校、大学と共に同じで、かなりのやんちゃをしたらしい。で、お父さんは普通に就職したわけだが、御陵臣は女性の所を転々とし、優雅なヒモ生活を送っていたそうだ。澪のお母さんも、そんな女性のうちの一人なのだろう。
ここからが、かなりややこしくなる。というか心理的に受け付けなくなる事実。
御陵臣が結婚したというのは、お父さんの会社の同僚。で、お父さんとその会社の同僚さんは元々、お互い憎からず思っていたそうだ。それで、御陵臣の虐待に耐えきれなくなった澪のお母さんは救いと癒しを求めるように、不倫。このとき彼女はお父さんに独り身だと言っていたそうだ。
お互い、楽しかったそうだ。私のお母さんとの離婚を考えるくらいには。
それで、婚約を持ちかけようとしたとき、御陵臣が全てのネタばらしをした。もう結婚していること、子供までいること。しかもタチの悪いことに、御陵臣は澪のことをお父さんの子供として、紹介したそうだ。
それを聞いたお父さんは、最低なことに澪のお母さんとの関わりを完全に絶った。それからお父さんが自殺するまで、事実を誰の目にも触れないようにした。でも、当事者……御陵臣の口を塞ぐのには相当の代償があったようだ。それが、澪自身『愛』と表現するもの。
お金が愛を表現するに足る物の一つであることは否定しない。けれど、彼女が愛だと思っていたお金が、愛であるはずがない。
なんてことはない、蓋を開けてみればそれはただの口止め料だったのだ。お父さんは月に七万ちょっとのお金を払うことに重圧を感じ、なおかつ罪悪感でいっぱいになり、そしてお父さんは自殺した。
私がお父さんの浮気を知ったのは、お父さんの遺書だった。
「んー……」
立ち上がって、軽くストレッチをする。朝の目覚めはこれが一番と知ってからは、毎日続けていることだ。
お父さんのことは、許せない。お父さんが死んだせいでお母さんは心の病にかかってしまい、病院通いになってしまった。
「うーん」
と、真実を頭の中で整理しても、わからないことが一つだけあった。御陵臣が澪に何してきたかも、お父さんが何を隠していたかも、全部知った。けど。
澪のお母さんはなぜ、死んでしまったのだろうか。順当に考えれば御陵臣に虐待の末に殺されてしまったのだろうけど……それなら、なぜ誰にもバレなかったのだろう。現代日本で人の死体を処理なんて、そう簡単にできるわけがないのに。
「おはようございます、義姉さん」
襖の向こうで、そんな声がした。無口、無表情、無感動。ついこの前までそんな風に澪二号みたいな感じだったというのに、澪の変化に合わせて彼も声と表情を取り戻した。生来の性格に戻ったのか、爽やかな雰囲気で、ハキハキと物を言うようになった。
「おはよ。入っていいよ」
私が言うと、彼は襖をゆっくりと開いた。
優しくて、柔らかい印象を与えるような顔をした六歳くらいの男の子と、ウサギ耳を頭につけた女子高生みたいな服を着た女の人が部屋に入ってくる。
「おはようございます、美沙さん」
「おはよう、鈴仙」
私はややこしい名前をした友達に挨拶をする。彼女は子煩悩で、永琳の弟子。だと思う。永琳のことを『師匠』ってよんでるからたぶん間違いはないと思うけど。
それから、望のほうを見る。彼は私と視線が合うと、怯えたように一歩後ずさった。
彼は成長しない変わりに死ななくなったそうだ。うまれつき、ではないようだけれど、詳しい事情は話してくれない。まぁ、なんでもかんでも話せと言う方がおかしいのだから、面と向かって聞いたりはしない。彼も、ミオと同じで心に消えない傷を刻み込まれた子供だった。
「お邪魔します。義姉さん、そろそろ朝ごはんを作り始めましょう」
「もうそんな時間?」
腕時計を見る。まだ六時にもなっていなかった。
「はい。そろそろ輝夜や他の皆も起きてくるし、急ぎましょう」
私はため息をついて、頷いた。正直なところ、私は家事が苦手だ。それでも朝早くに起きて朝食を作っているのは、ひとえに私たちが居候だから。何もせず住居を貸してもらう、というのは家事の苦労以上に心苦しい。
「今日は何作るの?」
「そうですね、鮭がありましたから焼いて、それに加えてお味噌汁、とい具合でどうでしょうか?」
「いいんじゃない?」
オーソドックスな和の朝食メニューだ。これなら文句を言う人なんていないだろう。いや、これでなくとも、ここの人は私たちを怒ったりはしないだろう。いい人達だ。
「私としましては、それだけ用意していただけるのなら非常にありがたいです。お師匠さまも喜びます」
「そっか」
廊下に出て、台所へと向かいながら会話を交わす。
「それにしても、毎日早起きしていただいてすみません」
「気にしないで。こんなのまさしく朝飯前だから」
「あ……お、お上手ですよ?」
笑ってほしかったのに、そんなことを言われると立場がない。
「……義姉さんは、澪ちゃんとどんなお話をしているのですか?」
「へ?」
いきなり、そんな話題を振られた。
彼は、私の義理の妹、ミオ・まーが、が……。えーっと、澪に恋しているのだ。そして、つい先日両想いになることができた。前から、てか澪が変わってからちょっと怪しい感じではあったけれど、澪が恋なんてするとは思わなかった。
と、それはともかく。今現在澪と望は恋人関係にある。そして、望は結婚まで考えているのか、私のことを義姉さん、と呼ぶ。弟ができたような感じがして嫌ではない。が、いくらなんでも早すぎではないだろうか。
……でも、初々しい感じが出てとってもキュートなのには変わりない。
「あなたの方が会話してる数は多いわ。間違いない」
「でも」
「あの子、私を避けるから」
私が悪いのは、わかってる。弱くて、みっともなく泣くことくらいしかできなかった私。澪はそんな私に愛想を尽かしたのだろう。だから、積極的に関わり合いになろうとしない。
「……そう、ですか」
望はなんだか寂しそうな、残念そうな顔をした。
「ま、あの子ともいつか仲直りできるわ」
澪との関係がぎこちなく感じたのはいつだったか。もうわからなかった。
「はい、応援してます!」
朗らかに、彼は笑った。この子、笑うとメチャメチャ可愛らしい。このまま抱きしめてお持ち帰りしたいくらい。
いやいや落ち着け私。
「私は、そもそもミオちゃんが人を避けるような子には見えないんですが」
鈴仙の言葉に、私は首をかしげた。
「そうなの?」
「え、ええ。そもそも、どうしてあなたはミオちゃんが避けていると思っているのですか?」
「……そりゃ、社交的なミオが話しかけないのは」
「ミオちゃん、結構内向的ですよ?」
「……」
鈴仙のおかげか、もしかしたら私が思い違いをしているだけなのでは、と思い始めている。たしかに、あの子あんまり友達多いタイプじゃなさそうだしなぁ。
「そうですよ。義姉さんはきっと勘違いしているだけです」
このままだと私が勘違いしているかわいそうな子に見られる可能性がある。
「それはそうと。澪とはどこまでいったの?」
話題を変えようと、ちょっと雰囲気をピンク色に染めてみる。
「どこまでって……」
彼は呆気に取られたような顔をした。
「僕ら、まだ付き合って二日ですよ? どれだけ駆け足で親睦深めるんですか。僕らは、永遠なのに」
彼の言葉で、思い馳せる。
望と澪は、二人して永遠の存在である。二人はほぼ間違いなく時の終わりまで生きていけるだろう。けれど、それが羨ましいかと問われれば、否と答えるだろう。
「ん~そうね。もっとゆっくりペースでいいんじゃない? ごめんね、野暮なこと言って」
彼はいえいえ、と言って首を振った。
「僕と彼女は、ゆっくりでいいんです。世界の誰がなんと言おうと」
もし望が同年代だったら、惚れたかな、なんてことをチラリと考える。
……いや、私の好みじゃない。
もっと男らしい人がいい。御陵臣みたいな狂人は勘弁だけど、ちょっとくらい野性味入ってる方が好みだ。
「はぁ」
てかよく考えたら、こんな子供でも彼女いんのに私はなんで……。
「では、朝食を作りに行きましょうか」
「そうね」
「お二人とも、ありがとうございます」
こうして、私の朝は始まるのだった。
お昼頃。私は居間で輝夜と共にお茶をのんでいた。ちゃぶ台の上にはお菓子と、湯呑。外では澪と望が年相応にはしゃぎながら遊んでいた。
「恋人、なんて言ってるけど、やってることは友達よねぇ」
私が言うと、輝夜はふふふと笑った。
「そうね。でも、とっても『らしい』交際の仕方じゃない?」
「子供らしいってこと?」
輝夜はお茶を啜る。その動作さえも上品に見えるのはやはり生まれだろうか。
「あの子たちらしいってことよ。お互い、性的なことに関して相当な抵抗があるし、ああやって二百年くらいイチャイチャしたら、次のステップに進むんじゃない?」
「また気の長い話ね……でもさ、望もエッチなことが嫌なの? なんで?」
輝夜は鋭い目つきで私を睨んだ。
「なによ」
「わかってあげなさいよ」
「は? なにが」
と、そこでハッとなる。
……まさか。
「嘘?」
「痛みと異常な性体験が、彼が口を閉ざした原因よ」
私は思わず、遠くで遊ぶ望を見る。確かに可愛らしくて女装させればさぞかし見目麗しい美少女に変身するだろう。でも、だからって。
「よく歪まなかったわね」
思わず、そんな言葉をこぼしてしまう。
「ホントにね」
そう言う輝夜の声には、疲労の色が感じ取れた。
「お疲れみたいね」
「ええ。望やミオみたい子が他にも数人いるみたいで、私も永琳について行ってるのよ」
「なんで姫様の輝夜がそんなことを?」
はあ、と輝夜は深いため息をついた。
「助けてあげたいからよ。ミオも、望も、ああして少しはよくなってきてる。他の子だって、ああして笑って遊べるようになる日が来るはずよ。永琳はそのために慣れないカウンセリングまでして、その子たちを助けようとしてる。私がお手伝いしたいと思うのは、ごく普通のことよ」
さすがは、お姫様だ。責任感が強くて、優しくて。これでこの容姿だというのだ、そりゃ大勢求婚者がやってくるだろう。
「私も手伝っていいかしら」
「……辛いわよ。まだまともに会話できる子の方が少ないんだから」
「望君みたいに?」
輝夜は首を振った。
「あの子やミオはまだ、身体的には問題なかったからいいけど、他の子は、その、腕がなかったりって子もいるから。結構、キツイ」
そういって、輝夜はかぶりを振った。何かを思い出してしまったのだろうか。
「でも、手伝ってくれるのなら、嬉しいわ。やめたくなったらいつでも言ってね。私もそうだけど、あなたが手伝う義務なんて、ないんだから」
そう言ってお菓子を口に放り込んだ輝夜は、天使のように優しい表情をしていた。
「……明日から、いや、今日からでも、手伝うわ」
だから、私は輝夜の負担を軽くしてあげたかった。恩義もある。でもそれ以上に友人として、手伝ってあげたかった。
それに、ようやく私は、自分ができることが見つかったのだ。
「ありがとう」
柔らかく微笑んだ輝夜の顔を見ていると、胸が暖かくなる。家族に向けるものに似た、優しい感情だった。
「おーい! 美沙お姉ちゃ~ん!」
ミオの元気な笑い声が聞こえる。私はミオの方へと顔を向ける。
「美沙お姉ちゃんも一緒に遊ぼう! 蹴鞠しよう、蹴鞠!」
蹴鞠に、お手玉。わらべ歌に、じゃんけん。そんなものでよく遊べるものだ。感心すると同時、当たり前か、とも思う。
私が子供の時だって、ああして遊んでいたのだ。
「はいはい。今行くわ」
輝夜に軽く会釈して、二人の元へ向かう。
童心に戻って心から遊びを楽しむのも悪くないかもしれない。
私は妹と義弟と一緒に日が暮れるまで遊んだ。
夜。輝夜と永琳と、昼間も使ったちゃぶ台を挟んで、話し合いをしていた。議題は、私のお手伝いに関することだ。
永琳は肘を組んで、難しい顔をしている。輝夜は表情を引き締め、成り行きを見守っている。
「手伝ってくれる、という心意気は嬉しいわ」
と、言う割に永琳の表情は芳しくなかった。
「でも、無理はさせられないわ」
「私、やっとここでできることを見つけたの。だから」
「荷が重すぎるわ」
「でも!」
私は引き下がらない。ここの住人になるつもりなんてない。でも、だからといって住まわせてもらっている間何もしないというのは、我慢ならなかった。
「気持ちは、わかるわ。でもねぇ」
その時、襖がノックされた。
「はい」
「お師匠様、鈴仙でございます」
「何かあったの?」
襖越しに、師弟、でいいのかな。二人は会話する。
「いえ。お茶をお持ちしました」
「舞は?」
舞? 人の名前だろうか。
「私のそばに」
「……わかったわ。入りなさい」
「失礼します」
スッと襖が引かれた。
すると、お盆を持っているうさぎ耳の鈴仙の隣に、私と同い年くらいの女の子が鈴仙によりかかるようにして立っていた。
「……」
私は叫ぶのを抑えるのに必死だった。背丈は私と同じくらい。でも、右の足首から先はなく、足首から先は白い包帯が丸く巻かれていた。
頭から左目にかけても包帯が巻かれており、彼女の左肩から先、右手首から先も同じようにして失われており、痛々しい包帯が巻かれている。彼女の目は底なしの闇のようにも感じてしまうほど、深い色をたたえていた。そして、彼女はまるで人形か何かのように、直立不動。彼女の動きと言えば、瞼のまばたき暗いだろうか。
「舞、鈴仙、ありがとう。助かるわ」
鈴仙はぺこりと会釈すると、お盆をちゃぶ台の上にのせ、それから各自の前にお茶を置いた。
「それでは、失礼します。さ、行こうか」
お盆を持って、鈴仙は舞を連れて部屋の外へ出ると、襖を閉めた。
静寂が流れる。
舞、と呼ばれていた子。あの子は、もしや。
「あの子は、重い傷を与えられた子の一人よ」
ゾッとする。私と同年代に見えたあの子。あの子が、あんなにボロボロになるくらいのこと。いったい、何をされたのだろう。想像するだに、恐ろしい。
「正直、こんな言い方したくないんだけど、傷って、みんなあんなものよ」
私は、しばらく何も答える事ができなかった。
「わかったでしょ。それなら」
「それでも、私は」
絞り出すように、声を出す。
「なおさら、私は手伝いたい。あんな子達を助けられるなら、頑張るよ」
永琳は驚いた表情をした。
「なんでそこまで」
「妹が死ぬ気で頑張ったのに、私だけのうのうと平穏に浸かってるわけにはいかないでしょ」
私が微笑むと、永琳は毒気が抜かれたような、そんな柔らかい表情になった。
「なんだかんだ言って、姉妹なのね。血はつながってなくとも、てとこかしら」
「ふふ。そうね」
「……本当に、いいのね」
「ええ。私にできることなら、何でもするよ」
私がほほえむと、今まで様子を見守っていた輝夜が手を叩いた。
「よし、それじゃあ永琳」
「ええ。今度から、美沙にも手伝ってもらいましょう」
輝夜と永琳、二人して頷き合う。
「それじゃあ、美沙。注意しなきゃいけないことはね――」
夜は更けて行く。
それから私は、夜遅くまで永琳と輝夜から、傷を持った人たちと接するときの注意点を教わった。