平和と私
目を開けると、パパが私を見下ろしていた。
「きゃああああっ!」
私は叫んで、反射的に後ずさる。
勢いあまって、背を壁にうちつけてしまった。
「いっつ……」
私は背中と胸を抑えて痛みをやり過ごす。
「大丈夫かい?」
「動くな!」
にやにやと笑いながら近付いてきたパパに、鋭く命じる。パパは彫像のように動かなくなる。それを確認して、ようやく私は一息付くことができた。
「マスター、大丈夫ですか?」
「全っ然大丈夫じゃない。なんで朝からパパの顔見なきゃいけないの」
私は力を集中して、服を作り出す。イメージはキアの着ているような、グラデーションのかかったワンピース。しばらくして視線を下ろすと、想像通りのものを着ていて、満足する。昨日キアの血を吸うときに置いた、輝夜からもらった上着を羽織ると、扉に手をかける。
「よし、それじゃ二人とも、今日もここで待っててね」
そう言って住処を出ようとする。
「マスター」
と、キアに呼び止められた。
「なに?」
「あの、お腹が空いたらどうすればよいのでしょうか?」
「永琳から血液パック貰ってくるよ。それまで待っててね。パパはもう動いていいけど、キアに何もしちゃダメだし外に出てもダメだよ」
私はそう言い残して、外に出た。背中から翼を生やし、上空まで飛び上がる。
「よう、ミオ!」
「あ、魔理沙。おはよう」
箒に跨った魔理沙と鉢合わせ、軽く手をあげて挨拶する。
「おはよう、ミオ。おめでと〜」
「え?」
「え、彼氏できたんじゃないの?」
私が疑問に思ったのはそこじゃなくて。
「なんでそんなに耳が早いの?」
私が聞くと、魔理沙はにやりと笑った。
「まず、輝夜から永琳、永琳から私、私から紫、紫から射命丸で、射命丸から幻想郷全体へ、だ」
情報の流れが早すぎる。なんで新聞はあんなに古い情報しかなかったのに、口伝がこんなに早いんだ。
「まぁ、アリスには教えてないから、お前の口から言うんだぞ」
「元々そのつもりだよ。もう」
呆れたようにため息をついて、私はアリスの家へと向かう。
「いやぁ、悪いなぁ。つい嬉くなっちまってな。それじゃあ、また会おうぜ!」
「また会おうね〜」
私は魔理沙と別れ、魔法の森、アリスの家の近くへと降り立った。玄関の前に立つと、こんこんと軽くノックする。
「アリス姉ちゃ~ん! 挨拶に来たよ!」
家の戸を叩いてしばらく、いつもの服を着たアリスが大きな本を抱えながら出てきた。
「おはようミオ。調子はどうかしら」
「絶好調! アリス姉ちゃんもいるしで幸せ真っ只中だよ」
「そう。何か変わりない?」
「変わった変わった。私ね、彼氏できたんだ!」
私の言葉に、アリスは一瞬眉をひそめた。それからすぐに、柔らかい微笑みに変わった。
「そう。……それは、よかったわね。お相手は……望かしら」
アリスの推測に、笑顔でうなずく。
「うん! 今日も彼のところに行くの!」
「彼、ね」
ぽん、と頭に手が乗せられる。アリスが私を撫でてくれているのだ。私は目を閉じて、温もりを受け入れる。
「いい子ね、ミオ。今は別々に住んでるけど、私たちは家族なんだから、何かあったらいつでも言いなさいね」
しばらく私の頭を撫でたあと、アリスは私から手を離した。
「うん! それじゃあねアリス姉ちゃん!」
私は翼を生やし、飛び上がる。行き先は、永遠亭だ。
はやる気持ちを押さえながら、私は幻想郷を移動する。
「あやや! これはこれはミオさん!」
ひゅん、と風が吹いたかと思うと、目の前に天狗の女の人がいた。
「……射命丸、さん?」
記憶を必死に辿る。すると、彼女にはあまりいい感情を抱いていないことを思い出した。前の澪は嫌悪感丸出しだったけど、私はこの人のことをどう思うんだろうか。
「あいや、しばらく。この前会ったとき、自己紹介はしましたかね?」
「ううん。私はミオ・マーガトロイド。よろしく」
「射命丸文です。射撃の射、人命の命、丸薬の丸、そして文章の文です。新聞記者なんぞをやっております。今回はこんな場所でなんですが、取材に参りました」
ご丁寧にどうも、と私は頭を下げた。空中だから体ごと回転させる格好になっちゃったけど。
「ではでは、ミオさん、お時間よろしいですか?」
「あんまり長いのはダメだよ」
「いえいえそうお時間は取らせません」
彼女の返答を聞いて、私は頷いた。
「ありがとうございます。では、最初の質問ですが、彼氏さんができたのですか?」
「できたよ~」
「おめでとうございます。……では失礼をば。かなり深いところまで聞かせてもらいたいのですが、構わないでしょうか?」
うなずく。
「では、遠慮なく。ミオさんは解放団に酷い目、つまり性的虐待も受けておられたようですが、彼を前にしたとき、怖くはなかったのですか?」
反射的に攻撃しようとする気持ちをこらえ、私は頷いた。ホントに失礼な質問されるとは思わなかった。
「ほう、ほう? 詳しくお話願えますか?」
「解放団にされたことと、恋人とすることは、違うよ」
「違う、といいますと?」
「解放団は、気持ちよくなるために、私をオモチャにして遊んでただけ。でも彼とするときはそうじゃない。だよね?」
同意を求めるように話を振ると、射命丸はもちろん、と言って頷いた。
「素晴らしい考えだと思います。割り切れているのですか?」
「それは、まだ、付き合ったばかりだからわからないけど。でも、もしその時が来たら、私は、解放団と彼を重ねてしまう……のかな」
わからなかった。答えは見えない。
「ふむ、それでも付き合うということは、彼を信用しているということですか?」
頷く。
「……ふむふむ。では、最後の質問です。幻想郷には、慣れましたか?」
「もちろん! 怖い人もいるけど、みんないい人だよ!」
私の答えに満足したのか、満たされたような顔で彼女は何度も頷いた。
「それはそれは。では、失礼します」
そう言って、射命丸は風のように飛んでいった。一瞬で、もう米粒みたいに小さくなっている。
「……不思議な人」
それで済ませてよいものか。正直なところ疑問だけれど、もう射命丸がどこにいったかすらわからないのだから、考えても仕方ないだろう。
私は気を取り直して永遠亭に向かって進路を取る。今度はなんの邪魔もなく、ちゃんと永遠亭の庭に降り立つことができた。
「ミオちゃん、おはよう!」
「おはよう、望君!」
私が永遠亭に降り立つのとほぼ同時、望君がかけよってきた。抱き締められるかな、なんて思ったけど、思ったよりも距離をとっていて、ちょっとだけ寂しく思う。
「ね、ねぇ、ミオちゃん。今日も蹴鞠、する?」
望君は恥ずかしそうに、後ろ手に回した手を前に持ってきた。その手には、昨日も使った蹴鞠があった。
「うん!」
私は笑顔で頷いた。
それからしばらく、私達は蹴鞠を楽しんだ。
「ふぅ……、疲れちゃった」
蹴鞠を思う存分楽しんだ私達は、縁側に座って休んでいた。私は息一つ切らしていないけど、望君は肩で息をしている。
「もう十回も続いたよ、すごいよね」
昨日はできても六回が限度だったのに、すごい進歩だ。
「うん、大変だったけど、楽しいね」
「うん、すっごく楽しかった。望君、大丈夫?」
あんまりにもしんどそうだったので、心配になってきた。
「大丈夫大丈夫。ミオちゃんは疲れてない?」
「全然」
むしろもっと遊びたいと思う。
「やっぱりすごいなぁ」
「そう? 私は望君の方がすごいと思う」
疲れ果てるまで頑張るなんて、人間だったころの私にはできないだろう。というか、ずっと疲れてた状態だったし。
「いや、ミオちゃんの方がすごいよ」
「ううん、望君の方が」
「ミオちゃんだよ」
「望君」
「ミオちゃん」
「望君!」
「ミオちゃんだってば!」
「望君だって!」
「僕よりミオちゃんのほうがすごい!」
「私より望君のほうがすごいよ!」
そんなふうに、何度も何度も馬鹿みたいに『相手のほうがすごい』と主張し合う。
そうやって言ってると、なんだか可笑しくなってきた。
「うふふ……あはははは!」
耐えきれなくなって、大笑いする。
「ぷっ……。あははは!」
望君も釣られて、大笑いする。縁側に、私達の朗らかな笑いがこだまする。
「あー可笑しい。もう、どっちもすごいでいいや」
「そうだね。でも、なんだか言い合っているときも楽しかった」
「そうだね、あっははは……」
楽しい。ただ笑あっているだけなのに、すごく満たされる。すごく、安らぐ。
「ねえ、次はお手玉しよ?」
「うん! 輝夜も一緒に、みんなで遊ぼう! 輝夜起きてる?」
望君は頷いた。
「おーい! 輝夜ー! あそぼー!」
私は日が暮れるまで、永遠亭で過ごした。
夜になってから住処に帰り、永琳にもらった血液パックをパパとキアにあげると、私は早々に眠った。
夢の中で、私ともう一人の私がお茶を飲んでいた。私達の間には、小さなちゃぶ台があり、そこには湯気の立ち上る湯のみが置いてある。
それら以外が全て黒の空間で、私ともう一人の私は会話を交わす。
「蹴鞠、お手玉、わらべ歌、じゃんけん、あっち向いてほい……すごく原始的な遊びばかり」
「何がダメなの? というか、全部高度な遊びじゃない。本当に原始的な遊びは、まだやってないよ」
もう一人の私は、不思議そうに顔を傾けた。
「じゃあ、あなたにとって原始的な遊びって、なに?」
「エッチなこと」
もう一人の私が固まったように動きを止めた。
「……淫乱」
「うるさい。紛れもない事実でしょ? お互いの身体があればできるんだから」
「変態」
「あのね?別に私は望君とそういうことをしたいってわけじゃなくて、一般的な話をしてるの」
「子供が考えることじゃない」
はん! と私は鼻で笑った。
「あなたがそれを言う? 『子供が考えることじゃない』って、本当に子供が考えることかな?」
彼女は押し黙った。
「あなたも私も、どんなに望んでも願っても、普通の子供になんてなれないの。わかってるくせに」
「普通の子供になる方法はある」
私は訝しげに彼女を睨む。
「私が生まれた方法と同じことをすればいい」
「んなことできるわけないでしょうが」
元々、私ともう一人の私は、分かれたくて分かれたわけじゃない。ある日、虐められている自分を、私が見ていた。魂だけが、離れているような、そんな感覚だった。私の身体は死体か脱け殻のように無反応で、そんな私をパパが楽しそうに、気持ち良さそうにいじめていた。その様子を、私はまるで遠い世界の出来事のように眺めていた。
そんな感覚を何度も何度も何度も味わっているうち、無反応だった私の身体が、私が動かしていないにも関わらず動き、反応し、泣き叫んだ。思えば、あれが今目の前にいるもう一人の私の雛形だったのだろう。
「できるはず、もう一度」
「もう一度パパに虐められろって? 私が!? どれだけ苦しいことかわかってるのに、そんなこと言うの!?」
「……ごめん」
いくらなんでも言いすぎたと自覚したのか、彼女は意見を引っ込めた。呼応するように、私も怒りを収める。
「そもそも、普通の子供になる意味なんてないの」
「なんで」
「もう、私は私として幻想郷のみんなや美沙お姉ちゃん、望君に認識してもらってる。この状態で普通の子供になんかなったら、みんな戸惑うよ」
「……」
幻想郷の皆は、私が私でいるだけで喜んでくれる。だから、今のままで頑張ればそれでいいはずなんだ。
「わかった。その点に関しては、もう何も言わない。でも、あなたも望君と駆け足で仲を深めないで」
「……うるさい」
そう言った直後、私は目が覚めた。