眷属作りと私
住処につく頃には、もうすっかり夜になっていた。家に帰ると、キアが心配そう駆け寄って来た。
「マスター、大丈夫ですか? その、何があったのですか?」
「なんでもないよ。ありがとうね、キア。……ねえ、そろそろ吸血鬼の力が欲しくない?」
冷たい床に座って、キアに聞く。望君の前では態度にも表さないよう努力していたけれど、乾いて乾いて仕方がなかった。問答無用で喰らいついてやろうか、なんてことも思ったけど、同意もなしに吸うのでは、化け物とそう変わりはない。それに、もしそんなことをしたことが望君に知れたら、嫌われるかもしれない。
「え? あー……。お願いしてもいいですか?」
キアは驚くほど簡単に首肯した。
「いいの?」
「はい。お願いします」
彼女の真意は知れない。吸血鬼の力を使って読もうかとも思ったけれど、してはいけないことのように感じた。
「わかった。じゃ、パパ。外に出て待機してて」
私が命じると、パパは驚いたような顔をした。
「おや? 見せてくれないのかい?」
「誰が見せるか聞かせるもんか。ほら、早く!」
パパは肩をすくめると、急ぎ足で出て行った。それを確認してから、私はキアに向き直る。
「……キア、服脱いで」
「へ? どうしてですか?」
「その服、アリスに貰ったやつでしょ? 血で汚すわけにはいかないよ」
キアが着ているのは青いグラデーションがかかったワンピース。可愛くて、キレイ。この服を血で真っ赤にするのはあまりにもったいたない。
私が言うと、キアは渋い顔をした。
「やっぱり、汚れますか?」
「痛くしないから大丈夫。ほら、早く」
キアは恥ずかしそうに顔をうつむける。
「向こう、向いててくださいますか?」
なんで? そうも思ったけれど、とりあえず今は要望を聞き入れてあげる。私はキアとは反対の方を向く。しばらくして、衣擦れの音が聞こえてきて、服を畳む音がした。
「……どうぞ」
裸になったキアの方に向き直る。彼女の横には綺麗に畳まれた服が置いてある。彼女は恥ずかしそうに胸と局部を手で押さえている。じっと、舐め回すように彼女を見る。
キアの体は傷ひとつついておらず、これまでの人生でなにひとつ苦痛を経験したことがないことを伺わせる。
私も輝夜に貰った上着を丁寧に畳んで床におく。
「……っ」
キアが、ショックを受けたような顔をしたあと、息を飲んだ。私の腹部や胸部など、外からは見えないところに無数に刻み込まれた痕に衝撃を受けたのだろう。
「どうしたの?」
「ま、マスター、き、傷が」
「ここにくる前のだから気にしないで」
傷、といっても普段は目に入ることがないようなものばかり。誰かに私が虐待されていることをバレないようすにするための『配慮』なんだろう。
普段は見えない。だから、もう私は気にしないことにした。
「キア」
彼女の名前を呼ぶ。命じられたわけでもないのに、彼女は許しを乞うように膝をつき、胸の前で両手を組んだ。まるで神様にお祈りしてるみたい。彼女は微笑むと、目を閉じた。
「私は、マスターのまことの下僕となり、一生をあなたに捧げることを誓います」
「……なんで?」
思わず、聞いていた。だって、キアは私に無理やり奴隷の身分に落とされて、不満だって山ほどあるだろうに。それなのになんで一生なんて言うのだろう。
「誓いの言葉があった方が、雰囲気出ますよね?」
「そうじゃなくて。なんで私に一生なんてかけるの?」
しばらく彼女は黙っていた。それから、ゆっくりと、言葉を探すように口を開いた。
「……マスター。私は、本当に悪い事をしたと思っているのです。幻想郷から出るために、マスターの心や、罪のない子供達を無茶苦茶に踏み荒らした。そんなこと、許されることではないのです。最初は戸惑いましたが、奴隷の身分に落とされて、ようやく、私は償いができると思ったのです」
償い。たしかにキアのしたことは悪い事だろう。けど、私の奴隷になることが贖罪になるのだろうか。
「マスターになら、もう何をされても構いません。煮るなり焼くなり、好きになさってください」
そう言って、キアは微笑んだ。
「……そう。後悔しても、しらないよ」
「わかっています。私の心はマスターと共に」
私は彼女に近付いて行って、首筋を撫でる。
「んっ……」
くすぐったそうな声がキアから漏れる。
「悪いようには、しない」
そう言って、噛み付く。
「あっ」
牙が皮膚を突き破り、血があふれるように流れ出る。必死で飲むけど、どうしてもこぼしてしまう。ぴちゃぴちゃと、ともすれば淫らに聞こえる水音が、二人きりの空間に響く。
「ゴク……コク」
この世のものとはおもえないほどの快楽が、私を包み込む。口から彼女の血を取り込み、その血液は私を際限ない幸福へと引き上げてくれる。
「あ……っ。んっ」
私が血をすすると、喘ぎ声のような声が彼女の口から漏れる。扇情的な声に、ゾクゾクと背筋から理解しがたい衝動が湧き上がってくる。
キアの手が動き、逃がさまいとするように私の後頭部と背中に当てられ、ゆっくりと、抱き締められる格好になる。
「あ、ああ……」
キアの肌を、沢山の血液が流れ伝う。私も興が乗ってきて、彼女を飲むペースを少しだけ上げる。
「………あっん……。マスターぁ……」
どんな甘いお菓子より、どんな上等なフルコースより、彼女の血液は素晴らしいもののように感じた。この快楽のために、私はどこまで堕ちてしまえるのだろう。キアの心を作り変え、キア自身に『自分はマスターに血液を供給するための存在だ』と思い込ませるくらいはするかもしれない。
そしてそれは、今の私にとってとても甘美な策だった。このまま、完全に支配してしまったら、この快楽がいつでも手に入る。
「ん……。おいしいよ、キア」
心中に秘める悪意を隠し、まるで睦言を交わしているかのように言葉を発する。
「あ、ぁ……」
だんだん、キアの反応が薄くなってくる。血が少なくなって、気が遠くなっているのだろうか。たしかに、ずいぶんと飲んでしまった。そろそろやめてあげないと、眷属にする前に吸い尽くして殺してしまうかもしれない。
「……ま、マスタぁ……」
その声を最後になんの声も聞こえなくなった。もしかして吸いすぎたのだろうか。背中や頭にあった手も、だらしなく地面に落ちている。彼女の首から口を離し、少しだけ距離をとる。すると、彼女はパタリと横に倒れこんだ。
首から胸元、太ももにいたるまで何本もの細い血の川が彼女の肌にできている。そんな彼女が死体のように倒れている姿は、犯罪的な様相を示している。
「……う、ん」
しばらくして、やっとキアは意識を取り戻した。
頭を起こし、顔をこちらに向ける。彼女の瞳は私やレミリア、フランと同じように燃えるような真紅だった。
「……マスター?」
「汚れてる血、自分で吸収してね」
「え、あ、はい」
彼女はしばらく力んだり首をかしげたりしていたが、あるとき何かに気付いた表情になり、目を閉じた。すると、彼女の肌を濡らしていた血液が全部、キアの中へと吸収された。
「よくできました」
「ありがとうございます」
キアはいそいそと服を着て、正座して私を待っている。
私は上着を羽織ると、外へと続く扉を開ける。外ではパパが暇そうに月を見上げていた。
「終わったかい?」
「うん」
「気持ちよかった?」
「キアは気持ち良さそうだった」
そう言って、パパを手招きする。
「君は?」
「あんまり」
「へえ」
パパが楽しそうに笑う。
「キアはパパより立場が上なんだから、ちゃんと彼女を敬ってね」
「はいはい」
パパは肩を竦めて私の方へとやってくる。パパを住処の中へ招き入れると、扉を閉める。
「私はもう寝るよ。キア、パパ、二人とも、喧嘩しないでね。それから寝ている間の私に攻撃しちゃ、ダメだから」
そう言って、私は横になる。今日は疲れた。いろんなことが起こったから。
睡魔はすぐにやってきて、私は簡単に眠った。
夢の中で、私は私と話していた。
「……幸せ?」
なんの感情も感じさせない表情、声色。顔の造形は私と変わらないけれど、瞳の奥はどんよりと濁っている。彼女は、分かたれた私のもう一つの人格。本来なら昼夜でもわかれているのだけど……統合したのかな。
「幸せだよ。彼氏もできたし、召使いもいる。幸せ絶好調」
私は笑うけど、もう一人の私はいい雰囲気をしなかった。顔は一ミリも変わっていないけど、雰囲気が若干険悪になった。
「恋人同士ということは、いつかきっと彼と」
「わかってるよ。でも彼、可愛いし、いざというときはカッコいいし、それに、私と同じようなこと経験してるし」
私がそう言うと、彼女の雰囲気が固くなった。相変わらず表情は無表情のままだけど。
「いつか、御陵臣にされたことを彼とするの?」
私は肩を竦めた。
「かもね。でもしないかもしれない。それに、してもいいと思えるかもしれない」
気に入らないことがあるはずなのに、彼女は眉ひとつ動かさない。舌打ちすらしない。
客観的に見てみると、よく幻想郷の皆はこんな私に付き合ってくれたものだ。私は、もうそろそろぶちのめそうかな、なんて考え始めてるというのに。
「私は、そんな淫乱じゃない」
私は鼻で笑った。
「私だってそだよ」
「それなら」
「あなただって、知ってるはずだよ?」
私の言葉に、もう一人の私は押し黙った。
「あなただって私。私だってあなた。それなら――私達がされたことと、これから先の未来にいつか彼とすることとは、全然、まるっきり、何もかも違うってことくらい、わかってるはずだよ」
彼女は反論してこなかった。
「それでも、納得できない」
「なんで」
「私は魔理沙が好きだから」
いきなり、何の脈絡もなしに理解できない言葉が飛び出した。
「は?」
「あなたは私、私もあなた。それなら私が魔理沙を特別に想っていることもわかるはず」
「あのね。魔理沙は女の子だし、魔理沙だって女の子同士で恋する趣味はないって言ってたじゃん。脈なしだよ」
輝夜も言ってたし、同性同士の恋そのものを否定したりはしない。
「……それも、知ってる」
「なら」
「想いは届かない。だからと言って他の誰かに乗り換えるなんてできない」
私は肩を落とした。
「そうだけど。でもいいじゃん、あなたはどうせ出てこれないんだから」
彼女は首を振った。
「今日、チャンスはあった。でも体のコントロールを奪わなかったのは。あなたを尊重したから」
だから、今度はこちらが尊重しろと、そう言いたいのか。
「私は、私の生きたいように生きる」
なにか、変なことだろうか? 私の体は私の物だ。誰と恋しようが私の勝手だ。
それに、この恋心はようやく見つけた気持ちなんだ、そう簡単に消してたまるか。
「私だって。魔理沙への気持ちは、否定させない」
「……平行線だね」
「仕方ないから、今は、許す。でもいつか、私だって外で動き回りたい」
私と彼女の会話は、そこで打ち切られた。
誰かが、私を起こそうとしている。
「……じゃあね」
私は無表情で佇む彼女にそう言い残すと、目を覚まそうとする。
「忘れないで。彼だって、男なんだから」
苦々しげに吐き捨てるもう一人の私の姿を最後に、私は夢の世界から目覚めた。