引取り人不在と私
アリスの家に帰ると、アリスはランチバスケットからパパを取り出し、人形状態からパパを解放した。
「うわっ!……酷いなぁ、アリスさん、それに澪」
しばらくパパに何もしていないからか、パパはかつての口調を取り戻していた。
「酷くないわ。キア、いる?」
アリスが呼ぶと、寝室のからキアが怯えた様子で出てきた。
「あ、お帰りなさいませ、アリス様、マスター」
「お留守番できた?」
私が彼女に歩み寄って聞くと、キアはゆっくりと頷いた。
「はい。今日は誰もここを訪れませんでした」
「よくできました。しゃがんで」
私はキアをしゃがませると、その頭を優しく撫でた。
「ご褒美。よし、よし」
心地よさそうに目を閉じるキアを見ていると、何か小動物の相手をしているような錯覚に陥る。でも、どうして彼女はこんなにも安らいだ表情をしているのだろう。もしかして、私に触れているうち、心が作り替わってしまったのだろうか。……私が、作り変えてしまったのだろうか。
「それにしても」
罪悪感を感じるのもそこそこに、キアとの交流をしていると、後ろから随分元気になったパパが声をかけて来た。キアの方を向いたまま、パパに聞く。
「ん? なぁに、パパ」
「僕とキアを下僕にしている気分はどう?」
「悪くはないよ」
私が絶対的に上位で有利なはずなのに、ついつい警戒してしまう。条件反射というやつだろうか。
「へえ、へえ。幸せそうだね、澪は。下僕に、親友。友達に、家族。ふふふ、君の前から最初にいなくなるのは家族かな、やっぱり」
「パパ、反省してないの?」
私は心に黒いものを感じずにはいられなかった。アリスが、死ぬ? ふざけないで。
「御陵臣。次何か言ったらその首吹き飛ばすわよ」
アリスの鋭い脅しを、パパは肩をすくめて軽く流した。
「いいの? 娘が復讐を諦めたのに、アリスさんは自分の衝動のまま、僕に危害を加えていいのかな? 小さい子に示しがつかないんじゃない?」
アリスは何も言わなかった。何をしているの、アリス。早くやっちゃってよ。パパの戯言に付き合う必要なんてないんだよ?
何もアリスが言わないことが、さらにパパを調子に乗らせた。
「……ねぇ、澪。もし、アリスさんが死んだら……また、君は彼女を処理するのかい? 吸血鬼なんだから、もっと抵抗は少ないよね」
「黙れ」
私の命令に従って、パパは口をつぐんだ。
「何も、しゃべるな」
ふと、キアの方を見ると、彼女は怯えたように涙目で私を見ていた。
「……ミオ、処理って、何?」
アリスが、戸惑った様子で聞いてきた。
「聞かないで!」
自分でもびっくりするほど、大きな声だった。ちょっと叫んだだけなのに、額から汗が流れてくる。
「ミオ。もうあなたがどんな目に遭っていたとしても驚かないわ。だから、心の整理がついたら、話してね。それまで、私は何も聞かないわ」
「……うん」
アリスの言葉を聞いて、私は心の底からほっとする。疑問の種がアリスに生まれてしまったけれど、きっと無理に聞いてはこないだろう。
「マスター、どうかなさったんですか?」
「いい子ね、キア。あなたは気にしなくていいの」
まるで子猫を可愛がるように、キアの頭を撫でる。撫でれば気持ちよさそうに目を閉じるものだから、さらにその愛玩動物の雰囲気が強調されている気がする。
「今度首輪つけてあげようかな」
「ふえっ!?」
驚いたように、キアが肩を跳ねさせた。
「ごめんごめん。冗談」
そうやって私は微笑んだけれど、半分は本気だった。私の思い通りになる私のペット。キアをそんな風に見てしまっているのかもしれなかった。それはいけないことなのだろうか。キアやパパが私にしたことよりも、酷いことなのだろうか。
「パパ。もう喋っていいよ。ただし、さっきの続き、ママの体について何か話そうとしたら、舌を噛んでね」
そう許可を出すと、後ろの方で楽しそうに笑う声が聞こえた。私はムカムカとした気持ちを感じながら、パパの方を見た。
「キアはペットじゃないんだよ?」
まるで私を見透かしたかのような物いいに、私はさらにパパへの悪意を増幅させた。
「いいじゃん。眷属なんだから、好きにしても」
「ミオ」
アリスに止められて、私はもやもやとしたものを抱えながらも頷いた。
「わかったよ、アリス。それで、今日もそのごちゃごちゃうるさいパパと同じ家で寝るの?」
確認するように、アリスに聞いた。
「……仕方ないじゃない、心の底から嫌だけど、引き取り人いなかったんだから」
「アリスは、紫と幽香以外に候補はいる?」
彼女はしばらく顎に指を当てて悩んでいた。それおもむろに頷き、苦々しい顔をして言った。
「いないわ」
「そう」
責めることはできない。だって、そもそも身内の不始末なのだから。というかパパを他人に押し付けようとしていたところから、間違っていたのかもしれない。パパは私が管理してあげるべきなんじゃないだろうか。でも……正直なことを言わせてもらうなら、一緒に生活なんてしたくない。一度は引き取ると言ったものの、ここまで反省の色がないとは思わなかった。
パパは一体どうすれば反省するのだろう。普通の人になるのだろう。わからない。というか、パパを普通にする意味は?このままずっと、私の奴隷じゃダメなのかな。
「アリス姉ちゃん、ここでパパは」
「何度も言ったと思うけど、ダメよ」
アリスは強い口調でそう言った。折れることはないだろうし、ここで説得するのも何か違う気がする。じゃあ、もうこれしか方法はないかな。
「じゃあ、私出ていくね」
「……は?」
呆然と、アリスは私を見た。
「やっぱり家族の不始末は家族がつけないと。パパを引き取るのに、無理強いなんてできないし」
そりゃ、アリスとはずっと一緒に暮らしたい。アリスさえいれば、私は幸せになれるだろう。でも、パパと一緒だとアリスが幸せになれない。それなら、私は。
「私の本音を言うと、そんな奴のために澪が心を砕く必要はないわ。地面に埋めて死んだことにすればいいのよ。そいつには森の養分にするのがちょうどいいのよ」
さらりとそんな言葉が出てくるあたり、よほど我慢しているのだろう。
「ううん、それでも、ほら。約束だし。大丈夫だよ。毎日会いに来るから」
長い間、本当に長い間、アリスは悩んでいた。どんなことを考えているのか、私には及びつかない。
「……条件があるわ」
「何?」
「ちゃんと毎日私の家に来て、無事を確認させて」
私はゆっくりと、頷いた。振り返り、外へと足を動かす。色々、交わしたい言葉はある。けれど、会話を交わせば交わすほど、ためらってしまいそうになる。大丈夫、毎日会うんだ。お別れじゃないんだ。そう自分に 言い聞かせて、アリスの家の扉を開けて、外に出た。
「二人とも、黙ってついてきて」
私が外に出ると、そろそろ日が沈みかけていた。私が振り返ると、名残惜しげにアリスが私に手を振っていた。
「アリス姉ちゃん。また明日。おやすみ」
「……おやすみ。いい、ミオ。復讐と、自己防衛は別よ。襲われたら、遠慮せずやりなさい」
頷いて、私はパパとキアの手をつかみ、背中から翼を生やして、飛び立った。
一気に上昇して、幻想郷を見下ろす。言葉にできない柔らかい気持ちが、胸に生まれる。アリスも、魔理沙も、永琳も、望君も、みんな笑顔を取り戻し始めている。私が守った、幻想郷。私はここで幸せになるんだ。仇と一緒に暮らすのは色々思うところがあるけれど、大丈夫。奴隷二人が手に入ったと思えば、そこまで苦ではない。ないと思い込もう。
私は森の一角を目指して羽ばたく。私が住処にしようとしているのは、かつて解放団が入団の儀式をしようとしていた拷問小屋。あそこなら、誰にも咎められずに過ごすことができるだろう。
私は小屋のそばに降り立つと、二人から手を離して、中を見る。幻想郷のみんながここを調べたのか、鉄の台や拷問道具は全て撤去され、血のあとも綺麗に洗い流されていた。かすかにまだ血の匂いが残っているが、今の私にとってそれはあまり嫌な匂いではないので問題はない。
明かりもない小屋に足を踏み入れると、木の軋む音がする。
「入ってきて」
私が命令すると、キアは顔を青くして、パパは顔をにやつかせながら入ってきた。
「座って」
私が命じると、キアとパパはお互いに距離をとって座った。パパはあぐらをかいて楽な姿勢で、キアは正座で座っている。
「今日はそこで寝て」
ふわぁ、とあくびを噛み殺しながら私は言った。
「私に何もしちゃダメだからね、二人とも」
私は木の床にねそべる。ちょっと固くて寝心地が悪いけど、眠れないことはないだろう。
目を閉じる。眷属二人の息遣いが聞こえてくる。あの二人が、私のもの。そう思うと、少しだけ胸に溜まったモヤモヤとしたものが少しだけ晴れる。
アリス、こんな妹でごめん。
愛しい姉を想いながら、私は眠りについた。
私と奴隷二人の寂しい暮らしが、始まった。