花畑と私
森の中を、アリスについて歩く。日は高いのだけれど、鬱蒼と茂る木々に遮られ、森の中は薄暗い。木漏れ日が幻想的で、思わず見とれてしまう。
そんなふうに道程を楽しんでいる私だったが、アリスは紅魔館を出てからずっと仏頂面だった。レミリアに喧嘩をふっかけたことが逆鱗に触れたのだろうか。
やってしまったことを後悔しつつも、アリスが何かを言うまでは黙っているつもりだった。今何を言っても、言い訳がましく聞こえるだけだし、自分で何かをうまく言葉にできるかどうかもわからない。
レミリアにパパは引き取ってもらえなかった。それなら、次はどこへ行くのだろう。幻想郷の住人全員がパパの引き取りを拒否したらどうしよう。パパのしたことを考えれば、それだって十分にあり得る可能性だ。
もしそうなら、私が引き取って、アリスの家を出よう。
アリスは死んでもパパと一緒に暮らすなんて状況なんてお断りだろう。私だっていやだ。でも、私は曲がりなりにもパパの娘なのだから、家族の不始末はつけないといけない。私が、パパとキアと一緒に暮らせば、万事解決するんだ。
不安ではある。けど怖くはなかった。だって今のパパは私の奴隷で、私に危害を加えることはおろか逆らうことすらできないのだ。だから、大丈夫。
森を抜けると、草原のような広い場所に出た。踏み固められただけの簡単な道の脇には、色取り取りの花が咲いていた。道が終わるところまで歩くと、視界いっぱいにお花畑が広がる。
「いい、澪。ここのお花は摘んじゃだめよ」
「わかってるよ、アリス姉ちゃん」
元々、私には花を摘んだりする趣味はない。花は地面に生えているから綺麗なんだから。
「それから、今から会いに行く人には絶対に喧嘩売っちゃダメよ。レミリアはあれで手加減してくれたけど、そいつはそうじゃないわ。不死だってわかったら酷い目に遭わされるわよ」
これにも頷く。なんだかしっかりものの姉に諭されているような気分になって、思わず顔が綻ぶ。これが、家族なんだなぁ。
「もう、何笑ってるのよ? いい、あのサドの前では真面目な顔を……」
ふわりと、花のいい香りが鼻腔をくすぐった。
「誰が、サドですって?」
気がついたら私の首に、長い指がかかっていた。その指の持ち主を顔だけ動かして見る。目の前にはいつの間に現れたのか、女の人が立っていた。
緑色の髪をショートカットにしていて、花のような美しさを持つ顔には、パパみたいな嫌な笑顔が浮かんでいた。
「私はフラワーマスター、風見幽香よ。小さな吸血鬼さんは、なんていうのかしら」
ごく普通に自己紹介されたけれど、まだ凶悪そうな指先は私の頚動脈にかかっている。ちょっと力を入れられるだけで、締まってしまうだろう。
「ミオ・マーガトロイドだよ。仲良くしよーね」
つとめて明るく笑いかける。すると、幽香は面白そうに笑みを深くした。
「面白い子ねぇ、アリス。脅かして笑いかけられたのは初めてよ。ねえミオちゃん。怖くないのかしら?」
私の首から指を離して幽香が聞いて来た。私は子供らしくアリスの後ろに隠れた。まあ、怖がっていないのはバレバレだろうけど。
「ああやって脅されるなんて日常だもん。死にたくなければ服を脱げっていうのが王道コースだね」
「そんな王道はないわ」
幽香にごく普通の反応をされてしまった。あれ? サドじゃないの?
「あなたにそんな常識的な反応されるとは思わなかったわ」
アリスも不思議に思ったようで、私を守るようにかばいながら聞いた。
「あのね。私をなんだと思ってるのよ。そりゃ私はドSで外道で鬼畜を自認してるけど、いくらなんでも子供相手にはやらないわよ。というかそもそも私、実害与えるの好きじゃないし」
なんだか、性質だけを切り取れば幽香はパパと気が合いそうなんだけど、よく話を聞いてみればそんなことは全然なかった。
「どうして? サドの人って人が泣き叫ぶ姿を見るのが大好きなんでしょ?」
はあ、と幽香はため息をついた。
「わかってないわね。好きな人が自分の責めで『困ってる』のを見るのが好きなのよ。ていうか実害与えたら感情鈍麻とか精神異常とか感覚変化とか、ロクなことにならないわ。でしょ?」
幽香が同意を求めるようにアリスに目配せすると、アリスはしばらく考えてから、ゆっくり頷いた。
「さっき首に指かけたのだったて、『や、やめてください』とか言って困ったような顔が見たかっただけよ。それに、私はあんたの父親ほど突き抜けて変態じゃないわ」
ドSで鬼畜で外道を自認するような人にパパが異常だと言われた。なんだか複雑な心境。
「それで、こんなところに何か用かしら、アリス」
「件の御陵臣をあなたのところで引き取ってもらえないかしら」
「お断りよ」
予想はしていたけど、やっぱりかぁ。
「参考までに、なんでダメなのかしら」
「なんで大罪人と暮らさなきゃいけないのよ。ただでさえウチのペットが何人か攫われて肉塊になって帰ってきたんだから」
ペット、なんて言い方の割には、その言葉は悲しみに満ちていた。大切にしていたのだろうことは、簡単に予想がついた。
「じゃあさ、幽香」
怒られるかな、と思いながらも私は言わずにはいられなかった。
「ん?」
「復讐しない?」
「……していいのかしら」
頷く。
「パパに対しては何してもいいよ。吸血鬼だから何しても死なないから、好きなだけ好きなことするといいよ」
「パパ、ねぇ」
幽香が面白そうにつぶやいた。
「そうそう。できればでいいんだけど、何も感じなくなるまで痛めつけてほしいかな? こう、生きながらに煉獄に突き落とすような感じで」
私の言葉に、幽香は楽しそうに片眉を吊り上げた。
「そのパパに……ね、可哀想に。アリス、この子なら引き取ってもいいわ。私好みに育てるけど」
アリスは呆れたように首を振った。
「許すわけないでしょうが」
「そりゃ残念。身に余る幸福や快感に戸惑うこの子が見たかったのに。まぁ、そうね。やっぱりあんたとこが一番じゃない?」
幽香は手に持った傘を広げた。端がレースになっている可愛らしい日傘は、幽香のミステリアスな雰囲気をさらに綺麗に演出していた。
「どういうこと?」
「その子、復讐かなんかさせて発散させないといつかぷっつりとどっか切れちゃうんじゃない? まあもう半狂半壊ってところだけど」
花吹雪が舞い、幽香の体を包んでいく。
「アリス、その子は大変そうだけど頑張ってね。その子が壊れるか幸せになれるかは、全部あなたにかかってるんだから」
花吹雪が消えると同時に、幽香の姿もなくなっていた。まるで花の幽霊みたいな人だった。
「……不思議な人。それで、アリス姉ちゃん。次、どこへ行くの?」
色々と戸惑ったまま、アリスに聞く。
「そうね」
そうアリスがつぶやいた瞬間、目の前の空間が歪んだ。まるでハサミで切り取ったかのように空間に穴が開いた。その穴の中には山のような数の目玉がこちらを睨んでいた。
「……?」
にゅるり、と。その穴から女の人の手が二本生えてきた。その手は私とアリスを掴むと、穴の中に引きずり込んだ。
「きゃっ!?」
紫色の空間に、無数目が浮かんでいる。私をじっと、穴が空くように見つめている。右を見ても左を見ても、無数の目。見られているだけなのに、私は不安定になっていく。
「な、なに? なんなの?」
戸惑いと共に周りを見回すと、アリスが私と同じように謎の空間で浮いていた。
「アリス姉ちゃん大丈夫!?」
私が大声で聞くと、やはり大声で答えが返ってきた。
「大丈夫! ここはスキマと言って、紫の」
ゆかり?
「やっほー! みんなの八雲紫ちゃんでーす!」
戸惑っていると、十四歳くらいの少女が無駄なまでにハイテンションで、紫色の空間を裂いて現れた。少女趣味というのか、とにかくフリルを多用したドレスのような服を着て、ピンク色の可愛らしい日傘を持って、ニコニコと楽しそうに笑っていた。
「……やくも、ゆかり?」
わからなかった。私の記憶にある八雲紫は確かに総じて精神年齢の高かった会議では子供っぽい受け答えをしていた人だ。けれどここまで酷かっただろうか? いや、酷いなんて言い方は可哀想なんだろうけど。
「はい、紫ちゃんです」
「自分のことちゃん付けで呼ぶのを許されるのは小学生までよ」
アリスが謎の空間を泳いで、私のそばまでやってきた。
「え、私許されるの?」
私と紫、どちらもアリスに聞き返した。
「ミオなら、許されるでしょうね。紫、あんたはダメよ」
「えーそんなー」
紫は不必要なまでに残念そうな顔と身振りで、感情を表現した。なんだろう、オーバーな人だなぁ。
「で、いきなり何の用よ」
漫才もそこそこに、アリスが鋭い口調で聞いた。対する紫はまだ満足していないのか、キャーキャーとはしゃぐようにアリスに抱きついた。
「アリスに会いたかったの~! 愛してるアリス~!」
「はいはい。で? 本題は?」
アリスは紫を力づくで引き離しながら聞いた。
「本題? ミオちゃん以外にあるわけないでしょ? 今幻想郷はミオちゃんで湧いてるんだから」
ふふふ、と楽しそうに紫は笑った。
「私の話題?」
「そうよー。あなたがどんな人かとか、どんなことをしたか、とかね。まるでアイドルみたい。特に人里とかだとその傾向が強いみたいねぇ」
私が、アイドル? いやいやいや!
「そんな嘘に騙されないよ!」
「嘘じゃないのよね~」
そう言って、紫は指を動かした。するとこの空間に切れ込みが入り、その切れ込みからは畳の部屋が見えた。紫はその切れ込みに手を突っ込んで、何かを探すようにまさぐる。目的の物が見つかったのか、満足したような顔をすると、手を一気に引き抜いた。
「じゃじゃーん!」
自信満々に彼女が取り出したのは、新聞だった。私は嫌な予感がして、それをひったくった。
「ああっ! ……でも、読めないでしょ? 難しい字がいっぱいあるから」
「大丈夫」
とは言ってみたものの、全然大丈夫じゃなかった。『文々。新聞』と書かれた新聞の一面には、私の写真付きの記事があった。しかも、ざっと読む限り解放団が壊滅したときのことだけど……情報古くない?
「なにこれ?」
「何って、あなたが八面六臂の活躍をした時のことよ」
「いや、そうじゃなくて。なんで日付今日のなのにその時のことが書かれてるの?」
私が疑問を口にすると、紫はそうかそうかと相槌を打った。
「あなた現代っ子だったわねぇ。この世界、文化レベルが結構独特でね、新聞に関しては外でいう黎明期の頃の形態なのよ」
わからないことだらけだった。
「簡単に説明すると、最初の新聞っていうのは情報の新しさ、正確さよりも面白さが重要だったのよ。新聞にエンターテイメントじゃなくて正確性や速度が求められるようになるのは、小説とかが発達してからのことよ」
いつの話をしているのかさっぱりわからなかった。歴史は全く勉強していなかったせいか、昔の話をされると頭の理解を簡単に離れてしまう。
「……それで、こんなの見せてどうするつもりなの?」
あまりに本題に入らない紫に痺れを切らしたのか、新聞を指さして聞いた。
「実はね、私、ミオちゃん見に来ただけなの」
「は?」
予想外の回答に、私もアリスも呆然と声をあげることしかできなかった。
「あのねぇ、今の幻想郷に、本題、とか大層な名前をつけるくらい重要なことなんてないわよ。少なくとも私には、幻想郷のアイドルと会う以上の事はないわね」
言い切る紫を、ちょっとかっこいいと思った。そう思って、その考えを頭から追い出そうと頭を振る。何を世迷言を考えているのだ。
「……まぁ、いいわ。それで、実際会ってみてどうなの?」
アリスの問いに、紫は肩をすくめて答えた。彼女が私を見る目に、哀れみの色が濃くなる。
「ずっと見てたけど、可哀想すぎて何度泣きそうになったかわかんないわ。子供は親を選べない、ってことかしらねぇ」
「私は見せ物じゃないよ?」
ちょっと棘のある言い方だったけど、罪悪感はわかなかった。
「あら、気を悪くした? ごめんね、悪気はなかったんだけど。お詫びにね、誰も傷つかない解決方法を思いついたから教えてあげる」
解決、方法?
「どうせロクなもんじゃないでしょ」
期待を寄せる私とは違い、アリスは懐疑的だった。もしかしてこういうことで紫が失敗するのはよくあることなのだろうか。
「記憶を消す、ってのはなしよ。わかってると思うけど」
「わかってるわよ。じゃ、発表しまーす! 本日初公開、ミオちゃん回復計画の全貌は……ズバリ、恋愛!」
度胆を抜かれた、というのはこのことを言うのだろう。単語に対する驚きだったり紫に対する哀れみだったり喜びだったり悲しみだったり、いろんな感情を感じすぎて、わからなくなってしまった。ふと、一瞬だけ望君を思い浮かべた。
「は?」
私は、紫に何度言っただろう言葉をまた繰り返し発した。




