吸血鬼同士のケンカと私
紅魔館に辿り着くと、私たちは謁見の間に通された。豪奢で悪趣味な玉座に座り、紅魔館の主レミリア・スカーレットはその愛らしい容貌に邪悪な笑みを浮かべていた。彼女の後ろ、玉座の影には十六夜咲夜が無表情で侍っていた。
「いらっしゃい。噂はかねがね聞いているわ。幻想郷のヒーローさん」
「ヒーローなんてガラじゃないよ。家族の不始末に方をつけただけ」
私は手を振って軽く否定した。レミリアは驚いたように目を丸くした。
「あなた、そんなに表情豊かだったっけ?」
「ううん。ついこの間表情を取り戻したばかり」
レミリアは興味深そうに私をしげしげと眺めた。
「ふうん。面白いわね。吸血鬼としての力も十分あるみたいだし。噂によると眷属作ったみたいらしいけど、どうなの、そこんとこ」
頷く。
「キアっていう子」
「女の子?」
「うん。ちょっとしたことで怯えた顔して、とっても可愛いよ。また今度貸してあげようか?」
私が微笑むと、レミリアは渋い顔をした。
「私は他人のお古で満足なんてできないわ」
にっと、私は笑みを深くした。
「私はできるよ。ゲーム、漫画は中古で買う世代だしね。今度咲夜貸してよ」
「咲夜は眷属じゃないわ。そうだったとしても貸さないし。私、一度手に入れたものは手放さない主義なの」
私は少しだけ驚いた。こんな大きな屋敷に住んでいて、眷属が一人もいないんだ。珍しいんじゃないだろうか。
「にしても、あなた、吸血鬼ライフを楽しんでいるようね。よかった。まぁ、でも……」
「?」
レミリアは玉座を降りて、私のそばまできた。レミリアの真紅の瞳が近づいてくる。
「変われば変わるものね。無表情で怖がりだったあの子がねぇ。それに、超がつくほどのお人よし、って聞いてたけど、全然違うじゃない」
私はにっこりと微笑みかけて、レミリアの頬に手を添えた。
「うん。昔と違って、今の私は吸血鬼だよ。うわ、すごいお肌すべすべ」
絹をさわっているかのような気さえしてくる。
「吸血鬼なんだから当たり前でしょ? 容姿体型は意のままよ」
「それは知らなかったなぁ。もう大人になれないと思ってたけど、そうでもないの? それならよかった」
「また今度一人でおいでなさいな。力の使い方レクチャーしたげる」
「うん、また遊びにくるよ。今度はキアもつれてくるから一緒に遊ぼ」
「ちょ、ちょっと」
私とレミリアが会話に花を咲かせていると、アリスが戸惑ったような声を上げた。
「あなたたち、私を置いてけぼりにして吸血鬼トークしないでよ。それに、ほら、今日は本題があってね」
そう言って、アリスはランチバスケットに手を入れて、何かを取り出した。人の形をしたそれを地面に放ると、それは大きくなってパパになった。
「ぐぁっ!」
「あれ、パパ。いたんだ」
「ぱ、パパ!? こいつが!?」
パパの姿を見て不愉快そうに顔を潜めていたレミリアが、驚いたように私を見た。そういえばレミリア、パパを見たことあるのかな。見たことあるんだろうなぁ、この反応を見る限り。
「そだよ。私、旧名星空澪。そして旧姓が御陵だよ」
私が御陵だったころは、それなりに幸せだったように思う。相変わらずネグレクトとかは受けていたけれど、身体に異常はなかった。当時は何も思わずにパパがママを虐めているところを見ていた。見ろとパパが言っていたから見た。よくも悪くも、当時の私は素直だったから。
「壮絶ね、あなた。で、これがどうしたの?」
パパがこれ扱いされたことでちょっとだけ、本当に僅かだけど心がささくれだった。まあ、パパに相応しい扱いだろう、とは思うけど。
「その、えっと、ね、引き取」
「お土産だよ、レミリア」
引き取ってくれる? と言おうとしたアリスをさえぎり、私は笑った。
「お土産?」
「そ。この前お屋敷に無断侵入したお詫びも兼ねて、パパをプレゼント! 煮るなり焼くなり好きにしていいよ!」
レミリアは顔を引きつらせた。なんだか少しだけ距離が下がったような気がした。
「アリス、どういうこと?」
「どういうことって?」
「いや、幻想郷の英雄って聞いてた子にこんなことを明け透けに言われると……正直、引くわ」
引く? 引くって、何を?
「まあ、とにかく、命令には絶対に逆らわないから、手始めに熱湯風呂に自分から飛び込ませるといいよ! きっとお魚みたいに跳ね回るから。眺めてるだけで楽しいんじゃないかな?」
パパは楽しそうだったから、きっと楽しいことなんだろう。
「……本当、ドン引きよ」
レミリアは乗り気ではないようだ。どうしてだろうか。
「あれれ、気に入らなかった? 何がダメ? 従順すぎるところ? 顔? 身体? 性別?」
ぽん、とレミリアが私の肩に手を置いた。
「やめなさい。父親をそうぞんざいに扱うものではないわ」
何にも知らないくせにしたり顔で説教されて、プッツリと、私の中で何かが切れた。
肩に置かれた手を乱暴に払う。
「うっさいなぁ! 毎日毎日私で楽しんで意味もなく拷問にかけて、心身共にボロボロにする父親って、本当に父親って呼べるの!?」
ハッと、何かに気づいたようにレミリアは一瞬だけ目を見開いた。それから、私から顔をそらした。
「……あなたが?」
「そうだよ! 痛くて気持ち悪くて、嫌だ嫌だ、って言っても許してくれなくて、やめてって言ってもやめてくれなくて、それなのにパパは、気持ちいいくせにとか言ってくるし! あーもうイライラしてきたぁ! パパ、起立!」
さっきから呆然と私たちを見ていたパパに、鋭く命令する。
「どんな罰がいいかな。どんなおしおきがパパにはふさわしいかな〜」
頭の中でパパに与えるべき苦痛を考える。苦痛に顔を歪ませて許しを乞うパパを想像すると、思わず顔がにやけてしまう。
「……でも、やっぱいいや。約束だし。起立のまま待機」
よく考えたら復讐はしたらダメだったんだ。口惜しいけど、素直に諦めることにする。胸の中にドロドロとした気持ちを抱えたまま、パパへの報復を我慢する。
「……アリス、この子、本当に大丈夫なの? 前に来た時の数倍はヤバイことになってるんだけど」
さっきから不思議に思っているのだけど、レミリアはどうして戸惑うのだろう。吸血鬼なんだからそういうこと、好きじゃないのかな。
「レミリアってこういうの好きじゃないの?」
「私だって常識くらいあるわよ」
「え?」
アリスが驚いたように声を上げた。
「何よ」
「常識? あなたが?」
アリスが今にも噴き出しそうな顔をしていた。確かに、レミリアは好き勝手やりそうなイメージがある。
「笑わないでよ。そりゃ、非常識なことばっかしてる私だけど、嬉々とした様子で父親を虐めようとする子が異常だって常識くらいあるわ」
「あははは! 吸血鬼が常識!?」
私は声をあげて笑った。常識だなんてまるで意味がないものを、まさか吸血鬼が語るなんて思わなかった。 最高のジョークだ。
「あのね。吸血鬼をなんだと思ってるのよ。ったく」
レミリアは嫌そうに舌打ちをした。
「レミリアだって結構こういうの好きなんでしょ?」
「あんたと一緒にしないで。私に嗜虐趣味はないわ」
レミリアの嫌悪感丸出しの言い方に、私はむっとした。
「何善人ぶってるの? 何の力もない私を食べようとしたくせに」
ぴく、とレミリアのこめかみに青筋が浮かんだ。
「志願したのはそっちでしょうが」
「性的に食べる意味ってないよね。私がよがるところが見たかったんでしょ? やっぱりレミリアはパパの同類だよ」
私は地面を蹴って後ろに跳んだ。私の首があったところを、レミリアの鋭い爪が通り抜けた。
「こいつの同類? 私が? ここまで侮辱されたのは久しぶりよ。なりたてのひよっこが、誰にちょっかいかけてるのかわからせてやろうかしら」
レミリアの怒気が、こちらまで伝わってくる。私はにやりと笑って、両手を広げる。爪を彼女のように鋭くして、適当に構える。
「ちょ、ちょっと澪、やめなさい」
あわあわと可愛らしくふためくアリスに、私は微笑みかけた。
「ちょっと遊ぶだけだよ」
「言うじゃない。遠慮はしないわ。泣いて謝るまでボコボコにしてやるわ」
底意地の悪い笑みを浮かべて、レミリアは私に向かってきた。
「それは、こっちのセリフ!」
私も真っ向から受けて立つ。戦闘が、始まった。
「……で?」
「うぐ、ひぐ、ごめんなさい」
ボコボコにされた。完膚無きまでにやられてしまった。力だけは私が強かったけど、レミリアはそれ以上に戦闘慣れをしていた。互角に思えた魔理沙は、あれでも手加減してくれていたのだということを私は身を以て知った。私はみっともなく泣きながらレミリアに頭を下げていた。
「わかりゃいいのよ」
レミリアはかなり得意げだった。うう、強かった。
「み、澪。どうしちゃったの? レミリアに喧嘩ふっかけたりして……」
心配そうにアリスが聞いてきた。私は頭をあげると、アリスのほうを見る。
「だって自分も吸血鬼なのに、私だけおかしいみたいなこと言うんだもん」
「だ、だからって」
さらに何かを言おうとしたアリスを遮って、レミリアが私の目の前までやってきた。びくりと、私は一歩下がる。
「ふん。本気じゃないくせに」
「へ?」
「子供の相手は慣れてるからわかるけど、あなた、結構色々溜め込んでるでしょ」
私は何も言えなかった。
「で、アリス。この子が何を溜め込んでるかわかるかしら」
「解放団への復讐心でしょ」
レミリアは不思議そうな顔をした。
「は? なんで? あれだけぶっとんだ復讐方法考えてたじゃない」
「考えるだけだよ。実行しないよ」
答えると、ますますレミリアの疑問が増えたようで、彼女は首をかしげた。
「なんで?」
「魔理沙との弾幕勝負に負けて、復讐を諦めることになったの」
「はあ? ……ああ、わかったわ」
合点がいったのか、レミリアは複雑そうな顔をして頷いた。
「アリス。気にすることはないわ」
「え?」
「澪はただ溜まってた感情を吐き出しただけだから」
アリスはレミリアの言っていることがよくわからないようで、首をかしげていた。
「あのね。あんな復讐方法がすぐ思いつくくらいに恨んでて、しかも自分には復讐できる力があって、その上相手がそばにいるってのに復讐できなかったらそりゃ色々溜まるでしょうよ。大切な人に八つ当たりするわけにもいかないから捌け口を探してたところに私と会った。だから溜まってたものを吐き出した。それだけの話よ」
アリスはまだわからないようだった。
「でも、もう忘れるって……」
アリスの言葉に、レミリアは呆れ返ったようにため息をついた。
「言葉だけで判断するからわからないのよ。この子自身だって自覚してない無意識ってのにも気を配ってあげないと、そうやって戸惑うことになるわ。わかった?」
すごく最もらしいことを言うレミリアは、すごく大人びて見えた。
「レミリア、詳しいね? 子育てしたことあるの?」
レミリアは私の目をじっとみた。
「子供の外来人はあなただけじゃないわ。それに、精神年齢がいつまで経っても変わらない妹もいるしね」
ふう、と疲れたように息をつくと、レミリアは玉座へと戻って行った。
「今日は帰りなさい。そこのも持って帰ってね。それから、澪。時々なら相手してあげるわ。いちいち挑発してくれなくても全力でやってあげるから、気軽に来なさい」
そう言って、レミリアはぶっきらぼうに、手を振った。
「うん、わかった。また来るね。それから、さっきはごめん」
「もう許したわ。早く行きなさい」
頷くと、アリスを見る。しばらく何かを考えたようだったけど、ためいきを吐くとパパのそばまで歩き、何かの魔法をかけてパパを小さくした。手のひら大にまで縮んだパパをランチバスケットの中に入れる。
「ありがとうね、レミリア」
「気にしないで。これでも私、澪を吸血鬼にしちゃったこと、責任感じてるんだから」
私は首をかしげた。どうしてレミリアが責任なんて感じるんだろう? 吸血鬼になったのは、私のせいだっていうのはレミリアだって言ってたのに。
「……戯言よ」
その言葉を最後に、私たちは紅魔館から出た。紅魔館の外に出るまでずっと、アリスは微妙な顔をしていた。