感情の落としどころと私
キッチンには霊夢とアリスが仲良く料理をしていた。博麗神社のキッチンは旧式も旧式、大正か昭和時代のものだった。温度調節のできる水道ではないし、食洗機もない。過去にタイムスリップしてきたような気分になる。
「アリス、霊夢。ミオを連れてきたぜ」
二人がゆっくりとこちらを見た。霊夢の手には包丁と玉ねぎが、アリスの手には皮剥き機とにんじんがあった。皮剥き機を見て、少しだけ鳥肌が立つ。でも、そんなことをいちいち言ったりしない。皮剥き機が怖いなんて、普通のことじゃない。いちいち気にしてたら幸せになんてなれない。
「あ、ミオ。起きたの。具合悪いところない?」
霊夢が静かに聞いてきた。
「うん。ないよ。元気いっぱい」
紛うことなき真実だ。ちょっと血が足りない気はするし黒い気分が晴れないけれど、身体に力は有り余っている感覚がする。嘘ではなく、体には元気が満ちている、というだけだ。
「そう。それはなにより。何か話があるんじゃないの?」
霊夢に見透かされたように言われて、驚いた。
「ふふふ、顔でまるわかりよ。嬉しいわ、表情を取り戻したのね」
霊夢は、私が何者か、なんて聞かなかった。やっぱり巫女さんだから私のことをわかってくれるのだろうか。
「うん。アリス姉ちゃんに話があるの」
「だってさ、アリス」
霊夢は飄々としていたが、言われたアリスは苦い顔をしていた。
「あの二人のことでしょ」
「うん」
はぁ、とアリスはため息をついた。アリスは手に持っていたものをキッチンの上に置いて、私のそばへきた。
「一応聞くけど、何かしら」
「その、あの二人と暮らしてもいい?」
「……ええ、いいわよ」
驚くほどあっさりと認めてくれた。てっきり苦い顔をされるかと思ったけれど、違うようだった。
「アリス。意地の悪いことすんなよ」
ピクリと、アリスが目を細めて魔理沙を見た。平然としていた顔に、嫌悪の色が現れる。
「どういうこと?」
「ミオは復讐をやめたんだ。あとは幸せになるだけだ。お前の協力が不可欠だ。あとは、わかるな?」
アリスは不機嫌そうに顔を背けた。
「なぁ、アリス」
「うるさいわね。ちょっとわからせてやるだけよ。何も問題はないはずよ」
その言葉に込められた悪意を感じて、私はぞっとした。アリスが暗い感情を抱くなんて、信じられなかった。
「あのな。落ち着けよ。ミオは復讐を諦めたんだ。お前も少しは」
「無茶言わないでくれる? ミオをズタボロにした相手と仲良く暮らせって!? 一切手を出すな!? ふざけないで!」
アリスは怒りの形相で、魔理沙に怒鳴りつけた。私はその隣で何も言えず、目を白黒させているだけしかできない。
「でもよ、ミオのそばくらいじゃないとあいつらの居場所ないんだぜ?」
「ミオのそばだって居場所じゃないわ! 幻想郷にあいつらの居場所があるわけないでしょ!? それだけの罪を犯したのよ、あいつらは!」
「だからってな!」
我慢できなくなったのか、魔理沙もアリスに負けじと声を荒げた。
「うるさい! 私だってね、我慢できないことの一つや二つあるのよ! 妹の仇と仲良くなんて、できるわけないでしょうが!」
「ここでお前が暴走してあの二人をいじめて、ミオが何も思わないと思うのか!?」
「わかってるわよそんなこと! だからそもそも私はこいつらを生かすことに反対してたでしょうが!」
「お前そこまで蒸し返すか!? 納得したじゃねえか!」
「ミオに害がなければ、という前提つきだったはずよ! 本来ならミオがあいつになんかされた時点で処刑だったはずよ! なんであいつを生かしてんのよ!」
まるで死ぬのが本来あるべき姿であるかのようなものいいに、私は震えた。ここまで強い悪意をアリスが誰かに向けるなんて、今でも信じられない。
「御陵は死なねぇんだよ! キアはもうなんもできねぇし、そもそもあいつだって脅されてたんだ! 殺す意味はねぇ!」
「……おっけ。キアは百歩譲って許したげる。奴隷扱いで許すわ。でも御陵臣は無理よ。あいつだけは絶対に無理。いじめてもいいってんなら、喜んで引き取るけどね」
魔理沙はため息をついた。
「あのな。ったく、頑固なところはお前らほんと姉妹だな。繋がってもいない血を感じるぜ」
魔理沙の言葉にちょっと心が暖まるけど、そんな場合じゃない。
「……うるさい」
アリスも毒気を抜かれたようで、照れ臭そうに顔を赤くした。
しばらく、無言が続いた。いたたまれなくなって、私は小さくつぶやいた。
「ねぇ、ホントにパパの居場所ってないのかな?」
アリスが一瞬だけすごい形相で私を睨んだ。すぐに柔らかい顔に戻ったけど、すごく怖かった。
「い、いや、その、ね? パパの処遇は正直どうでもいいんだけど、ほら、やっぱり私アリス姉ちゃんにひどい事してほしくないし」
慌てて言い繕う。そこまで言って、ようやくみんなが復讐を止めてくれた理由がわかった。
「それでね、ほら、レミリアとか、ほら、あの、ゆか、ゆ……ゆ……」
「紫?」
アリスの出した名前に、私はポン、と手槌を打った。
「そう、紫。とか」
私が言うと、アリスもうんうんと頷いた。
「それはありかもね。幽香でも面白いことになりそうだし」
出てきた名前にはピンと来なかったけれど、乗り気のようだ。すかさず、私はアリスに微笑みかけた。
「ねえ、パパを引き取ってくれる人を一緒に探そうよ! アリス姉ちゃんと一緒にまた幻想郷を回りたい!」
アリスはキョトンとした。それから、クスクスと嬉しそうに笑った。そう、パパなんてもうどうでもいいんだ。そう思うって決めたんだ。今はアリスと一緒に幻想郷で、幸せになるんだ。
「ホント、あなたって変わってるわ」
「お姉ちゃんの妹だもん!」
ぎゅっと、アリスに抱き締められた。ぐりぐりと、荒っぽいてつきで頭を撫でられる。
「言ったわね? もう、本当に……。復讐に囚われてた私がバカみたいじゃない。いいわ。それじゃ、明日から御陵臣の引き取り人を探しに行きましょうか」
「うん!」
私は笑顔でアリスお姉ちゃんを抱きしめ返した。
「……と、いうわけさ、聞いてたか、二人とも?」
魔理沙が後ろの空間に話しかけた。すると、おずおずとパパとキアが顔を出した。
「……僕はペットじゃないんだけどなぁ」
「うるさいパパ! それともアリス姉ちゃんに虐待されたいの!? 私はそれでもいいんだよ?」
私が脅すと、パパは疲れた様子でため息をついた。すっかり牙が抜かれた様子に、安心する。
「あ、あの、わ、私、は?」
「キアは私たちと一緒だよ」
にっこりと笑うと、キアは嫌そうな、でもホッとしたような微妙な顔をした。
「……ミオ、もし誰かに御陵臣を引き渡したとしても、彼はロクな目に遭わないわよ?」
霊夢が確認するように聞いてきた。私はアリスに抱きついたまま答える。
「わかってるよ。そりゃ、なんていうか……。酷い目に遭うのわかってるのに渡すのは心苦しいけどさ、やっぱり、私も譲れないものはあるよ」
復讐はしない。それはわかったしするつもりもない。だからと言ってこの暗い気持ちはまだ燻っているのだ。私がアリスの言葉を否定しなかったのは、あわよくばという気持ちがわずかにあったからだ。もちろん、アリスに言った言葉だって真実だ。でも、許せないというのも真実だった。そもそも私はパパを引き取るとは言ったけど仲良くするとは言ってない。奴隷同然の扱いを強いて、憂さ晴らしくらいはするつもりだった。もうそれもできなくなったけど。
「譲れないもの?」
「パパが私より先に幸せになるのだけは、許せない」
幸せになって満たされて、そうしたらパパを許す気にはなるかもしれない。でも今は。少なくとも今は、パパの幸せを許すことができない。
「……ま、そこまでとやかく言わないけど。こんな父親、さっさと忘れた方がいいわ」
霊夢はそういうと料理に戻った。私の反応はどうでもいいようだ。
「さ、澪。ご飯食べたら帰りましょ」
アリスが私を解放してそう言った。
「さっきも思ったけど、どうしてご飯?」
私が聞くと、アリスはにっこりと微笑んだ。
「魔法の力を舐めないでね?」
それだけで、私はアリスの言いたいことを理解した。魔法をつかえば、私でもご飯を食べても味を感じるの?
「ふふふ、楽しみにしててね」
それから数刻の時が経ち、みんなで食事をとった。魔法がかけられた料理は、物凄くおいしかった。久しぶりに感じた味に、私は涙を流して喜んだ。
私はアリスと御陵臣、キアと共にアリス宅へと帰り、眠りについた。