疑問と私
パチリ、と電源が入ったかのように覚醒した。
「起きたわね」
目を開けると、美沙お姉ちゃんの呆れたような顔がちらりと見えた。木製の天井もみえる。体を起こすと、頭から濡れタオルがはたりと私の体に落ちた。周りはふすまで仕切られている和室。どこかで見たような気がする。でも、ここは永遠亭ではないだろう。匂いが少し違うから。
「あ。急に起きたらダメじゃない」
「私は風邪じゃない」
お姉ちゃんにタオルを手渡しながら言った。怯える様子も怖がる様子も見られない。どうしたのだろう。
「お姉ちゃん、私が何か知ってるでしょ?」
「吸血鬼ってこと?」
首を振って、美沙お姉ちゃんの手を握った。
「私は、御陵臣の娘だよ」
美沙お姉ちゃんの動きが一瞬止まった。知らなかった、というわけではないだろう。おそらく、意識しないようにしていたのだろう。
「私、美沙お姉ちゃんの妹じゃなかった」
美沙お姉ちゃんとは姉妹でいたい。でも、お姉ちゃんも御陵臣の娘の姉なんて心底ごめんだろう。多分、この部屋に私とお姉ちゃん以外誰もいないのは、お別れを言うためだろう。さようなら、って。泣いちゃうかもしれないけど、泣くのは美沙お姉ちゃんがいなくなってからにしよう。
「アリスと血、繋がってないよね?」
「うん、そうだよ?」
それなら、と美沙お姉ちゃんは私の手を強く握った。
「私達だって姉妹でいれるはずよ」
今度は私が驚く番だった。美沙お姉ちゃんは私のこと、怖がってるのだと思っていた。
「私はね、澪。犯罪者の家族は同罪とみなす、みたいな偏向報道が大っ嫌いなの」
「怖くないの? 自分で言うのもなんだけど、私、かなり歪んだ教育受けてるよ?」
それは自信を持って言えることだった。普通の家庭なんて知らないからどこがどう、と詳しく言えるわけじゃないけど、日常生活を送るのに支障が出るレベルで歪みがあることも自覚している。
「それでも、あなたは被害者よ」
目頭が熱くなるくらい、優しい言葉だった。
「でも、ダメだよ。私、パパに復讐しようとするくらい悪い子なんだよ?」
「あんなことされて恨まない方が変よ。どっちにしろ、あなたはもう復讐できないけどね」
さも当然、と言う具合にお姉ちゃんが言った。もう魔理沙との勝負の結果が広まってるのか。でも、なぜ広まっているか、なんていうのはどうでもいい。
「美沙お姉ちゃんは、私のお姉ちゃんでいてくれるの?」
返事代わりに、抱き締められた。美沙お姉ちゃんの優しいぬくもりが、私の冷え切った心を暖めてくれる。
「そんな捨てられそうな仔犬みたいな顔しなくても大丈夫。血が繋がっていなくても、姉妹。でしょ?」
頷いて、抱きしめ返した。両親から教えられた愛情表現ではなく、ここで学んだ愛情表現。抱きしめて、愛の深さを伝えるんだ。
「うーっす、入るぞ……っと。取り込み中だったか?」
ふすまがあいて、いつもの魔女装束に身を包んだ魔理沙が男らしく入ってきた。私たちは恥ずかしくなって離れた。
「そんなことないよ。そうだ、魔理沙。ここどこ?」
「神社だぜ」
魔理沙はにっと笑った。神社か。ということは、あれから私は魔理沙にここまで運んでもらったんだろう。 わざわざ神社まで、ということは何か話があるのだろう。
「パパは? キアは?」
今のところ、頭に浮かんだ重要案件はあの二人だったので、とりあえず聞いてみた。
「おう、ここだぜ」
魔理沙が指を鳴らすと、魔理沙が入ってきた部屋の奥から、憔悴しきった様子のパパと不安そうに体を竦ませているキアが魔理沙の隣まで歩いてきた。
「パパ。それに、キア」
私はどんな顔をしていたのだろうか、キアが青い顔をしてふるふると細かく震えていた。
私は口の端を歪めた。
「パパ。キアはパパより先に私の眷属になったんだよ。姉弟子ってやつ。だから、キアにはそれ相応の対応をしないとね」
ちょっと思いついたイタズラ。本人達からしてみれば大変なことなんだろうけど、私にとってはそう大したことではない。
「ミオ、約束忘れんなよ」
私は笑って頷いた。
「パパ、ほら、キアのこと『姉様』って呼んでみて?」
パパが苦い顔をした。クスクス、と声をあげて笑う。
「冗談冗談。私はそんなの気にしないよ。それで、魔理沙。質問なんだけど、この二人をこき使うのは復讐になるのかな」
魔理沙は首をかしげた。
「さぁ、わかんねぇ。復讐するなとは言ったけど、眷属としてこき使うのまでなしとは言ってねぇからな。まぁ、でも、あれだ。陰湿ないじめとか、ミオにしてほしくない」
私は魔理沙の不安を聞いて、にっこりと笑った。
「大丈夫。もう復讐は忘れるから」
魔理沙はそうか、と小さく呟いた。もちろん、まだ黒い気持ちや憎悪は残っている。けど、もう復讐はあしない。それはもう決まったことなんだ。私は正しいことをしているはずなのに、ぐつぐつと黒い感情が煮えたぎるような感じがする。すごく嫌な感じ。でも、それを表に出すことはしない。
「それでな、ミオ。こいつらの処遇なんだがな。ミオに預けようと思う」
「……?」
わけがわからず、首をかしげた。あれ、神社で預かってるんじゃないの?
「まぁ、なんだ。こいつらトップ組ほどになったら人里に置いとくわけにもいかんし、神社には人が来るから好ましくないし。だからとりあえず主人であるお前にどうするか聞いておこうかな、と」
それはきっと、私が約束を守れるかどうか試してもいるのだろう。
私はまずキアに視線を合わせる。
「楽になりたいんだったらしてあげるよ。どう?」
苦しめるか楽に殺すかは気分次第だけど、まあ、割とすぐに死なせてあげるつもりだ。キアにとったら、奴隷生活なんて死んでもごめんだと思っているかもしれないし。
「し、死にたく、死にたくありません」
キアは素直に首を振った。万人に服従せよ、の命令を出してから随分経ったけど、まだ地獄を見ていないのかな。もし私がされたみたいなことをされていたら、普通に死を望むはずだ。ここの人はお人好しだからもしやとは思ったけど、本当にただ雑用をしてただけとは思わなかった。
「パパは……どう?」
「好きにしてくれ」
やつれた様子のパパは、力なく言った。私はためいきをついた。
「だってさ。じゃ、私が面倒見るよ」
「……そうか。それなら、少し問題があってな」
また、私の頭に疑問符が浮かぶ。
「アリスが、な」
私は驚いて立ち上がった。私の顔は焦燥と不安に彩られているだろう。
「どうしたの。まさか、パパ達に何かされたの?」
私は両手のひらから血の日本刀を作り出した。
「落ち着け。違うから。お前、今アリスんとこで暮らしてるだろ」
頷く。
「で、このままこいつら二人をお持ち帰りしたら、アリスが意地の悪い姑と化す」
「ドラマみたいに?」
「そっちの方が生易しいレベルで」
イマイチ実感のない話だった。弱いところもあるアリスだけど、そんなに悪いことをするようには見えないのだけど。それとも、私がアリスの人となりを見きれていないのかな。
「そうかな?」
「半吸血鬼の御陵臣はともかく、魅了されただけのキアは、三日持つかどうか、だな」
「……そうかな?」
そう言われても、まだ頭の中のアリスと魔理沙の言うアリスとが繋がらない。
「あのな。こいつら二人はお前を狂わせた張本人だぞ? そりゃ、お前は復讐をやめてくれたけど、アリスはまだ割り切れてねぇみたいだな」
「というと?」
「離れて暮らすうちはまだ我慢できるだろうけど、仇が一緒に暮らしてて復讐しないわけねぇじゃん」
「……」
やっぱりわからなかった。実際アリスに会ってみればわかるだろうか。血の日本刀を解体し、体の中にしまうと魔理沙に近づいて行く。
「具体的にはどうなの?」
「無意味に飯抜きとかな。雑用させてる間ずっと嫌味言い続けるとか、穴を掘らせてその穴を埋めさせるとか」
本当に陰湿だった。もっとこう直接実力行使するのかと思っていたら、それではまるでいじめではないか。
「ま、事の真偽は実際会って確かめるよ。アリスはどこ?」
私が聞くと、魔理沙はため息をついた。
「やっぱりお前はそう言うよな。あいつは今お前の寝起きの飯を作ってるよ。キッチンにいるぜ」
ご飯? どういうことだろう。私はもうご飯なんて食べられないのに。とにかく、会いに行こう。
「魔理沙、案内してくれる?」
「ああ、いいぜ。ただな、あんまりショック受けてやるなよ。アリスは聖人でなけりゃ賢者でもない。お前のことが大好きな、お前の姉ちゃんなんだから」
魔理沙は私の手を引いて歩き出した。
「わかってるよ。……でも」
でも、私だって復讐を我慢するんだから、アリスだって我慢できるよね? そう思いながら、私は魔理沙に連れられ、キッチンへと向かった。その前に、私は振り向いて縮こまっている眷属二人を見た。
「あ、そうだ二人とも。美沙お姉ちゃんに何もしちゃダメだから」
軽く命令すると、私は魔理沙の方を見た。
「魔理沙、私復讐を忘れて幸せになるよ」
魔理沙は私の顔を見て笑った。
「すぐになれるさ」
それから私達はキッチンに辿り着いた。