ドロドロとした気持ちと私
地下室の扉を開けて、階段を降りる。一段一段、ゆっくりと。降りれば降りるほどパパに近付いて行くのだと思うと胸が躍る。あとちょっとで私の悲願が叶うんだ。六歳の時から続く私の恨みを晴らす瞬間が訪れる。
私はパパのいる地下室に辿り着いた。
アリスと魔理沙、映姫が、なんとも言えない表情で出迎えてくれた。
彼女達の後ろでは、パパが土下座をしたまま、ひたすら謝っていた。
「感情がこもってないよ、パパ。ホントに申し訳ないって思ってる? 答えて! 正直にね!」
するとパパは、あろうことか首を振った。わかっていた。パパはこんなことでは反省しないってことくらい。それでも私の血液全てが沸騰したかと思うくらい、体が熱くなった。
「まだカケラも反省してないの!? そう、そうなんだ、ヘェ〜」
私は怒りすぎて、笑みさえ浮かんできた。
どんな罰を与えれば反省するかな。私は悩んだ。自害させても意味なさそうだし。あ、そうだ。
「パパ、お風呂入ろう。昔私にしたみたいにさ」
にっこりと、私は笑いながらパパに近付いていく。
「お、お風呂?」
アリスが不思議そうに聞いてきた。そっか。普通はお風呂って気持ちのいいものだもんね。
「そうだよ、アリス姉ちゃん。ほら、私が外の世界にいたときパパの体液とか私の血とかで汚れちゃったらお風呂に入らされてたの。焼け爛れるかと思うくらいの熱~い湯船にね」
くすくすとアリスに微笑みかける。熱湯ってことはなかったけど、五十度はあったかな。口答えしたら湯船に死ぬ寸前まで沈められたりしたなあ。パパに対する憎悪がさらに増した。
「あ、あなた……」
私が朗らかにそんなことを言うものだからか、アリスは私から目を逸らしてしまった。
「あなた、変よ。そんなこと笑って言うなんて」
「変かな? 過ぎた事なんだしいいじゃん。……今はそれよりも」
思い出したらまたイライラしてきた。だから、血を操って小さなナイフを作る。あまりに小さいから、メスに近い感じかな。
私はそれをパパの首にあてがった。
「皮を剥いてから熱湯風呂に入ろっか。くすくす、なんだか料理みたいだね。皮を剥いて熱湯につけて、それから切り刻んだり、お腹裂いたり」
パパはその時の自分を……もっと言えば、その時が訪れても死ねない自分に恐怖しているのだろう。
「安心して、パパ! 私、父殺しなんてしたくないから、絶対に死なせないよ!」
悪意をたっぷり含ませた笑顔をパパに向けて私は言った。
私が笑っていると、肩に手がかかった。優しくて、いたわるような手つきだった。振り向くと、魔理沙が悲しそうな目をして首をゆっくりと振っていた。
「何、魔理沙? あ、そうか、魔理沙も参加したいの? そうだよね、パパを憎んでない人なんていないもんね! うっかりしてた、ごめんね魔理沙」
「いたさ。お前だよ」
私は不快感を隠さなかった。魔理沙の手を振り払って、彼女に向き直る。
「憎んでないわけないじゃん!」
「昼のお前も、夜のお前も、憎んでなかった。幻想郷を守るために、そいつと戦いはしたけどな。だけど」
「それがおかしいって思わないの!?」
私は魔理沙に詰め寄った。吸血鬼の膂力に任せて魔理沙をコンクリートの床に押し倒す。それでも頭を打たないよう、後頭部に手を添えて衝撃を和らげるのを忘れない。マリサの頭と床に挟まれて、手がものすごく痛いけど、魔理沙の頭を守るためだと思うと全然気にならない。魔理沙に馬乗りになり、魔理沙の胸ぐらをつかんだ。魔理沙を睨んで叫ぶ。
「ここに来る前! ここに来てから! どっちの世界でも、心を踏み荒らされて、身体を好き勝手にされて! それで憎くないなんて、そっちのほうがおかしい! 私は憎い! パパが、解放団が憎いの! 私の憎悪を否定しないで!」
ぐ、と手を掴まれた。折られる、と思った。けど、予想した痛みは訪れなかった。魔理沙は私を睨む。
「お前も、辛いんだな」
魔理沙は見透かすように、私の二の腕を撫でた。
「な、何を」
「夜のお前と、反応が一緒だ。お前だって、辛いんだろ? 確かに、お前の憎悪を、あたしは否定した。そりゃそうさ。復讐が正しい手段だとは思えないからな」
「正しさなんてどうでもいい! 私はパパに復讐するんだ!」
「だからって、見過ごせるか!」
いきなり怒鳴られて、私は魔理沙から飛び退く。魔理沙は立ち上がるとスカートの埃を払った。
「いいじゃねえか、そんなやつ。ほっといて遊ぼうぜ」
「これから私のオモチャはパパなの。キアなの。解放団の連中なの!」
「だったら、止める」
魔理沙は八角形の小箱を取り出して構えた。
「ちょ、魔理沙!?」
アリスが咎めるように叫んだ。
「なんで?」
私は聞いた。不思議と恐怖は感じなかった。
「人はオモチャじゃねえ」
「人じゃないよ。身も心も鬼だよ」
「生き物はオモチャじゃない」
魔理沙の言ってることは正しい。正しいからこそ、私は我慢できなかった。私は感情を剥き出しにして叫ぶ。まるでヒステリーでも起こしたみたいに、感情をさらけ出して、大声で喚く。
「先にそのルールを破ったのはパパなんだよ!? 許せるもんか! 許せない、許せない許さない! 絶対に許さない! 魔理沙じゃだめなの、アリス姉ちゃんでもダメなの! この荒れ狂う憎悪を! この燃え盛る復讐心を! 満たせるのはパパだけなの! パパを原型留めないぐらいグチャグチャにして、心をメチャメチャにして、心底反省するまでありとあらゆる痛みを与えて、許してって懇願するまで苦しめて、殺してって泣き叫ぶまで壊して狂わせて、私がされた全ての虐待と全ての拷問をやり返す! 溜まりに溜まった恨みつらみを全部晴らすまで、私は復讐の鬼になるんだ!
私にはその権利がある! 私は四年もの歳月をパパの玩具として過ごしたんだ! ただ相手にされないだけだったらどんなによかったか! かつての私が妄想してたみたいに、日々を勉強と家事で過ごしていたらどれほど幸せだったか! 四年を七星と仲良くなるためだけに費やせていたらどれほど幸福だったか! 昼の私も夜の私もみんなも、何もわかってない! パパがどんな人間かまるでわかってない! パパは復讐されても仕方ないことをずっと私にしてきたの! 私は、パパをぶっ壊す! 誰にも邪魔させない! 邪魔するなら、たとえ魔理沙でも……!」
そこから先は言葉にならなかった。だって、それは軽々しく口にしていいものではないから。いくらなんでも、勢いで言っていい言葉ではないから。だから、私は睨むに留めた。
私の視線を魔理沙は飄々と受け止めた。
「……やっぱ、感情の起伏が激しくてもミオはミオだな」
「何が!? 私は、私はみんなが知ってる私じゃない! 一緒にしないで! 勝手に優しさを求めないで! 私は今、パパへの憎悪で生きてるの!」
私は血を操り、細身の剣を作った。ちゃんと刃もある。威嚇するように地面に突き立てた。
「変わんねえよ。お前は、憎悪を向ける相手を間違えない。自分が感じてるものを勘違いしたりしない。賢いやつだ。だからこそ言うんだよ。復讐なんてしたら、お前は苦しむだけだよ。お前は復讐して、親を壊しても笑って幸せを感じれるようなとこまで冷たくねえよ」
「勘違いだよ、魔理沙。私はパパを壊して、幸せになるんだよ」
「そりゃその親父ぶち壊すところまではやるだろうよ。でもその次が無理だな。あたしはお前にゃ幸せになってほしい。今のお前ならなれるよ。復讐さえしなきゃな」
私は口の端を緩めた。嬉しくて、笑った。
「は、はは。やっぱり魔理沙はすごいや」
驚いた。魔理沙の言葉にはなにか魔法でもかけられているのだろうか。そうに違いない。そうでなければ、こんなに簡単に、魔理沙の言葉がすとんと胸に落ちてくるわけがない。
「な? それなら……」
「でも、私は復讐するよ」
魔理沙の顔色が変わった。理解できないという、怪訝な表情だった。
「は? なんでだよ。あたしの言ったことわかったんだろ?」
私は笑う。強がるための、悪役然とした笑顔。
「うん。多分、復讐したら幸せなんて手に入らないと思う。だって昼の私も夜の私も私だもん。理屈は、ちゃんとわかった。多分、昼夜どっちかの私だったら、今の魔理沙の言葉で納得してると思う。ただでさえ、魔理沙には変な気持ち抱いてるし」
最後の方は、とても小さく、誰にも聞こえないくらい小さい声で言った。
「だ、だったら」
私は首を振って、それから、ゆっくりと振り返る。パパの首根っこを掴むと、地面に突き立った剣の前まで引きずる。
「でもね魔理沙、私の気持ちは納得しないの。幸せになれないね、後悔するね、だから復讐やめようか、そんな理屈で納得できるほど、この感情は安くない!」
魔理沙は、驚いたような顔をした。それから、悲しそうにため息をついた。諦め、だろうか。私を見限るため息だろうか。
「わかったよ。そりゃそうだわな。我慢なんてできねえよな。OK、あたしはもうこれ以上止めねぇよ。
まあ、気が済んだら、うちに来いよ。歓迎するぜ。じゃあな、ミオ、アリス、映姫」
そう言ってあっさり引き下がった魔理沙は踵を返し、ひらひらと手を振りながら上へと続く階段を登って行った。
「復讐、するの?」
アリスは私のそばに来て言った。私は彼女を見上げる。
「……私、お父さんのこと以外であなたが表情を変えるのを初めて見たわ。これがあなたの本当の顔なのね」
「ごめんね、アリス姉ちゃん。ずっと、辛い思いさせて」
アリスは首を振って、私を抱き締めた。
「さっきから私、戸惑いっぱなしよ? わかる? あなたが表情を取り戻して、感情も見せてくれるようになって……。でも、見せてくれるのは苦しそうな顔ばっかり。辛そうな笑顔ばっかり。今だって、はちきれそうなくらい不安な顔してる。復讐すれば、あなたは心から笑えるようになるの?」
頷けなかった。私が復讐したいのは、幸せになりたいからでも心から笑えるようになりたいからでもなく、この心の中にある強すぎる憎悪を解消したいからなのだ。幸せより、笑顔より。私はこの憎悪をなんとかしたい。こんなことを言ったら、笑われるだろうか。
「アリス姉ちゃん。復讐しようとするなんて変?」
「違うわ。でも、あなたには笑顔でいてほしいわ」
「今のままじゃ無理だよ。パパがパパである限り、私はこの暗い気持ちを抑えるなんて無理」
抑えきれない。抑えたくない。だから、復讐。なんて短絡。でも、復讐したい。復讐して、パパの苦痛に歪む顔を見てはじめて、私は……救われる。虐げられることから解放されるんだ。
私はアリスの手を優しい手つきでほどいた。
「それじゃあ、また帰ってくるよ、姉ちゃんの元に」
美沙お姉ちゃんには、ついに挨拶もできなかったな。でも、いいんだ。お姉ちゃんの方が、私のこと嫌いだろうし。
「じゃ、パパ。その剣で自分の首を切り落として。首だけ持っていくよ。こっちでパパが私にしたみたいにね」
アリスの方を向いたままパパに命令する。
「ま、待ってくれ澪」
「早く命令を実行して」
懇願するパパに、強く言い放つ。
「わ、悪かった。な、なあアリスさん、その子を説得してくれないか? なあ、お願いだ、お願いしますやめさせてくださ……ぐ、ぎ」
ぷしり、と後ろで弾けるような音がして、それから噴水のような音がした。パパが自分の首を落とそうとする場面を見たアリスは顔を青くして、顔を背けた。
「ゆ、ゆるぐ、ゆるし、て」
「ミオ、許してあげられないの?」
私はアリスの手を握った。彼女の手は、細かく震えていた。怖いのかな。この光景が怖いのだろうか。それとも私が怖いのだろうか。
「アリス姉ちゃん、『許して』って言って許してくれてたら、私、こんなに恨まないよ。何度言ってもやめてくれなかったんだから、やめるわけないじゃん」
ゴトリ、と後ろで音がした。
私はアリスから離れると、パパの方を向いた。パパの頭と体が分離していて、とんでもなく最高の光景だった。私はパパの体のそばまで歩くと、首根っこにかぶりつき、血を啜る。パパの体がカラカラになってミイラみたいになるまで吸い尽くすと、パパの頭を小脇に抱えて部屋の外に出ようとする。
部屋の出入り口には映姫が立っていて、私の通行を邪魔している。
「どいて、映姫」
「他者への虐待は悪行です」
「そんなのわかってるよ」
私はイラつきながらそう答えた。
「このままでは、あなたは地獄行きですよ?」
「私死なないし。何があっても」
死ぬことができたら、あんな痛みは経験せずに済んだ。最悪自殺だってできたのに。もう、死は私にとって遠いものだ。そして神様の元へ行く機会も、永遠に失われた。だからこそ私は、閻魔さまにこうも強く出ることができるのだろうか。
「あなたの気持ちは理解できます。納得もできます。けれど通すわけにはいきません」
「なんで?」
「幼子を間違った道に行かぬよう指導するのは、年長者の義務です」
映姫の素晴らしい言葉に、私はつい頬を綻ばせた。こんなにいい大人もいるんだと、肌で実感できて安心したのだ。
「私、このままだと間違っちゃうかな」
「ええ」
私はなんて答えよう。屁理屈をこねて自分を正当化するのは簡単にできる。でも、でもそれはしてはいけないことだ。
「映姫、私間違っても、道を踏み外してでもパパに復讐したいの。この気持ちは抑えられないよ。どうしたらいいの? 私、どうすればこの気持ちを消せるのかな?」
復讐しなきゃダメ。復讐しないとこの憎悪がいつか別の感情へと変わってしまいそうで嫌だった。この気持ちが別の何かに変わる前に、消さなければいけない。今の私には、復讐以外の解決方法がわからない。だから、映姫に聞いた。復讐をやめる、のではなく、復讐以外の方法を、具体的に示してほしかった。
「……復讐を、止めるのです。そうすれば、あなたはゆっくりとですが、幸せになれますよ」
「私は」
映姫は、私の気持ちを理解してくれなかった。
仕方ない、か。私はため息をついた。映姫は神様なんだし。神様が私の味方になってくれるはずがない。
「私が期待したのが、変だったんだよ」
「は?」
「映姫がしっかりとした大人で、私の気持ちを言えば理解してくれるって思ったのが間違いだった。映姫は神様だもんね」
私の言葉に、映姫は怪訝な表情をした。
「神様なんかが私を助けてくれるはずがなかったのに! どいて映姫!」
私はパパの頭を階段の方へ投げた。一瞬だけ映姫はパパに気を取られた。それを見計らって、私は血霧へと姿を変える。後ろのアリスが息を呑むのが聞こえた。
「なっ……。そこまで吸血鬼の力を使いこなすなんて」
映姫をすり抜けたところで、私は元に戻った。またパパを担ぐと、何も言わずに階段を上がって行く。追ってくるかな、と予想していたけれど、誰も追って来なかった。地上まで戻ってくると、望君にかかりっぱなしの永琳と輝夜に挨拶もせずに中庭まで出る。背中に翼を生やすと、羽ばたいて空高く飛び上がった。
これからどこか隠れ家を探して、そこでパパをゆっくりと料理しよう。復讐のあとに何があるかはわからない。でも、私はこの憎悪を晴らすんだ。時間は、たっぷり、それこそ永遠にある。永遠に苦しめてやる。永遠に、後悔させてやるんだ。
「よお」
声がして振り向くと、魔理沙がいた。八角形の小箱を手に、箒に跨る彼女はまるで騎士のようだった。こんなふうに見えちゃうのは、ひいき目、ってやつかな。
「何の用?」
私が聞くと、魔理沙はヘラヘラと笑った。
「いやあ、対した用事じゃねえよ。ほら、やっぱ復讐なんてダメだ」
「納得してくれたんじゃないの!?」
ヒステリックに叫ぶと、魔理沙は頷いた。
「納得したぜ。でも思い直したんだよ。このままだったら寝覚め悪いなぁ、ってな」
「魔理沙も私をわかってくれないの!?」
私の言葉に、魔理沙は驚いたような表情をした。それから、嬉しそうに笑った。
「いやぁ、わかってくれないの、か」
「バカにしてるの!?」
「いんや? 嬉しいんだよ。わかってほしい、っていう気持ちがダイレクトに伝わってくるぜ。やっぱ本当のことって、感情的になんなきゃ伝わんねぇよな」
私はわからなかった。魔理沙がなんでこんなことを言うのかまるで理解できなかった。
「そろそろ本題に入るか。澪、復讐したきゃあたしを倒していけ」
私はもう迷わなかった。血を使って、大きな剣を作る。それを構えると、魔理沙はチッチッ、と指を振った。
「わかってねぇな。ここでこそ、弾幕勝負、だろ?」
「勝負?」
「ああ、そうさ。全力で来いよ。勝負ってのは本気でやらなきゃつまんねぇからな!」
魔理沙の周りに星のようなエネルギー体が現れた。
私は笑って、同じように血の針を生み出して宙に待機させる。
「いいよ。勝負。私が勝ったら、邪魔はさせない」
「好きにしろよ。ただ、ちょくちょく様子は見に行くけどな。邪魔はしねぇから安心しな」
ちょっと腑に落ちないところはあったけど、私は頷いた。
「あたしが勝ったらそいつは、てか復讐は諦めな。そりゃ抑えきれない気持ちはあるだろうけどよ、んなもん、あたしらが全部癒してやる」
驚いた。この勝負、勝とうが負けようが私に不利なことが何一つない。復讐ができなくなるだけ。なんて破格の勝負だろう。
「なんで魔理沙はここまでして止めてくれるの?」
「親友だからに決まってんだろ」
私は心の底から笑った。
「だから好き」
私は攻撃を開始した。