知らされる齟齬と私
目が覚めると、閻魔さまが私を見下ろしていた。
いつの間に私は死んだんだろう。そんなことをぼんやりと思う。
「あなたは死んでなんかいませんよ。あなたが眠ってから、永琳が皆を呼んだのです」
そう思っていると、エイキが軽く微笑んで私に言った。からだを起こそうとしたところで、肩を押さえられて止められた。
寝たまま、周りを見回す。ここは……。
「ここは、永遠亭の客間です。ここには私以外にも、多くの人間がいます」
そうエイキは言うのだけれど、人の姿なんて見えない。
「あなたからは見えないところにいます。それは、とある理由からですが、悪い理由ではありません。信じていただけますか?」
頷く。まさか閻魔さまが嘘をつくなんてことがあるわけない。
私は落ち着くために一度深呼吸をした。たっぷりと空気を吸う。それから、ゆっくりと息を吐いた。ちょっとだけ落ち着いた。
「……では、質問をしましょうか。そう、あの時あなたが自殺しようとしたときにできなかった質問です」
私は顔を動かして小さく謝った。あのときの私はどうかしていた。アリスお姉ちゃんとエイキの約束を破ってでも死のうとするなんて。今の私も壊れてしまっているけど、昔の私は嫌というよりは恥ずかしい。
「あなたの義理の父親があなたに送っていたお金の額は、いくらですか?」
「……毎月、二百万円」
「ねえ、澪、前も思ったんだけど……」
美沙お姉ちゃんの不思議そうな声が聞こえた。エイキはその質問を止めようとしなかった。
「何?」
「私のお父さんと、あなたのお父さんって、同じだよね」
頷く。本当は違うけど、美沙お姉ちゃんは同じだと思ってる。だから、話を合わせた。
「でも、お父さん年収三百万後半だよ? 仕事だってごく普通のサラリーマンだし。毎日ぴったり同じ時間に帰ってきて、しかもそんなに夜遅くってわけでもない。ホントのホントに、その額であってるの?」
それだと、美沙お姉ちゃんは年間百万円前後で生活していたことになる。不可能だ。つまり、どちらかの認識が間違っているのだ。
美沙お姉ちゃんと、私。どちらが正しいかなんて、言われなくてもわかる。
なぜ私はお父さんからもらった愛の数を間違えたのだろう?
「……さて、あなたに二つ、選択肢を与えましょう」
物凄く高圧的な声が降ってくる。声だけ聞くと、エイキの神様然とした物言いは酷く似合っている。本当に、想像の中にいる閻魔さまのよう。
「ひとつは、何も聞かずに生きる道。幸せではあるでしょう。しかし爆弾は抱えたままです。
もうひとつは全てを聞く道。辛くはあるでしょう。けれど乗り越えることができたなら、あなたは不安なく幸せを手に入れることができます」
「それ、聞く相手間違ってない?」
私は笑うように声を作って言った。だって、それは昼間の私に言うべき言葉なんだから。私は全部知っていて、それで……。
「いいえ。聞くべき相手はあなたで合っているのです。あなたも知らないことが、あるのです。しかし、それは辛いから、忘れていたのです。その意味を考えてみてくださいね。
どうしますか?」
エイキの前置きに、私は頷いた。
「……じゃあ、全部聞く」
私は迷わずに言った。自分のことは、全て知りたい。知らない自分がいるなんてもう嫌。もう、当事者なのに蚊帳の外なんて状況は嫌。
「……それでは、話しましょう。あなたは星空七星と星空叶にネグレクトを受けていました。そして、それとは別に、御陵臣に虐待を受けていました」
「は?」
閻魔さまはいきなり理解不能なことを言い出した。なんであいつの名前が出てくるの?
私は飛び起きようとしたけれど、エイキに止められた。
「さきほど、あなたの人生と彼の人生を浄玻璃の鏡にて確認したところ、判明しました。
その、非常に言いづらいのですが……」
「言って」
私は語気を強めた。エイキは覚悟するように息を吐いた。
「……あなたの実の父親は、御陵臣です」
頭が真っ白になった。しばらく、私の思考は無になった。それからようやく私は私を取り戻していき、最初に感じたのは……例えようもない、不快感。言いようがないほど強い気持ち悪さだった。
「私が、御陵臣の実の娘? なんの冗談?」
「冗談では、ありません。辛いでしょうが、大丈夫です。私たちはあなたがどのような生まれだろうと……」
私は体を起こした。またエイキが邪魔してきそうだったので、布団の周りから血の針を何十本と生やしてそれを阻止する。エイキはさして表情も変えず、私の攻撃を後ろに引いてよけた。
私は体を起こすと、立ち上がる。私が幻想郷で出会ってきた大切な人たちが、私を見ていた。アリスお姉ちゃん、カグヤ、エイリン、美沙お姉ちゃん、ノーマ。マリサは、いなかったけど。みんな心配そうな顔をしていたけれど、今の私にとってそれは嘲笑に等しく感じた。
「いつから知ってたの? 最初から? みんな、私を嗤ってたんだ。見下してたんだ。あんな奴の娘だなんて、って!」
「違う!」
みんな、口々に否定してくれる。ちょっとだけ、安心した。
「……ごめん、みんな。変なこと言って」
私はそう言ってうずくまり、自分の手を見る。見かけだけは綺麗な手だけど、本当は違う。
あいつの血が半分も私の中に流れているというのだ。真っ黒に汚れてる。気持ち悪い。
「なんで? なんでよりにもよって、私の父親が、あんなのなの?」
独り言のように声を絞り出した。御陵臣が私の実の父親?
……もしかして、これは夢なのではないだろうか。夢。夢なんだよ、きっと。たちの悪い夢。そうじゃなきゃ、こんな、こんな残酷な事実……。
「……その、気を落とさないで。あの男は、もうあなたに近付けないから」
アリスお姉ちゃんが、私に駆け寄ってきて言った。
……近付けない? その言葉は、おかしくないだろうか。なんで私が、あいつが近づいてくるかも、なんて心配をしていると誤解しているのだろうか。
「……御陵臣は、生きている?」
アリスお姉ちゃんは少しだけ、言葉を詰まらせた。でも、ごまかすことなく答えてくれる。
「ええ。でも、閉じ込めてるから大丈夫よ」
「そう」
私は安心して息を吐いた。それから、もう一度深呼吸をする。落ち着こう。
「……続きを、話してもよろしいですか?」
「うん」
少し不安だったけど頷いた。エイキはゆっくりと私のそばにやっくると、隣に座った。おもむろに、私の肩を抱いてくる。ちょっぴり怖いけれど、神様、それも閻魔さまが人に嫌なことや悪いことをするわけがないのだから、あまり警戒しない。
「あなたは、ここにくる前に、すでに人格が別れていたそうです」
「どうしてわかったの?」
「きっかけは永琳の催眠術です。しかし、本格的に判明したのは鏡で見たからですね」
エイキが説明してくれるけど、全然頭に入ってこない。私に関する全てのことが、遠い世界の事のように思える。この感覚を、味わったことがあるような気がした。
「案ずることはありません。知ったからと言ってどうにかなるということはありません。大丈夫ですよ」
そう言ってエイキは肩を寄せてくる。私は他者のぬくもりを精一杯に感じて、ほっとしている。
「……よかった」
そんな私の様子を見て、アリスお姉ちゃんが胸を撫で下ろした。私はお姉ちゃんを見る。
「その、またあの時みたいに錯乱されたらどうしようかって思ってたの」
「……あの時?」
私はよくわからなくて聞いた。はぐらかされるかな、とは予想していた。
「……うん。あなた、御陵臣との戦いが終わったあと、一週間くらいちょっと記憶の重みに……ね。夜になったら落ち着いてたけど、昼間は、もう」
アリスお姉ちゃんは顔を床に向けた。たしかに、ショックだった。自分が一週間もみんなに迷惑をかけていたなんて。でも、こんなこと思っちゃいけないんだろうけど、話してくれたことが、嬉しかったのだ。
「嬉しい。話してくれてありがとう」
だから、言葉にした。私は表情が変わらない。だから、こういう些細なことでも口にしないとだめだし、アリスお姉ちゃんに自分が嬉しいということを伝えたかった。
「……そう言ってくれて、ありがとう」
「ねえ、お姉ちゃん。この際だからさ、私に隠してる私のことを、全部話してくれる?」
アリスお姉ちゃんは周りを……周りにいる幻想郷のみんなに目配せをした。
「……あなたの前では、絶対に解放団のことは話さないって決めたのよ。それから、澪がもしおかしくなっていたら……それに合わせてあげるって決めた」
それは、取り返しのつかないところまで飛んでしまった私でも愛してくれるという意味なのだろうか。いくらなんでも、聞くのは憚られた。
「私を想ってくれて、ありがとう」
みんな私を傷つけるのではなくて、優しくしてくれる。本当に、こんな幸せなこと……夢みたい。
……夢?
私は嫌なことに気付いた。
そう言えば、私……すごく残酷な夢をたくさん見ていたような気がする。殺す夢を、虐げる夢を。
もしかして、もしかしたら、それは、それは……。
「……アリス、お姉ちゃん」
「どうしたの?」
もしかしてそれは吸血鬼の特性だとかそんな生易しいものではなく、私が普段抑え付けている心の底からの願望、とか。
もし、そうだったら。そうだったのだとしたら。
「私、死んだ方がいいのかもしれない」
アリスお姉ちゃんは何も言わなかった。
でも、辛いのは、わかってしまう。私の手を握る手に、力が込められたから。
「……どうして、そう思うのかしら」
「私、吸血鬼になってからずっと、残酷な夢を見ていた。私がみんなを殺す夢だとか、色んな人を色んな方法で虐げる夢を」
アリスお姉ちゃんはゆっくりと頷いた。
「不安になるのもわかるわ。でも、それは夢よ」
「夢って、心の底からの願望を表すものでしょ。私は、きっと……御陵臣のように、心のどこかじゃ思ってる」
人を虐めるのは楽しいと。人を殺すのは面白いと。こんなこと思うのは、あいつの血がこの身に流れているから。気持ち悪い。気持ち悪い!
「嫌だよ。気持ち悪いよ、アリスお姉ちゃん。御陵臣と同じことを考えてるなんて思っただけでも吐き気がする」
いっそのこと、死んでしまえたら。滅ぶことができたなら。それなら、どれほど楽だっただろうか。これから私は、他者を傷付けないかどうかを怯えながら暮らして行くのだろうか。そんなのは、嫌だ。でも、私が本当に御陵臣の娘なら、他者を虐げることに快楽を見出すかもしれない。
「……眠いよ。寝たい」
私は静かに、いかにも眠そうに言った。私なんかに触っていたら、きっとエイキもアリスお姉ちゃんも汚れてしまう。離れて欲しい。でも、二人が離れる前に、別の動きがあった。
「……澪、帰りましょう。あなたはゆっくり休むべきよ」
美沙お姉ちゃんが、決意に満ちた表情をして、私のところまで来た。そして、私の手を掴んで言った。
「……そうだね。家に、帰らないと」
私はアリスお姉ちゃんを見ながら言った。怒られないかどうか、不安になったのだ。アリスお姉ちゃんの家を自分の家だと言って不快に思われないかどうか、怖かった。こんな自分が妹で不快に思われないか、不安だった。
「そうね、あなたも疲れたでしょうから、家に帰ってゆっくり眠りましょう」
うん、と頷こうとしたところで、部屋の襖が思い切り、開いた。
「……マリサ」
まるで物語のヒーローのような登場の仕方。彼女はエイリンの方につかつかと詰め寄った。
「エイリン、奴を出せ」
「どういうことかしら」
「ここの地下に奴を閉じ込めてるだろ。幻想郷で探してないのは、ここだけだ」
ここまで聞いてようやく、私はマリサの言う『奴』が、御陵臣だといことに気付いた。
「……殺させないわ」
「あんな奴をかばうのか」
「あなたのためよ。人殺しなんてして、魔理沙が変わらないわけがないわ」
「だからって奴を許せってのか!? 澪を酷い目に遭わせて狂わせた挙句、幻想郷でも澪のことをイジメ抜いて!」
エイリンが、怒ったようにマリサの肩を掴んだ。
「殺すだけが罰じゃない! 奴を殺して満足するのはあなただけよ!」
「違う! ……もういい!」
マリサはエイリンの手を振り払って、部屋の外に出た。
「待ちなさい!」
「いつものように強行突破させてもらうぜ、永琳!」
マリサはきっと、永遠亭の地下室にいくつもりだ。私は立ち上がってマリサを追おうとした。すると、エイキと美沙お姉ちゃん、そしてアリスお姉ちゃんに止められた。
「……ダメですよ」
「お願い」
しばらく、エイキは黙っていた。それから、静かに口を開いた。
「やはり、ダメです」
「そう」
私は血を操り、体からいくつもの手を作り出して三人を私から引き剥がした。優しい手つきを心がけ、けがだけはさせないようにする。
私はそれからマリサを追って部屋から飛び出し、永遠亭を駆けた。
……なぜか、御陵臣に会いたかった。疑っているわけではないけれど、会って真実を確かめたかった。
なぜ、私が娘だということを言わなかったのだろうか。それも、問い詰めたかった。